1999年6月30日(水) 資料提供 中日新聞
伊良湖水道沖衝突 船首に傷跡くっきり伊勢湾口の伊良湖水道で二十九日夕、愛媛県の貨物船「第8東星丸」と横浜市の自動車運搬船「日清」が衝突し、「第8東星丸」が沈没して乗組員五人のうち四人が行方不明になっている事故で、第四管区海上保安本部は三十日早朝からヘリ二機を出し、前夜からの巡視船、巡視艇計十二隻とともに、衝突現場の周辺海域のほか伊勢湾南半分まで範囲を広げ捜索している。 あっと言う間に沈没 甲板長会見さらに、前日救助された「第8東星丸」の甲板長佐藤国彦さん(67)=北海道共和町老古美=や、名古屋港に入港した「日清」の乗組員から事情聴取し、事故原因を調べている。また、午前七時ごろ、ヘリが衝突現場付近の三重県鳥羽市神島東方約九百メートルの海域から北東に向け、わき出している油を発見した。沈没した「第8東星丸」の燃料油の重油とみられる。第三管区海上保安本部横浜機動防除隊が中心となり油回収マットや油吸着マットを使った防除作業を始めた。 貨物船「第8東星丸」の乗組員の中で、ただ一人、ゴム製の救助いかだで助かった甲板長の佐藤国彦さん(67)=北海道共和町老古美=は、事故から一夜明けた三十日朝、生還の喜びと、いまだ行方が分からない仲間への気遣いで複雑な胸中を語った。 救助され、けがの手当てを受けた三重県鳥羽市の離島・神島から午前七時三十五分ごろ、鳥羽海上保安部のある鳥羽港に到着。付き添いの海上保安官から両わきを抱えられ姿を見せた。打撲した左足をかばうように海保の階段を一歩一歩上り、会見に臨んだ。 事故当時の海上、船内の状況や、衝突原因については「当直番が終わり、私の寝台で休んでいたところ、船長から『視界が悪く、反転して伊良湖港に引き返す』と連絡が入りブリッジに上がった。前方を注視していると、目の前に三隻の船が。衝突を避けようと、全速後進したが間に合わなかった。ものすごい衝撃で、相手の船に乗り上げた形になったが、船が離れると沈没するまで二秒とかからなかった」と振り返った。 行方が分からない四人については「一日も早く見つかってほしい。相手の船は私が救命いかだに乗っているのが見えているはずなのに何もしてくれなかった。救命いかだは相手の船が投げてくれたものだと思うが」と涙ぐんだ。 【写真説明】(上)貨物船と衝突し、大きな傷が付いた自動車運搬船「日清」の船首部分。左下は海保のダイバー=30日午前8時10分、名古屋市港区潮見町の名古屋港で(下)衝突事故のもようをを会見で話す佐藤さん(右)=三重県・鳥羽海上保安部で |
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