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YORIKOのレッスン日記



長らく更新をしておりませんでしたが、間もなく、ほんとうに間もなく、再開いたします。 ほんとうに再開いたします 2009年9月27日

5月6日(日) きょうで連休もおしまい。この一週間は道路を行き交う車の量も少なく、どこか閑散とし た様子の街も、明日からまたいつものように戻ることでしょう。ふり返ると、この連休の 間、わたしは一歩も外へ出かけなかったような気がします。いえ、もちろん、ここにも記 したように、一昨日は大森まで出かけたし、タマオとケムリのトイレ用の砂を購入するた めに、大井町駅までは行ったのですが……そんなものなのです。特に混雑している行楽地 に出向こうとは思わないまでも、なぜこんなに「ひきこもって(!?)」しまったのか。以前 にひいた風邪が完全に治った! という実感がなかったせいかもしれません。レッスンに加 えてリハーサルと、レオタードを着ている日が続いたからなのかもしれません。明日から また忙しい日々が続きそうです。でも、合間をみてどこかへ出かけよう……そんなことを 考えながら、先日、石井で買った野蕗を煮ました。 5月5日(土) きょうは端午の節句、こどもの日で祝日です。本来ならば、レッスンはお休みなのですが、 今月ある「ダンス・カナガワ・フェスティバル」のための照明下見などのために土曜日が つぶれてしまうために、きょうは平常通りにやることにさせていただきました。連休中で もあり、みんなお出かけしてしまうかなあ…と思っていたのですが、半数くらいの出席で した。出かけた先から駆けつけてくれたり、おばあちゃんの家から一度帰ってレッスンに 来たり…と、お父さん、お母さん方もご苦労さまでした。きょうも初夏のような陽気、小 学生クラスもバーにタオルをかけて、汗をふきふきのレッスンでした。幼児クラスではみ んな汗をかいたことが誇らしげで、じめっと濡れたおでこをしきりにわたしに示していま す。ひとりひとりしっかりさわって「汗を確認」しました。 日がかげって「シティ・オブ・ヨーク」の白い花の布のような花びらが可憐に揺れていま す。きょうまた三輪開いたため、全部で七つの花が咲いたのです。思わず重いサッシの引 き戸を開けて香りを嗅いでしまいました。 5月4日(金) 時折風が強く吹くのですが、とっても気持ちのよい「五月晴れ」でした。夫とむすめと3 人で大森の「BACCO」へ行きました。大森まで裏道を縫うようにして歩いて行きまし た。陽射しも強く、傘をさしていても汗ばむほどです。いろいろな家の庭先、軒先を通り、 多くの家のバラ、ハゴロモジャスミン、スズランなどがきれいに花を咲かせているのを見 ることができました。うちに帰ると(帰りも歩きでした)ベランダの真っ白の八重のバラ、 「シティ・オブ・ヨーク」が四つ、花開かせているではありませんか! そうそう、昨日 蕾が膨らんできたなあ…と思ったのでした。香りのよいこのバラは、聞くところによると、 1945年にベルリンにて作出されたそうです。戦争が終結したその年に、こんな可憐な花が 育種されていたとはなんとも驚くべきことですね。
5月2日(水) 5月25日(金)に行われる「ダンス・カナガワ・フェスティバル」に昨年、イイノホー ルで踊った「わたしたちに与えられた時間」を出品することになり、いまリハーサルを重 ねています。中高生たちまで全員が集まれるのは、どうしても土・日になってしまうので すが、大人の出演者はその他に月・水・金の各クラスの後に小リハをやっています。みん なとても熱心で真剣です。回数多く稽古すれば必ず上手くなるとはよく言われることです が、本当にこれは子どもも大人も同じなのですね。実感しています。のんびり構えている (!?)中高生よ!頑張らないとお姉様たちの真剣パワーに負けてしまうワヨ! 4月28日(土) 朝のうちは晴れ間さえ見えていたものの、天気予報通り午後になってみるみる曇って来て 3時過ぎには雨が降りだしました。雷が鳴る中、強い雨のために幼児クラスの生徒の多く は、みんな靴下もズボンもびっしょりです。それでもお稽古着に着替えると、元気よく、 パワー満載! 全員出席! 帰りの頃には雨も上がりました。 4月27日(金) 風邪が抜けきらず、いまひとつ気分が晴れない中、ひさしぶりに香炉庵のコーヒーをいた だきました。先日初めて購入した「ルワンダ」に加え、「ジンバブエ」を夫が買ってきて くれました。どちらもアフリカの内戦の激しい国と聞きます。「ジンバブエ」は香りは少 々控えめで、味も苦みも深い「大人の味」でキリッとしていてナッティな味わいがありま す。「ルワンダ」は前にも美味しいと思ったのですが、今回も素晴らしく、香りもよく、 甘く、深い味わいがあり、いまわたしのいちばん気に入っているコーヒーです。20年前 に銀座の「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎さんが焙煎した「スマトラ」をいただいた 時に「美味しいなぁ!!」と思って以来、あまり美味しいと思うコーヒーにめぐり逢えなか ったのですが、この香炉庵の「ルワンダ」にはちょっとその時の感激を彷彿させるような ときめきを感じてしまいます。 しばらくストップしたままでごめんなさい! ノートに書きとめておいたものを少しずつ 遡ってアップさせていきますのでよろしく!! 4月5日(木) 火曜日からの寒さが続いています。昨日はまたたいへんなお天気でした。お昼頃までは晴 れ間も見えるほどであったのに、子どもたちのレッスンが始まる午後3時くらいには空が 暗くなって雨が降ってきたのでした。その雨も急に大粒になってスタジオから見える赤い 螺旋階段にあたってバラバラと音をたてていたと思っていたら、後でそれはみぞれだった ことを知りました。東京で4月にみぞれが降ったのは19年ぶりとか。急に寒くなったと 感じたわけで、気温も12度から一気に5度にまで下がったということでした。 寒さの名残はあったものの、きょうは青空が高く感じるいいお天気で、ベランダに出てみ ると思わず深呼吸をしたくなるような気持ちの良さでした。久しぶりに洗濯物を外に干し たくなりました。……というのも、わが家の立派な物干し場は、何年か前にお隣が10階 建てを建てた時から陽は全くささなくなったために用を足さなくなり、場所を替えて物干 し竿を設えた「第二物干し場」も冬はどうしても日照時間が少ないために、リビングのガ ラスのサッシ越しにガチャガチャ(洗濯ばさみがたくさん吊り下がった折り畳み式のハン ガーのことをわが家ではこう呼んでいるのです)を並べて、昼間のガラス越しの太陽と、 夜の暖房の熱とを使って洗濯物を乾かすという現状でした。シーツ、ジーパン、バスタオ ル、ワイシャツ、タオルと、大きなもの、厚手のものだけが太陽の恩恵にあずかることが できました。やっぱり洗濯物はこれでなくっちゃ!と、干しながら強く思いました。 4月4日(水) 高校の教科書検定で沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容の 表記が修正されたということです。「またこんなことを…」と呆れずにはいられませんで した。集団自決した民間人の全てが日本軍の強制によったものだと言い切れないとか、強 制を強いた日本軍の元軍人やその遺族がそのことで名誉棄損の訴訟を起こしているなどの 理由から、「日本軍に強いられた」という表記を削れということになったということです。 しかしこんな些細なことで(あえて些細と言います)歴史の事実の本筋を違えてよいので しょうか。 はなしは去年の暮れのことになりますが、わたしは車で追突事故を起こしました。夜ファ ミリーレストランの駐車場に入るような形で停車していた車がわたしの目に入らず追突し たものです。この時同乗していた母が現場検証する警察官に向かって、相手の車のウイン カーやライトが点いていなかったことを訴えていました。その母に対して警察官は、「た とえそうであったとしても、お嬢さんが追突していいということにはならないのですから ね」と穏やかにではありましたが一喝しました。わたしも残念ながらその通りだと思いま した。つまりこの事故については、わたしが全面的に加害の立場にあったという事実は、 いかなるエピソードをもってしても揺るがないのです。 そこで教科書検定の問題に立ち返って思うことなのですが、母を一喝した警察官のように、 「でも日本軍が大方において強制したという事実は揺るがないのだよ」と、言ってくれる 「偉い人」はいまの世の中に一人もいないのでしょうか。だれでもわかりきっている事実 でしょうに。 4月3日(火) 数日前の暖かさがウソのような、また冬に逆戻りのような寒さです。満開だったサクラも きっとふるえているでしょう。今年はこれで散ってしまうのでしょうか。本当に、見られ る時に見ないとなかなか見逃してしまうものですね。わが家のベランダではそうはいって も、一日一日と植物たちの成長するさまがうかがえます。先日植え替えた蔓バラからは小 さな新芽が出てきましたし、クレマチスも次々と花を開かせてくれます。柿の木の新芽は 3センチほどの黄緑色の葉っぱの形を呈してきました。そしてなにより驚いたのは、屋上 へ伸びているフジの花が開花しはじめたことでした。そういえば昨年、さとうみどりさん の作品に出演させていただいた際に、そのリハーサルで何度か茂原へ行った時に車からた くさんのヤマフジの花が咲いているのを見ましたっけ。ちょうどこんな陽気のこの時期で した。あぁ、一年って本当にあっという間なのですね……! 4月2日(月) 久しぶりに文音と一緒にお風呂に入りました。むすめもわたしもお風呂が大好きです。少 し熱めのお湯に浸かっては「あー、天国!」とか「気持ちいいねぇー!」などと湯治場の お婆さんどうしのように喜んでいます。湯船でのとりとめのない話からきょうはマイ・フ ェイヴァリット食べ物の話になりました。マイ・フェイヴァリット野菜では、わたしはト マトです。わたしがお腹にいる時、母はトマトが食べたくて食べたくて仕方がなく、毎日 食べていたそうです。八百屋さんの店先にトマトが並んでいると、家にまだあると思って も買ってきてしまうほどだったそうです。おかげで(?)わたしはトマトが大好きです。 それもなるべく熟れていて、しかも柔らかくない、酸味のあるものが好きです。スーパー に並んでいるものの中から、いつも「これは!」と思えるものを目で(!)選んで買って くるのです。成城石井には愛知産や千葉産の美味しいトマトが並んでいます。やはりわた しもトマトはうちにまだあってもついつい買ってきてしまいます(妊娠はしていませんが)。 きょうもトマトソースのスパゲティーだったのですが、ルッコラと生ハムのサラダと一緒 にトマトだけのサラダを並べて文音に笑われてしまいました(でも文音もたくさん食べて いました)。 文音のマイ・フェイヴァリット野菜はモロヘイヤとピーマンなんだそうです。そうですね、 どんなおかずの時でもモロヘイヤのおひたしがあるとご機嫌かもしれません。毎日モロヘ イヤでもいいそうです。ピーマンは、むすめが幼いころ、初めてピーマンなるものを口に させる時、小さめのピーマンのおしりの部分をうすく輪切りにして、ちょうどミッキーマ ウスのようなかたちだったのを「ミッキーさんョ」と言って食べさせたのでした。嫌がっ て口から出すかな…?と思いきや、「ミッキーさんおいしい!」「もっとミッキーさん!」 と言ってよく食べたのでした。いまから思うとその時はママを喜ばせようとしていたのか もしれないね。 マイ・フェイヴァリット果物は二人揃って桃でした。桃を食べると「ありがたい…!」と いう気持ちになります。イチゴ、サクランボもいいけれど、やはり桃でしょう!というこ とで意見が一致しました。「パパならビワだね」と言っていました(夫は無類のビワ好き です)。 マイ・フェイヴァリットおかずは、文音は「ワンタン」とずっと書いてきたそうです。わ たしは…わたしは…なんだろう。欲張りなわたしはあれもこれも…。結論が出ないまま夜 は更けていきました。 4月1日(日) 昨日なんだか元気のなかった文音。原因を究明してみると、どうもこれから一年、受験と いう大きな目標に向けてやっていくことへの不安や自信のなさからくるものだったようで す。その文音が洗面所にいるわたしのところに来て言いました。「ママ、文音きょうから 心を入れ替えて勉強するよ」(うん、うんと頷くわたし)「一生懸命やらないで自信も何 もないものね」(再び、そうねと頷くわたし)「もうエルレ(文音がいま夢中になってい るロックバンド、エルレガーデン)のCDも聴かないようにする」(あら、そうなのと思 いながらも頷くわたし)……少しして「あぁ、エルレね、解散するんだって!」「ホント !」と驚くわたし。「ウソだよ!エイプリルフールでした!」と言う文音。……しかし文 音よ、どこまでがエイプリルフールだったの? 3月31日(土) 肘の骨を折ったためにしばらくレッスンをお休みしていた陽花ちゃんが久しぶりに顔を見 せてくれました。もう普段の生活には差し支えないということです。けれどずっとギプス をつけていた陽花ちゃんの左腕は細く、まだ肘がまっすぐにまで伸ばせない状態で痛々し く感じました。しかし当のご本人はとっても元気で、バレエがやりたくてやりたくてしか たがなかったというふうで、本当に水を得た魚のようでした。入学式までによくなって、 陽花ちゃん、本当によかったね!同じ新一年生の萌ちゃんは転んで顎を怪我して3センチ 縫ったということ、きょう連絡をいただきました。既に抜糸も済んだということでしたが ……新一年生よ、どうかせめて入学式までは怪我や風邪に気をつけておくれ! きょうはカンティネッタは臨時休業です。夫は嬉々として中学校の同期会(34年ぶり) に出かけて行きました。カレンダーに印をつけて、前々から楽しみにしていたこの同期会。 それでも「もし、つまらなかったら早くに帰ってきて店を開ける」と言い残して。スタジ オから見える店にはレッスンが終る時刻になっても灯がつきませんでした。夜半すぎに戻 った夫はご機嫌で、なんと三次会まで出席したということです。 3月30日(金) 朝のうち降っていた雨もあがって、お昼近くには陽がさして青空にさえなってきました。 二人の母を誘って海浜公園へお花見に出かけました。ときおり吹く風こそ冷たいものの、 雨の後の陽ざしは結構強く、じっとしていると日に焼けそうです。平日の昼間であったせ いか、例年ごったがえしていた桜の木の植わっている広場もすいていて、思いがけずのん びりと「桜を堪能」することができました。太い幹の根元に腰をおろし下から見上げると、 ブルーの空をバックにした満開の桜のはかなげな薄いピンクがなんとも美しく、見とれて しまいました。そう、昨年のお花見もお天気がはっきりせず、当日の朝になっての中止で した。今年はその分も見ちゃったような気がします。 3月29日(木) 今日は5月下旬の陽気でした。気温は24度にまでなったそうです。夫がようやく鉢植え の蔓バラの植え替えをしました。2〜3日前、二階リビングの南向きの窓の外にある30 センチ程の庇の部分に屋根からのワイヤーを50センチ間隔に垂直に張っていましたが、 それは今回植え替えたバラの枝を誘引して「緑のカーテン」を作ろうというもくろみがあ ってのことなのです。シティ・オブ・ヨーク、ポールズ・ヒマラヤン・ムスク、ザ・ガー ランドです。この春・夏で、どれ程枝を伸ばしてくれるでしょう。楽しみです。ちなみに、 そういうことをしている時の夫の顔は、他のどんな時よりも満ち足りた幸せそうな顔をし ています。ちょうどあそびに来ていたわたしの母が「これが天職だったんじゃないの…?」 とつぶやいておりました。 3月28日(水) 今度、5月25日(金)26日(土)に横浜は桜木町にある神奈川県立音楽堂にて、カナ ガワダンスフェスティバルが開催されますが、そこで(25日のシニアの部)昨年イイノ ホールで出した「わたしたちに与えられた時間」を踊ることになりました。今回は、この 春、晴れて大学合格を果たした鈴木信哉君をはじめ、新たな3名のメンバーが加わります。 今から楽しみです。 3月27日(火) ここにきて朝晩はまだ冷え込むものの、日に日に春らしい陽気になってきています。今日 も曇り空ながら、急ぎ足で歩いていると汗ばむほどの暖かさでした。用事があって渋谷へ 行きました。道玄坂上から駅の方へ下ってくる時、交差点にある一本の桜の木に目がとま りました。そんなに大きい木ではないのですが、ちょうど五分咲きほどでしょうか。忙し そうに往来する人や車とは別世界のように、そこだけ時間が止まっているかのごとく静か に美しく咲いています。一昨日予定していたお花見が雨のために中止になってしまったた め今年はちょうど見頃の時期を逃してしまうだろうと思っていただけに、この思いがけな いチャンスにうれしくなってしばし立ち止まって見上げておりました。 3月26日(月) 今日の昼間のストレッチクラスは全員がパワー全開でした。寒かったつい一週間前にくら べて、動いていると汗が流れてくるほどの陽気です。次から次とこちらが要求する動きに 対して、参加している7名全員が誰一人とどまることなく一生懸命に進んできてくれます。 そうなるとこちらもついつい熱が入ります。カウントをとったり、号令をかけながら教え ていたわたしまでが汗だくです。終った後の皆の表情が「やった!」という感じです。皆 本当に体力がついたなぁとつくづく感心しました。一生懸命な生徒からわたしの方がパワ ーをもらうということは、子どもも大人もかわらないのですね。 3月25日(日) ジョギングにはまっている夫曰く「ジョギングするたびに感じることなのだけれど、走り 始めの1キロメートルぐらいまでは辛くて、この先走り続けられそうにないと思うのに、 すぐにスッと身体が楽になって、あとは何キロでも走れるような気がしてくる(といって も、せいぜい20キロぐらいだそうですけれど……)」と。それを聞いてわたしもそうだ と思いました。一人でやるバーレッスン、プリエからタンジュあたりまでは「どうしよう かな…今日はこのへんでやめておこうかなぁ」と思うのですが、それをすぎてしまうと、 どんどん身体が調整されることを欲するようになり、心地よさを感じるのです。「先生」 でもイヤなことがあるのよ(!?) 3月24日(土) 「ローハイド」のフェイバーさんたちがつけている革の前掛け(カウボーイがつける、馬 に乗りやすくできている股割りズボンのような前掛け)が、子どもの頃、魚屋さんのつけ ているゴム製の前掛けを見て、それと同じものだと思っていたことを思い出しました。夫 に話すと彼は彼で、近くにあった豆腐屋のおじさんがやはりゴムの長い前掛けをしている のを見て「あっ、フェイバーさんだ」と思っていたそうです。同世代の感じ方だと思いま した。ちなみに深夜番組「ローハイド」は今日で終わって、来週からは「ヒッチコック劇 場」をやるそうです。熊倉一雄のあの吹き替えの声がまた聴けるのでしょうか。 3月23日(金) 「お笑い」好きの文音と一緒に、NHKの「爆笑オンエアバトル」を観ました。ちょうど 今夜は年間チャンピオン大会のファイナルで、昨年のチャンピオン(一昨年からの2連勝) タカアンドトシに加えて10組の若手芸人たちがその座を目指して奮闘していました。い つも「ただ笑うだけ」ですんでしまっている漫才やコントですが、今夜ばかりはそれぞれ の出演者たちの真剣な表情から、半端ではない意気込みが伝わってきます。結果は唯一の 関西漫才コンビであるNON STYLEがチャンピオンになりました。2位はタイムマ シン3号、タカアンドトシは3位でした。若手といえどもベテラン、新人と、上手さの違 いはありましたが、どこも一生懸命ネタを考え練習したあとが感じられました。ちょうど ここにきてフィギアスケートの世界大会や、シンクロの世界大会が毎日放映されています。 身体の故障を背負いながら過酷な練習に耐えた後のメダル獲得に涙する選手たち、頂点を 目指す者として同じきびしさを感じました。 3月22日(木) 朝から暖かい一日でした。天気予報では16〜7度まで気温が上がるコートなしの一日に なるとまで言っていました。柿の木の梢にも新芽の緑が見えていますし、山椒の木も楓も その枝にはたくさんのミニチュアサイズの葉が出てきました。「春」なのですね。前々か ら気になっていた鉢植えの白梅の枝を剪定しました。この小さな鉢は2年前、文音の高校 受験の合格祈願のために深大寺にお参りに行った際に、植物園からの参道にある植木屋さ んで購入したものです。それを昨年はなんとなく枝をつめずに置いてしまったために、そ のまま不格好に枝が延びてしまっていたのでした。夫は昨日買ってきた置き肥のマガンプ Kと「ボカシ」という、油かすと骨粉を醗酵させてペレット状に成形した固形肥料を施し ています。そうそう、この「ボカシ」といえばいつだったか買ってきた大袋を玄関に置い ておいたところ、ケムリがそのビニールの袋を噛みちぎって食べてしまったことがありま した。独得の有機的な匂いにそそられたのでしょうか。そのあとでケムリは心なしか大き くなったような気がしました(!?)。香炉庵の香りが高く美味しいコーヒーをいただき ながら、ふとそんなことを思い出しました。 3月21日(水) バラの肥料を買いにケンマートへ行ったところ、クレマチスの原種の苗を見つけてしまい ました。「もっとたくさんあったのですが、これだけになってしまいました。」と売り場 の人に言われたそれらの鉢には、いかにも「原種」らしい素朴な花がちらほらと咲いてい ます。その中から、白い一重の可憐な花をつける「モンタナ系スポーネリ」と、小さな白 い花の「トリガタハンショウヅル」というのを買いました。来年、そして2年後にはどの くらい蔓が延びて可愛い花をつけてくれるでしょうか。今から楽しみです。 3月20日(火)revised この時季には車に乗っていると、モクレンやハクモクレンの花をよく見かけます。空に向 かって拡げた枝にハクモクレンの布のような風合いの花がたくさんついているのを見ると、 わたしはつい子どもの頃に見たデパートのハンカチ売り場を思い出してしまうのです。そ う、わたしが子どもだった頃、デパートというのは今よりももっと「特別な場所」だった ような気がします。天井の高い1階にはその金属製の枝先がまあるく輪になったところに、 同じ柄のハンカチがいくつも花のように咲いているハンカチ売り場がありました。同じく、 傘の売り場には広げられたいろんな柄の傘が壁一面に飾られていたり……。時計のような 表示盤に矢印で示されたエレベーターには制服姿の白い手袋をしたきれいなおねえさんが 乗っていて、ガラス張りの透明な二重扉を巧みに操っていたり、5階の呉服売り場は縦横 の枡目のような組み込み式の床板で、いつも反物のいいにおいがしていて、売り場の店員 さんは皆和服の上に緑色の長い上っ張りを着ていました。屋上にはゾウとキリンのすべり だいがあって、同じ階に金魚やら小鳥やら植木を売っている場所があり、すぐ下の階には お昼時には混雑するお好み食堂があり、白いエプロンにレースの髪飾り(というのでしょ うか?)のウェートレスさんが丸いお盆を持って忙しそうに立ち働いていました。デパー トへ行くと言われるとなんだか嬉しかった。「およそいき」の服に着替えて、わくわくし ながら行ったように記憶します(因みに、人ごみに弱い夫はデパートへ行った翌日には必 ず熱を出していたそうです)。そう、その頃のデパートは、いまのディズニーランドのよ うなアミューズメントパークのような役割を果たしていたのかもしれません。ハクモクレ ンを見つけるたびにわたしはこんな懐かしい子どもの頃のデパートを思い出してしまうの です。 3月19日(月) 夜の大人のレッスン前に店いたところ、ドアが開いて今日一番のお客さまがいらっしゃい ました。映画「シテール島への船出」の監督、テオ・アンゲロプロスのようなちょっとい かつい黒ぶちの眼鏡をかけたその人は、VENCEREMOSの竣工時からの住人の「ナ ビ」ことH氏ではありませんか。わたしは久しぶりにお目にかかったのでご挨拶をすると、 そのあとでナビが「順子さん、日記再開おめでとうございます!」とおっしゃるのです。 思わず「ワァー、ナビが初めて気づいてくださった!」と叫んでしまいました。そう、こ の、日記を再開したこと、まだどなたにも言ってなかったのです。不甲斐なく三たび滞っ てしまうかもしれないという自信のなさから、それでもどなたが最初に気づいてくださる だろうか…などとちょっと期待などしながら……。うれしくなっちゃいました! 3月18日(日) 明け方とても冷え込みました。お昼を過ぎるとわが家の二階のリビングには陽もさしてず いぶんと暖かくなります。洗面所にいたわたしを夫が小さな声で呼んでいます。行ってみ ると、手招きしていた彼は「ちょっとあれを見てよ」と指を差しています。暖かそうな日 溜まりの中にひろげられた夫のセーター。その上にはなんとも気持ちがよさそうに身体を ひろげてケムリが寝そべっているではありませんか。聞くと、しまってあったセーターを 着ようと出してきたものの、ちょっと陽にあててから……と2〜3分前にひろげたという こと。「これはいいお昼寝の場所!」とばかりに占有を決め込んだケムリでした。 3月17日(土) いたるところでインフルエンザや風邪が流行っています。子どもたちのレッスンでも風邪 のために何人もの生徒がお休みでした。それだけでなくこの時期、卒園式や家族旅行など、 いろいろと忙しいのでしょう。今日の幼児クラスは年長さんがそろってお休みのために4 月からの新年長さんを中心にした7名の子どもたちが集まって元気にお稽古に励みました。 わたしの腰も回復し、ようやく子どもたちと一緒にポーンと足を蹴り上げられるようにな りました。ポーンと上げたわたしの足に子どもたちの視線を感じたので「おかげさまで先 生の足、元気に上げられるようになりました」と言うと、「なあんだ、先生がまだ治らな かったら早く上手になって代わりに先生やってあげようと思ってたのに……」と明沙香ち ゃん。わたしがまだ充分に動けない身体で教えをやった時に「先生はまだ怪我が治らなく て足を上げられないから、みんなが先生になってね」と言ったことを覚えていてくれたの でしょう。「ああ、先生が動けなかったから早く上手になって先生をやってくれようとし たのね?」と聞くと「わたしも先生になってあげる!」と香乃ちゃん。なんとも心強く、 嬉しいひとときでした。 3月16日(金) 風は冷たいのですが、なんとなくどことなく「春」が近づいていることを感じさせるよう な日中の陽気の中、鼻がムズムズしてきました。「来た来た!」今年もやって来ました、 花粉症が。わたしの場合、毎年決まってバレンタインデーのあたりから「ん?」と感知し、 一か月後、つまりホワイトデーぐらいからきびしくその症状は顕れ、5月の連休くらいま で続くのです。それでも昔に比べていまは前々からアレルギーの薬を服用しているおかげ でごく軽い症状で済んではいます。ティッシュで鼻を押さえながらベランダに出て、ちょ っと曇った空を見上げました。そうしたら…なんと!ここにも「春」を見つけてしまいま した。ベランダの上、つまり屋上の赤い手すりに巻いているフジの蔓にタマオのしっぽの 先くらいの大きさの花芽がたくさんたくさんついているではありませんか!ちょっと感激 しちゃいました。 3月15日(木) 数日前、NHKで「椎名林檎のお宝ライブ」という番組を見ました。個性的な声、独得の 歌詞、奇抜なメイクやコスチューム、相当な実力の持ち主と見うけられながら、それでい てとっても真面目で謙虚な人生観を言葉の端々から感じさせる、前々から気になる人では ありましたが、この番組を見て、ますます興味が湧いてきました。いま、斎藤ネコという バィオリニストであり編曲者と組んで出しているCDが話題になっています。近々買って きたいと思いました。 3月14日(水) 今日の夕食は「魚春」さんのアサリで作ったスパゲティ・ボンゴレ・ビアンコでした。稽 古のある日は、手っとり早くて、美味しくて、文音の好物でもあるのでついついこれにな るのです。いまのアサリは貝殻からはみ出んばかりに身が太っています。「魚春」さんの ご主人曰く、「これからが一番美味しくなるとき」だそうです。「魚春」さんといえば、 いまやうちの稽古場ではちょっとしたブームになっています。お刺し身にしろ、貝にしろ、 もちろん切り身や尾頭付きにしろ、どれも美味しいのです。グレードがそこいらのスーパ ーや百貨店より確実に数段上をいっています。生徒さんの中には、お刺し身やシジミ(こ れがまた身が太っていて濃厚なお味なのです)を「魚春」さんで買ってからレッスンに来 る人もいます。そんなときはレッスンが終るまでわが家の冷蔵庫に預かることもあります。 「魚春」さんは三叉地蔵から一方通行のバス通りを駅の方向へ100メーターほど下った 左側にあります。 3月13日(火) 吹く風がなんとも冷たい一日でした。ベランダの片隅に、ニオイスミレの小さな花を見つ けました。ひかげでチリチリになった葉の中から二つの花が冷たい風にふるえるように咲 いています。この鉢、まだ文音が幼稚園生の頃に東神奈川駅前の「サカタのタネ」で購入 したもの。もう10年以上も前のことです。当時は古い家の母屋のベランダに置かれてい て、時には大雪にすっぽりと覆われ、時には夏の陽射しの中、水やりが十分でなかったた めに緑の葉がしおれて枯れかけたことが何度あったでしょう。そのたびにあわてて水をや るとまた復活して、毎年いい香りの花を咲かせてくれたのですが、この家に来て、ここの 何年か、やはり陽当たりが十分でなく、だんだんやせ細ってきて花もあまりつけなくなっ たものなのでした。冷たい風の中、可憐に咲く二つの花はなんとも力強く、勇気をもらう ような気がしました。 3月12日(月) よいお天気なので、夕方少し早めの時間に駅まで買い物に出かけました。思えば、一週間 前にはふつうの速さで歩くこともままならない身で、フライパンすら持つことも出来ず、 夕飯の買い物に行くにも夫の後をヨチヨチと歩くだけが精一杯だったことを思い出し、自 分の思いどおりに歩けることがなんと素晴らしいことなのだろうということを実感しまし た。歩きながらうきうきしました。 2007年3月11日(日) 「暖冬」の影響で、今年の桜(ソメイヨシノ)の開花は記録的な早さになるとの予測が出さ れました。 ずいぶんと長くご無沙汰してしまいました。今日から「日記」再開します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 月日の経つのは本当に速いもので…とは常套句ですが、わたしがこれを「おさぼり」して から一年が経ってしまいました。ふり返ればこの一年の間に3本の舞台(客演)、生徒た ちの発表会と、毎日が踊りと向き合っている日々であったように思います。その間も早く また「再開」しようと(再開を!との声を多くの方からいただき、ありがとうございまし た)その日気になったことなどを書きためていたのですが、なぜか踏み出せず来てしまい ました。そして昨年暮れからの不幸続き、追突事故、夫の○○(「浮気」や「暴力」では ありません、念のため)初めてのぎっくり腰!……とまあきまして、いささか人生をふり 返り、とまではいかないものの自分の足跡を残しておこうと重い腰(まさに!!)を上げた 次第です。……とはマイナスの面からのことで、やはり何といっても毎日出あう新しい発 見、小さな歓び、生徒たちの成長を記しておきたいというのが本当のところです。 そう、そのぎっくり腰ですが、なったのが2月21日ですから18日前のこと。リハビリ 状態からようやく2〜3日前に「自分の身体が戻ってきつつある状態」までに回復しまし た。思えば、娘の出産の時を除いてこんなに動けなかったことってなかったのですね。い やぁ、身体が動くことってなんて素敵なことなんだろうとつくづく感じました。それから 身体をいたわることの大切さを。「冷えと疲れだね」というのが医者の第一声(そう、心 労よ!?)。 これからもわたしとつきあっていただくこの身体、いたわりながら鍛えていきたいと思い ました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2月16日(木) 神戸空港が今日開港したそうです。TVのニュースで聞くまで、わたしはその存在(開港 にむけて建設中!?)を知りませんでした。地元の空港建設反対のプラカードを持った人 々が映っていました。環境問題、地形から来る航空路と滑走路との関係で生じる問題、隣 接する関西空港や大阪空港と重複する航空路の危険性、利用客の現状による建設費と収入 の採算のくい違いなど、今日開港したこの空港はさまざまな問題を抱えています。おまけ にそこから出る赤字の収支は税金によってまかなわれることになるとニュースでは伝えて いました。地元の人たちのあいだでも「使わない空港」とか「税金のムダ使い」などと言 われて、これを見ただけでもこんなものを造る必要があったのだろうか?と思ってしまい ました。これを造って〇得なのは、政府と建設に携わる業者のみではないのでしょうか。 2月15日(水) 朝から暖かい春のような陽ざし。今日は日中20℃くらいまで上がるという話です。一つ、 また一つ花開いた白梅も、今日は満開になるかもしれません。 6月7日(水)に池袋の東京芸術劇場にて催される「新鋭・中堅による現代舞踊公演」に 作品を出されるさとうみどりさんより舞台出演の依頼があり、今日はその初リハーサルの ため勝浦まで行きます。勝浦!! そう、千葉県は外房の勝浦です。さとうさんは勝浦に ある国際武道大学の教授をなさっていて茂原に在住されているため、リハーサルはそちら の方面が多くなるようです。 2月14日(火) 今日はバレンタインデー。そう、節分に太巻き寿司を食べるのと同じようにチョコレート 屋さんが考えた特別の日です。あ、節分は古来よりある記念日(暦)に珍風習をくっつけ た(取り込んだ?)もの。それに比べれば、もともと日本にはバレンタインデーなどとい う日自体存在しなかったのですから、こちらの方が奇異といえば奇異ですね。日本が高度 成長を遂げてきて、ものが豊かになった昭和40年代に、これまた強くなった女性の権利 に乗じて実にこれはうまく日本の社会の中にその慣習を定着させたといえることでしょう。 ご多分に洩れず、わが娘は級友に「手作りチョコレート」なるものを作ると息巻いていま す。なんと、女の子同士でも「友チョコ」なるものの交換があるのだとか……。そのくせ、 「パパはヨックモックの『ビェ・オゥ・ショコラ・オレ』が好きだから」という理由から 買い物ついでにわたしに買ってきてと頼むのでした。でも私が思うに、この「手作りチョ コレート」なるもの、単にチョコをテンパリングして溶かして形を変えたり、いろんな飾 りをつけたり…で、そんなもの「手作り」でも何でもないし、なんだかもらっても迷惑な のではないかと。ケーキやシュークリームもそうですが、お菓子って職人芸なるものの成 せるワザだと思うのです。愛する家族や恋人、招いた友人のために、不出来でも愛情こも った料理を作るのとはちょっとわけが違うと思うのですが……。ケーキやシュークリーム はまだ許せるとして、不味い制作過程不明のチョコレートをもらった日には閉口すると思 います。好きでもない子からサイズの合わない手編みのセーターをもらうようなものだと 思うのは「年寄り」のヒガミでょうか? だからわたしはケーキやシュークリームは作っ ても、チョコレートはぜったい買うもの!と決めています(やはり買うか!)。「手作り」 にこそ意義があると創作意欲をみせている娘をヨコ目で見ながら(……といいつつ、なん だかんだと手伝うハメになるのですが……)。 2月13日(月) ベランダの白梅が、ふたつ花開きました。本当に白梅はいい香りがします。清々しく、気 品があってちょっと悲しげな、なんとも懐かしいこの香り。花の中で、いちばん好きな香 りかもしれません。 2月12日(日) 文音の和光小学校からの友人の田中真弓子さんは花ノ本流という流派の日本舞踊を幼少か らやっています。今日は、その「名披露目の会」ということ、つまりお家元から名取の芸 名をいただく舞台で、文音と三宅坂の国立劇場へ観にいきました。新しい芸名は「花ノ本 以津輝(はなのもといづき)」です。演目は「義経千本桜」の「道行初音旅」でした。静 御前(真弓子さんの幼少からの師である伯母さんが演じていらっしゃいました)にお供す る佐藤忠信(実は御前の持つ初音の鼓の皮にされた狐の子どもである源九郎狐)という役 をしっかりこなして、真弓子こと以津輝さんはすばらしい舞台をみせてくれました。 何十年ぶりかで行った国立劇場は、古くなって少し煤けた感じはしたもののあいかわらず どっしりとしたたたずまいで、楽屋口で下足箱があり、そこでスリッパに履き替えるのを 見て、むかし上野の文化会館での作品のリハーサルのためにここのリハーサル室(大稽古 場)に何度も通ったことを思いだし、懐かしくなりました。 2月11日(土) 1月の21日の東京での大雪の日にお休みした分として、今日は祝日ですがレッスンを行 いました。前々からの予定や、幼稚園の行事のために数名のお休みはありましたが、思い がけずみな元気に集まってくれました。 幼児クラスで動きの手のあげ方を教えるとき、例として「花咲かじいさん」の話をしたの ですが、ものがたりを知っている子どもはたった二人、それでは……と話し始めたところ 私自身が細かい筋を忘れているのですね。もう一度「むかしばなし」をさらわねば……と 思いました。 2月10日(金) 「プロフェッショナル」というNHKの番組に出演していたのは宇都宮健児という弁護士 でした。「地下鉄サリン事件」や「オレンジ共済事件」などを手がけた辣腕家で、彼がい ま熱心に活動しているのは、サラ金地獄に陥った人々の救済です。時には暴力団関係者や その筋の人々から命までも脅かされながら、住む家も地位も失った人たちの債務を少しで も軽くするようにと走り回っているのです。新宿のホームレスの人たちの中を歩き「無料 法律相談」なるものを受け付けて「仕事」となるものを探すことも多いようです。そんな 事件を引き受けてもお金にならないのでは……というインタビュアーの質問に「お金が全 くない人にはその人にお金が戻ってきたときにもらいます。たとえ5000円の仕事でも 足を使って100件、200件やればそれだけの額になりますから。自分が食べて行かれ れば仕事をしていられることをありがたく思いますね。」と答えていました。世の中には いろんな人がいるとは思うけれど、弁護士という職業に対するイメージが大きく変わりま した。プロフェッショナルとは「弱者のためにとことんやる人、ひいては他人のために頑 張れる人」と、彼は言い切っていました。それをすると、いまの日本の政治を動かしてい る人々の中にはプロフェッショナルな人は本当に稀有ですね。 2月9日(木) 寒い一日でした。冷たい風の中夫はジョギングに出かけて行きました。 2月8日(水) 「紅ほっぺ」というイチゴを食べました。甘さは十分なのですがどこかもの足りません。 木箱のなかに並べられて売られていた頃の縦長でもっと痩せていた昔のイチゴが懐かしい です。積み重ねられた木箱を手に取るとプウーンと春の匂いがした昔のイチゴです。 2月7日(火) リリー・フランキーの『東京タワー』を読み終えました。読み始めにあれほど引き込まれ たにもかかわらず、途中で萎えてしまって、いままでかかってしまいました。同時代人と しての共感は随所に感じられるし、多感だった少年時代の作者の姿に出会えて好感を持っ たのですが、なんかずっと同じところに留まっているだけのような物足りなさを感じてい る自分に気付いたのです、いつのころか。スケール感に欠けているとでもいうのでしょう か。個人的には好きな人なのですがね。 2月6日(月) 「ラミヤータ」にカレーを食べにいったのですが、珍しく閉まっていたので、急遽近くの 「ブルドッグ」へ行き、Aランチを食べました。チキンカツ(カレー付き)というメニュ ーでした。「カレー付き」というところに「ラミヤータ」への未練が感じられるでしょ。 案の定食べすぎましたが…。 2月5日(日) NHKの番組「課外授業 ようこそ先輩」に武田双雲という書道家が出ていました。なに げなくチャンネルを変えたところ、小学生たちの前で自己紹介をするかれの傍らに貼られ ていた紙に書かれていた「武田双雲」という文字に強くひかれ、目が釘付けになってしま ったのでした。書に対する姿勢が根源的な深さを持っていて、子どもたちの指導にも驚か されました。「風」という字を書くのに、ブランコに乗ったり、落ち葉やドングリを使っ たりと、子どもたちの自由な発想を第一に考え育てようとする人なのです。失敗すること や、寄り道することの大切さを説いていました。こんな人に書を習ってみたいと思いまし た。 2月4日(土) 柿の実はもうすっかり残っていません。萼と皮だけが枝にぶら下がっているだけです。と ころがスタジオでレッスンをしていると、スズメたちの賑やかな鳴き声が聞こえてくるの です。見ると、地上に落下した実をつついているではありませんか。収穫のときに受け取 り損ねて傷ついたり、熟れすぎて自然落下した実なのであまり美味しくないようで、正規 品が底をついた今でなければ、スズメといえども見向きもしなかったシロモノなのでしょ う。 2月3日(金) 今日は節分です。昔は「恵方巻き」という太巻き寿司を食べる風習など聞いたことすらあ りませんでした。この珍風習の成立についてはわが家に生き証人がいます。それは夫で、 いまを遡ること25年、夫が灘の酒蔵に勤めていたとき、かの地のローソンが考案したセ ールスプロモーションであったと言い切るのです。東京で生まれ育った夫は当初関西の面 白い風習だと思ったそうですが、同僚の神戸っ子も初耳だったと聞いてなるほどと合点が いったのだそうです。それから20年あまりで東京にもこの珍風習が広まったわけです。 バレンタインデーのチョコレートと同じ出自を持っているのですね。で、お腹も空いてい たわたしたちは、そうと知りながらも、買い物のおりについその太巻き寿司を買いもの籠 に入れていました。夜はレッスン後に文音と、由緒正しい風習であるところの豆まきを行 いました。鬼はーそと、福はーうち。 2月2日(木) 昨日にひき続き寒い一日でした。けれど、着々と春の準備がすすんでいるのですね。鉢植 えのバラはしかっりと新芽を出してきましたし、ベランダの白梅の蕾も少しずつ膨らんで きました。 2月1日(水) 昨日一日ゆっくりできたせいか、すっきりしています(油断は禁物ですが…)。今日は雨 のなか、舞踊協会へ行きました。恵比寿の駅から駒沢通りを山手通り方面に10分ほど歩 いたところをちょっと入るのですが、曲がる箇所を忘れてしまい、近くまで行ったものの、 ぐるぐると迷ってしまいました。協会がこの場所に移転してからもう2年くらいになるで しょうか。新しいこの協会には年に数回しか訪れることもなく、なかなか場所が覚えられ ません。以前は渋谷区渋谷1丁目、ちょうどこどもの城の裏あたりにありました。もっと 前、わたしが入会したころは、同じ渋谷1丁目でも金王坂上と246との交差点近くの二 階建ての建物の中の一室でした。よく新人公演の出演の申し込みや出演順の抽選などのた めに、または広報のお手伝いにとその場所にはよく通ったものです。同じ建物の一階にあ る珈琲やさんの横の急で狭い階段を上ったことをよく覚えています(上るときの足音が響 きました)。ガラスのはまった木のとびらを開けて入ると、そこには事務局の国馬さんが いらして、いつもにこやかに「おはようございます」と迎えてくださるのでした。……そ う、今日欠けているのはその国馬さんのお声だったことに後で、でもすぐに気づきました。 国馬さんは1月31日をもって退職なさったのでした。わたしにとって舞踊協会といえば 国馬さんだったのです。なんとも寂しく感じられます。長い間ほんとうにお世話になりま した、といつかお会いしてお伝えしたいと思いました。 1月31日(火) やはり風邪で、一日ダウンしていました。 1月30日(月) 昨日から喉の調子がヒリヒリした感じでおかしいと思っていたら、今朝起きてみると声が かすれています。なんだか風邪の予兆のようです。去年のちょうど3月から4月にかけて 風邪をひいたときに薬に頼って体調を崩し、後々までひびかせてしまったという反省があ ります。今回はそのようなことにならないよう、早めに身体を休めることにいたします。 1月29日(日) ポーランドの大きな展示場の屋根が雪の重みのために崩れ落ちて、たくさんの死傷者が出 たとTVのニュース番組で報道していました。なんでも事故があった建物は、ハトの品評 会が催されていた会場で、大勢の人が集まっていたらしく、崩れた屋根の下敷きになって まだ救助されていない人もいるようです。現地は気温がマイナス15℃にもなるというこ とで、救助もなかなか思うようにはかどらないとニュースでは伝えていました。マイナス 15℃! 全く想像が出来ない世界です。ほんとうにこの冬は雪による事故が多いこと! 痛ましいかぎりです。 1月28日(土) 「昨日の今日」という感じですが、今日の研究科のレッスンに信哉君が現われました。信 ちゃんは3才からレッスンに通ってきていましたが、来年に控える大学受験のために、こ の12月いっぱいで一時お休みすることにしたのでした。受験に全力で取り組んでいって ほしいという思いと、やはり自分の持つ選択肢を大事にしてほしいという思い、それから 単純に、たまには身体を動かしてほしいという気持ちから、時間に余裕がある時はいつで もレッスンをしに来なさいとわたしは提案したのでした。5週間ぶり(そんなに経ってい るとは!)に元気そうな信ちゃんに会えて、わたしはもちろん、みんなもとても楽しそう でした。信ちゃんは……といえば、まるで「水を得た魚」のようでした。 1月27日(金) 夜の研究クラスのレッスンに中学生の香葉ちゃんと高校生の文音が参加しました。香葉子 は剣道部の試合のため、文音はバド部の部活で、二人とも明日のレッスンに出られないた めです。いつもとは少々勝手が違いながらも、それぞれが真面目に(ふだんよりも?)い きいきと動いていました。大人の人たちも闖入者をあたたかく迎え入れてくれたのですが、 逆に、中高生たちのパワーの影響あってか、ジャンプが高く感じられました。お互い、時 々はこうしてクラスの行き来があるのもよい刺戟になるのかもしれません。 中学生や高校生になると部活やら試験やらあるいは受験に向けての勉強のために、なかな か毎週休まずにレッスンに通うことがむずかしくなるのは、いつの時代も同じです。だか らといって、いままで続けてきたものを簡単に(もちろん簡単では決してないにしても) やめてしまうということは、とてももったいないことと思います。わたしにももちろん、 そういう時期が何度かありましたが、出来ないときは出来ないながらも出来るやりかたで やっていくということが、とても大切なことなのだと思います。ですから今日のように、 他のクラスに参加することは、わたしは大いに歓迎しようと思っています。そうやって乗 り越えていってほしいのです。自分の中にある可能性を大事にしてほしいと思うのです。 「使い捨て」のものが氾濫しているいまの世の中であるからこそ、二者択一を早急にはし てほしくないと考えます。 1月26日(木) 冴え渡る冬の青空に枝を伸ばす柿の木にたくさんの鳥たちがやって来ています。それぞれ が忙しそうに枝から枝へ飛び移って、その先端にぶらさがるいくつかの柿の実を次々につ いばんでいるのです。集まってくる鳥の数に比べて実はもうわずかしか残ってないので、 どの鳥もちょっとつついちゃ別の鳥に場所をとられています。既に食べ尽くされてへたと 皮だけが枝先にぶらさがって、陽の光を浴びて光っています。今日は特にスズメ、メジロ のほか、名前も知らない大きめの鳥も飛んできては騒いでいます。それというのも、以前 柿の実を採ったときに7〜8個実がついた枝を下ろして玄関に飾っておいたのですが、そ れがもうぶよぶよになったので鳥たちにあげようということになり、柿の木の枝分かれし た太い幹に昨晩ひっかけておいたからなのでした。警戒しながらも飛んできては食べ、も う半分ほどなくなっています。それはそれでいいのですが、大事にしているベランダのロ ウバイの蕾もほとんどなくなっています。それまでは食べないでほしいものです。……無 理か。 1月25日(水) 連日の寒さが少しやわらいだかのような朝でした。午後になって「ラミヤータ」のカレー が無性に食べたくなったので出かけて行きました。店の重い引き戸を開けた瞬間の、あの たくさんのスパイスの入り混じったカレーの香りと湿りけ、ちょうど高校の文化祭の調理 室前を通った時のようでした。幸せな気分に包まれて席に着いたわたしたちは、迷うこと なくチキンカレー(オリジナルの辛さ)に、お腹がとてもすいていたので揚げタマゴのト ッピングなどもお願いしました。一口いただくと、食べたかったあの味が口の中にひろが っていきます。話しもせずに一心に食べていくと、だんだん辛さが重なって、……けっこ う辛い! ふと横を見ると、隣の夫は顔中汗だくです。「セーターを脱いでいただいたら ?」と思わず言ってしまいました。きれいにたいらげて一息ついていると、夫はそそくさ とセーターを着だしました。曰く「寒い時はやっぱりカレーはいかんね」……たしか一週 間ほど前にここに来た時もそんなことを言ったような……でもまたこの味、食べたくなる のです。きっとまた一週間くらいして同じ場面の中に身を置いていることでしょう。 1月24日(火) とにかく寒いですね。空は清々しく真っ青に晴れ渡っていますが、吹きつける風のなんと も冷たいこと! わが家のネコ、タマオとケムリはガラス越しに射す陽のあたる座布団に 身を寄せ合って、動こうともしません。そんな中、階下のスタジオは、お昼から夜まで身 体を動かしに来る人で賑やかです。 1月23日(月) 一昨日の雪が溶け切らずそのまま凍りついてしまったところがあります。あるいは昨日の 晴天で溶かされた水たまりが凍ってしまったところも。わが家の隣の母のマンションの非 常階段にもそういう場所がそこここにあるので、夫は金づちを持って氷を砕きにかかりま した。店子さんが氷で足を滑らせては大変ですから。雪に慣れない東京の人間にとっては これっぽっちの雪の後始末にも手を焼くものです。 夜、NHKスペシャル(再放送)で、このお正月に豪雪に見舞われた新潟県の山里を放映 していました。つもり積もった雪のために外にも出られないばかりか、雪に覆われて窓か らの陽の光も遮られて、真っ暗な部屋に寝起きするおばあさんがいました。84才の腰の 曲がったこのおばあさんは、隣村の青年が雪下ろしに来てくれたことを「おかげでようや くお天道さまの光がさしました。ありがたいことです」と顔をくしゃくしゃにして喜んで いました。もう一人の81才のおばあさんはとても気丈な人で、自分でどんどん雪掻きを しています。その日、村ではお正月の松飾りなどを一緒に焚くという古くからの神事が行 われるために、おばあさんはお飾りを手に出かけて行き、暮れ以来初めて顔を合わせた近 所の人たちと新年の挨拶を交わしていました。リポーターの「この冬は大変な雪ですね」 の問いに対して「この村に生まれ育って生活しとるからに、この村捨てて出ていくわけに はいけん。ここに住むからには雪とつき合うていかねばならん。ひとの手に頼ってばかり はおれんから、自分で雪に向き合っていくしかないのです。」と言い放った毅然としたお ばあさんの態度は立派だと思いました。 ところで、今日の朝日新聞の朝刊で「救助に専念を自衛隊に望む」という「声」欄の投稿 を見つけました。61才の主婦の人ですが、以前同紙に掲載された川柳「迷彩服よりも防 寒着よく似合い」への共感から「自衛隊を、武力による問題解決を担う組織から、人命救 助を担う組織に一本化することを強く希望する」との主張でした。まさにそのとおりだと 思いました。さっさとイラクから帰ってきて、豪雪に苦しむ日本人民を助けてこそ、その 存在感もどうにかこうにか見出されるというものです。 1月22日(日) 「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」という映画が1月28日(土)から公 開されます。ヒトラーの独裁政権下にあった反ファシズムの抵抗運動を描いた映画だとい うことですが、なんとも恥ずかしいことに、わたしはその運動の存在すら知りませんでし た。ヒステリックな先導者の暴政に対して、ユダヤ人や共産主義者の立場からではない抵 抗も当然あったであろうことは想像に難くありません。なにせ、哲学的、文学的、芸術的 にあれほど優れたものを創り上げた、あのドイツ人なのですから。ドイツでは、学校教育 において、教師は若い世代に「君たちに戦争の責任はないが、二度と戦争を起こさないた めに、君たちには『知る責任』がある」と教え、強制収容所の見学が義務づけられている ほか、国の恥部ともいえるナチスの批判を外国の学生用の教科書に採用しているというこ と(池田理代子氏が語る)です。南京虐殺や従軍慰安婦など存在しなかったかのように歴 史の捏造に一生懸命になっているどこかの国とは、天と地ほどの差ですよね。恥部を覆い 隠して、なんで誇りなど持てましょうか! この映画の新聞広告は、朝日新聞社広告局の企画・制作ですが、あの「男たちの大和」の アナクロ・ナショナリズムを煽る新聞広告もこちらの制作でした。これはいったいなんな んでしょうか。 「白バラの祈り」は必ず観に行きます。 1月21日(土) 深夜からやはり雪になり、朝7時頃にはかなり本格的に降ってきました。今日は娘の学校 で保護者会がある予定でしたが、それも早々と中止の連絡が入りました。天気予報では夕 方すぎまで雪は降り続くということです。お稽古はお休みにしました。 1月20日(金) 新国立の舞台でお世話になった山名さんのお宅で新年会がありました。何度も電車を乗り 換えて西調布はとても遠く感じました。今日は最高気温も5℃とかでとても寒いのですが、 調布の方はそれよりさらに1〜2℃低いのではと思われました。明日は都心でも雪が降る そうです。 1月19日(木) 今年は杉花粉の飛散量が去年の十分の一だということをTVニュースで報道していました。 これから5月の連休前くらいまで悩まされるわたしにとって、それはとてもありがたいこ とです。 1月18日(水) レッスンが終わってそれから食事をとると、その後のひととき、猛烈に眠くなります。今 日も早く片付けてお米を研いでしまおうと考えながら、うたた寝をしてしまいました。そ の耳に深夜のTVニュースが聞こえてきます。「……フランスの往年のスター、アラン・ ドロンが今夜パリの自宅で亡くなりました。68才でした。……」 !えっ?!! あぁ、 ついにアラン・ドロンも死んでしまったんだわ。そういえばこのあいだ偶然つけたBSの 映画に引退した刑事役で出ていたけれど、すっかりおじいさんになっていたっけ……と。 でも亡くなったというのはわたしの夢の中での話だったのです。 1月17日(火) なかなか咲かないなぁと思っていた屋上の冬咲きクレマチスがようやく咲きだしました。 やはりこの冬の寒さが開花を遅らせたのでしょうか。 1月16日(月) 今日は珍しく気温が上がった一日だったので、朝もいくらか楽でした。けれど渋谷まで買 い物に出た帰りは汗だくになってしまいました。この温度差やデパートや電車の中と外気 の差が風邪をひくもとになるのでしょうね。用心しなければいけません。 1月15日(日) NHKの「爆笑オンエアバトル」という番組に井上マーという芸人が出演していました。 尾崎豊になりきったようなスタイルでスタンドマイクを片手に「俺たちは自由がほしいん だ!」と叫ぶこの吉本のピン芸人に今、傾倒しています。見終わってから入ったお風呂の 中で、文音とまたそのおかしかったネタを言い合っていました。そして、尾崎豊の唄に関 して全く無知なわたしに文音がいくつか教えてくれた時、「幕下二分の一」というタイト ルが耳に入りました。「『幕下二分の一』?すごい唄だね!半人前のお相撲さんが青春を かけて頑張るっていう唄?」……返事がありません。身体を洗う手を止めて娘の方を見る となんとも呆れた顔をしています。「そんなこというと尾崎ファンに怒られるよ、ママ!」 ……「幕下二分の一」ではなく、「なくした二分の一」だったのです。 1月14日(土) 朝から小雨がしとしと降りました。乾燥しきっているところに久しぶりのおしめりと思い きや、夕方になって雷は鳴るや地震はあるは…で、なんだか落ち着かない気分でした。で も元気に多くの子どもたちが出席、一生懸命な顔で頑張りました。こちらもついつい力が 入り、気づいたときは終わりの時間をすっかり過ぎてしまいました。 1月13日(金) 昨日より更に寒い一日でした。……にもかかわらず、ベランダの鉢からフジの蔓に絡み上 へ上へとのびていったマダガスカルジャスミンは未だ健在です。 1月12日(木) 今日も一日寒かったですね。こんな日は鍋とかシチューとかうどんとか温かいものが食べ たくなります。そういえば、先日大井町駅の向こう側のすずらん通りにある「ラミヤータ」 というカレー屋さんに行った時も今日のように寒い日でした。冷たい風に手も足先も冷え きって、ガラリとその店の引き戸を開けて入ったときは、湯気とカレーの香りで満ちた暖 かさがまるで「楽園」のように感じられました。わたしがいただいたスープカレーも、夫 のチキンカレーも「辛さ」が何段階かあるのですが、迷わずいちばん辛くない「オリジナ ル」でお願いしました。それでもけっこう辛くて、夫はとなりでセーターを脱ぎ、しきり と汗を拭っていました。とっても美味しくて、かなりのボリュームでしたが全部たいらげ ました。問題はそこからです。お腹も満たされ、ホットな辛さに汗かいて店を出たわたし たちでしたが、歩いているうちにすぐにまた寒さを感じたのです。そういえば暑い夏に熱 いラーメンや辛いものを汗をかきかき食べたあと涼しさを感じるときがありますよね。木 枯らしのなかのカレーは逆効果なのかもしれません。でもあの味はまた食べたくなる味で す。夫曰く、一に百軒店の「ムルギー」のタマゴ入り、二に「アジャンタ」のキーママタ ール、三にこの「ラミヤータ」のチキンカレーなのだそうです。 1月11日(水) 今年の冬はほんとうに寒いです。名古屋では53年ぶり(!?)に大雪が降ったなどと聞 くし、各地で豪雪のために大変なことにもなっています。この辺りでもまだ雪は降らない までもとにかく風が冷たくて、冷蔵庫の中を歩いているような気さえすることがあります。 うちの柿の木にはいくつか鳥たちのために残した実が朱色に熟していますが、それを目当 てに今日もたくさんの鳥たちが集まってきています。可愛らしいメジロが番(つがい)で 実をつついていたら、スズメが何羽かでやってきて「どけどけ!」と言わんばかりにその 場を占領しだしました。……と、そこにさらに大きなカケスでしょうかシジュウカラでし ょうか、きたならしい色合いの鳥が騒いでその座を奪っています。そしてそれらの様子を ガラス一枚隔てた部屋から目を凝らしているのは……もちろんタマオとケムリです。 1月10日(火) 掃除機を新調しました。いままで使っていたものは5年前、ここを建て直したときに購入 しました。その時はわが家のこの手すりのないコンクリートの階段を掃除するということ がまず頭のなかにあったので「小回りの利く、とにかく軽いもの」という条件を第一に選 びました。それが先週の土曜日、スタジオを掃除していたら、なんだか吸い込み口の真ん 中の向きを変えるちょうつがいのようなところが回らなくなったと思ったのと同時に部品 がパリンと割れて出てきてしまったのでした。今度のはふたまわりほど大きく(ゆえにそ の分だけ重く)強い吸塵力で、なんといっても犬や猫の毛に対応できるというものです。 実際に使ってみると、本当にいままでなかなかとれなかった、座布団についた猫の毛がと れていきます。その性能のよさに思わず嬉しくなってしまいました。そういえば売り場の 店員さん曰く、掃除機はいまどんどん改良されて毎年新しい製品が出ているのだそうです。 2006年1月9日(月・成人の日) ご無沙汰しておりました。いただいたお年賀状、お年賀メールの中に多くの友人、知人そ して文音の友だちまでもから「日記が9月まででストップしている」とのご指摘を受け、 そんなに経ってしまっていたのかとあらためて思いました。反省とともに、また新たな気 持ちで書き留めていこうと思います。 昨年後半3ヶ月はやはり暮れの新国立劇場の舞台に向けて忙しい日々でした。自分の踊り ・舞台についての反省は数多くあるとはいえ、本当にたくさんの方が観に来てくださり、 それぞれの思いを伝えてくださって、それだけでも嬉しくありがたく感じました。 お正月は毎年のことながら年賀状の作成に終始しましたが、一本だけ映画を観に行きまし た。「ALWAYS 三丁目の夕陽」です。東京タワーがまさに造られていく過程の界隈を舞台 に繰り広げられる人々の生活は、同時代を生きたわたしにとって人ごとではなく、ちりば められたエピソードのひとつひとつがわたし自身の思い出をさまざまに呼び起こしました。 何度も泣いてしまいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ながらく、本当にながらくアップロードをさぼっておりましたが、「日記」再開いたしま した。こんな「日記」でも楽しみにしてくださっている方がいらっしゃることに励まされ ます。                           (2006年1月9日) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9月29日(木) ぬけるような青空、暑いくらいの陽気、でも湿度が低く爽やかでした。リハーサルのため に行った参宮橋のオリンピック青少年センターでは、さまざまな年齢の人たちが集ってい ていろいろな活動をしていました。中庭のベンチでお弁当を食べていたりして、ちょっと のどかな風景でした。渋谷で用を足してから家路につくと、TVの前には阪神タイガース のユニフォームにタオルを首に巻き、虎の耳付きのカチューシャをしたわが娘がおりまし た。もちろん、手には応援バットを持って一打の度に歓声をあげています。果たして今宵、 阪神タイガースは2年ぶりの優勝で、それから夜半まで文音は大騒ぎでした。 9月28日(水) 右くるぶしの治療に行ったところ、だいぶよくなってきたとのことでした。もとはといえ ば、3月から4月にかけての風邪が原因の故障、治るのになんと半年かかってしまいまし た(まだ完治ではないし……)。これから、また寒い季節に向かっていきます。気をつけ なければ……。風邪だなどとバカにできないとつくづく思いました。 9月27日(火) 昼間、高田馬場でのリハーサルへ行き、夜は山元美代子さんのリサイタルを新宿のスペー ス・ゼロへ観に行きました。山元さんは本当に真面目な方で、踊り・作品・身体に対して の彼女の真摯な姿勢が観ていて伝わってきました。大急ぎの帰り道、文音にヴェルガモッ トのハーブオイル(入浴用)を土産に買いました。 9月26日(月) わたしがこの家にやって来て今日でまる18年になります。結婚式、披露宴を予定していた その日はなんと、朝からどしゃぶりの雨でした。その雨たるやすごいのです。バケツをひ っくり返したようなとはこのことだと思いました。結局、夕方には雨も上がり夕陽が顔を 出したのですが、式やら披露宴に来ていただいたお客さまには本当に大変な思いをさせて しまったと、今でも思います。それまで子どもの頃から運動会や遠足と、まず行事が雨で 中止になった覚えのないわたしは、何か尋常でない行く末を感じていたのでした(!?)。 9月25日(日) イタリア映画「刑事」のDVDを観ました。監督のピエトロ・ジェルミが主役の刑事に扮し、 殺人事件の真相を追求していくストーリーなのですが、事件の陰に見え隠れする若い家政 婦役のクラウディナ・カルディナーレが美しく、一途で薄幸そうな女性を演じていました。 この映画はわたしも観たことがなかったのですが、ここに流れる音楽がわたしにとっては 非常に懐かしいものなのです。ちょうどわたしが3才くらいだったでしょうか、遊びに行 った伯父の家でこの曲を聴いて、いっぺんに好きになってしまったのです。それからとい うもの伯父の家に行く度にわたしはこの曲♪アモーレ・アモーレ・アモーレ、アモレ・ミ オ♪を何度も何度もかけてとせがみ、家に帰れば帰るで大きな声で♪アモーレ、アモーレ ♪と唄っていたようです(父はそれを嫌がりましたが……)。前々から観たいと思ってい た映画なのでした。 9月24日(土) 台風の影響で今日は朝からお天気が悪く、運動会の予定だったところも延期になったよう です。お兄ちゃんやお姉ちゃんが運動会のためにお休みと言われていた子どもたちも何人 かいたのですが、予定変更でレッスンに来ることができました。おかげで幼児クラスはい つものように賑やかでした。 9月23日(金) 帰宅してたまたまつけたTVで二重体児の分離手術のシーンをやっていました。物体の骨 格をうかびあがらせることができる医療機器の発明によってその手術ができたこと、そし てそれが成功したことを伝えていました。現在、11才に育ったその姉妹は元気に自分の身 体を工夫し、発達させて力強く明るく生きていました。彼女たちは水泳が得意で、トラン ポリンが大好きだそうです。その姿には暗さは微塵も感じられませんでした。一緒にそれ を観ていた悩み多き高校一年生の娘にわたしは言いました。「この二人をみてごらん、こ の力強さはすごいよね、この子たちの克服してきたことに比べてあなたの悩んでいること はなんてちっちゃなことだ…なんて決して言わないよ。いまのあなたにとってそれは最大 の問題であることは確かなのだから。でも、この姉妹たちの逞しさに触れたら、自分はど んなことでもできるんだという勇気をもらえるんじゃない?」と。娘はたしかに心に何か を刻んだようでした。そしてまたわたしは、手術を成功させた医師たちのうちの一人が言 っていたことを思い出しました。「手術を成功させるためには、そのやるべき時期を選ぶ ことが重要です。できるからいつでもやっていいということではありません。」まさにそ うだと思いました。最近わたしも感じることは、子どもをとりまく大人たち(まずは親) が、あまりに結果を早く求めたがること。それが早ければ早いほど喜ぶということです。 早教育などはその典型です。幼い子どもに英語やバイオリンを教えこむのは、親の劣等感 と自己満足の表われ以外の何ものでもありません。何ができるかで子どもを見るよりも、 何をやろうとしているかを見てそれに導いてやることが必要なのだと思います。あたりま えの想像力を持ち合わせている親ならば、自分の子どもがいま何をすることがいちばん大 切なのかがわかるはずだとわたしは考えます。いくら3分でカップラーメンが食べられる 時代だからといってなんでも早けりゃいいとは限らないのですよ。 9月22日(木) 12月21日(水)に初台の新国立劇場小ホールにて友人の山名たみえさんがリサイタル をなさいますが、依頼があり、わたしもその作品に出演することになりました。数週間前 よりリハーサルのために参宮橋のオリンピック青少年センターへ通っています。むかしは それこそいくつもの舞台をかけ持ちでリハーサルからリハーサルへと食事の時間もなくて 電車の中でサンドイッチを食べたようなこともありましたが、いまとなってはそんなこと も懐かしい思い出です。それはともかく、せっかく与えられた舞台、新しい人との出会い、 作品との出会いに感謝して、そしてなによりも日々勉強! わたしを通してわたしが教え る生徒たちにその成果を還元できますようにそれらを大切にしていきたいと思っています。 9月21日(水) 昨日がお彼岸の入りでした。昨日、ゼームス坂下の天竜寺というお寺さんの安藤家のお墓 参りに行ったのですが、今日は母と四谷にある実家の方のお墓へお参りに行きました。久 しぶりに一緒に出かけて母もずいぶん小さくなったなあと感じました。その身体のわりに は大きく節くれだったしみだらけの手をながめていたら、こどもの頃友だちの家へ泊まり に行ったり旅行へ行ったりした時に、帰りの電車の中で必ずといっていいほど早く母の待 つ家に帰りたいと思ったことを思いだしました。いつまでも元気でいてほしいものです。 9月20日(火) ベランダのトサミズキのまあるい葉が勢いよく茂っています。洗濯物を干す時に裾がいつ もひっかかるので夫が鉢の向きを変えてくれるというのですが、そこにはクレマチスの蔓 が絡みついていて容易にはできそうにありません。一方、ヤマフジの蔓には一昨年購入し たマダガスカルジャスミンが絡みついて、ちょっと目をはなしたすきに勢いよく上へ上へ とのびてしまったため、この先寒くなってから鉢を家の中に入れることができなくなって しまいました。いまの暖かさが一年中の陽気ではないのですよ、ジャスミン君! 9月19日(月) 日中の気温が30度を越す蒸し暑い日が続きます。昼間、文音と大森に行った帰り道、池 上通りを歩いていたら清夏ちゃんと怜夏ちゃん姉妹とお父さんに会いました。ところが二 人とも少しぼんやりとしている様子です。そしてお父さんに「順子先生だよ」と言われて、 少したって「ああ」という感じにニコッとしてくれました。やはり、お医者さんが白衣を 着ているように、魚屋さんがゴム引きの前掛けをしているように、バレエの先生はレオタ ード姿でなければピンとこないのでしょうね。 9月18日(日) 連休のせいか、街が少し静かに感じます。文音に誘われて、ひさしぶりに近くの銭湯「す えひろ湯」へ行きました。ここには7種類のお風呂があります。サウナには今日は入りま せんでしたが、ミクロバイブラ(細かい泡が出るお風呂)や電気風呂、寝風呂、座風呂、 薬風呂に水風呂と6種類のお風呂を堪能しました。文音が小さい頃はよく行ったので、会 う方、会う方に「大きくなったわねえ…」と言われました。やはり大きなお風呂って気持 ちいいですね! 9月17日(土) 夏のあいだ、今日から再開しよう、明日から再開しようと思いながら日を重ねてしまいま した。今日から、また少しずつ、通り過ぎてしまうと何でもなくなってしまうような小さ なことに目を向けながら、記していこうと思います。 夏休み気分もようやくぬけて、幼児クラスは元気いっぱいです。みんなそれぞれに背も高 くなって、この季節はほんとうにいつも子どもの成長を感じるときでもあります。いま、 このクラスは「5匹の子豚とチャールストン」に挑戦(?)しているのですが、今日もレ ッスンのさいごにその最初の用意をさせたところ、何となくみんなの位置が右寄りなので すね。わたしが真ん中に位置してポーズをとっていても、全体がずれているのです。わた しが「あれ、みんなそっちに寄りすぎてるね。もうすこしこっち、真ん中にこようね。」 と呼びかけてもだあれも動こうとはしません。そればかりか、いままでこちらに位置して いた子までが端へいこうとするのです。「あっ」と思いました。「5匹の…」では、さい しょすわったポーズから立ち上がって踊りに入る前、いちばん右の子どもが先頭になって お尻をキュッとつきだすところがあるのですが、みんなその「先頭さん」になりたくてい ちばん右端に座ろうと、右へ右へとずれていったのでした。なんとも可愛いと思いました。 いちばん小さな香乃ちゃんまでが「先頭さん」をやりたいというのです。それなら…と、 わたしはやりたい子ひとりひとりが一回ずつ先頭になるよう6回くり返してやってみまし た。みんな自分の番がくると、はりきって嬉しそうに先頭になっています。いまは発表会 などでせかされていることもないので、そういう時はこんな子どもたちの「意欲」にも対 応してあげられるのですね。思わず嬉しくなったひとときでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ながらくアップロードをさぼっておりましたが、「日記」再開いたしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8月1日(月) 今日から8月。一年の三分の二が過ぎてしまったと思うと、本当にあわただしさを感じる ばかりです。また8月は自分の誕生月でもあるため、なにか「境い」のようなものを感じ ずにはいられません。子どもの頃も、学校の終業式がすぎたあたりでは宿題なども7月中 に終らせて…などとはりきっているものの、8月に入ると早い早い。「まだある」と思っ ていた夏休みもあっという間に終盤を迎え、高校野球の決勝戦が終る頃にはまだ終わって いない「読後感想文」と「自由課題」のことが気になりだしてくる…ことがあったような 気がします。  今日の昼のレッスンはこの夏いちばんの暑さだったように感じられました。あまりの暑さ に後半、クーラーをつけてしまったほどでした。一方、文音はこの暑さの中を浴衣を着て 神宮の花火大会へ出かけて行きました。 7月31日(日) 陽ざしがなんともじりじりと強く感じられます。わが家のリビングは南面がすべてガラス 張りです。そのため、建った当時は太陽が一日移動していくのがわかるほどでした。それ が2年前、お隣に9階建てのマンションが建ってからは、太陽の位置が低い冬は日中の3 時間くらいしか陽が射さなくなりました。ところが、ところが、夏は違うのですよね。高 い所にいる太陽からはばっちり日光がいただけるのです。おまけにわが家は二階建て。高 い建物からの反射熱でそれはそれは暑くなって、備え付けのクーラーはつけてもなんの足 しにもならないというありさまです。僅かな助けは庭の柿の木とそれにぴったりと寄り添 って伸びるゴムの木です。最近ではどちらもわが家の屋根を越えるほどの高さに成長して、 「ひかげ」をつくってくれるのです。つくづく自然のめぐみはありがたい!と思います。 今日、今年初めてのみんみん蝉の声を聞きました。 7月30日(土) 「うだるような暑さ」とはこのこと!というような蒸し暑さでした。毛皮をまとった猫た ち、さぞやぐったりしているだろうと探すと、タマオはクーラーのついている文音の部屋 へ避難。ケムリはコンクリートの階段に大きな身体を横たえて寝ていました。上から二段 めと三段めを時間をかえて行き来。知っているのですね、少しでもひやっとした場所を。 この26日でタマオとケムリは満8歳になりました(このこたち兄弟…姉・弟と思ってい ますがわたしは…なのです!)。 7月29日(金) 今日は夫の高校時代からの親友だった鈴木雄一さん、そしてわたしの実家の父の命日です。 夫は三浦海岸にある鈴木さんのお墓参りに、わたしは実家の母と父の方へお参りに行く予 定だったのですが、昨日から母が体調を崩しそれでは日をあらためましょうということに なり、わたしも夫に同行することにしました。ちょうど一年前の今日は台風が来ていた時 で、激しい雨に傘をさしていても全身びっしょりになってしまったことを記憶しています。 今年はといえば、ものすごい暑さ! 汗でやはり全身がびっしょりでした。海の見える小 高い霊園には何組かの家族連れがお参りをしていました。夫は丁寧に墓石を洗い、大井町 から持って行ったバラの花とグラスにワインをそそいでお供えしました。海風がけっこう 強くてマッチを全部使わなくてはお線香に火が点きませんでした。帰り際、ずんぐりとし たまあるい墓石に目がとまりました。変わった形の墓石だなと思ってよく見てみると、福 助さんが深々とお辞儀をしているのです。そしてその脇には「お参りしてくれて、ありが とう」という文字が彫られてありました。亡くなった人の「遺言」でしょうか。それとも 家族の配慮でしょうか。どちらにしても、何かほのぼのとしたあたたかさを感じました。 そういえば去年は人っ子一人いなかった行き帰りの海岸も、海水浴の人たちでいっぱいで した。 7月28日(木) 車を運転していて、例えば食事をしようとか買い物をしようと思った時は、まず駐車場の ことを考えます。ですから「素敵な珈琲屋さんだな…」と思ってもその周辺に駐車場がな さそうな場合、立ち寄るということはまず不可能です。そこここにあるファミリーレスト ランというものは決して「美味しいもの」を食べに行くところではありませんが、そうい う点からいえば便利なものです。つい先日、トレーニングの帰り道に立ち寄った「D」で のこと。「遅い昼食を……」と思って行ったのですが、店内はほぼ満席状態。暫く待って 案内された禁煙席でした。家族連れ、中年の女性グループ、高校生の女の子たちなどに混 じって「ヤンママ」とでも呼びたいような「お母さん」たちがそれぞれの子ども(幼稚園 児?)を引き連れて我が物顔に二つの席を行き来していて非常にやかましかったのです。 泣きだす子どもや店内を走り回る子ども、話に夢中の母親たち。呆れて見ていましたが、 最低なことには、レジ前のおもちゃを勝手に掴み持ち帰り、「買ってえ、買ってえ」と喚 きねだる子どもたちの浅ましさときたら! それ以上にお粗末なのが、話に夢中の母親た ちです。その代金も払っていないおもちゃで遊んでいる子どもを叱りもせず、勝手放題に させてそのままなのです。親になれない人が親になっているような気がしました。合掌。 7月27日(水) 夕方JRが信号故障のために止まってしまいました。その影響で大人のクラスの何人かの 人が足止めをくらってしまいました。それにもめげずに埼京線や京浜急行、バスなどを使 って辿り着いてくれました。きょうは確かお昼頃にもJR京浜東北線は止まっていたはず です。最近JRはよく止まってくれますね。 7月26日(火) 台風7号の接近で時折強い風雨となっています。聞けば、これほど本土にまっすぐに上陸 する進路をもった台風は珍しいそうです。合宿先の娘も心配ですが、あちらよりはこっち の方が影響が強いかもしれません。 7月25日(月) 文音がバド部の合宿で山中湖へ出かけて行きました。思えば、この時期は娘はいつでも「 合宿」です。幼稚園の年長クラスの時には湯檜曽へなんと!三泊四日の合宿に行ったのを はじめ、小学校では1年生から6年間毎年ありましたし(6年生は多摩川上流で五泊六日 のキャンプ)、中学では「館山水泳合宿」という全校揃っての行事があって、1年生は3 キロ、2年生は6キロの距離を完泳し、さらに3年生で検定を受けて下級生の指導員にな るという道のりを経てきたのでした。そしていつも変わらないのは、持っていくお弁当で す。鮭と梅干しの大葉が巻いてあるおにぎりとパリパリ海苔(と言って海苔を別にラップ でくるんで持っていき、食べる時に巻くのです)、トリのから揚げに玉子焼きとお新香で す。いつだったか、わたしが海苔を持たせるのを忘れて、帰ってから文句を言われたこと があります。今日もそのお弁当(海苔を確認して)を携えて出かけました。違うといえば、 何故かおにぎりの数が去年までは三つだったのが今年は二つでいいということです。 7月24日(日) バドミントン部の合宿に明日から出かける文音とボトル型の水筒を買いに東急ハンズへ行 きました。夏休みに突入したこともあってか、ハンズのアウトドア用品の売り場は人でご ったがえしていました。その後、百軒店の「麗郷」へ行き、ピータン、腸詰め、シジミ、 空芯菜炒め、豚耳、それにビーフン炒めを食べました。文音のよく食べたこと! 7月23日(土) 4時35分頃大きな揺れを感じました。まだ幼児クラスが終っておらず、お母さんたちも 慌てていましたが泣きだす子どももいなく、そのままレッスンを続けました。後で23区 は震度5弱と聞いてびっくり! 京浜東北線などが止まり、研究クラスの生徒の何人かは 途中の駅で立ち往生。結局家に戻ることにさせました。来ている生徒だけでレッスンをし ました。帰るときになってようやく電車も動きだしたようでしたが、流れが読めないこと と混雑していることを考えて、新横浜から通っている夏ちゃんを車で送っていきました。 特に道路の混雑はなかったものの、やはりうちから1時間くらいかかったでしょうか。夏 ちゃんいわく、今日は競技場で「ゆず」のコンサートがあるから何もなくても帰りは大変 でしたと。なるほど、彼女を無事降ろして帰路につき新横浜駅近くを通ったら、歩道は人、 人、人であふれるようでした。 7月22日(金) 今日は少々涼しい一日でした。この頃はもっぱら洗濯物をベランダに干しているのですが、 最近鉢植えの蔓バラが勢いよく伸びてきているために、その棘が洗濯物にひっかかります。 時には干したり取り込んだりするわたしの足にひっかかるのです。今日もたくさんの乾い たものを抱えたまま、パンツ(下着に非ず)のすそにひっかかった棘と格闘しているわた しを横目に、二匹の猫どもはぐったりとしていました。どうも暑さの中の急な涼しさゆえ らしいのです。老境に入ってきたのでしょうか、タマオとケムリ、もうじき満8歳です。 7月21日(木) 今年3月から4〜5月にかけて風邪やらアレルギーでの体調の悪さに加えて睡眠不足から 右半身が調子悪く、なかなか治りません。「年齢には勝てない」という言葉は使いたくあ りませんが、寝不足は決してばかにはできないとつくづく思いました。身体をもっといた わってやらないと……長持ちしませんね。 7月20日(水) 今日は午後に文音の学校の保護者会があり、行ってきました。終ったのは5時を少し過ぎ たころでしたが、子どもたちが「外苑祭」の練習をしているとのことで少し覗いていこう と誘われ、絵画館前に廻ってみました。結局、なかなか始まらないので夜のクラスに遅れ ないよう帰ってきてしまったのですが、帰り道地下鉄「外苑前」までの道のりの様変わり に驚きました。今日は神宮球場で「ヤクルト対巨人戦」のナイターがあったのです。道の いたるところには屋台の店がならび、いつもは静かなたたずまいのコーヒー屋さん、レス トラン、カレー屋さんにいたるまでが歩道に店を広げて缶ビールや枝豆、焼きそばなどを 並べてナイターに向かうお客に声を枯らして売っていました。人ごみに逆流するようなか たちで汗だくになってやっと駅に辿り着きました。 7月19日(火) プジョーのペッパーミルを買いました。最初に買ったのは結婚したときで、それは案外高 性能だったのですが、店のイベントかなにかでどこかへ持っていったときに置いてきてし まったようでなくしてしまいました。その後2回買い換えて、1本は店でもう1本は自宅 で使っていました(どれもプジョーのです)がそれが別々のところで買ったものの、どち らも全くの「はずれ」だったのです。とくに自宅の方のはセラミックの透けて中のコショ ーが見えるタイプで、デザインはおしゃれなもののミルの手応えが全然感じられないよう な代物で、よほど買った店に持っていって文句を言おうか…とも考えましたが、わたしの まわし方がいけないのではないかとか、コショーの入れ方が悪いのではないかと思うとい ま一つ踏み出せずに、いつもイライラしながらミルをまわしていました。それをこの度で すね、やっと新しいものに買い換えたのですね(映画「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三の口 調で)。買って使ってみて思いました。どうしてもっと早くに買い換えなかったのか!と。 7月18日(月) 今日は「海の日」ということで祝日です。いつからでしょうか、この「海の日」というも のが制定されたのは。元旦はともかく、どうもこの国民の祝日というものはなんのために 決められたのかよくわかりません。子どもの頃は「学校がお休み」ということでなんだか 嬉しかった(決して特別に学校嫌いだったわけではありません)のですが、いまとなって は「特別の日」の感覚もうすく、まして「国を挙げてお祝いする日」という意識はほとん どありません。日本は労働時間が多いです。どんな職業にしても残業するのがあたりまえ の社会です。労働時間を短縮するという根本的な問題解決への努力をせずに、成り立ちか らして曖昧な「祝日」を増やすというのは本末転倒のような気がします。もっといえば、 この「祝日」なるものが、ピラミッドの石を運ぶ奴隷労働者に配られたニンニクとビール のような役割を果たしているのでは、などとつい考えてしまいます。 ちなみに進学指導重点校に指定されている都立高校に通ううちの娘は今日、全校生そろっ て受験産業大手の河合塾の模擬試験を学校で受けるために登校しました。 7月17日(日) 安藤の父の命日なのでお墓参りに行きました。父は50代の時に胃癌で手術をしたために わたしがこの家に来たときにはすでに一人前の量の食事ができないからだでしたが、とて も元気でした。癌の再発がわかったのは文音が幼稚園のときだったと記憶しています。感 情をストレートには出さず、なかなかむずかしい人ではありましたけれど、なぜかわたし の記憶の中には時折見せてくれたやさしい一面が残っています。新婚旅行から帰ってきた 時に花束を用意していてわたしにくれたこと。文音が生まれて実家に帰っている時に避暑 先の軽井沢から一日おきに電話をくれたこと。旅からの帰りを母や妹(夫の)、妹の娘と 一緒に羽田空港まで2歳の文音を連れて迎えに行ったとき、エスカレーターに乗るのが最 後になってしまったわたしたちを待っていてくれて先に乗せてくれたことなど……。 アサヒのスーパードライが大好き(夫とは真逆)で5時になると飲み始めていつも飲み過 ぎていました。今日は花屋が混雑していてビールまで買うことができなかったけれど(駐 車できなくて)この次は持っていってお供えしようと思いました。 7月16日(土) 大人の水・金クラスで映画"Trainspotting"の中の曲を使って振り付けをすすめています が、同じことを土曜日の研究科(中高生クラス)でもやっています。今日は先週にひき続 き、パートをずらして踊ってもらいました。初めのうちこそ自信なげに「えーっ?!」とか 言ってはいたものの、すぐに自分たちでカウントをとったり振りを確認しあったりと、そ の様子は頼もしい限りでした。 7月15日(金) 一昨日乗ったシャトルバスの中でのこと。としごぐらいの姉妹がお母さんに連れられてバ スに乗りこんできました。先に乗った姉の方(3歳くらいでしょうか)が勢い込んで二人 がけの席の窓際の席に座りました。あとから母親と妹。急に妹の方が泣きわめきだしまし た。「OOがこっちのほうがいいよう!」窓際に座りたいのです。姉の方は最初はニコニ コだったのが、だんだんその顔から笑みが消えていきます。妹はずっと泣きわめいたまま。 おとなしそうな母親が姉に「もう少しこっちに来て(妹を窓側に座らせてやって)」と言 っています。姉は落胆した顔をしながらいうことをききます。妹、形成逆転のごとくはし ゃいでいます。姉はというと、母親のひざの上に乗せられたのですが泣きだしてしまいま した。母親はやさしく姉をなだめていましたが、姉はしずかに泣き続けていました。一部 始終を見ていて、わたしは急にこの姉がかわいそうになってしまいました。そして何の屈 託もなく窓の外を見てはしゃいでいる妹に腹を立てました。姉の方も幼さからみてまだ幼 稚園には行ってないでしょう。この姉はいつもこんなふうにして妹に自分の「得」を譲っ ているのでしょうか。幼い兄弟姉妹の争いごととはこんなふうでしょう。「他愛のない」 と言ってしまえばそうかもしれません。でも毎日のこと、こんな積み重ねがその子どもの 性格、兄弟同士の関係をつくっていくのだと思うとなんだか気になってしまいます。わた しが教えている子どものクラスでもよく見る光景です。だからといって、もちろん泣いて いる妹や弟に力で勝とうとする姉を見たとしたらわたしはもっと腹を立てていたことでし ょう。……けれど、暫くして安心しました。妹も姉の方もともに母親の指差す景色にしき りと活発に答えていましたから。やれやれ……これがこの家のやり方なのです。 うちの文音は一人っ子、この姉妹のような思いは後にも先にもありません。それがいいこ となのか、わるいことなのかわからないけれど……何も考えずに今日も文音は言います。 「あー、弟、ほしいな! 翼くん(NHK教育TV「にほんごであそぼ」に出演している 小林翼くんのこと)みたいにかわいい弟!」…………黙! 7月14日(木) 今日の幼児クラスは土曜日の陽一郎君と万里奈ちゃんが加わって賑やかでした。慣例の「 動物ごっこ」でのこと。それぞれが自分のやりたい動物を全身で表し、ほかの子どもが当 てるのですが、やる前にわたしには何をやるかをおしえてくれる子もいます。陽一郎君は 「タツ」と、おしえてくれました。「えっ、タツ?」思わず聞き返したわたし。みんなに わかるかなあ…と思いきや、やってみると3歳の明沙香ちゃんが大きな声で「タツノオト シゴ!」!「大当たり!」!!というと飛び上がって「ばんざーい!ばんざーい!」と大 喜び。ところが、当ててもらった陽一郎君はもっと大喜びでした。よっぽど当ててもらっ て嬉しかったのでしょうね。子どもたちの創造力と想像力には驚かされるばかりです。 7月13日(水) 用事があって瀬田へ行った帰り道、二子玉川の駅に出る道を道行く老婦人に尋ねたところ、 「すぐそこから高島屋のシャトルバスが15分おきに出ますよ」と、親切におしえてくれ ました。言われたままに行ってみると、なるほどバスの発着所があり、数人バスが来るの を待っている様子です。程なくしてバスがやって来ました。揺られること約5分、なるほ ど山坂下って大きな国道を渡ることを思えば、こんなに便利なものはありません。まして タダ! ただ、高島屋の買い物客用ですからそこのところをわきまえないと。でも…いる でしょうね…買い物などしないで乗る人も。現にわたしがおしえられたのも「駅の方へ行 く道」としてだったのですから……。「ちょっとトクしちゃった!」気持ちのわたし、ち ょうどお昼ご飯がまだだったので、高島屋の上で食べることにしました。 7月12日(火) モツ焼きの名店、立石の「宇ち多」へ行きました。前回2時開店のところを、1時35分 に到着したにもかかわらず、長蛇の列で、開店と同時に席に着くことができませんでした。 さらに20分ほど待ってようやく美味にありつくことはできましたが。今日はその轍は踏 むまいと、1時に到着しましたが、さすがに早過ぎると思い、すぐ近くの立ち食い寿司屋、 「栄寿司」で4つばかりつまんで時間を潰してから1時10分に並びました。一番乗りだ! と喜んだのも束の間、「まだ早いわよ」とお母さんの声。しかたなく商店街をぶらついて 29分になってから向かうと既に常連席は各自の荷物でふさがり、非常連たちは5人ほど 並んでいるではありませんか。砂糖にアリが吸いよせられるようにどこからいつの間に人 が集まってきたのでしょうか。不思議でした。もちろん、わたしたちもそのアリの仲間で すが。 7月11日(月) 「冷し中華」が食べたくなる季節です。今日、思い立って夫とアトレ(大井町の駅ビル) へ行きました。ところが……ないのです。わたしたちが食べたい昔ながらの「冷し中華」 が。キュウリと辛子と紅生姜の香りのする昔ながらの懐かしいのがないですね。結局、今 風「変わり」冷し中華ーアラビアータ風・ジャージャー麺風を食べるはめになりました。 でも、あの冷し中華が食べたい! 7月10日(日) 猫のケムリが死んだ夢を見てしまいました。普段、外など出ないくせに、外でよその猫と 喧嘩をして瀕死の重症を負って帰ってくるのです。(夢の中の)わたしはケムリをバスタ オルにくるんで獣医につれていくのですが、先生が不在でなかなか診てもらえません。そ うこうしているうちにケムリがわたしの腕の中で冷たくなっていくのです。あまりのリア ルさに苦しくて目を覚ましました。それでも猫の身体から生気がなくなって小さな屍とな っていったあの感覚がよみがえってきます。わたしは急いでケムリの姿を探し、ダイニン グの椅子の上で呑気に寝ているすがたを確認してようやく安堵しました。 7月9日(土) あまり暑くはなかったのですが湿度が高く、稽古中は普段はエアコンをつけたくないので すが、幼児クラスで耐えきれずつけてしまいました。どの子も汗で髪の毛が額にピッタリ と張り付いていたのでした。いつもはわたしだけが大汗かいているのですが……。 7月8日(金) 茗荷谷の美容院へ行きました。茗荷谷は学校が多く、いまちょうど試験中なのか駅には中 高生(と見受けられる)がおおぜいいました。田町の駅で電車が止まってしまい、遅くな ってしまったために駆け足で駅からの道を行くわたしでした。裏側にあたる小さな改札口 をぬけ、いま降り立ったホームの上を横切るようにかかっている小さな橋をいままでに何 度渡ったでしょうか。ふと見上げると、橋の半分ほどまでがトケイソウで埋まっていまし た。子どもの手を広げたような形の葉、日時計を思わせる雄しべの集まり、白地に紫のふ ちどりのような花の色。まえの家にも半分ほど建物を覆うぐらいに繁茂したトケイソウが ありました。夫は建物をそっくり、ランドアートの作家クリストよろしくそのトケイソウ で覆いたかったのですが、亡父の「鬱陶しい」の一言で根こそぎ刈られてしまいました。 そんなことを思いだしました。 7月7日(木) 梅雨の合間の晴天に部屋の中に干しておいた洗濯物をベランダに出しておいたのですが、 午後になってにわかに雲行きがあやしくなったので急いで取り込みました。朝の予報では 「夕方になって雷雨またはにわか雨」と言っていました。最後のガチャガチャ(ハンガー 式の洗濯ばさみつきの折りたたみ洗濯物干しのことをうちではこう呼んでいます)を入れ ようとした時、どこからかいい香りがして思わず「いいにおい!」と言ってしまいました。 ちょうど1年前に買ってきたマダガスカル・ジャスミンです。寒さの強い時期の夜は家の なかに入れたのですが、この春にぐんぐん大きくなって、屋根に向かってのびているヤマ フジの幹に絡んで、そこに真っ白のブバリアを大きくしたような花をつけたのでした。な んとも嬉しい気持ちとともに今年はどうやって冬を越させようかという思いがチラッと頭 を横切りました。 7月6日(水) 用事があって瀬田まで行った帰りに買い物をするために桜(世田谷区)の方へまわりまし た。桜2丁目には5年前ちょうどこの家を建て替えたときに1年間だけわたしたちが住ん でいた家があります。「古い日本家屋」といったたたずまいのこの家は、いちにちに一定 (700リッターくらいだったでしょうか)の量しかお湯が使えなかったり(あとは給湯 の栓をひねっても水がでるだけ)備え付けのクーラーはすべて使えなかったり(そうそう、 あの夏はまた猛暑続きでした)と、ずいぶん住みにくいところもありましたが、わたした ち親子は好きでした。工事が終ってこちらに戻ってきてからも、用事で近くまで行く時に は必ずこの「桜の家」を見に行ったものでした。わたしたちのあと、この家は「金子さん」 とおっしゃる方に借りられていたようでした。今日、半年ぶりくらいに行ってみると「金 子」の表札はなくなっていました。けれど(シャッターのなかなか開かない)車庫には車 が入っているようだし、台所よこの小さな食事室(北向きだったので、わたしたちはここ では食事はしませんでした)には明かりが点いています。「新しい人たちが入ったのかな ……」何気なくそう思うと同時に、自分たちがここで過ごした懐かしい日々のにおいがよ みがえりました。すると……そう、この気持ち、昨日の映画を観おわった時にもしたこと を思いだしたのです。自分の大切にしているものをふり返るような、台風の時に昼間でも 雨戸を閉め切って本などを読んでいるのがけっこう好きだった子どもの頃を思いだすよう な……(??)。やはり観てよかったと思いました。 7月5日(火) 映画「いつか読書する日」を観ました。なかなかにいい映画なのでご覧になることをお薦 めしますから、ストーリーは詳しくご紹介いたしません。渋谷のユーロスペースでだった のですが、いつになく高齢者の方が多く(というよりもほとんどが高齢者)ちょっと異様 な感じでした。それも映画を観て合点がいきました。主演の田中裕子と岸部一徳の50歳 という年齢は、はたから見ると決して若くはないけれども、彼らのなかには高校時代の気 持ちをそのままに持ち続けていて、わたしたちの年齢と気持ちにまさに重なります。静か であっても激しい気持ちの昂りがあります。田中裕子がとてもよかったです。でも若い人 たちには理解できない気持ちかもしれません。悔恨のようなものが甘酸っぱく迫ってくる この感じなのです。チラシによると「本格メロドラマ」なんだそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ながらくアップロードをさぼっておりましたが、「日記」再開いたしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5月12日(木) 夜になって雨が降りました。お天気が変わりやすい日が続いています。花粉症がようやく おさまったかと思いきや、今度は体中が痒くなるアレルギーが出てしまいました。昨年の 夏の猛暑のおりに出た症状ですが、今年は早速……というかんじです。そのために処方し ていただいた薬を飲んでいるのですが、これが強すぎるのか身体がひじょうに重いのです。 5月11日(水) 今日はとっても寒かったです。3月下旬のこの陽気、明日も続くということです。ベラン ダのバラ、シティー・オブ・ヨークが花開いて夫が嬉々としていたのですが、この寒さに 震えるようにゆれていました。仕事がらわたしも寒いのは苦手です。30℃を越える猛暑 というのも閉口しますが。 5月10日(火) 映画「心中天網島」を観ました。最初のドキュメンタリータッチのシーンですっかり舞台 上のお膳立てが整って映画は始まります。シーンの組み立て方や時間経過の唐突な繋ぎ方 など斬新な試みにまず驚かされました。以前に観たことのある「沈黙」では凡庸な印象し か残りませんでしたが、この作品はなにか突き抜けたところがあって新鮮に感じました。 これが近松門左衛門の滲み出るオリジナリティのなせる技なのかもしれません。中村吉右 衛門の歩き方や立ち姿が、紙屋治兵衛の役どころを余すところなく表現し尽くしていて、 たいへん感心させられました。とはいえ、何といっても可哀相なのは治兵衛の女房のおさ んではないでしょうか。実父に連れ去られる時に助けを求めても治兵衛は何一つ応えず、 結局は女郎の小春と心中をしてしまうのですから。それまでも女郎のもとに通う夫に代わ って店のやりくりをし、子供を育て、自分の着物を売ってまで支払いに充てながらも最後 まで夫をかばってきたのは、おさんが治兵衛を愛していたからこそできたことでしょう。 治兵衛にその愛までも拒絶されてしまったとき、彼女はいったい何をよすがとして生きて いけばいいのでしょうか。死んでしまいたいのはおさんの方だ!と、やる瀬ない気持ちに なりました。 5月9日(月) 陽ざしが穏やかで気持ちのよい晴天です。この季節、草花を見ても、通園する幼稚園児を 見ても成長するエネルギーを感じます。そんな中、人間として生きていてやはり幸せなこ とは多くの感動に出会うということでしょうか。よい映画、よい絵、よい本(自分にとっ て)、唄でも景色でももちろん人にも、それらに出会うことによって心が熱くなったり満 たされたりすることがどんなに幸せなことなのかと最近つくづく思います。限られた生の 時間の中でどれだけそういうものに出会うことができるか、今後のわたしの課題です。そ れにしても、子どもでも大人でも教えていて、こちらの言うことがすうっとわかってもら えたとき、そしてなによりもその本人ができたことによって喜んだとき、幸せを感じる最 近のわたしです。 5月8日(日) 映画「ゆきゆきて神軍」をようやく観ました。「ようやく」というのは前々から観るつも りでいたのがいつもその機会を逸していたのを、文音が学校の宿題として出されていたレ ポートを書くために観るというのに便乗したわけです。凄い、凄い、凄い!!!映画でし た。まさに「事実は小説よりも奇なり」という感です。もしも以前に近所で主人公である 奥崎謙三が乗る「街宣車」を目にしたら、わたしはまちがいなく気違いの仕業だと思った でしょうが、これからはそうは思わないでしょう。彼のとった行動こそが人としてのある べき姿だと感じたからです。同時に、戦争はもちろん、戦争への道を作ることも、二度と くり返してはいけないのだと痛感しました。 5月7日(土) 先日、渋谷を歩いていて感じたのですが、若い女性(10〜20代)の「内股」のなんと 多いこと! よくあれできちんと歩けるな……なんていうくらい強い内股の人もニコニコ と平気な顔をしています(あたりまえですが…)。それから膝を曲げて細いヒール(ミュ ールというのでしょうか?)を履いている人、姿勢の悪い人がほとんどと言ってもいいく らいで、きちんとまっすぐ背筋を伸ばして歩いている人を探す方が困難なくらいです。こ んなに気持ちのいい季節なのに……。思わず途中で立ち止まり、深呼吸して背筋を伸ばし ちゃいました。 5月6日(金) 知人から送っていただいた筍で、筍ご飯、煮物にお吸い物と筍づくし(とまでは言えませ んが…)でした。今年は山椒の木がずいぶん大きく伸びたので、新芽を摘んでその香りと 共に季節の味を堪能しました。ご飯は二日にわたって炊いたのですが、二度目の方が水加 減が上手にできたと思います(思い切って水の量を減らすくらいが丁度よいのです)。 5月5日(木) こどもの日。買い物帰りに近くの商店街を歩いていて、商店の二階の窓から竿がニョッキ リ伸びて、まあたらしい可愛らしい鯉のぼりがさげられているのが目にとまりました。男 の子が生まれたのね……。なんとも、そこの家族とは関係のないわたしまで、どうぞすく すくと丈夫に育ちますようにと鯉のぼりにお願いするような気持ちになりました。 今年もいくつかの和菓子店の柏餅をいただきましたが、どれもいまいちでした。「とらや」 のあのしぎしぎとしたお柏がやっぱり一番!! 5月4日(水) 15年前のことです。夫が食中毒で立会川の病院へ担ぎ込まれて入院したことがありまし た(明け方だったため何軒もの病院をたらい回しにされた末に)。それがびっくりするく らい汚い病院だったのですが。今日所用で立会川の商店街へ歩いていったところ、15年 前にせっせと毎日通ったことを思いだしました。文音はまだ1歳にもなっていず、病院に 連れていくわけにもいかず、店もあり、ずいぶんと心細い思いでした。 5月3日(火) 一重のバラ、カクテルがあまりにも見事に咲き揃いだしたので、夫はお隣の屋上からどう しても写真に収めたいと、とうとうお隣にワインをもってお願いに行ってしまいました。 快く承知してくださって、このような見事な風景を撮ることができました。そう、外から 眺めてこその花だと思いました。
5月2日(月) 買い物があり、久しぶりに川崎へ行きました。多摩川から川崎駅までの間には桜並木があ りますが、今年はすでに花が終わり青々とした葉を茂らせていました。電車の窓からひと まわりり大きくなっている樹々を見ているうちに、幼い文音の手を引いて当時の川崎の稽 古場へ通った日々が思いだされて、思わず涙が出てしまいました。 5月1日(日) 今日から5月です。5月といえば連想するものは新緑、風になびく鯉のぼり、柏餅、新茶 にそら豆です。連休の間の日曜日、みなどこかに遊びに出てしまっているのか、街は静か です。それにしても今日の洗濯物のなんと量の多いこと! これが3人家族の1日の洗濯 物の量かと疑うほどです。考えてみれば、昨日は夫と文音はジョギングをし、わたしは昼 すぎからレッスンがあり、最後のクラスには文音も参加し……と、それぞれが1日中汗を かいた日だったわけです。一度に干せて気持ちよく乾く物干し場がほしい!です。 4月30日(土) 一重のバラ(カクテル)が2〜3日前より咲きだしました。これは早い時期の一番花が花 色も鮮やかできれいです。モッコウバラも黄色、白の順に咲きだしました。ベランダのヤ マフジは既に花を落とし、いまではハゴロモジャスミンの強い香りでむせかえるようです。 世話をする夫にとっては一番幸福な時期が来ました。もう少しすると去年の暮れに手に入 れた輸入苗のバラが3種類開花するでしょう。
4月29日(金) 暑い一日でした。なんと30℃を越したところもあったそうです。お昼すぎに大森の「紅 山楼」に駆け込み(2時で昼休みになってしまうため)、上皿うどんを食べました。パリ パリの細麺の上にかかる具には色々なものが入っていて、その都度微妙に内容が変わりま す。今日は海老とイカのボリュームがなかなかでしたが、なくてはならない(と思ってい るのはうちの家族だけかもしれませんが)クワイ(文音は小さい頃から「シャリシャリい も」と呼んでいます)が入っていなかったのです! 残念無念。でも美味しくて満足でし た。ちなみに「紅山楼」は池上通りと、環七へ続くジャーマン通りの交差するT字路にあ る雑居ビルの半地下にあります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ながらくアップロードをさぼっておりましたが、「日記」再開いたしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2月28日(月) うちの近くの「魚春」さんのおじいちゃまが亡くなられたことを知りました。90歳を過 ぎ、暮れからお正月にかけても体調を悪くしていらしたのは聞いていたのですが……。わ たしがこの家に来たばかりの時はまだお店に出ていらして矍鑠としていたのですが、寂し いことです。「齢に不足はない」とか「大往生」とか言われますが、やはりいくつになっ ても親と死に別れるということは辛く悲しいことです。おにいさん(「魚春」さんのご主 人のことをうちではこう呼んでいます)の悲しみが慮られます。合掌。 2月27日(日) トイレへ行って焦っている夢をみました(特に行きたいのを我慢して寝ていたわけではな いのですが……)。振り替えのお稽古、いつもよりちょっと早めの時間だったので幼児ク ラスの時にはスタジオに陽がさして、普段と違った雰囲気でした。夕方から弟夫婦が来ま した。 2月26日(土) 最後の親和会のために学校へ行きました(そのため、お稽古は明日に振り替えました)。 やはり鶴川は寒いです。一週間ほど前の根雪がまだ残っていました。 2月25日(金) 「卒業を祝う会」で使うために文音の小さい頃からの写真を見ていて、忘れていた頃のこ とを思いだしました。本当に、よくここまで育ってくれたと感謝の気持ちでいっぱいにな りました。 2月24日(木) 渋谷の治療院通い三日目。次は来週でいいということ、長く患うことなく幸いでした。帰 りに家の前の交差点で信号待ちをしている「安田大サーカス」のひろくんを見ました。バ イクにまたがり、仙台坂方面へ発進していきましたが、なんとも巨体の下のバイクが押し 潰れそうに小さく見えました。文音に話すと「えーっ!いいなぁ!」を連発していました。 2月23日(水) 今日も渋谷鍼灸治療院へ。二日目なのに嘘のように回復が早いです。ちょうど行くのがお 昼にかけてのため、今日は「ムルギー」でカレー(「ムルギータマゴ入り」)を食べてか ら「ドゥ・マゴ」で紅茶を(それだけあちこちに移動できるのですから)。文化村のチケ ットセンターでボーン・マシューの「白鳥の湖」のビデオを流しているのを見ました。好 き嫌いは別として、またそれが芸術としての価値をどれだけもっているかどうかはともか く「やはり男性は美しい!」とストレートに感じました。 2月22日(火) 夫がぎっくり腰になったために渋谷の鍼灸治療院へ連れて行きました。それでも早くに処 置したせいか、行きは歩くことも難儀だった(マイムマイムのように後ろからわたしの肩 に手をかけて体重を支えていた)のが帰ってくるときはそろそろですが自分で歩けるよう になっていました。それをいいことに「喜楽」でワンタン麺など食べてきちゃいました。 2月21日(月) 朝から少々体調がすぐれず、珍しくレッスンがきつく感じました。夜の稽古の後、熱も少 しでてきました。満開だった梅の花が散ってきました。 2月20日(日) 舞踊協会の研究部が主催する「一日舞踊大学講座」にスタッフとして参加しました。家で は文音のクラスメートが劇の練習のためにスタジオを借りに来ていました。 2月19日(土) 3月5日にある卒業公演の劇の練習のために、文音は学校へ行きました。中学受験が終っ たあや乃ちゃんが来月からまたレッスンに来ますが、入れ違いに今度中学三年生になる姉 のみず紀ちゃんが高校受験のためお休みするとのこと、今のうちは週に一度くらい身体を 動かしておいた方がいいとわたしは正直思うのですが、塾の時間と重なってしまうらしい のです。真面目で一本気の性格というか、お母さんは不器用なんですとおっしゃっていま したが、自分の好きなことを削ぎ落として行かなければならないようでなかなか寂しいこ とですね。無事希望を達成して、一年後にまた元気な顔を見せてくれますように。 2月18日(金) 用事があって、久しぶりに川崎へ行きました。4年前まで、つまり現在の自宅のスタジオ ができるまでは週に2回は通っていた(しかも20年以上!)場所なので、懐かしいとい うよりはなんだかもの悲しい感さえしました。というのも、景観がずいぶん変わっていた せいかもしれません。当時あった店舗などがなくなっていたり、別の店にかわっていたり ……。13年前に父が亡くなったのもこの川崎にある病院だったというのもその理由の一 つかもしれません。 2月17日(木) うちの近くにある三代続いた乾物屋・惣菜屋が店を閉じました。近所の商店街ではこのよ うに店がポツリ、ポツリと閉店していきます。店主が老いて子供たちのもとに引き取られ ていったり、後継者がいなかったり、事情はさまざまでしょうが、なんとも寂しいかぎり です。同じく店を構える者としてけっして他人事ではありません。大きなマンションが続 々とできているのですから、商店街の活性化のいいチャンスではあるのです。いい立地を 活かさない手はないと思うのですが。 2月16日(水) 明け方に地震がありました。変な話ですが、寝ていて地震の来る瞬間というのは、フッと 覚醒します。あたりがし〜んとするというか、ほんの一瞬ですが「これから揺れが来る!」 というのがわかるという……わたしはナマズでしょうか。 2月15日(火) 先日は「ポン太」ことケムリの話でしたが、今日は三毛猫のタマオについてです。タマオ は私たち家の者が「ただいまぁ」と帰ってくると二階から駆け降りてきて、階段の踊り場 でキックターン(水泳選手がやるように)をしてからまた階段を駆け上がるという一連の デモンストレーションをします。ところが、今日文音が帰宅した時のこと、いつものよう に疾風のごとく階段を駆け上がったタマオは、上から二段目で思いきりつまづいて顔と前 足をいやというほど打ってしまったのでした。見ていた私がびっくりするくらい強く打っ たのです。猫お得意の習性でまるで意に介さないような、とぼけるような、知らん顔をし て通すのですが、その痛さは想像がつきます。…歳トッチャッタノネ…ターちゃん。 2月14日(月) 大阪寝屋川市の小学校で卒業生による教諭殺傷事件が起こりました。先日の愛知のイトー ヨーカドーでの事件といい、被害者の死や怪我があまりに無意味で気の毒です。自分の感 情の捌け口やわがままのために大切な他人のいのちを奪っていいのでしょうか。そのうえ 容疑者の精神鑑定をして「責任能力がなかった」などとするのなら、被害者は、残された 家族はその突然の不幸をいったいどう納得させればよいのでしょうか。不運だった…だけ では到底得心がいくものではありません。ところで「改憲」宣伝が華々しく繰り広げられ ていますが、ふたたび戦争を仕掛ける国になるということも不運だった…ではすまされな いことです。 2月13日(日) 梅の花の香りが本当によくしています。娘は五年生のときに一年間住んでいた世田谷区桜 の家を思いだすと言いますが、わたしはわたしでまだ結婚する前の実家の二階の廊下を思 いだします。そこには長細い台が置かれていて、陽が陰ると亡き父がせっせとベランダか ら運びこんだ梅の木の鉢がずらーっとならび、それはそれはよい香りがしていたのです。 においや音、味といった感覚的なものというのは不思議ですね。むかしの記憶をよみがえ らせます。音楽などはその曲や歌を初めて聞いた時と同じ気持を思いだしてしまったりす るのですから。 2月12日(土) レッスンの後の夕食作りはなるべく手のかからないものにしています。「簡単」というこ とではなく「作り馴れた」と云う方が適切かもしれません。今日はそんな中のひとつ「ア サリのスパゲティー」と「生ハムとルッコラのサラダ」にしました。家庭用のガスコンロ はいまいち火力が弱いために、アサリをソテーするのとパスタを茹で上げる時間の頃合い がなかなかピッタリといかないことが多いのですが、今日はかなり良い感じにできあがり ました。手際よくできたので、おまけに「真鯛のカルパッチョ」にも挑戦してみました。 2月11日(金) 街はいまやバレンタインデー商戦一色です。そもそも「2月14日にチョコレートをプレ ゼントする」なんていう風習は日本の製菓会社が考え出したことで、私が小さい頃にはな かった……。確か、小学校五年生くらいだったかと記憶しています。突然、私たちの生活 の中に「バレンタインデー」なるものが入り込んだのは。しかし、これを考えついた人は …なんてすごいんでしょ!…と思えるくらい、日本中にこの習慣は「蔓延」しましたね。 節分に豆まきをするくらい……いや、それ以上ですね、お正月にお餅を食べる…程ではな いにしても、クリスマスにケーキを食べる…くらいにはなっていると思います。 それはそうと、買い物の折りにたまたま目にしたHCのチョコレートケーキに思わず目を 奪われてしまいました。「なんてかわいいんでしょ!」と。こんなのをプレゼントされた ら、私だったら感激しちゃうな……などと思った私は、な〜んてミーハーなのでしょう。 2月10日(木) どんよりとした曇り空の寒い一日でした。ネコのケムリが椅子の上でまあるくなって寝て います。タマオはどこにいるのやら…? そういえば、朝一度見たきり、今日はタマオの 姿を見ていません。こういう寒い日には多分……。やはり! 文音の部屋の引き戸が10 センチほど開いています。覗いてみると案の定、ベッドのすその方がこんもりしています。 タマオはいつもこんなふうに、蒲団の間にもぐり込んで寝るのです。ここのところネコた ちも寒いせいか、こうして寝ていることの多いこと。トシのせいもあるかもしれませんが、 前のように走りまわったり、食器棚の上にのっかったりすることはあまり見られなくなり ました。あぁ、でも時々、ものすごい兄弟喧嘩(姉と弟だと思いますが…)をする時はか なり壮絶です。むかしは気の強いタマオがシャーシャー言って飛びかかっていっても、ケ ムリは逃げの一手だったのが、最近は違います。ハッシ!とばかりに反撃に出るのです。 もともと動きはのろいものの、ケムリは雄ネコです。だいいち身体の大きさが違います。 くんずほぐれつ、転げ回ってタマオが逃げ出すようになりました。タマオの尻尾はそんな 時「タワシ」のようにふと〜くなっているのです。ネコというよりは、アライグマかタヌ キのようなケムリも「ぼくだって、いつも負けちゃいないんだぞ!」と言わんばかりです。 そうそう、タヌキといえばこのケムリ、この頃はスタジオに人がやってくる時ドアが開く とシャンシャンと鈴の音を鳴らして行くようになってしまい、媚びを売っては「か〜わい い!」などと言われることに味を覚えているのですが、先日ベリーダンスの生徒さんに可 愛がられて愛想を振りまいていたら「しかしお前はデブだねぇ、ぽん太!」と言われてし まいました。「ぽん太」とは!……まったく、いい得て妙! と、階上で聞いていて思わ ず笑ってしまいました。 2月9日(水) 昨日立ち寄った「STONE]というコーヒー屋さんの話です。駅から「カッパ」へ行く 時に何となく地下に降りる階段の雰囲気が気になって、帰りに寄ることになりました。重 めのドアを開けて入ると、広さは20平米ほどでしょうか、柱や壁が茶色にすすけた店内 は「古いけれどきれいにしている」という、私たちが好む感じが充満していました(何と なく奥那須の三斗小屋温泉の「大黒屋」を思い出しました)。軽妙なジャズが流れる中、 3〜4人のお客さんが本を読んだり、書き物をしたりと思い思いに過ごしています。コー ヒー(ブレンド)は焙煎の深さによって三段階になっていました。いちばん深煎りのもの と、りんごタルト、レアのチーズケーキをお願いしました。どちらもこのお店自家製のも のらしく、とても美味しかったです。チーズケーキといえば、まだ大学生の頃だったでし ょうか。女子医大へ進んだ高校の先輩と日光へ旅した時のことでした。最初に金谷ホテル に泊まり、夕食まで時間があったのでコーヒーを飲みにラウンジに行った時に「手作りチ ーズケーキ」とあるのを食いしん坊の私はいち早く見つけ、食べようということになりま した。こってりとした少々ヨーグルト風味のもので「まあまあかな…」なーんて思って食 べていました。次の日、中禅寺湖畔のボートハウスで鮎だか岩魚だかを食べた時にも、デ ザートにチーズケーキをいただき、その時には「ん?」と思いました。帰京する日、電車 の時刻までの時間を駅前のちょっと趣のあるコーヒー屋さんで過ごした時「手作りチーズ ケーキ」という「呪文」にこれまたひっかかり、食べてみて……わかったのです。この三 日間、私たちはおんなじチーズケーキを食べ続けていたのだということを! この「手作 りチーズケーキ」とやら、どこかの会社で作って日光のホテルやレストラン、コーヒーハ ウスなどあらゆるところに卸していたのですね。なんだかちょっと騙されたような気分だ ったことを記憶しています。……そんな代物とは全く縁遠い、ここのチーズケーキ、また 食べに行きたくなりそう…です。 2月8日(火) 今日も寒かったのですが、午前中から雨が降ったのでカラカラに乾燥した感じは免れまし た。風邪が流行っているときに多少でも湿気があるのはありがたいことです。吉祥寺のモ ツ焼き店「カッパ」へ行きました。店に着いたのが5時5分前くらいだったでしょうか。 すでに満員状態…だったのですが、幸い飛び飛びに二つの椅子が空いていたのを周りの方 が詰めてくださったおかげで座ることができました。いつものように八角の効いたタレで レバ生とコブクロ生をいただいた後、4〜5人先の人がホーデン生を注文しているのを目 撃した私たちはそれも試してみることにしました。レバ生よりもっと水分が多いというか、 やわらかいというか、味もそれほど特徴がなくやはりレバ生の方が美味しいという結論に 至りました。それからトロ(テッポウまたは大腸)とレバーの若焼きを同じタレで、カシ ラ、タン、ナンコツを塩でいただきました。そのカシラ塩焼きを口にした瞬間、私は遠い むかし、父がお土産に買ってきてくれたモツ焼きを思い出しました。父は仕入れや会合な どで外に出る時はたいてい私たち子どもたちにお土産を買ってきてくれました。雷おこし やケーキ、鰻、お鮨など、行く先々によって違いましたが、モツ焼きも店がどこにあるの かは知りませんでしたが、よく買ってきてくれたもののうちのひとつでした。たいていカ シラとタンの塩焼きでした。焼きたてを買ってきてくれるのはありがたいのですが、家に 着くなり「あったかいうちに…」と、どんなに遅くても寝ている私たちを起して食べさせ ようとするのには閉口していました。もう40年もむかしの話です。……帰りに、駅のす ぐ近くの「STONE」という店で久しぶりに美味しいコーヒーを飲みました。 2月7日(月) どんよりと曇った一日でした。雪にこそならなかったのですがとてもとても寒い一日でし た。こういう日はどこにも出ずに「あるもので食べちゃいましょ」ということにしたいも のです。ところが今日は「湯豆腐が食べたい」との娘のたっての希望で鱈を買いに出かけ ざるを得ませんでした。湯豆腐がたべたい中学三年生というのは珍しいかもしれませんね。 「魚春」(近所の魚屋さん)に娘の好物のナマコがあったのでそれも買ってやりました 夫はこの寒さで体中が痒く、出先でもどこでも背中を掻かせるのです。しかも襟首から手 を入れて直接背中を掻かせるのです。みっともない姿です。痒さに弱い夫は、「ぼくを拷 問するのなら密室に蚊の2〜3匹を放って血を吸わせ、痒くて掻きたいのに掻かせなけれ ばいい。すぐになんでもゲロしちゃう」と言っています。 2月6日(日) 「笑点」のあと「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」と立て続けにテレビを見るわが子の のんびりとした様子に、「よかったね」と声をかけてやりたくなりました。 深大寺で求めた白梅(冬至梅)が洗面台の上で香っています。文音は梅の香りをかぐと、 穏やかに過ごした世田谷区桜の仮住居を思い出すのだそうです。 2月5日(土) お休みの人が多かった大きい人たちのクラスにくらべて、幼児クラスは元気に全員出席で した。「動物ごっこ」では陽一郎クンがニワトリに初挑戦!「幼稚園でやった」と言って いましたがとってもよく感じがつかめていて上手! お母さん、お父さんたちから思わず 拍手が湧きました。ここ暫くは、ワニに替わってニワトリが人気を集めることになる…… もしれません。 2月4日(金) 文音の合格のお礼参りに深大寺へ行きました。ここは隣り合わせに神代植物公園があり、 四季折々の花や、樹齢何百年にもなる木々を観るのが楽しみで、文音がちょこちょこ歩き 出した時分からよく訪れていた場所でした。小さい頃から文音をみていてくれているとい うことで、今度の試験の前の週にお参りに来ていたのでした。まずお寺をお参りし「ご報 告」してから深大寺門(裏門)の方から植物園に入りました。真っ青な冬空にヒバやフウ、 ケヤキの枝先がくっきりと見えて、思わず「きれいね!」と言ってしまうほどでした。暦 の上では今日はまさに立春、カンザクラがちらほらと咲いているのをみつけました。
2月3日(木) 今日は節分、豆まきをしました。たしか、その年の干支生まれ、つまり年男や年女が「鬼」 になると記憶していたので、酉年の夫に頼んだところ体よく断わられてしまいました。仕 方なく私が鬼のお面をかぶって、鬼の声色で「悪い子はいないか!」とダイニングから玄 関、外に飛び出し、店に…と覗くとすでにお客さまがいらしたので…やめにし、文音が豆 をまきながら追いかけてくるのをいいことに、おもてにまで出ていこうとしたら「ママ、 もういいよ、やめようよ」と言われてしまいました。 2月2日(水) 夜のレッスンの時に風邪がまた流行っていることが話題になりました。そういえば一昨日 も何人かの方が体調不良のためにお休みでした。お腹にくる風邪とか言われています。い ま取り沙汰されているノロウィルスといい、去年も世間を震撼させたサーズといい、正体 不明のものは怖いこと極まりないですね。 2月1日(火) 生涯忘れることのないくらい嬉しい日が何日かあるとしたら、今日はその中の一日といえ るでしょう。……そうなのです、文音が都立青山高校に「合格!」したのです。正直言っ て今回の推薦試験、結果については不安だらけでした。なんせ倍率は都立高の中でもトッ プ(そもそもこの学校が去年から進学指導重点校となり、そのうえ今年は推薦試験の合格 枠が去年までの26名から13名と半数に減らされてしまったことがわかった時点からこ うなることは予想もつくにはついたのですが…まさかここまで高くなるとは…!)文音と いえば、勉強もさることながら行事やクラブ活動に生徒たちが熱心に打ち込むこの「青高」 に入りたい!(都立高に入りたいというよりは青高に入りたい)と志を立てた時から決め ており「青山、青山」とそれこそ毎日「お念仏」のように唱えていたので、他校に目標を 取り直す…などということは到底考えもしなかったことなのでした。内進の道を選ばずに 自分の夢に挑戦しようと決めたこと、「やらずに後悔するよりはあたって砕けろ!」とば かりに定めた目標でした。試験の当日もそうでしたが、今日発表の時にも友だちが作って くれた「お守り」を握りしめて青高にむかいました。そして609番を見つけた時の喜び! (実を言うと、私は今日ほど自分の視力のいいことを恨めしく思ったことはありません。 校門を入ったところから「608番」が目に入ってしまったのですから…!)……思わず 泣けてきました。……今回のこの受験について、本当に多くの友だち(お母さんたちまで) が文音に応援のメッセージを贈ってくれました。先程の「お守り」もそうですが、進む道 が分かれてしまうことは残念と言いながらも娘が一生懸命に目指していることにみな励ま し、心配し、勇気づけてくれているのを側にいて強く感じました。本当にありがたいこと! と感謝の気持でいっぱいです。……それから、そうそう、12年前に文音が「和光幼稚園」 に合格した日、この日も今日と同じくらい嬉しい日として私たちのなかに刻まれています ね……。
1月31日(月) 明日は文音の入試の合格発表の日。家にいても落ち着かないので、昼間のストレッチクラ スのあと、駅の向こう側までお昼を食べに出かけました。新しくできたカレー屋さん二軒 を訪ねましたが、二軒とも休憩時間に入ってしまっていたために、結局ブルドックでカキ フライ定食をいただきました。夫はメンチカツ定食。ここのメンチカツは相変わらず大き く(わらじのよう…)、二人ともライスの量を減らしていただきました。 ……これでようやく一年たちました。感慨ひとしお!です。 1月30日(日) むかごご飯をつくりました。炊きあがったお釜のふたを開けると、なんともいえない漢方 薬のような香りがしました。フランボアーズの香りでもあるといえましょうか。美味しか ったです。 1月29日(土) 学校の母たちの会があり、下北沢まで出向きました。週末の下北なんて、どこを見ても若 い人たちでいっぱいで、なんだか「場違い」の気がいたしました。 1月28日(金) お天気はよいのですが、相変わらず風が冷たく乾燥しています。ケムリがくしゃみを連発 しています。風邪か…花粉か…。元気で(鼻もぬれているし)食欲もあるので、まあ心配 ないでしょう。 1月27日(木) 幼児クラス(土)と、この(木)でバーレッスンを始めました。以前は、バーにぶらさが って後ろに足を上げるのもたいへんな子どもたちでしたが、発表会を終えたいま、まがり なりにもバーにつかまりプリエをする姿は「バレリーナ」です。 1月26日(水) ヘンな夢をみました。隣の桃屋ビルの階上に夫の妹夫婦が住んでいて、私が3歳くらいの 文音を連れてそこに遊びに行くのですが、靴をきちんと揃えて脱がないことを文音に怒っ ていると、それについて義弟が怒るのです。「ここの家の人間はなんだっていちいちそん なことに目くじらを立てるんだ!」と。私は「全くそうだ!」と思いながらも、立場上怒 らなければならない……イヤな気持でいます。うちに戻ってきて(これがいまの家なので す)枕木の通路のところで文音のはじめて笑う顔、私が思わず抱き上げるとすごく重い! 「文音、大きくなったわねえ…」と私。そんな私を抱える母が後ろにいるのでした。 1月25日(火) 朝刊を開いてみてびっくり! 文音が願書を出した都立青山高校の推薦入試の倍率が、な、 なんと、8・62倍! 今年は募集人数(推薦の)が去年の半数になっていたことはわか っていましたがこれほどの数値になるとは……。子どもが小さい時に熱を出したりすると、 できることなら代わってやりたい! と思ったものでしたが、いまもそんな気持です。た だ、いまの場合とうてい代わりなんて務まるものじゃない! …などと足しにもならない ことを考える私でした。 1月24日(月) 鼻がムズムズしてくしゃみ連発! あぁ、今年も花粉症の到来です。 1月23日(日) 今日も寒い一日でした。切らしていたお茶が届きました。うちではこのお茶なしではみな 不調になってしまうほどです。紅茶も好き(レピシエの702番のアールグレイと、さく らんぼが気に入ってます)ですし、コーヒーも美味しいと思いますが、いちばんよく消費 するのはやはり何といってもこの、さがらやぶきたの「大走り」ですね。 1月22日(土) 朝から喉がイガイガして風邪をひきそうなので、あわててレッスンの合間に平田先生へ行 きました。来週は文音の都立高校の推薦試験もあり、いま風邪をひくわけにはいきません。 花粉の症状もそろそろ現われる頃だし……空気が乾燥しているので、どこもかしこもカサ カサしているようです。 1月21日(金) 木枯らしの吹くなか、美容院へ行ってきました。茗荷谷は学校が多く、駅の建物の中にあ るカフェテリアには高校生や大学生でごったがえしていました。 1月20日(木) 北海道から日本海側の方は大雪に見舞われているということ、こちらでも風がたいそう冷 たいです。そして今年は花粉の量が去年の三倍だそうです。去年の夏の猛暑でスギの花が たくさん咲いたためだといわれています。私も花粉症には毎年5月の連休頃まで悩まされ ます。そういえば去年は案外楽でした。今年は覚悟を決めなければならなさそう…ですね。 1月19日(水) 昨日深大寺で買ったロウバイがいい香りです。昔の家にもあったことを文音に話すと微か に覚えている様子。「昔あったものをだんだん取り戻していくようだね…」と言っていま した。 1月18日(火) 環7を走っていると、亀を模した送迎バスに遭遇しました。醜悪なウロコ状のペィンティ グが施されたバスが目の前を横切り、思わず目で追うと「亀田幼稚園」とあり、後ろを見 るとごていねいに亀の尻尾にピンクのリボンがついていました。 甲州街道で「朝市クン」を見ました。何だろう?新聞の自販機かしら、コインロッカーか しら?と思いました。よく見ると、扉が透明になっている銀行の貸金庫、もしくは銭湯の 下駄箱ぐらいの大きさのものがずらりとならび、中には近隣の農家の農作物が入っている ようすでした。おそらくコインを入れると扉がひとつ開く仕組みになっているのでしょう。 以前は野菜の無人販売所だったに違いありません。盗難が多いためにこの「朝市クン」の 導入となったのでしょう。世知辛い世の中になったということですね。 1月17日(月) 小田急線に乗ると車窓から遠くに丹沢の山々の稜線が見えました。チャコールグレーの冬 の雲の下にオレンジ色の夕焼けがとてもきれいで、暫くの間見とれていました。夫が「関 東平野は広いよなあ……とてもあんな所まで歩いては一日かかったって行き着かない」と 言いました。新藤涼子の「曠野」という詩を思い出しました。 1月16日(日) カンティネッタで知り合って「結婚してしまった!」お二人の結婚祝賀パーティがうちで ひらかれましたが、60名と人数が大勢なのでスタジオを提供しました。結婚式のスライ ドあり、なんでも質問大会ありの和気あいあいムードで、いい会だったのではないでしょ うか。長身のお二人に会わせた訳ではないでしょうに、集まったお客さまは背が高い方が 多かったのでした。ワインをサービスする私はひとりで埋もれていました。 1月15日(土) 朝から雪になるかもしれないと言われるなか、文音は模擬試験を受けに出かけました。土 曜日はどうしても模試や塾の補講があるため、受験に向けてレッスンは休みがちにならざ るを得ません。暮れにやった「肉離れ」がまだ完治していないようなのでそのためにも少 々「お休み」が必要かもしれません。幼児クラスではレッスンのあとに「かごめかごめ」 をやりました。みんな「おに」の後ろにしゃがみたがってたいへんでした。しかし「だー れだ!」の声、みんな案外わかるものなんですね…! 1月14日(金) 娘の学校へ行くのに鶴川の駅からタクシーにのったところ「今朝はまた、とびきり寒かっ たですね」と運転手さんが話しはじめました。「うちの娘がここまで通っているのですけ れど品川区からなものだから、こちらの方が寒いと言いますね」と言うと「ああ、都心と は2〜3度違いますよ」と。そういえば、朝、家を出る時は雨でもこちらに着くと雪!… なんてことはよく文音から聞く話でした。 1月13日(木) ラジオのNHKFMの「昼の歌謡曲」で「尾崎紀世彦特集」をやっていました。そこでの 解説によると彼の父親はバレエダンサーだったそうです。初耳でした。ですから彼は子ど もの頃はクラシック音楽だけを耳にしていたとか……。 1月12日(水) 駅ビルのコーヒーショップから何気なく地上を見下ろしていたら、横断歩道のところに大 きなぬいぐるみを抱えた男の人が信号待ちをしていました……と思ったら、そのぬいぐる みが動きました。な、なんと!プーさんの着ぐるみを子どもに着せているのでした。いく らあったかいとはいえ、ああいうものを着せる親は子どもにクマになってもらいたいので しょうか?そんなに着たけりゃ(子どもが)大人になってからバイトで着れば充分!! 1月11日(火) なんと、わたしとしたことが「鏡開き」の日を一日間違えてしまいました。なんとなく暮 れから9日、10日の連休を10日、11日と間違えていて、今年の鏡開き=月曜日とず っと思い続けていたのでした。今日、ふとしたことから冷蔵庫に貼ってあるカレンダーを 見て、その間違いに気がついたわけです。そんなこと間違えるなんて……ああ、恥ずかし い!! 毎週火曜日はベリーダンスの教室があるんですよ。モロッコ出身のナイーマさんが教えて います。いまちょっとしたブームらしく、大勢の生徒さんが習っています。夫の店の名物 料理クスクスはモロッコなどの北アフリカの郷土料理です。浅からぬご縁を感じるのです。 1月10日(月) 鏡開きの日なのでお汁粉を作りました。私たちが子どもの頃は、それこそ家中の其処此処 に飾られたお供え餅を下げてきて、干からびてひびが入っているところから割り(たいて いカビが生えているのでそれを削って)細かくして焼いたりしました。小豆も一晩ひやか したものを火鉢の五徳の上でコトコト煮たりしたものでしたが、いまではお供えもパック になっているし(わが家など、夫の方針でお供え餅も飾らないのです)なんだかお汁粉を 食べる風習だけが残っているような気がします。肝心のお汁粉も小豆から…ではなく、ち ょうどこの暮れに弟のところ(弟のお嫁さんの実家が和菓子やさんのため、いつも暮れに なるとお餅やら栗きんとんやらあんこを送ってくれるのです)から送られてきたものを冷 凍にしておいたこしあんと小倉あんを混ぜて水を足して煮ました。とても美味しくできあ がりました。……でも、部屋の暖かさで窓ガラスが曇るような寒い日に、火鉢とは言わな くてもガスの火を細くして本を読み耽りながら時々かきまわす…なんていうお汁粉の作り 方、憧れちゃいますよねぇ…。いつか…そのうち、きっと。 1月9日(日) 深夜番組で「およう」という映画(2002年松竹)をやっていました。主演に熊川哲也 という名前が書いてあったので「へぇ〜!」と思って観ちゃいました。大正6年頃からの 竹久夢路と彼の絵のモデルであり何人目かの恋人だった女性と、彼らを取り巻く人々との 人間模様を描いたものでした。竹中直人、渡辺えり子(伊藤某という画家夫婦役でしたが これがまた絶妙で「Shall We Dance ?」の時の掛け合いを彷彿させました)石倉三郎、里 見浩太朗、三田和代らベテラン俳優が脇をかためていました。熊川哲也はその素顔を夢路 に重ね合わせ抜擢されたようで、多少のぎこちなさはあったものの体当たりで奮闘してい るように感じました。見るたびに、誰かに似ている…どこかで見た顔…と思っていました が、終りに近づいた時にその疑問は一掃されました。お笑い漫才コンビのアンジャッシュ の渡部建に似ていたのでした。 1月8日(土) 子どもたち、今年初のお稽古。スキーに行っているため、または塾の冬期講習や模試のた めに何人かはお休みでしたが、その他は全員元気な顔を見せてくれました。幼児クラスは 全員出席でした。発表会の感想を聞くと「音楽が鳴るまでドキドキした」とか「ライトが まぶしかった」など、未だ興奮サメやらぬ様子で答えてくれました。また「自分で間違え ちゃったのがわかった人?」と聞いてみると、まあ出るは出るは……。そして、どこのな んとかが間違えちゃった!と、とても詳しいのです。ひょっとして、これってビデオを見 てるのかな…? 思えば私の子どもの頃にはビデオはありませんでしたから、踊っている 自分の姿を目にすることなど叶わぬことでした。 1月7日(金) 七草がゆを炊きました。いつも炊飯器で炊いてしまっていたのですが、どうも最初から入 れてしまうとお葉類が色悪くなるので、今日はお鍋で炊いておかゆができてからあらかじ めさっとゆがいておいた七草をきざみ入れて蒸しました。なかなか色鮮やかに、美味しく できあがりました。明日からはレッスンが始まります。子どもたちは舞台を終え、ひとま わりもふたまわりも成長していることでしょう。さらに楽しく、そしてひとつひとつの積 み重ねを大切にしたレッスンをしていきたいと思います。大人のクラスも同様ですが、さ らに一歩進んで作品づくりの方もやっていきたいと思います。 新たな気持で、さあ、スタート!! 1月6日(木) 去年の3月に買ってきて息を吹き返したニオイスミレがどういうわけか一輪だけ咲いてい ます。ちょうどクリスマス頃だったでしょうか、咲いたのは。それから既に2週間ちかく 咲き続けているのです。この季節だというのに、葉もこんもりと緑で勢いさえ感じられま す。どうもとなりに置いてあるツルバラにあげる液肥が効いているようです。八重の花弁 に鼻を近づけると、なんとも懐かしい鏡台のおしろいのにおいがしました。
1月5日(水) 救急車に乗せられる夢を見ました(そういえば、今年は初夢というものを見なかったので すね)。どこからか転落したのか、交通事故かわからないのですがどうやら意識不明らし いのです(といって、それらすべてが見える自分がいるというのが夢ですね)。救急隊員 はてきぱきと私を担架に乗っけて運んでいます。無線での応答で「あとの二名は死亡!」 などと言っているのです! 左足が全く感覚がなく、動かそうとしてもだめです。右の足 の擦り傷を隊員が消毒していると、側にいた上司(のような)が「生きるか死ぬかの瀬戸 際なんだから、そんなことしなくていい!」と怒鳴っています。あぁ、お正月早々こんな 夢見るなんて……!! 1月4日(火) 今日から店、スタジオともに開始です(私のクラスは8日からですが…)。文音の塾も三 日間のお正月休みを終えて今日からまた始まります。実家の母が来てくれました。今年の 9月に80歳の誕生日を迎える母はふだん着慣れていることもあって、和服姿でやってき ました。昼間、年が明けてから初めて(ずっと「年賀状」だったため)大井町の駅まで出 た私ですが、和服姿はおろか、何となく黒っぽい姿の人が多く殺風景に感じていました。 背筋をピンとしている着物姿の母を見て、老若にかかわらず、お正月に和服ってやはりい いものだと思いました。 1月3日(月) おでんを作りました。…といっても、私はいまだに終わらない「年賀状」のために「袋」 を作ったのみで、あとは夫が担当してくれました。袋は二種類、鶏挽きにしらたき、ぎん なん、長ねぎ、人参などを入れたものと、お餅を入れたものです。牛すじ、結びしらたき、 大根、ちくわぶなど味のしみる食材がやはりいいですね。お正月におでんとはあまりした こともなかったのですが、とても新鮮で美味しかったです。 1月2日(日) 昨日よりわが家は年賀状づくり(「…書き」ではないところがなんともあきれてしまいま すよね)です。うちでは安藤文隆・順子・文音とCANTINETTAとしてお出しする もの、山県順子として舞踊関係におだしするもの、そして文音用と、三種類の年賀状をつ くりますが、今年は最初の三人用(家族用ともいいましょうか…)に、夫はトロツキーの 「遺言」から引用した文章などを書き連ね、原稿を私に見せもせずにさっさと印刷してし まったのでした(昨年は文音の描いた温泉に浸かるサルのバックにブレヒトの「亡命者の 対話」からの引用でした)。ロシヤ革命直後に描かれた子ども向けの絵本の中から「トリ」 を選び、自分で彫った版画の出来具合とともに悦に入ってる夫に、私は思わず言いました。 「この年賀状の出来はすごくいいし、あなたのやりたいこともよくわかる……。でも、こ れを受け取るうちの何十人かは、ここに書いてある文章よりも私たち家族のようすの方が 知りたいんじゃないのかしら?」と。とんだ楽屋話ですが……。
1月1日(土) 2005年がスタートしました。あけましておめでとうございます。 昨夜は思いがけずたくさんのお客さまが来てくださり、お雑煮も最初に作った20人前は すぐになくなり、第二弾を急いで作るという具合でした。みなさんに「美味しい! 」と いって器を空にしていただくことほど作り手冥利に尽きることはありません。ありがとう ございました。このお雑煮をお出しするということ、夫と私のどちらから言い出したのか 覚えていないのですが、実は昨年(要するに一昨年の大晦日)お出しした数がとても少な かったために、今年はやめようとしていたのでした。ところが、暮れに近づいた時にお客 さまの和知さんから「大晦日のお雑煮がたのしみです!」と言われ(和知さんは昨年の2 月頃よりおいでいただくようになったのでした)、「やっぱり、やろう!」ということに なったのです。このぶんだと、今年の大晦日も多分私は大鍋に鰹節のだしをとっているこ とでしょう。……鬼は笑っているでしょうか……。 12月31日(金) 雪の大晦日となりました。午前中にお墓参りに行き、家に帰り着いた途端、空から白いも のがちらほらと舞い降りてきました。雪が降るとは聞いていたものの、こんなに積もるな んて……ベランダのすのこの上にも、柿の木に覆いかぶさるようにして伸び続けるゴムの 木のまあるい葉っぱにも積もっています。何日か前に寒さに弱いマダガスカル・ジャスミ ンを家の中に取り込んでいて正解でした。今夜はカンティネッタでカウントダウン、お客 さまにお雑煮をお出しします。そういえば、ここ数年こうした大晦日を過ごしています。 時にはやったことのないような大晦日というのも経験してみたい……などとチラッと思っ たりもするのですが……。 12月30日(木) あと30時間足らずで2004年も終わろうとしています。昨日「一年が速い」と書いた ばかりですが、この一年をふり返ると本当に「駆け足」で過ぎ去ったような気がします。 特に後半は発表会をはじめ、たくさんの予定をこなしていったこともあって、心の底から 「忙しい!! 」と思ったことが何度もありました。一日が36時間くらいあればいいと 思いました。そして今年は実に哀しい事故や事件がたくさん起こりました。新潟中越地震 や日本のいたる所を襲った数多くの台風、佐世保の小学校6年生殺害事件も大きな出来事 でしたが、私にとっていちばん心に残っているのは、香田証生さんがイラクで殺害された ことです。人質として捕えられ、助けを求めても救われることなく死んでいった日本人が いたこと、そういう仲間を救えない「日本」という国に自分が生活しているというもどか しさをいまさらのように感じています。 12月29日(水) クリスマス舞踊会からもう一週間! なんと速いことでしょう。そういえば「一年が速い」 が、年々その速度を増してくるような気がします。 幼い頃は、母たちが言う「一年って早いわねぇ…」という言葉を聞きながら「んー、そん なものかな…」ぐらいに思っていました。夜がきらいで、旅行などへ行って寝る時にはい つも「つぎに目を開ける時には明日の朝になっているんだわ……」と、自分に言い聞かせ て眠りました。中学校の頃からでしょうか、本当に一年が速いと思うようになったのは…。 高校はあっという間に三年がたち、大学では定期試験と休暇と、方々へのリハーサルで四 年間がまわっていき、それ以後は舞台の本番がいつということでカレンダーが埋められて いきました。そして結婚して子どもが産まれたら、三時間毎のミルクにはじまり、それは もう本当に毎日毎日やることをこなすことに追われて……という具合になっていったので す。そして時間の経つことの速さはとどまることを知らず、……ただ、最近は娘の学校行 事に追われて…とか、舞台があってそう思うのではなく「この間この番組見たばっかりな のにえーっ!もう一週間!?」というのが多いのですね。「死」に近づいているというこ とでしょうか。……こうしている間にも、確実に時間は経過しているのです。 12月28日(火) レースクィーンに選ばれる夢をみました(この期に及んで……)。5〜6人選ばれている のですが、周りを見るとみんなピチピチの若ーい、美しーい女の子ばかり! さすがの私 もこれはま、まずい!と思い、何かの間違いだとはわかっていながらも、なかなかそれを 言いだせないでいるのです。あー、恥ずかしい!! 12月27日(月) 大人のクラス、今年最後のレッスン(稽古おさめ)でした。先週の水曜日が子どもたちの 本番の前日のリハーサルだったためにお休みにさせていただいたことから、今日は月・水 両クラスの方々が集まり、賑やかに終わりました。新年の稽古はじめは、子どもは8日の 土曜日から大人は12日水曜日からです。風邪をひかないように、みなさま年末年始お元 気でおすごしください。 12月26日(日) 噴火している山の斜面を歩く夢をみました。アスファルトのタール状のものがくすぶって いる道のない場所で、むこうの山まで越えなければという思いがあるのですが、下からの すごい熱気でなかなか前に進むことができません。昼なのか夜なのかわからないで空を見 上げると満月が見えるのですが、そうしているうちにみるみる暗雲がたちこめてくるので した。なんと不吉な夢! ……疲れているのかしら……? 12月25日(土) クリスマスです。……といっても、何をするでもなく……。子どもの頃から何の因果か、 学校こそはカトリックで御ミサへ行ったり「クリスマス学芸会」なる行事があって、帰り にはひとりひとり小さなケーキを戴いたりしていましたが、私の実家は装飾屋でクリスマ スにはツリーや飾り物を売っていたのでお祝をするどころか、いつも忙しい思いをしてい ました(それでも中学頃からはケーキを焼いたりして、店を閉めた後で家族で乾杯!など とやっていましたが……)。結婚してみるとなんと夫は酒屋で、それこそクリスマスは食 事をする間もないくらい忙しい思いをし、ワイン専門店になればそれはますます強くなり、 はたまた自分の仕事でもクリスマスに舞台などあると……。唯一、続けて来れたのが、娘 にサンタさんからのプレゼントを運んでやったこと……でしょうか。娘も信じているふり をやめないのでいまだに続いているのです(それもおめでたい話ですが……)。今年は娘 と二人で食事をしていられたので、ちょっと蝋燭に火を灯したりしてみました。すると言 うことが「日本人ってなんて都合がいいんだろうね、ママ。キリスト教の信者でもないの にクリスマスに大騒ぎしてケーキ食べて……。だいたい、信者じゃなくても結婚式は教会 でやって、挙げ句の果てにお色直しで打ち掛け着ちゃったりして……!」はいはい、私な ど、最たる者。何しろお寺にお墓のある家に生まれながら、神社の幼稚園へ通い、カトリ ックの小学校から中、高、大と何の違和感ももたずに進んだのですから……。今年もクリ スマスの夜は更けていくのでした。 12月24日(金) 先日ベランダから取り込んだオンシジウムの一種の鉢が見事に開花しました。黄色のコン トラストの可憐な花がいっぱいついています。ああ、あの時タマオがハグハグと蕾を食べ ていなかったら、もっとたくさんの花が見られたでしょうに……残念!!
12月23日(木) クリスマス舞踊会が無事終了しました。いろんなハプニングがありましたが……でもみん なとってもよくがんばったと思います。なによりも全員が元気に舞台にのれた(陽一郎君 もがんばって来ることができました)ことがよかった! 子どもたちを支えてくれたお父 さん、お母さんをはじめおうちの方々、本当にありがとうございました。また、観に来て くださったお客さまに心より感謝いたします。 12月22日(水) 最後のリハーサルが終わりました。子どもたちは「いよいよ明日!」をたのしみにみんな 少々興奮気味。元気にお稽古をして帰っていきました。陽一郎君だけ風邪でお休みでした。 明日、なんとかよくなって来れるといいのですが……。 12月21日(火) 先週の金曜日に文音が右足の付け根を肉離れさせてしまいました(最初は靱帯を損傷させ たとばかり思っていましたが……)。治療に専念しています。しかし、これも執行委員長 だった(先日、任期満了で解任されました)、塾通いの時間のない彼女にウォーミングア ップを充分にさせなかった私の責任でもあると思います。「娘はたいてい後回し」にして しまうことのしわ寄せだとも思うのです。自分が怪我をした方が、ああ、どれだけ気が楽 なことでしょう。 12月20日(月) ベランダの紅葉したブルーベリーの葉のかげに緑色の「珠」のようなものをいくつも発見 しました。冬咲きのクレマチスのつぼみでした。どんな可憐な花が咲くでしょう……。い まからたのしみです。
12月19日(日) チリの音楽グループ、キラパジュンがベンセレモス(うちのマンション)の店子になる夢 を見ました。夢の中で夫は大喜びをしていました(お盆とお正月が一緒に来ちゃったよう な……)。朝起きてそのことを話すと、実際の彼も喜んでおりました。何かわが家にとっ ていいことが起きる前触れのような気がしています。おめでたいですね、私も…。 12月18日(土) 今日が土曜日最後のお稽古になります。先週ぐらいから、子どもたちに「あと本番までO 回しかお稽古ができないのだから、一回一回を自分が納得のいくように大切に(小さい子 どもたちにはちからいっぱい元気よく)と言ってきました。最後の最後までがんばってほ しいとおもいます。 12月17日(金) 今年5月に購入したマダガスカル・ジャスミンを室内に入れました。寒さにやられないた めです。中に入れてみるととても大きい感じがします。タマオとケムリが早速側によって きて、しきりにこの「新参者」のにおいをかぐのでした。 12月16日(木) 小さい子たちが全員来ました。「今日を入れてあと3回お稽古をするともう本番なんだよ」 と言うとコックリと頷いていました。その表情は真剣そのものでした。 12月15日(水) 暖かい、暖かいと思っていたら、日没以後は冷たい北風に変わって急に寒くなってきまし た。これが本来の師走の陽気ですね。 12月14日(火) 市川雷蔵の「切られ与三郎」を映画館で観ました。凄い! 知的で品格があって思わず唸 ってしまいました。まちがいなく超特級の役者です。この存在感、このごろの役者には皆 無といっていいでしょう。その後はナオ君のラーメン屋(シンプルな味付けで美味でした !)、吉祥寺のモツ焼き「カッパ」(八角の効いたタレでいただくレバ生とコブクロ生に 脱帽!)にまで足を延ばしました。 12月13日(月) ようやく私の声が出はじめました。声といえば、駅への道すがら乳母車に乗った2〜3歳 の子どもが「キャー」という奇声を発しているのに遭遇しました。でもその母親は何事も なかったかのように、一緒の友人とおぼしき女性と話をしているのでした。こういう子ど も(と親)って多くないですか。 12月12日(日) 文音と文音の小さい頃の話をしたら、「ママとこんなに話をするのは久しぶりだね」と言 われてしまいました。そういえばこのところ忙しい日が続いていたかもしれません。ベラ ンダに出ていたオンシジウムの鉢を部屋の中に取り込んでやったのが先々週のことでした が、細かい蕾がまんまるくだいぶ膨らんでいるのに気づきました。
12月11日(土) リハーサルが無事終了しました。子どもたちが頼もしく感じられました。いよいよです。 12月10日(金) もうこれが最後だという怖い戦争の夢をみました。 12月9日(木) 衣裳の直しが上がったので、急ではありましたが大きい子たちのクラスに招集をかけたと ころ、信ちゃん以外は皆集まってくれました。嬉しかったです。 12月8日(水) クリスマスのリースを新調しました。ピラカンサスのように見えた赤い実は(このリース はこの実だけで構成されたシンプルなもの)サンキライという名の植物なのだそうです。 12月7日(火) 隣に住む義母がけんちん汁を作ってくれました。里芋、人参、大根、油揚げ、豆腐、蒟蒻、 牛蒡に昆布と具だくさんで栄養満点です。この家に来て思ったのですが、安藤家は里芋と 長葱の消費量が非常に多いということです。それだけ好きだということでしょう。残りが 少しあったので、鰹節のだしをを加え、お餅を焼いて投入して食べもしました。まさにお 雑煮といった風情でそれもまた美味しかったです。お雑煮といえば夫の店では大晦日の深 夜除夜の鐘とともにお雑煮をお出ししているのですよ。もう7〜8年続いているでしょう か。安藤家のお雑煮が鰹節のだしに里芋、小松菜、なるとという全くシンプルな(夫曰く 「粗末な」)ものであるのに対し、私が子どもの頃から食べなれてきたのは、同じ鰹だし ではありますが、鶏肉、長葱、里芋、大根、三つ葉に柚子をきかせたものでした。これは これで夫は美味しいと言って食べますが、どこかでやはり子どもの頃からの味が懐かしか ったのでしょう、時々は再現してみようと始めたのがきっかけとなって、お客さまからも ご好評をいただいて続いているわけです。ただし本当のことを言えば、私の一存で三つ葉 と柚子を加えていますが。あっ、お餅はどちらも角餅で焼いてから投入します。 12月6日(月) TVの画面に「地震速報」と出て、釧路の方面に震度5強の揺れがあったとのニュースが 入りました。今年は何という年でしょう! 昨日未明の強風に大雨は静岡県で家屋の屋根 が飛んだり、イチゴのビニールハウスがメチャメチャに壊されるといった大きな被害があ ったと昼間のニュースで聞いたばかりだったのに……。台風、それに伴う水害、地震、大 風で日本列島のあらゆるところに被害が起こっています。まだ起きていないのは東京ぐら いでしょうか。いえいえ、東京にはそれ以上に天災ならぬ人災があふれています。交通事 故、火事、殺人に強盗など……。なんだか世の中がかさかさに乾いているように感じます ね(実際、自分の声がかすれているので余計にそう感じるのかもしれません)。せめて人 のこころとこころのふれあいに暖かさや潤いを感じたいものだと思ってしまいます。 12月5日(日) まったくもって声が出なくなってしまいました。喉が痛いのもつらいですが、喋っても声 が出ないのはほんとうにつらいです。何かを伝えるのにたいへんな労力がいります。文音 は無理に喋らないほうがいいと言いますが、それを実行するのもなかなか難しいものです ね。ふだん、いかに大きな声を出すことによってストレスを発散させているかがよおくわ かります。早く治さねば……と焦るよりも、美味しいものを食べて一日の〜んびりするほ うがいい…とはわかっているのですが…ねぇ…実行できないものです。 12月4日(土) 今日ようやく全ての衣裳ができあがってきました。あとはお母さんたちにお願いした小人 さんのフリルつけや髪飾りを作ったり…を待つのみです。そんな中、思いがけず麻里ちゃ んとメグちゃんがきてくれました。聞けば本番も手伝ってくれるとのこと、早速そでにつ いてもらうようお願いしました(先日ここに書いたのを見てきてくれたのかな?)。 朝から少々調子がおかしいと思っていた私、夜稽古が全て終わった頃にはすっかり声が出 なくなってしまいました。 12月3日(金) 先日、デパ地下で買い物をしていた時「サザエの十勝おはぎ」に列ができていて、私も豆 大福かよもぎ大福を買ってかえろうと並びました。しかし、見ると並んでいる人が次々と 買っていくのが「豆乳クリーム入り今川焼き」なのです。そういえば、それがいまここの 人気商品らしくポスターまで貼られています。…でも私は「豆乳」とやらがなんとも不気 味で頑固に「私は豆大福とよもぎ大福なんだわ」と心に決めていました。が、列の先頭ま であと5人…「それにしても『豆乳クリーム』よく売れるのね……」3人…「豆大福なん て買う人いないじゃないの……」ひとり…「もしかすると『豆乳クリーム』ホントに美味 しいのかもしれない……」。そしてとうとう自分の番がきた私は「豆乳クリームください」 と言っていたのでした。なんともお恥ずかしい! 「猫も杓子も…」のように私は大衆の 流れに同調してしまったのでした。そして家に帰ってから家族と食べた「豆乳クリーム」 のお味といえば……それが美味しかったのです、とっても! 「時には他人の意見を聞け」 …ということでしょうか。 12月2日(木) シルバー大学の講座が今日で終了しました。思えばまだ暑さの名残があった9月末から自 分の本番を経て、子どもたちのリハーサルとともに忙しい中よく続けられたと思います。 けれど、私以上によく続けられたのが受講生の13人のみなさんです。今日の最後に反省 と感想を交流した時に「ほんとうに楽しかった! 」と多くの方が言ってくださったこと が私にとって何よりも嬉しいことでした。それにしても私の手から「修了証」を受け取っ た時のみなさん一人一人お顔! 少年少女のように輝いていました。 12月1日(水) いよいよ12月に入ってしまいました。……しまいましたというのは、もちろん子どもた ちの舞台、本番の23日まであと僅かという気持からです。いよいよ……しまいましたと いうのはおかしいですね。とうとう…とか、ついに…とか書くべきなのかもしれません。 私にしてみれば、毎日毎日かたずけなければならない事務的なことはともかく、本番まで あと何回お稽古ができるだろうと、そればかり気になってしまいます。子どもたちは確実 に上達していていくつかの作品は「ああ、先が見えてきたな……」と思えてきているので すがこんなに不安なのはなぜでしょう。幼児クラスの10人全員が「初舞台!」だからで しょうか。前回まではいてくれた助手をしてくれていた麻里ちゃんとメグちゃんが今回は いないから(就職のために二人ともいまレッスンにも来れないのです)でしょうか。とに かくいまとなっては、全員が元気に本番の日を迎えられるように、それを第一に祈る心境 です。あと3週間!子どもたちと一緒にがんばるぞ!! 11月30日(火) カンティネッタのお客さまの柴田さんから京都のお土産をいただきました。北区のわら天 神バス停前西側(と、包装紙にはあります)の「喜久屋」の「栗の子」という和菓子です。 栗の砕いたかけらがこしあんの中に混ざっていて小さな茶巾の形にこしらえられている、 それはそれは美味しいお菓子です。口の中に入れると、しっとりとした舌触りにこしあん の上品なお味、そして「ふん」と鼻から息がぬける時に味わう栗の薄皮の香り。美味しい お茶とともにいただくと、ほんとうにこころがゆったりと落ち着く逸品です。まさに「し っかりと甘くて美味しい」ものでした。 11月29日(月) 洗剤で手の油分が失われているうえに空気が乾燥していることも手伝って、レッスンでカ ウントをとったりするために何度も手をたたくと指の先が切れてしまいます。ひどい時は 気がつくと手が血で真っ赤になっていたりすることもあります。ハンドクリームをたっぷ りつけてもだめなのです。切れると痛いし……今日はバンドエイドをつけてたたいてみま した。 11月28日(日) 娘の文音はよく食べます。それがありがたいことに食事をたっぷりといただくのです。そ してほとんど好き嫌いがないのです。ご飯や麺類、パスタなど炭水化物が好きで、夕方学 校から帰ってきて「おやつ」をいただくにもお菓子やケーキなど甘いものではなく、ラー メン、焼きそば、お雑炊などがもっぱらです。そうそう、ラーメンといえばいまコンビニ などに出まわっているカップラーメン(身体によくないなどといわれていますがたいてい うちにも2〜3個買い置きがあります。カップラーメンのようなジャンクな食べ物を排除 したい気持はよおくわかりますが、これも日本の食の現状でしょう)、じつに豚骨味の多 いこと! 極めつけは「豚骨ラーメン、背油入り、ただしノンフライ麺」。これだけのゴ テゴテのスープに「ノンフライ麺」もないと思うのですが……。 11月27日(土) 今日の幼児クラスは咳をしている子が多かったです。ここにきて急に寒くなったり、乾燥 していたり、またいろいろと「イベント」が多いために子どもも忙しく、風邪をひきやす くなってもいます。23日の本番には全員がベストコンディションで臨みたいですね。 夫が大学いもをさしいれてくれました。馬込の「生駒屋」の大学いもです。レッスンの後 大皿に盛って持っていくと、きょとんとして眺めている子もいました(初めて食べる人も いたのかな?)けれど少しすると、お稽古場の中央に車座になっておとなしくみんなで食 べていてなんとも微笑ましい光景でした。また買ってきてもらおうね。 11月26日(金) 何という天候でしょうか。ものすごい大風が吹きまくりました。柿の葉がだいぶ飛ばされ てしまいました。リビングから見ていると、赤い螺旋階段が揺れていました。 11月25日(木) 銀座の清月堂のきんつばを食べました。食べてみて、昔はもっと甘かったのでは…と思い ました。近頃のダイエットブームの影響でしょう。甘くない和菓子や洋菓子が「あんまり 甘くなくて美味しい」ともてはやされています。これってちょっとヘンじゃないですか? たしかにくどい甘さには閉口します。でも、この「あんまり甘くなくて美味しい」という 言い方は、痩せなければいけない強迫観念が知らず知らずの間に甘くないこと即ち是とし ているところからくるのではないでしょうか。つまり「甘すぎて美味しくない」の反対が 「甘くなくて美味しい」ではないということです。きちんとした甘さがあってこそ本物の 和菓子(洋菓子にしても)と私は思います。 そのきんつばを食べながらお相撲を観ました。幕下の北村という力士はすごい体をしてい ますね。肩の筋肉がパンパンに盛り上がっていて、まるでアメリカンフットボールのプロ テクターでもしているようです。北村は今日、勝ち越しを決めました。きっと、そのうち 上にあがってくるだろうと夫と話していました。 11月24日(水) 穏やかな天気だったので大森方面へ散歩に出かけました。夫がこの間文音と行ったピッツ ェリアに行こうという話になりまして。なるほど、気取りがなく実のあるいいお店でした。 キノコのカルツォーネがジューシーでくせになりそうです。帰りは山王小学校の前を通っ て大井7丁目、5丁目、3丁目の裏道コースを辿ることにしました。一軒の古いたたずま いの呉服屋さんに目がとまりました。清潔な紺地の暖簾がかかり、中でお婆さんが針仕事 をしていました。屋根を見ると、きちんと干された洗濯物。きちんとした暮らしぶりが偲 ばれ、清々しい気持になりました。えたいの知れない大きな実をつけた柑橘類、いまが盛 りのぼかし模様の一重の山茶花、よい香りのビワの花。静かな日常の風景の中、心もゆっ たりといい時間をすごしました。
11月23日(火) もうひと月ほど前になるでしょうか。「日本文化振興会の徳留」と名乗る人から私宛てに 電話がかかってきました。そしていきなり「あなたが平成16年度下半期の表彰者に内定 されました」と言うではないですか。変だな…と思いながらも話を聞いてみると「そもそ もこの会は昭和46年(だったかな?)に有栖川宮さまの提唱により発起された会でござ いまして…」と、そして「つきましては詳しいお話をしにお伺いしたい…」ときました。 いくら呑気な私でも、自分がいまそんな賞を戴くようなことをしていないことだけはわか ります。一度は来るという相手の言うことに承知はしたものの、その後、時間の変更を希 望してきた時にレッスン中だったこともあって断りました。すると、間髪入れずにもとど おりの時間に伺いたいと電話がかかってきたのです。私は既にそこには他の予定を入れて しまったから、また改めてこちらからご連絡しますとだけ言って電話を切りました。それ っきりこちらからはもちろんですが、むこうからもかかってきません。こんな話、そこか しこにうようよしているのでしょうね。 11月22日(月) ここにきての急な温度の変化のせいか、柿の木の葉がいつもは緑のうちに落ちてしまうの ですが、今年は見事に紅葉しています(何度かその様子について書きましたが…)。ひざ しを受けて美しい木を見上げて、タマオがニャ〜ンニャンとないています。「鳥かな?」 と思って探してみても見つかりません。「そういえば…鳥の時はターちゃん、もっと話を するみたいにニャン、ニャン、ニャンとなくわよねぇ……」と、ひょっと見ると、な、な んと! ネズミが木に上って柿の実を食べているではありませんか!! ギョッとして言 葉も出ませんでした。木登りが上手いところからクマネズミでしょう。ガラス一枚隔てた だけの所で私たちに構うことなく一心に柿の実を食べ続けています。気持が悪いのですが、 その顔をよく見てみるとピーターラビットに出てくるようで可愛かったです。最近、裏の アパートが取り壊されて、多分移動せざるをえなくなったのでしょう。そういえば2年前、 お隣が立て直しの時もそうでした。だから多分、うちが建て直した時もそうだったのでし ょう。…どうしたものでしょうか……。
11月21日(日) 体調が最悪。熱っぽく、身体のふしぶしが痛いのです。疲れがたまっているのかな……? 11月20日(土) 土曜日はお昼すぎからレッスン、といっても今は発表会のリハーサルで一日が過ぎていき ます。みんなよくがんばっています。今日は怜ちゃんが「かわいいかくれんぼ」をしっか りと踊ってくれました。 11月19日(金) 雨降りの中、渋谷で文音と待ち合わせ、衣裳に使うものを選ぶためにチャコットへ行きま した。帰り、久しぶりに麗郷へ。大きな円卓の席に案内されました。腸詰めと空芯菜炒め が特に美味しかったです。 11月18日(木) シルバー大学の講座も今日で8回目となりました。回を重ねてきて思うことが、みなさん ほんとうに熱心だということと、だからこそなのですが、背中が伸びてきて動きに自信が 感じられるようになってきた人が多いということです。そしてなによりも、年齢に関係な くこころも身体も素直な人が伸びるということを強く感じています。子どもも大人も同じ ですね。 11月17日(水) 「森の小人」の衣裳にするために子どもたちの長袖の黒いレオタードを買いに、チャコッ トへ行きました。すると、なんと長袖の黒いレオタードは注文商品ということを言われ、 びっくりしました。そういえば周りを見回しても色とりどりのレオタードばかりで、ふつ うのスムース地の黒いレオタードなんて見つかりません。昔は黒しかなかったのに……な んて40年も前のことを言ってみたところで仕方ありません。特注で急ぎで作ってもらう ことにしました。そう、私が子どもの頃はレオタード…でなく「お稽古着」は「黒」だけ でした。たまに特注の赤や紫は「衣裳用」でした。スカート付きなんてもちろんありませ ん。そればかりか、生地にしたっていまのスムース地のようなしなやかさはなく、もっと 厚くてごわごわしていたように記憶しています。チャコットももちろんいまのような大き な店舗ではなく、道玄坂下の「アメリカ屋靴店」の2階だか3階にありました(最初の頃 は「スワン」という店名だったのではなかったかしら…?)。窓のないほんの5〜6坪程 の店はドアを開けて入ると昼間でも暗く、黒い別珍の布が張りめぐらされていて、カウン ター越しにお店のお姉さんたちが注文の品をその黒いカーテンの奥から出してきて、それ が赤いシューズだったり、色とりどりのドーランだったりと、まるで手品を見ているよう でした。一種独特の不思議さが感じられました。高校生くらいになって先生からおつかい をたのまれてチャコットへ行きましたが、その店へ行く度になんだか自分も大人の仲間入 りをしたような気分になったものです。 11月16日(火) 久しぶりに立石の「宇ち多」へ行きました。ここへ行くには何しろお昼すぎに家を出発し なければならないのでなかなか大変なのです。ここのところの忙しさ故、暫く行かなかっ たと思ったら、なんと最後に行ったのは6月でした。一時期、店がすいている時もあると 聞いていたものの、3時前に到着すると一廻転した後とみられる店は相変わらずの盛況ぶ りでした。今日はこころなしか生レバーの味わいに物足りなさが感じられましたが、その 他、タン生、ツル、ナンコツ、シロなどはいつもの美味しさがありました。帰り、地下鉄 に乗り継いで大手町に出て、逓信総合博物館のボストン美術館所蔵 ローダー・コレクシ ョン「美しき日本の絵はがき展」にまわりました。明治から大正・昭和初期に作られ、世 界中に出まわったこれらの絵はがきはどれも美しく、精巧で、一枚一枚がすべて芸術作品 と言えるものばかりでした。むかしの日本が持っていた「豊かさ」に触れた気がしました。 11月15日(月) 今日の夕飯は何にしよう……今日は昼間のレッスンの後、いろいろと雑用に追われて買い 物にも行かれませんでした。夜もレッスンが終わるのが9時半。「昔なら『昭月』さんへ 行かせてたね、文音」と夫に言われて……そういえば昔、文音がまだ小さい頃、忙しくて 夕飯の支度ができなくて、買い物にも行かれず、しかも一緒にどこかへ食べに連れて行っ てやることもできない時に、お金を持たせてうちの店の真ん前の「昭月」さんというレス トランへ一人で食べにいかせたことを思いだしました。ご近所でもあり、赤ちゃんの頃か ら可愛がってもらっていたこともあったので文音も臆することなくちゃかちゃかと出かけ て行きました。そしてオーダーするものというと、ポタージュスープにお子さまランチ( それがハンバーグに海老フライ、スパゲティとひとつひとつが手作りの実に手の混んだも のだったのです)それと最後はお餅のいそべ巻き(「昭月」さんは昔、和菓子やさんだっ たそうで、レストランに変わってもお餅は作り続けていて、メニューにも出していたので した)。ほんとうに昔からしっかりと食べる子どもでした。今年「昭月」さんはマンショ ンに建てなおされ、店はしまわれてしまいました。もう食べに行くこともできません。 11月14日(日) 怖い夢をみました。真夜中に一人で坂道を昇り降りしています。そこは私にとって懐かし い場所です。鶴見の駅からバスで10分程の道のりは小学校から中・高校と12年間通い 続け、目をつぶっていてもバスのギアの音で、いまどのあたりを走っているのか見当がつ くぐらいです。真っ暗闇のなかを私は転げるようにして走り続けています。ところが、知 っているはずの周りの景色がまったくないのです(真っ暗闇なのですから見えないのは当 り前なのですが)。どうやら宅地造成中らしいのです。見慣れた家々はすでに取り壊され て、木々は倒され山も切り崩されています。私はもう戻ることはできないと思い「ああ、 こんな地の果てまで来てしまった……」という気持でいっぱいになっています。断崖絶壁 に立たされたような恐怖感、孤独感。前にも書いたと思いますが、どうも私はこのての風 景に弱いようです。 11月13日(土) 柿の木の葉が見事に紅くなってきました。干し物を干しに上がるとよく見えます。この一 日二日、朝ぐっと冷え込んだせいかもしれません。今までが暖かすぎたのですね。もう11 月も半ば、セーターを着る時季なのですから。 振り付けがあがって、踊り込みの時期。私の頭の中は衣裳のこと、プログラムのこと、当 日までのレッスンの方向性と、本番に向けて次から次へとめまぐるしく動いています。も ちろん振りのひとつひとつにしても、さいごまでこれでいいのかと自問自答は止みません。 クタクタに疲れて家事の合間にうたた寝をすることがあっても、いざ、蒲団に横になると、 あれもこれもと思いうかんで、朝方まで眠れないときもよくあります。……しかし、子ど もは不思議ですね。本当にこちらの期待に応えてくれる。数、やればやるほど、ひとつひ とつを身体の中に集積させていってくれる。小さい子も大きい子も…。今までできなかっ たことがひとつできたりすると、ものすごく褒めてあげます。すると子どもはどんな子も パッと顔を輝かせます。私自身も本当に嬉しいのです。どんなにくたびれていても、そん な時は新たなエネルギーが湧いてくるのを感じます。先が見えてくる瞬間でもあります。
11月12日(金) 用事があって渋谷に出ると街はもはやクリスマス一色でした。金曜の夕方にしては人出が 少なく、人込みを縫って歩く苦痛は少なくてすみました。混んでいるときの渋谷の路上は ティッシュ配りやスカウト(何の?)、ダサい売り絵画廊の客引きをよけるために人とぶ つかってしまったり。おまけにくわえタバコの若者の多いこと。全く気を抜いては歩けま せん。こんな渋谷の変容はいつからなのでしょうか。 11月11日(木) 「青春のお通り」という映画をBSでやっていました。主演の吉永小百合はとても溌剌と していて「キューポラのある街」の時からつながるかわいい魅力がありました。いま時々 目にする彼女は何か脱け殻のようで精気が欠けているような感じです。どこか皇后陛下に 通じなくもありません。いつの間にそんなになってしまったのでしょうか。「キューポラ 〜」の時に見せたゴムまりのように弾んだ魅力、真摯な眼差しは一体どこに置いてきてし まったのでしょうか。たんに歳のせいとは思えないのですが…。 11月10日(水) 柿の木の葉が紅葉し始めました。夕陽を受けてとてもきれいです。太陽の位置がだいぶ低 くなったせいでリビングの奥まで陽が差し込んできます。そんな斜めの陽を見るとなんと も落ち着いた気分になります。鮮やかに色づきはじめた柿の実の間をメジロやスズメが遊 ぶさまが見え隠れしていました。
11月9日(火) 久しぶりに文音の母校、世田谷の和光小学校に行きました。創立記念のパーティーで使わ れるワインを配達に行ったのです。界隈の景色はガラッと変わっていました。目に馴染み の店が他の業態になっていたり、以前はなかったマンションがそびえていたり……。帰り 道、懐かしの千歳船橋の「仙味洞」へ足を運びました。ここは全く変わりがなく、せいろ そばの味も「常夜うどん」の鶏肉と山椒の味とボリュームも昔と変わりがありませんでし た。お店の前の畑はご主人たちが丹精しているのか、ネギや大根の野菜と一緒にソバが植 えられていて、真っ白な花を咲かせていました。 11月8日(月) NHKのBS2でイタリア映画「刑事」をやっていました。観たかったのですがレッスン があって叶いませんでした。その昔、私が3歳くらいのときこの映画が日本で流行って、 テーマ曲を伯父の家で聴き、すっかり虜になってしまったのです。♪アモーレ・アモーレ ・アモーレ・アモレミヨ♪です。どういうわけか私はこのての歌が大好きでした。父はそ のことをあまり好ましくは思っていませんでした。松尾和子の「誰よりも君を愛す」(こ の曲は父の「耳」を気にして♪…誰よりも君をアイスークリーム♪などと歌ったりしてい ました)、畠山みどりの♪恋をしましょう恋をして…♪という歌にいたっては「もっと違 う歌を歌いなさい」と言われるしまつです。それでも父に隠れて歌っていましたが……。 ♪恋はするほどつやがでる〜♪(「刑事」はどうしても観たくてDVDを買いました) 11月7日(日) 鶏モツのスパゲティーをこしらえたところ塩味が強くなりすぎてしまいました。文音に「 ママ、疲れているんじゃないの」と言われました。確かに疲れてる……。 11月6日(土) TVのCMで、泣いている赤ちゃんに携帯電話につなげたヘッドフォンで音楽を聴かせて 若いお母さんがあやしているというのがありました。その携帯の画面を食い入るように見 つめる赤ちゃんはやがてすやすやと眠ってしまいました。私はびっくりしました。赤ちゃ んに子守歌を歌うのも携帯の仕事? 一緒に見ていた文音は「気持ち悪い!」と言いまし た。「文音なら自分で歌ってあげるのに…」そう言った文音のことばに私は救われる思い でした。 11月5日(金) 所用で京王線の千歳烏山まで行きました。危うく「準特急」というのに乗って調布まで連 れて行かれそうになり慌てました。「準特急」というのは「準急」とは違うのですね。日 頃沿線を使っていない者には極めて不親切な呼び名だと思います。 11月4日(木) ブッシュがアメリカ大統領に再選されました。このことでイラク派兵が承認されたとでも 思ったのか、小泉首相が祝辞とともに自衛隊のイラク派兵の期間延長を口にしていました。 香田さんが自衛隊の撤退という微かな希望だけをたよりにしながらも果たされずに死んで いったことなど微塵も心に留めない冷血さがよく表われていました。悔しいですね。 11月3日(水) 久しぶりに実家の母が遊びにきました(といっても、私は夜までレッスンだし、文音は模 擬試験で不在、結果的には家の中を片付け、大量の洗濯物を取り込みたたんで、夕飯の支 度をしてもらうということになってしまったのですが……まったく、親というものはあり がたいものです)。その合間に聞いた話ですが、実家で長年乗っていた車を手放したとい うこと。車屋さんに引き取られて行く時、母はまだ父が生きていたときにその車で病院通 いをしたことを思いだし「お世話になったわね……ありがとうね」と言いながら、車が遠 ざかって見えなくなるまで立っていたのだそうです。思わず涙が出てしまったという話を 聞いて、以前もこれと似ていることがあったことを思いだしました。まだうちが旧店舗の 時(ですからまだビールや日本酒も販売していた頃)店頭には2台のビールの自動販売機 が設置されていました。朝と夜、そして休日にも売れた分だけ缶ビールを補充しなければ ならなかったり、コインメックのつまりなどで業者を呼ばなければならなかったりと、結 構面倒なことも多かったのですが、でもこのチビちゃん自販機たちは昼夜を問わずよく働 いてくれました。しかし、だんだんこの自販機をめぐって偽造500円玉や、売上金の盗 難などさまざまな犯罪が横行するようになり(お蔭様でうちはそんなに大きな被害にはあ いませんでしたが)被害にあう前にやめようということになったのでした。撤去され、毛 布にくるまってトラックに載せられて(しかもこちらに向いて載っているのです)運ばれ ていく様を見て、私は思わず泣いてしまいました。……これってやはり、母譲りの気性な んですかねえ……? 11月2日(火) 連日ネコの話で恐縮ですが、朝起きるとケムリがクシュンクシュンとくしゃみをしていま す。私が風邪を移したのでしょうか。涙目にもなっています。そういえば、この2〜3年 予防注射をしていません。そう考えるとなんとも哀れで、ご飯の後にねだられるまま海苔 をやってしまいました(ここが魚でなく、海苔というところがヘンですね)。満足してく うくう寝ている上にタオルなどかけてやったりしてしまいました。夜になってみると全く 変わりなく、タマオとシャーシャーいいながらケンカをしています。どうやら「風邪」で はなかったようです。これってアレルギー……? 11月1日(月) 柿の実がずいぶんと色づいてきました。既に時折鳥がやってきてはつつき始めています。 今年は実の少ない年回りなので少々気になりますが、追い払わずにいます。今日はスズメ が番で(多分)飛んできて柿の葉っぱに見え隠れしながら遊んでいます。それを見たタマ オは黙ってはいられません。ニャオニャオともワオワオともつかない声をしきりと発して いました。 10月31日(日) イラクで人質に捕えられていた香田証生さんが殺害されました。(続きは後日に……) 10月30日(土) 風邪をひいたようです。2〜3日前からちょっとヘンだな…と思っていたのですが、やは りきてしまいました。よりによって土曜日とは……今日、土曜日はお昼すぎより夜の9時 まで、ほとんど休みなしでレッスンが続きます。急いで平田先生(かかりつけのお医者さ ま)へ行きました。流行っているのか、待合室は患者さんでいっぱいでした。幼児クラス も怜ちゃんと陽花ちゃんが風邪のためにお休みということでした。今日は雨降りで肌寒い 陽気です。今年初めての煖房をつけました。これからますます寒くなって行きますね。そ れでも私一人で汗だくになって、おかげで風邪は退散していったようです。 10月29日(金) ニュースで今年の文化勲章の受賞者と文化功労者を伝えていました。ほとんどが70代か ら80代の方々でしたが、中に94歳の漢字の研究をしている男性がいらっしゃいました (お名前は聞き損じました)その方が会見の中で「これからも努力して研究を重ねていき たいと思います」と述べていました。これを聴いただけで、私は「すごいなあ」と思って しまいました。私も「中年」と呼ぶに相応しい年齢に達してきて(本人、自覚はまったく ないのですが……?)思うことは、年長者が若い人たちにしてあげられる最大のことは、 人生の先の道を照らしてあげることだということです。 10月28日(木) シルバー大学ふれあい塾の講座の日です。中延駅から平塚橋会館へ行くのに、今日は裏道 を行ってみました。先週の帰り道、たまたま見た町内の案内地図を頼りに「近道」を発見 したのですが、今朝はその逆を行ってみたのです。背中にポカポカと朝日を感じながらし ばらく行くと品川区立中延小学校があり、そこを右に曲がるとの記憶をたどって進みまし た。小学校の校庭が見える塀沿いに歩くうちに、この学校にはずいぶんいろいろな種類の 木があることに気づきました。頭の上に茂った木の葉はあまり見たことのないかたちをし ています。何という木なのか幹にかけられた札を見ると「クルミ」と書かれてありました。 遠くには本当に太い立派な木が見えます。あれは何の木かしらと思いながらも、そのまま にして通りすぎました。帰りの時も気になって、もう一度塀越しにのぞいてみましたが、 ずいぶんと距離があって、いくら遠視の私でもその札の文字までは読めません。ふと、校 門の脇の掲示板を見ると「大楠と中延の森」とあります。どうやらあの木は「クスノキ」 だったようです。納得しながら、また、本当に大きな木というものはかけがえのないもの だと感じながら帰路についたのでした。 10月27日(水) イラクで日本人が人質になりました。自衛隊を撤退させるか否かについて発言を求められ た小泉首相は、いまごろ台風の被災地などにアリバイで行っていて、「テロは許さない。 テロは断固として阻止する」と言い捨ててカメラにきびすを返しました。これって全然答 になっていません。イラクから自衛隊の精鋭部隊を撤退させて、新潟の被災地に「復興支 援」に向かわせれば「世界」に対してもいい訳がたつでしょうに。先ず第一に自然災害か らの「自衛」隊であってもらいたいのですが……。 10月26日(火) すぐ裏のアパートが立て直しのために解体されていましたが、ようやくそれが終わったよ うです。安藤の母の部屋(8階)から見ると、すっかり更地になっていて、思いのほか広 いなあと感じました。裏からその更地越しに見るとわが家が丸見えです。窓辺に這わせた モッコウバラがかなり生い茂っている様子がわかりました。 10月25日(月) ベランダのカランコエが真っ赤な小さな花をちらほらと咲かせています。この場所が合っ ているのか、去年から今年にかけてはどの鉢も鮮やかな赤や黄色の花が満開でした。新た に伸びた新芽の分ひとまわり大きくなって、この冬もベランダを賑やかにしてくれるでし ょうか。 そのベランダから中庭までカラスウリの蔓が伸びているのですが、気付いたらなんと葉っ ぱが全部ボウズになっていました。これはおそらくスズメガの幼虫の仕業!と思いきや、 よくよく考えればそれもおかしなことです。たしかカラスウリとスズメガは共生関係にあ るのだとどこかで読んだ記憶があります。カラスウリはその受粉をスズメガの力を借りて 行うのだということ。そのために花からの芳香でスズメガを引き寄せるのだそうです。そ してそれは、カラスウリの細長い花冠とスズメガの吸蜜器の形が合致していることからも わかることです。たしかに、時々ガラス窓に胴体のふっくらしたスズメガがはりついてい るのを目撃したことがあります。とすると、あの葉っぱは一体なんの仕業なのでしょう? そもそも、なぜカラスウリなどここに生えているのかというと、立て直しの際、世田谷に 仮住まいをした時、その実があまりにきれいなので夫がとってきて、その種を鉢に蒔いた ところ、思いのほかニョキニョキと育ってしまい、そのまま居ついたのです。実も赤くき れいですが、花は白いレース細工のように繊細で、なんともいえずよい香りなのです。わ が家では、まだその花は確認してはおりません。 ベランダねたをもう一つ。今年咲いたトロロアオイ(何度も写真を載せましたが)のさく 果(オクラ状の子房部分)を皿に載せてとっておいたところ、雨水がたまったようで、さ く果の中の種子がこれまたニョキニョキと芽生えていました。カイワレのようで、なんと もかわいいものです。きちんと鉢に植えつけてやれば、きっとまたあんな花が咲くまでに もなるのでしょうね。 10月24日(日) 昨日、研究クラスの振り付けをしていた時に「揺れ」を感じました。生徒たちも思わず、 しゃがみこむ程でした。その後何度か同じようなことがあり、何かいやな予感はしたので すが、まさかこんなに大変なことになっていようとは……。きっと、この間の台風の後だ っただけに、新潟のあたりは地盤も弛んでいて地滑りなどが起きやすくなっていたのでし ょうね。災難というにはあまりにもお気の毒な惨事です。 10月23日(土) 幼児クラスでの稽古の時「森の小人」の最後のポーズがなかなかできなくて、みなみちゃ んが泣きました。みなみちゃんのポーズとはV字バランスなのです。もともと身体のやわ らかい彼女ですが、これでいっぺんに「きめる」というのはなかなか難しい技です。稽古 の度にうまくできず、顔が曇っていくのがわかりました。私が後ろから手を添えてあげる と止まれるので、時々はそうしていました。それが先週だったか、できたのです。他のこ とが気になっていた私は「できた!」というお母さんの歓声に初めて気がつきました(本 人よりお母さんの方が喜んでいたように感じました)。そして今日はそれがまたできなか ったので悔しくて泣いたのでしょう。私は先週、彼女ができた時ももちろん嬉しかったけ れど、今日の涙の方がそれ以上に嬉しく感じました。(一度できたことができなくて)悔 しくて泣くということがいまの子どもたちの中でどれだけあるでしょうか。それって、何 かに真剣に取り組んでいるということですよね。私はみなみちゃんがひとつの山を自分自 身のちからで越えたことを感じました。足がよくあがるとか、身体がやわらかいとかいう ことよりもできないことにがんばろうとする彼女の姿勢を褒めてあげたいと思いました。 10月22日(金) 秋の長雨ならぬ……台風の影響で悪天候続きだったのが、ようやく晴れ渡った一日でした。 家の中に干していた洗濯物、新たなる洗濯物のほか、タオルハンガー、蒲団、枕に傘と、 今日はありとあらゆるものを干しました。その洗濯物の量たるや、物干し竿4本、がちゃ がちゃ7つとタオルハンガーです。三人家族とは思えない量の多さです(だから三日も雨 が続くとたいへん!)。おまけにこの時期、真夏に比べると太陽がずいぶん低くなってい るために(前にも書いたことですが)物干しにしている場所には午後1時をまわらないと 陽が射しません。これからの季節が思いやられます。それにしても台風23号による各地 の被害は甚大です。それを考えれば洗濯物の大変さなんて嘆いてはいられません。 10月21日(木) 今日は12月の発表会にむけての振り付けで忙しかったです。そもそもが朝9時半からの シルバー大学の講座から始まって、終わったのが夜の7時でした。あと2ヶ月、覚悟はで きているつもりです。子どもたちとともにがんばります!(しかし、長丁場はやはりつら い!……終わった後、暫くの間「放心状態」でした) で、シルバー大学の講座の帰りに通る中延の商店街のことなのですが、この商店街はまだ 健在です。方々で(私たちの住んでいる大井町然り)商店街の「歯抜け」状態が進行して いる中、この商店街は元気です。あの薬屋さんがあるということがすごいです。「忠弥」 に寄りたくても時間は早いし…。
10月20日(水) 今年は本当になんとしたことでしょう。今度は台風23号が沖縄からこの弓なりの地形に 沿うようにして日本列島を縦断しています。いま、まさにこの関東甲信一帯が暴風雨圈に すっぽりと覆われているのです。風雨は明朝まで強そうです。明日は木曜日。シルバー大 学のみなさんの日です。講座の始まる前までにはどうにかお天気もおさまってくれるとよ いのですが……。行き帰りに危ないことなどないようにといのるばかりです。 10月19日(火) NHKのBSで映画「シベールの日曜日」(62年仏)を観ました。たしか二十数年前に、 私はこれを劇場で観た記憶があると、この題名を目にした時に思いました。有名な映画な のでみなさんご存知でしょうが、これはインドシナ戦争で記憶を失ったフランス兵と、孤 児院に預けられる少女のものがたりです。日曜日のほんの数時間だけ与えられた二人だけ の幸福な世界が、しだいに周りの「常識」をもった人々によって壊されていく……。男が 憲兵に殺されるということで、少女はまたたったひとりぼっちの身になるという、なんと もやりきれない結末なのです。これを観て、私は自分の価値観や世間の常識だけで他人を 測ってはならないということを、いまさらのように強く思いました。ここに登場する、い わゆる「常識」をもつ人々は、殺されたフランス兵はもちろんのこと、この少女の人生の うえでどれだけの汚点をつけたでしょうか。……気を失った少女は起こされて「何という 名前なのか」と尋ねられます。目の前に愛するたったひとりの友人であるフランス兵の、 無惨にも殺されたすがたを目にした時、号泣しながら「私には名前なんてない! 私のこ とを知っている人はもうこの世の中には誰一人いない!」と少女は叫ぶのです。このラス トシーンで、はっきりと前に観た時の記憶が私の中に甦りました。異教の神の名というこ とでカトリックの孤児院では別の名前で呼ばれていた少女にとって、「シベール」という 本名は幸薄い少女の人生で最後の最後に残された拠りどころだったのだと思います。最愛 の人に教えた本名、つまり唯一残された生の証をなんで残酷な「他人」に知らせましょう。 少女の最後の「抵抗」に胸をえぐられました。 10月18日(月) 冬咲きのクレマチスの芽が動きだしました。陽の光に向けて誘引した藤蔓にその新芽を絡 めていました。去年、たくさんの花をつけていた鉢植えでしたが今年はどんな具合になる のか、いまからたのしみです。 10月17日(日) 先日、今年24歳(多分)になる麻里ちゃんに20年前に彼女が踊った「かわいいかくれ んぼ」のことを問い合わせたところ、その衣裳をまだ保管しているとのこと(本当にびっ くりしたのですが)わざわざ届けてくれました。昨日、早速合わせたところ、なんと、い ちばん小さな陽花ちゃんにぴったりでした。私にしてみれば、麻里ちゃんがこの衣裳を着 たのは「昨日のよう」とまでは言わないにしても、本当に「このあいだ」くらいの感覚な のに、月日の経つ速さを実感した一瞬でした。麻里ちゃんはいま、小学校4年生の担任の 先生をしています。 10月16日(土) 「研究クラス」で「太鼓の踊り」を振り付け中ですが、今日はその中のある部分、生徒た ちひとりひとりに16個間だけ自分で「振り」を考えさせたところ、みな最初こそは「え ーっ」という声を発していたものの、熱心に考え(こちらで手を貸すと)自分の独自の振 りを生み出していきました。本当にその子その子らしさが感じられて、興味深くも、頼も しくも感じました。 10月15日(金) 今日はスタジオが大忙しでした。昼からは高校生の信ちゃんの振り付け、その後クラシッ クバレエの柘植先生がリハーサルでお使いになって、4時すぎに掃除、その後は夜に行わ れる朗読のライブへ向けての準備、そして本番です。文字どおり、久しぶりの「雲ひとつ ない」お天気に、何もかもが乾かされたような一日でした。 10月14日(木) シルバー大学ふれあい塾の3回目でした。みなさん、回を重ねるごとに動きがなめらかに なってきていることがよくわかります。そして、何よりも教える側にとってうれしいこと は、誰もが一生懸命だということです。「気持ちがいい」とか「いい汗を流しました」と おっしゃって笑顔で帰られるのを見送ると、こちらまで幸せな気持になってしまいます。 10月13日(水) 今日、買い物のために駅(大井町)へ向かう道すがら、乳母車を押す女性とすれ違いまし た。何気なく乳母車の中を見ると、赤ちゃんがおとなしく乗っていたのですが、その赤ち ゃんの眉毛は刷毛でひいた人形のそれのように、ふさふさとしていました。思わず「かわ いい!」と言ってしまいました。と、同時に娘の赤ん坊の頃の顔を思いだしていました。 文音も眉毛がふさふさとはっきりしていました。……なのに、いつの頃でしょうか、眉毛 を細く整えはじめたのは……。巷では多くの若い女性が極端に細くコオロギのようなカー ブを描いた眉毛をしています。存在感の希薄な、個性のない顔に思えてしまいます。眉毛 が自然にあるということは、どこか豊かな感じがすると思うのですが……。「古い!」と 一笑に付されてしまうかもしれません。とはいえ、中学生でも化粧をするいまの時代、ま あ年頃になって眉毛を整える程度は仕方ないか……と、食事時など口うるさく「眉毛、剃 ってるだろ!やめなさいよ」と注意する夫を「まあまあ……」となだめる役の私です。 10月12日(火) 文音の部屋の窓辺のバラをワイヤーに誘引し、軽く剪定をしました。二階の出窓にワイヤ ーを巡らせているので、地面から梯子をかけても届きません。仕方なしに窓を全開にし、 部屋の内部から身を乗り出すようにして作業をしなければなりません。落下防止のために 夫の腰をしっかりと支えるのが私の役目です。こんな曲芸のような光景をはたして設計者 は想像したでしょうか。 外に向かって、左側から一重のカクテル、右からはモッコウバラを誘引していますが、モ ッコウバラの勢いには目を見張るものがあります。来年の春が楽しみです。あ、それはそ うと、出窓に乗るためその上のガラクタを片付けたら、な、なんと隅っこに薬のカプセル のようなゴキブリの卵塊を見つけてしまいました。すでに孵化済みで、もぬけの殻でした。 昨日のゴキブリの出自が明らかになった瞬間でした。 10月11日(月) 今日も天気は思わしくありませんでした。さんざんな三連休でしたね。トイレのドアを開 けた途端、ゴキブリがとびだしてきました。黒々とした立派なヤマトゴキブリです。とっ さにスリッパでたたこうとして、肩をいやというほどドアノブにぶつけてしまいましたが、 執念で叩き潰しました。このゴキブリはまぎれもなく数日前に文音が取り逃がし、ネコの タマオの追跡をもかわした、したたかなヤツだったのです。多分…そうです。 10月10日(日) 台風一過で今日は暑くて洗濯物を一気に乾かせるチャンス!(わが家には乾燥機なるもの がありません)と思いきや一日中曇っていました。あてが外れました。 10月9日(土) 台風22号の直撃にもかかわらず小さい子たちはがんばってやって来ました。夕方の大き い子のクラスは風雨が激しさを増したためお休みにせざるをえませんでした。今年ほど台 風の被害が多い年はなかったのでは……。 10月8日(金) 振りおこしのため昔の発表会のビデオを見ました。とても懐かしかったです。みんな大き くなったこと! 娘の成長にも感動を覚えました。 10月7日(木) シルバー大学ふれあい塾の講座の2回目でした。みなさん「先週は楽しかった!」と言っ て今日も集まってくださいました。たっぷり2時間汗を流して、休憩も今日は1回きりで した。平塚橋会館は生け垣が3メートルほどもありますが、それがキンモクセイだという ことに今日気がつきました。山吹き色の小さな花が満開で、それはそれはいい香りが漂っ ていたのです。 10月6日(水) 久しぶりの晴天でした。日曜日からの雨で洗われたように、街の景色は鮮やかで空気も澄 んでいるように感じました。青空が高く「秋だな…」と、しみじみ思いました。用事があ って渋谷まで行ったのですが、電車の窓から青い空が見えました。すわった位置から見て いると、それは近くの電線に二分されてまるで海岸線を走っているかのような錯覚に陥り ました。電線が水平線で、青く見える空と海…のように見えたのです。なんだか心がひろ がっていくのを感じました。 10月5日(火) 一昨日本番が終わったことが遠い昔のことのように感じられます。でも不思議ですね。あ んなに毎日会っていた方々とあの日を境に会わなくなるのですから。これからは気分を新 たに、12月の子どもたちのクリスマス舞踊会に向けて全力投球です。 10月4日(月) 疲れた顔をしていました。一日中体が水の底に沈んでいるような感じでした。でも久しぶ りにきちんとした朝御飯をいただきました。カツ節だしの豆腐のおみおつけは美味しい! ふと庭を見ると柿の実がほんの少しだけ色づいていました。 10月3日(日) 神奈川県民ホールの本番でした。土砂降りの雨の中、観に来てくださった方々本当にあり がとうございました。小さなことはいろいろ気付いたこともありましたが、全体としては のびのびと大きく踊れたと思います。雨の中キンモクセイが香っていました。 10月2日(土) 捻挫した右の股関節と内転筋が痛みだしました。忙しいせいでしょう。疲れの割合に対し て睡眠が甚だしく不足しているように思います。昨日から舞台でのリハーサルですが、本 当に久々の県民ホールは、楽屋、舞台の袖、リハーサル室、舞台から見る客席の様子と、 どこもかしこもが懐かしく感じてしまいます。それにしても、壁もトイレのタイルも黄色 くなって、ずいぶんと年月がたったこと……。二十数年前、この同じ季節にはほとんどこ こに通いつめていたことが走馬灯のように頭をよぎります。いまさら…ですが、私の青春 ってバレエだったのかもしれません(今まで考えたこともなかったのです)。明日はいよ いよ本番です。 10月1日(金) リハーサルをやっていて自分がせっかちだということがよくわかりました。日向ぼっこを してのんびりしているのが好きだとばかり思っていたのですが、先日親しい友人から「あ なたは身体を動かさずにはいられない性格よ。エネルギーが身体の外に出たがってしょう がないのよ」と言われ、耳を疑いました。そんなこと一度も思ったことがなかったからで す。貧乏性というのでしょうか、そういえばいつも忙しくしています。 それにしても今年の9月はものすごく忙しい日々でした。何がといって、何もかもがいっ ぺんにやってきたという感じで、一日中走り回っていた日もありました。学生時代に一度 に舞台が5本もかかっていて、いろいろなリハーサルをかけもちしたときには、時間がな くて電車の中でサンドイッチを食べたこともありました。まだその時は自分のことだけを 考えていればよい身軽な身ではありましたが、今はそうはいきません。まがりなりにも母 親ですから、15歳になったとはいえ娘のことはいつも頭にあります。食事のこと、学校 のこと、心の状態などなど…。どんなに遅く帰宅しても翌朝は6時に起してお弁当を作り ます。学校では執行委員長でみなに「しっかり者」と言われる娘は、家では甘えん坊です。 9月30日(木) 今日からシルバー大学ふれあい塾の講座が始まりました。会場である平塚橋会館は駅(荏 原中延)から思ったよりも遠く、交番のお巡りさんに聞きながら勘を頼りにようやく辿り 着いたのは7分前、集会室なる部屋に入ると既に受講生のみなさんが用意万端整えて待っ ていらっしゃいました。総勢14名(うち男性が3名)の生徒さんは「こういうのに参加 するのは初めて!」という方がほとんどで、みなさん真面目で素直で熱心という印象をう けました。「いきいき健康体操」という講座名ではあるものの、モダンバレエを基礎とし た…という内容を紹介されてあるらしく、私の後から見よう見まねで一生懸命ついてきて くれました。今日から10回、14名の方々の「新しい世界との出会い」に役立てば…。 そして私自身の新たな出会いを大切にやっていきたいと思います。 9月29日(水) 今年は本当に台風の被害の多い年です。現在、台風20号が北陸方面を北上しています。 東京でも夜になって一時止んでいた雨がまたもや降りだして、強い風とともに時折激しく 窓に打ちつけています。もう10月になろうとしているのに台風だなんて……と思いなが ら、もう二十数年前、やはり神奈川の県民ホールの本番の数日前にものすごく大きな台風 に見舞われたことを思いだしました。(本番の)前日だったか前々日だったかで、朝から 舞台でリハーサルをしていたところ、あまりの風雨の激しさにいつ交通がマヒしてしまう かわからないとの情報から、お昼で中止、帰宅することになりました。ちょうど仲のよい 友人が自動車で横浜駅まで送ってくれたのですが、山下公園前の県民ホールを発ったのが 正午、横浜駅で彼女の車を降りたのがなんと!夕方6時半でした。フロントガラスは滝の ような雨で、外を歩いている人も傘などさせず、たまたま通りかかったガソリンスタンド のトタンの屋根は風に煽られてメリメリと剥がれているところでした。本当に、降りたく ても降りられない状態とはあのことです。 9月28日(火) うちのネコが海苔好きだということは前にも書きましたが、最近さらに気付いたことがあ ります。それはケムリ(黒いネコ)は右利きだということです。海苔をやる時、パリパリ と細くちぎってやるのですが、それが待てずにケムリは手を出します。また、間違って私 の手から海苔が落ちたりすると、私が拾うのももどかしいかのように手を出してくるので すが、それがいつも決まって右なのです。ちなみにタマオの方はわかりません。海苔好き の度合いが違うのか、彼女は差し出されるまでじっとしています。そういえば、食べ物に 対する欲もあまり強くはないですね。毎日の食事にしたってよほどのことがないと、ケム リが食べ終わるのを待ってから食べたりしています。私が抱きかかえてケムリの隣におろ してやると「しかたなく……」といった具合に食べ始めるのです。ケムリが意地悪したり …ということは決してないのですが……。 9月27日(月) すぐ裏のアパートが解体の真っ最中です。古い建物が取り壊されてどんどん新しいビルな どに変わっていく。そういえばこのあたりも私がここにやってきた頃とはずいぶん景色も 変わりました。うち自体も変わった一部ですから。4年半前、立て直しのために「桜の家」 に引越しをする日、がらんとした部屋の窓ガラスに文音が「さようなら、文音の生まれた 家」と書いたことを思いだします。あのガラス、とっておけばよかった……! 9月26日(日) 横浜まで行くのに京浜東北線に乗っていたところ、蒲田を発つあたりで東海道線に追い越 されました。そしてほぼ同時に川崎に到着。「あの電車に乗れるかな……」という考えが チラッと頭をよぎりましたが、やめました。ひとつむこうのホームに走って間に合うとい う「芸当」はよくやったもの(駆け込み乗車はいけませんね)ですが、今日の大荷物が私 の行動を押し止めてくれました。せっかちなのでしょうか……。 9月25日(土) 気温こそ高くはないものの、ものすごく高い湿度に子どもたちも私も汗を流しながらのお 稽古でした。なま乾きの洗濯物を外に出していたところ、稽古中の雨にぬらしてしまいま した。あの蒸し暑さは、やはり「雨」の兆候だったのですね。……失敗失敗! 9月24日(金) 今日もまたまた山下公園そばのドームシアターでリハーサルがありました。駅から地上に 出るまでにかなりの距離があって大変なのですが、もう慣れてしまいました。この街を歩 いていて思うのですが、行き交う人も道路の感じも東京のそれとはずいぶんと違っていま す。そんな気がするのです。それは、私が横浜で暮らしていた時には感じなかったことな のですね。元町・中華街駅の壁一面に写し出されている明治時代の横浜の街並み、港のよ うすなどからも同じような雰囲気を感じます。私にとってはちょっと懐かしいような「に おい」とでもいうのでしょうか。不思議なものです。 9月23日(木) 文音のクラスの「お楽しみ会」があり、係の私は朝からまな板と包丁を持って学校へ行き ました。全参加者(父母・兄弟を含めて)65名でバーベキューをやりました。 9月22日(水) 文音の学校で「私の主張」発表会があり行ってきました。4つのクラスからそれぞれ選ば れた計12名が発表に臨みました。夏休みの課題として出されたこの「主張」の多くは、 身近な人の「死」に遭遇して考えた「いのち」についてでした。(つづく) 9月21日(火) TVで映画「誰も知らない」の是枝裕和が出ていて、この作品についてインタビューを受 けていました。そういえば一時はずいぶんと話題になったこの映画も、最近ではとんと話 にのぼりません。私も観たには観たものの、(つづく) 9月20日(月) 今日は「敬老の日」です(リハーサルなどが続いていると、どうも曜日の感覚などが弱く なります。まして国民の祝日とか、連休などという感覚からは完全に遠のきます)。娘の 学校がお休みということで、ふだんに比べて少し寝坊ができることくらいでしょうか…違 いは。文音はおばあちゃんに犬の絵柄のエプロンをプレゼントしました。 9月19日(日) トロロアオイの黄色い花が咲きました。月見草を大きくしたような……とは前にも記した ように記憶しますが、なんとも今年の三番花なのです。さすがに今回は花が一つだけでし たが、秋の風に花弁を揺らす姿ははかなげであり、可憐でした。たっぷりと水やりをした にもかかわらず、午前中いっぱいで萎んでしまいました。一日花の宿命です。 9月18日(土) 今日の朝食はあり合わせの食材でニラ・チャーハンとウインナー入りのポトフを作りまし た。ニラが多量だったためちょっぴり青臭かったと夫にいわれました。このポトフに白イ ンゲンを加えると南仏郷土料理のカッスーレになるなあと思いました。だいぶ涼しくなっ てきましたが稽古場にはまだ蚊がいます。蚊取り線香をたきました。 9月17日(金) リハーサルに向かう電車に、金髪・ガングロ・鼻ピアスでピンクのムートン(?)のロン グ・ブーツを履いた「少女」がベビーカーに2歳ぐらいの女の子を乗せて乗りこんできま した。その女の子は黒髪・色白・ピアスなしでした、当り前ですが。とっても変でした。 9月16日(木) 今日は一歩も家の外へ出ませんでした。清夏ちゃんが更衣室に帽子を忘れていったので急 いでそれを門まで届けたことを除いては。 9月15日(水) 今日は気温が30度を越さずさわやかな秋晴れでした。あと10日もするとキンモクセイ がいっせいに開花することでしょう。 9月14日(火)) わが家の猫は海苔が好物です。とくにケムリの方は大の海苔好きで、海苔を保存している 冷凍庫を開ける音を聞くとサッと飛んできて、私にねだります。私が細く千切ってやるの ももどかしいらしく手を出してはパリパリッと食べます。人間でこそあの香ばしい香りと 独特の食感が美味に感じられるのだと思うのですが、ケムリもそうなのです。なぜかとい うと湿気た海苔は決して食べないのですから。 9月13日(月) すぐ裏のアパートが改築のため解体作業が始まりました。 9月12日(日) シンビジウムの黄色い花が咲きました。この株は10年ほど前に「サカタのタネ」の通販 で購入したもので、もとの家のときからずっと育てていたのですが、今年はじめて開花し ました。淡い香りがあるのはシンビジウムには珍しいそうです。これはシュンランとの交 配種のためでしょうか。花色に濁りがなく(斑点もなく)氷レモンのようなニイタカドロ ップのような澄んだレモンイエローです。
9月11日(土) 幼児クラスの萌ちゃんがひとりで反って頭に足がつけられました。大喜びで万歳!万歳! をする萌ちゃんに周りのみんなや見ているお母さんたちも拍手を贈りました。よかったね、 萌ちゃん。 9月10日(金) 代官山のヒルサイド・テラス・プラザ・ホールで石井かほる先生の舞台がありました。リ ハーサルの後飛んで観に行きました。石牟礼道子原作の「SHIRANUI」は能の台本です。 9月9日(木) 「ガチャガチャ」とわが家で呼んでいるのは、洗濯物を干す洗濯ばさみ付きの吊る下げ型 のあれです。私は昔からもの持ちが極めてよい方で、この家に来た時に母が持たせてくれ た「ガチャガチャ」をいまだに使っています。すでにあちこちのパーツが壊れ、洗濯ばさ みも役立たずになったものがいくつもあるありさまです。でも捨てられないのです。特に 思い入れが強いというわけではありません。替わりの使いやすそうなものが見つからない のです。 9月8日(水) 水上勉が亡くなりました。85歳だったそうです。長野県東御市の仕事場で亡くなったと いうことですが、その年まで「仕事」をしながら死を迎えられたということはある意味で 幸せなことと感じました(だからといって、私自身もその年までぜったい踊りにかかわっ ていたいということではありません)。自分の命のエネルギーに目的をもっていられると いうことに対して羨ましいと感じる……そんな気持です。何でもいいと思います。自分の 仕事、趣味、家族のためにすること、町や周りの人たちのためにすること。「生きがい」 ということなのでしょうか。私がこの先歳をとって長生きをしていたとした時、そういう ものをもっていられるでしょうか。作家としての水上勉はそれほど近しい存在ではありま せんでした。ただ、昔、私がまだ十代の頃、モダンバレエの下田栄子先生が「五番町夕霧 楼」「はなれ瞽女おりん」「雁の寺」など一連の作品を舞踊化した時、先輩のダンサーが 出演したのを観に行ったことがあります。その時楽屋で水上勉にお会いしました。かれは 岡田英次似の二枚目でやさしそうな中年紳士でした。女性的といっては失礼ですが、心の きめの細やかな人という印象がありました。テレビのニュースで映し出された最近のかれ の写真はとてもいい笑顔でした。いい人生を送ったのだなあと思いました。 9月7日(火) 台風18号の影響で、朝真っ青に晴れ渡っていたのに一転、ザーザー降りの雨となったり また強い陽射しが射したりしました。峠を越えた暑さは盛夏のころと違ってじわーっと波 長が長いような気がしますね。早く夏休みの夜型の生活から朝型の生活サイクルに戻さね ばと思います。親も子も。 9月6日(月) 今日はどれだけの汗をかいたでしょう。陽気も陽気でしたが、昼間のレッスンに始まって、 家事やら買い物やら忙しく、夜のクラスが始まるまでにもう既にたいへんな量の汗をかき ました。十分な水分補給はしたつもりでしたが、レッスン後に冷たいグレープフルーツ・ ジュースを一気に飲んだところ、喉の奥から食道を通って胃袋にまで降りていくのが実感 されました。危険、危険…。 9月5日(日) わが家から環七に出る裏道は懐かしい道です。娘の文音を幼稚園に3年間送り迎えした道 です。今日もその道を通ってその頃のことを思いだしました。文音は小さいころからぼん やりしていることがなく、なにごとにも一生懸命な子どもでした。注射をされてもめった に泣かなかった文音。小児科の診察後並びの調剤薬局で順番を待っているときの文音。3 歳になったばかりのとき、初めてのおつかいに近所の八百屋さんへキュウリを3本買いに 行かせ、大事そうに抱えて黙々と帰ってきた時のこと(夫婦でそっとものかげから見てい ました)。鼻の奥がツーンとして泣きたくなります。ああ、あのときの文音はもういない のです。なーんて書くとさも「昔はかわいかったのに…」的ですが、決して今の文音がそ うでなくなったわけではないのです。今の文音も十分すぎるほどかわいい(親馬鹿ですね)。 でも違うのです。逆戻りはできない。あのときの文音にはもう逢えないという気持は歴然 としてあります。つまり…、世のお父さん・お母さんたちよ、子どもの一番かわいい時期 にうんと手をかけて、目をかけて育ててほしいのです。子どもを「持て余す」なんて言わ ないで、「自分の時間がなくなる」なんて言わないで。子どもが無条件にかわいい時期は そう長くはありませんよ。
9月4日(土) 夏休みも終り二学期が始まりました。今日は幼児クラスも前々から用事があると聞いてい たみなみちゃんを除いて全員が集合しました。しばらく顔を見なかった萌ちゃん、陽一郎 くんもとても元気で安心しました。夏が過ぎてみんなひと回り大きくなったように感じま した(背が伸びたのかな?)。さあ、これからクリスマス会の舞台に向けてがんばろうね! 9月3日(金) リハーサルのために今日は戸塚まで出かけました。3年前に自宅にスタジオを構えてから というもの、教えの仕事はほとんどが「うち」で行われるため外に出ることが少なくなり ました。たまに舞台の仕事が入ったり、自分自身のレッスンなどで外出するにも車で出か けることの方が多かったりもして、電車に乗る機会がめっぽう減りました。電車に乗るこ とと言えば娘の学校に親和会(一般的にはPTAといいますね)で向かう時か、お休みの 日にぶらりと出かける時(お酒を飲みに)……くらいでしょうか。だから電車に乗って初 めて行く場所に向かう時などはちょっと緊張するのです。今日の戸塚行きもそうでした。 品川から行った方が早いのだろうかとか、どのくらい時間がかかるのかとか、だいいち戸 塚という駅には東海道線で行けばいいのか、横須賀線なのかさえわからない始末。時間に 余裕をもって出かけました。品川に着くと、ラッキーにも2分後に東海道線の「快速アク ティー熱海行き」というのが到着、平日のわりには結構混んでいて座席もいっぱいでした が、とりあえずこれで安心! ところが電車が川崎に着き乗客が乗りこんできた時のこと。 入り口付近に二十代の男(迷彩柄のリュックにMDウオークマンのヘッドフォンを着けて 携帯電話をさかんにいじっている)が立っていましたが、その男のそばを三十代の女性と その母親らしき二人連れが大きな荷物をもって乗りこんできました。その荷物のどこかが 男に触れたのでしょうか、いきなり男は女性の背中をドン!と叩いたのです。そのとても 大きな鈍い音に思わず目を見張った私ですが、女性はよほど痛かったのかうずくまらんば かり。でも周りの人は気付かないのか、知らん顔をしているのか、男は何事もなかったか のように携帯電話をいじり続けているのです。いま起こった事件に急に腹が立ってきまし た。が、男の異常さに恐怖を感じてしまい、声一つ出せませんでした。刺されるかもしれ ないと思ったのです、これは明らかに傷害事件です。怖い世の中になったものです。異常 な人間が野放しにされているどころか量産されているようです。異常な事件はすぐ身近で 突然に起こるのです。 9月2日(木) 昨日ここで書いたスヌーピーのビニール・プールですが、今日持ち主がわかりました。引 き取りにみえたのです。やはりお隣のマンションの方でした。ベランダに立て掛けただけ で干していたのが突風に煽られてしまったそうです。それにしても無事に持ち主の手に戻 ってヨカッタ!めでたし、めでたし…。 9月1日(水) 昨日の大風でうちの通路内に子供用のスヌーピーのビニール・プールが飛び込んできまし た。どこから降ってきたのでしょうか。おそらくお隣のマンションの住人の方の持ち物だ と思うので、それとわかるような位置に掲げてあるのですが誰も取りに来ません。「去る モノは追わず」ということなのでしょうか。高い建物に囲まれたわが家には洗濯物とか物 干し竿などよく飛び込んできます。その都度わかるような場所に置いておくのですが、み なさんモノに執着がないのか、ほとんどの場合取りにいらっしゃいません。いつだったか 4軒先のお宅で干していた羽ぶとんらしきものが風に飛ばされて落下していくさまを偶然 に目撃したことがありました。そのときは電話でお知らせしました。隣近所ってそういう ものなんじゃないでしょうか。雨が降りだしたら大声で「雨ですよー」と知らせ合う。こ のあたりはそういうコミュニティーだったのです。わが家を建て直している時に仮住まい していた世田谷区桜では、雨が降ってきて自分たちの洗濯物はさっさと取り込むくせに、 隣にすら知らせようとしない、そんなさみしいコミュニティーだったのを覚えています。 8月31日(火) 10月の舞台のリハーサルのために横浜に向かう電車の中に、数人の10代と思われる少 女たちが乗りこんできました。彼女らはみな申し合わせたように髪は染め、遠目でもそれ とわかるくらい大げさなつけまつげをし、アイラインをこれでもかという感じに強調した 目張りを入れていました。ういういしいはずの少女の素顔をなぜそのような「鎧」で隠す 必要があるのでしょうか。でも、考えてみると化粧というものはそういうものなのかもし れません。私だっていま考えるとずいぶんと過剰な化粧をしていたものだとも思います。 時代時代の流行で変化はあるものの、同じようなことを少女たちはやってきたし、これか らもやり続けるのかもしれません。そんな彼女たちに比べ、隣に座った40代と覚しき女 性が、かつての陸上短距離のジョイナー(すでに故人ですね)よろしく長い長い爪(ごて いねいに「ネイル・アート」なるキラキラの装飾を施した)をしているのを見て、こっち の方が何倍も醜悪だと思いました。いったい彼女は家事をどうこなしているのだろうかと いう疑念が頭をもたげました。D夫人やK姉妹のような「それ」を売り物にしている人た ちではないのですよ。イッセー尾形なら上手く演じてくれるでしょうか。「社会的身振り」 を逸脱している人たちの「社会的身振り」を。 8月30日(月) 今年ほど台風に見舞われる回数の多い年もそうはありませんね。昨日から今日にかけても 台風16号が四国から近畿・北陸にかけて強い勢力で移動していて方々で被害が出ていま す。こちらの方へは直撃はないものの、明朝までは強い風が吹き続けるようです。今日の 本当に蒸し暑かったこと! レッスンをしていても(する前から)鏡が湿気でくもってい るほどでした。エアコンをドライか送風にして……とも試みたのですが、結局そのまま窓 を開けて換気扇を点けただけで(汗をかく時は思いきりかこう!とのみなさんの意向から) 昼も夜も行いました。今日はいつもに増して汗の量が多かったと思います。けれど終わっ たあとはみなさん清々しい顔をしていました。明日はまたフェーン現象でものすごい暑さ なのでしょうか。早いもので、あと一日で8月も終りです。 8月29日(日) 性懲りもなく今日も「陣」のわらび餅を食べています(買ってくるのは専ら夫です‥‥も はや店の人には「いつもありがとうございます」と言われるようになってしまったそうで す)。今日はその他に、黒豆プリンと豆大福、そして例の黒豆くず餅がならびました。黒 豆プリンはコーヒーゼリーのように黒豆を煮出した液をゼラチンでかためたものの上に牛 乳にほのかな甘みをつけたゼリーと透明のゼリーの三層が重ねられ、透明部分には立派な 黒豆が散らされています。コーヒー用のミルクをかけていただくのですが、これがまた美 味しいのです。三層のゼリーと黒豆のありがたいお味とが口の中で合わさって感じるとこ ろが、黒豆ゼリーならぬ黒豆プリンと命名されている所以!などと納得してしまうのでし た。豆大福は皮の部分が厚く、歯ごたえがありました。少し濃いめのお煎茶とよく合いま す。美味しいお茶をいただくと必ず思い出されることがあります。小学校3年生のときの こと。当時図工を教えてくださっていた阿部先生というとても美人の先生がご結婚のため に学校をお辞めになる時、上級生を含めた私たち10人ほどのグループはおませにもお金 を出し合って、万年筆だかボールペンだかをプレゼントしたのでした。そして代表して4 〜5人でそれを先生のご自宅(学校から子どもの足で歩いて20分くらいのところ)まで お届けしたのです。ところが、あいにく先生はご不在でした。応対に出られた先生のお母 さまは私たちから話を聞くと、お客間に私たちをあげてお茶とお菓子を出してくださった のでした。その時の生菓子とお煎茶の美味しかったこと、忘れられません。子ども心なが らにも「美味しい!」と思いました。同時に私たち子どもを「お客さま」としてきちんと 扱ってくださったことがお茶の味とともに忘れられず、それから40年近くたった今でも 私のこころに残っているのです。子どもに美味しいものを食べさせること、子どもだから と手抜きをしないことは大事なことです。 8月28日(土) 美味しい和菓子に出会いました。大阪は四條畷、忍陵神社参道口の「陣」というお店のわ らび餅です。いままで食べたものよりも数段やわらかくてフルフルなのです。黒豆くず餅 というものも作っていて、見た目はカエルの卵のようなのですが、透き通ったくず餅がま たフルフルでほのかな甘みがこれまた上品です。今日で三日連続食べています。近くの阪 急食品館の催事でいま出店中です。今日は柚子くず餅というのを試しました。中に柚子風 味の白餡の入ったくず餅はこれまたフルフルなのです。家族全員この食感に目下しびれっ ぱなしです。なお、阪急のこの出店は今月31日までだそうです。
8月27日(金) 「山形のレーニン」こと須田桂吉さんから新鮮なプルーンが送られてきました。桂吉さん のお母さんは5年ほど前に亡くなったのですが、かつて夫の父の乳母だったのです。まだ 桂吉さんのお母さんも安藤の父も元気だった頃、お二人で家にみえたことがあり(父とは 何十年ぶりかの再会だったわけですが)、その時から夫は桂吉さんのことを「山形のレー ニン」と呼んでいるのです。それが本当に似ているのです。生のプルーンは初めて食べま した。やわらかくてみずみずしくて、プラムとはまた違った美味しさがありました。 8月26日(木) 今年は本当に猛暑の夏でしたが、お米は何年かぶりの豊作だそうです。去年学校の行事の 秋田学習旅行で、天候不順のためにお米の収穫が果たせなかった文音は「今年だったらよ かったのにな」とぼやいていました。 8月25日(水) レッスンの合間に台所でヤモリを発見しました。体長7センチほどで緑灰色のきれいな姿 のヤモリでした。外に逃がしてやりたかったのですが、再びレッスンから戻ってくるとも うその姿はありませんでした。タマオかケムリにやられちゃったのではないでしょうね。 8月24日(火) かつてより文音が渇望していた念願のもんじゃ焼きを食べに行きました。夫はこれが大嫌 いなので一緒には絶対に行けないのです。 8月23日(月) 自分が死ぬ夢を見ました。死体と化した私に取りすがって泣いている夫を眺めている私が いるのです。 8月22日(日) みなとみらい線に初めて乗りました。10月の舞台のリハーサル会場の横浜ドームに近い 「元町・中華街」駅から特急だと自由ヶ丘までは27分、渋谷まででも悠々40分で着き ます。以前バスで山下公園近くから横浜駅まで帰った時に、途中閑散とした東横線の桜木 町駅の下を通りました。その時寂しい気がして「みなとみらい線なんかには乗らないぞ」 と思ったものでしたが、やはり便利なものは便利でした。 8月21日(土) 今日カンティネッタで50名のパーティーがありました。結婚披露宴の二次会ということ だったのですが、大人数なのでスタジオを会場としました。若い人達のパーティーらしく 活気にあふれ新鮮な感じのいい会でした。新郎新婦による着ぐるみパフォーマンスもあり 盛り上がりました。事前に届けられた着ぐるみの包みの一つに「カエル」とあるのを見て 私はとっさにもう一方は「牛クン」だなと直感しました。果せるかな大当たりでした。み なさんきちんとした若者ばかりで気持ちよくお手伝いさせていただきました。 8月20日(金) 今日は私の誕生日です。友人がいち早く「おめでとう」とメールをおくってくれました。 8月19日(木) 台風15号の影響で香川県など四国地方に大きな被害が出ています。東京は強い風に加え てものすごい暑さです。 8月18日(水) 映画「誰も知らない」について再び考えました。 8月17日(火) 高校野球、アテネオリンピックがたけなわです。夫は母を連れて軽井沢に出かけました。 8月16日(月) 横浜のドームシアターでリハーサルがあり、久しぶりに山下公園近くへ行きました。 8月15日(日) 日本帝国主義が敗れた敗戦記念日、雨が降りました。 8月14日(土) 教え子の信ちゃんがカナダから帰国して稽古に来ました。 8月13日(金) 夫もすなる鶏モツのスパゲティーをわたしも作ってみんとてすなり。ということで、鶏モ ツのスパゲティーを作ってみました。結果は上々。塩加減もちょうどよく、文音にも褒め られました。なにしろボトル半分ちかくの量のワインを使います。美味しいわけです。ナ ンテッタッテそのワイン「アニキ」とはいえ「コルナス」ですから……。 8月12日(木) 映画「誰も知らない」を観ました。 8月11日(水) 恥ずかしながら股関節と薦骨(せんこつ)周りの筋を捻挫してしまいました。俗に言う「 ぎっくり腰」の一種ですね。なんとも情けない話です。一昨日、ちょっと無理な動きかた をした時グリッといったのですが「ああ、ちょっとやっちゃった……」ぐらいに考えてい たのです。ところが、何となく重痛いまま動き続け二日たった今日になってみると、腰が 痛くて起き上がったり、立ち上がったりするのも容易ではない始末。リハーサル後、治療 院の先生のところへとんで行って(本当は這うようにして行って…ですが…)背中の方か らくるぶしまでに鍼をうってもらいました。今週はしずかにしているようにとのお達し。 ちょうどレッスンも「夏休み」にかかっていたので安心しました。あと十日足らずで「お 誕生日」を迎える私に、自分の身体を過信しないようにとの「警告」と受け止めました。 8月10日(火) 10月の舞台のリハーサルが始まりました。同じパート(情景)を踊る10名のダンサー の方々と演出・振り付けの先生、制作の先生方がこのスタジオに集いました。今日から3 日間はうちのスタジオをお貸ししてのリハーサルです。私自身、この神奈川の年一回の「 アートダンスフェスティバル」に出演するのは、もう何年ぶり! の状態なのですが、そ れこそ25年くらいお会いしてなかった方に会えて本当に懐かしく嬉しく思いました。「 ぜーんぜん変わってない! 」ナンテ言われてしまいましたが、これって単純に喜んでい ていいのかナ? 8月9日(月) 長崎に原爆が落とされた日です。「今日はタケシの命日だね」と文音が言いました。「長 崎の日」と同じ日と記憶していたようです。「タケシ」は私がこの家に来る前から「安藤 家」にいた犬で5年前の今日、18歳と6ヶ月の生涯を閉じたのでした。あまり利口な犬 ではなかったけれども愛嬌があって「動物好きのにおい」を嗅ぎ分けたのか、来たばかり の私にもすぐになついてくれました。私とは12年間のつきあいだったわけですが、その 間いろいろなことがありました。餌をやるためにタケシのいる場所の木戸を開けた途端、 庭にとび出して戻すのに容易でなかったこと、夫がフランスへ行っている間に怪我をして (高いところから自分で飛び降りたときに後ろ足をくじいて)私ひとりで車に乗せて病院 へつれて行ったこと、散歩に出るとなかなか帰ろうとしなかったこと、だんだん弱ってき て亡くなる10日ほど前からは部屋に入れて一日中クーラーをつけっぱなしにして、水の 入った容器を口までもっていってやったこと等々……。今、「タケシ」は小さな骨壺に入 ってこの書斎の棚の上にいます。本当は庭をきちんと整理してその隅に埋めてやりたいと いうのが飼い主である夫の希望なのですが、今はまだそれも叶いません。そういえばこの 庭には前の家の時の庭に建っていた夫の戦死した伯父さんの碑が横たわったままなのです が、それも一刻も早く建ててあげなければなりません。いくら「魂抜きはした」と言って も、庭の隅っこにうっちゃられていては「いいこと」も起きませんよね……。 8月8日(日) 東京に人がいなくなっているようです。大井町駅の構内の「アトレ」まで行って感じたの ですが、なんだかいつものような賑やかさが全くなく、どこかがらんとしていました。都 心にも人がいなくなっていると人からも聞きました。「お盆」を前にみんな田舎に帰って しまったのでしょうか?それとも夏休みで旅行に出かけだしたのでしょうか?だいたい、 昔はこの「お盆(旧の)」に商店などが長く休む習慣というのもなかったように記憶する のですが…… 8月7日(土) 北京でのサッカー・アジアカップで日本は優勝しました。私はサッカーフアンではないけ れども、そして特別に「愛国心」が強いなどということも決してないのですが、今日のT V中継での現地の様子にはいささか驚きました。優勝した日本選手に対するブーイング、 だいたい表彰式の時点で観客がいないのです。そもそも決勝戦以前から日本の得点に対し てのブーイングはかなり激しくされていました。現地に滞在する関係者や観光客、地元の 日本人に対してまで非常事態の勧告が出されたほどです。ブラウン管を通して中国の多く の民衆のあらわな「反日感情」を見ました。いやな気持がしたけれども、これが現実だと 思いました。政府の高官がニコニコしながら握手をしていても、それはあくまでも「建前」 であって、そこに「権力者」と「民衆」の感情の違いを見たような気がしました。TVの 解説者達の多くは「スポーツはスポーツとしてそういう感情を交えないで観戦してほしい ……」などとコメントしていましたが、その前に、もっと国と国とが過去の歴史をもきち んと理解し合ったうえであらたな「友好関係」を保てるような政治をすべきなのではと思 いました。私たち民衆の「代弁者」である政治家が一方では「君が代」を起立して斉唱し ない教育者を処罰し、他方で中国人に対し「第三国人」とか「シナ人」とか侮蔑の言葉を 吐いているようでは、そうなることはほど遠い気がしてしまいますが……。 8月6日(金) 行き場のないフジの蔓がだいぶ伸びてきました。夫は器用にビニール製のロープをベラン ダの赤い手すりから軒下の横に渡したポールへ、さらにそこから階上の手すりのすそ部分 に張って縦から横へ蔓を水平に誘引して行き場をつくってやりました。なんでも蔓性の植 物は垂直方向には自分で巻きつくけれども、水平方向(重力と垂直の方向)には絶対に巻 きついてはいかないということです。いつかの「粘菌」に続いて「たのしい理科」の勉強 をしました。 8月5日(木) 品川区教育委員会主催のシルバー大学うるおい塾で10月から「いきいき健康体操」の講 座を受け持つことになりました。夫のところに「ワイン入門」の講座の依頼に教育委員会 の方がみえたことがきっかけで「バレエの方もぜひ!」ということになったわけです。今 日はその打ち合わせがありました。同じ会場には「家庭指圧入門」「品川史跡探訪」「楽 しいコーラス」などの講師の方がいらっしゃいました。なにしろ60歳以上の方が対象で すからバレエを活かした健康増進の体操を考えています。そういえば20年以上前に「美 容体操」の講師をしていたことを思い出します。かなりハードなことをやっていましたが、 けっこう人気の講座でした。当時は私も若く、時にはそれこそ百戦錬磨の「マダム」の生 徒さんの辛辣な冗談に顔を赤くしていたりしていました。懐かしいです。今は、またその 時とは違った視点で講座を受け持っていかれるような気がしています。自分のからだを知 ること、動かすことによって生徒さんの生活の中にハリが出てくれば……楽しみとなって くれればと思っています。 8月4日(水) 猫に階段を占領されています。わが家では書斎と文音の部屋だけが基本的にクーラーをつ けているため、その他の場所はとても暑いのです。それでも猫たちは涼しい場所を心得て いて、テーブルの下とか、洗濯機の横とか、寝室のサッシのレールの溝などに寝そべって いたこともあったのですが、なにしろこの夏の暑さには閉口しているらしく、とうとうコ ンクリートの階段を居場所と決めたようです。おかげで我々家族は猫が寝ている段を跳び こえて昇り降りしなければなりません。踏み板の三分の一でもスペースを残して寝そべっ てくれているのならいいのですが、どうしてどうして、足がはみだすほどです。2匹続い て寝られた時などは本当に苦労しています。でも、ひんやりとしていてきっと気持がいい のでしょうね。 8月3日(火) マダガスカル・ジャスミンの二番花が咲きました。これは今年の5月30日に、園芸店に 置かれていたものに私が一目惚れして買ってきたものです。多少肉厚で濃い緑の葉っぱと コントラストが美しい真っ白な花のブバリアにも似た可憐な姿と、クチナシを思い出させ るような香りに惹かれて買い求めたのでした。その時に「今咲いている花の花殻をきれい に取ってやっておくと、二番花が楽しめますよ」と、店の人から言われていたのです。で、 せっせと花殻を取るようにしていたわけですが、その甲斐あっての開花でした。うれしい かぎりです。 8月2日(月) 今年2回目の「暑気あたり」になりました。「暑気あたり」ってご存知でしょうか。私も この家に来て初めて耳にしたのですが、要するに熱中症の一種のことらしいのです。頭が 痛くて身体の力が抜けてしまう症状なのです。今回は目まで切れました(眼球の血管から 出血しました)。この家にはこういった場合「特殊な」処置法があるのです。それは大根 おろしをすって、うつ伏せになった背中の頸椎部分から尾てい骨にかけてそれをたっぷり と乗せていくのです。そのままじっとすること5分余り、身体の熱が吸い取られていくよ うですうっとするのです。ただしその部分(患部?)は真っ赤になってとてつもない痛さ なのです。そのあとシャワーを浴びるのですが、まるで火傷でもしたかのように熱く痛い のです。このような民間療法は果たして根拠のあるものなのでしょうか? 夫は小さい時 よくやられたそうです。必ず効果があったそうなのですがなぜなのでしょうか。不思議な 習慣です。 8月1日(日) 久しぶりに花火を見ました。といっても「OO花火大会」を観に行ったわけではありませ ん。用事があって、知人のお宅へ娘と一緒に伺った時にそのマンションの7Fの通路から 偶然目にしたのです。「ママ、花火! 」という文音の声に、思わず空を見上げて「えっ! どこ、どこ?」と探しました。「あっち、あっち」と指す方角、南西でしょうか、ビルや 木立のかげにまあるい黄色のネオンのようなものが見えました。「あれ違うよ、花火じゃ ないでしょ」と言った途端、もっと上の方に今度ははっきりと赤と青の菊の花のようなの が開きました。「あっ、ほんと花火、花火」「ママ、観覧車のネオンかなんかだと思った んでしょ」当たり!です。遠く黒い建物の林立する凸凹の地平線から、音もなく上がって は大小の花が開いています。多摩川の上流の方かもしれません。懐かしい気持がしてきま した。そういえば、子どもの頃仲良くしていた近所の姉妹とそのご両親と一緒に、オープ ンルーフのスバル360に乗せてもらって、多摩川の花火を観に連れて行ってもらったことを 思い出しました。「久しぶりね、花火なんて」と言う私に「初めて見た! 花火」などと 文音。そして「今年はね」と、つけたすのでした。 7月31日(土) 今日初めてわが家の二匹の猫に「シニヤ用」のキャットフードを与えてみました。ここに も書いたように、猫たちは先日26日に7歳になりました。「シニヤ用」とはまさに「7 歳からの」とあります。「でも、急に餌を変えちゃって食べなかったらどうしよう……」 との不安を抱きながら、そっと餌の載ったお盆を置いてみました。……食べたのです。し かもガツガツと! なにを隠そううちの猫、いままで食べさせていたのが「肥満傾向の成 猫用ライト」という餌だったのですね。3歳頃だったでしょうか。それまでは肥満のこと など何も考えず、いえ、むしろ「食べたいだけ食べさせてあげて大きくなればいい」とか、 「多少ふっくらと肥った猫の方がかわいい」などとさえ思って、ほしがるままに固形や缶 詰のキャットフードを与えていたら、あれよあれよという間にタマオは4・7キロ、ケムリ はなんと6・2キロにまで肥ってしまったのでした。たまたま怪我が化膿したためにタマオ を病院に連れて行って、「ちょっと肥りすぎ」と言われてしまったのです。家にいるもう 一匹のことを話すと、呆れられてしまいました。それからです。「ライト」にしたのは。 しかし、考えてみれば「ライト」は成分的にもライトなのでしょうが、食欲を抑制させる はたらきも持っているのかもしれないのですね。つまり、「不味い」のかもしれません。 いままでは少し食べてはやめ、また時間が経ってから少し食べ……というふうだったのが この「シニヤ」、かなり一度で食べています。最近は歳のせいもあってでしょうが少しは 痩せたこの猫たち、またもとの「肥満猫」にもどっちゃったりして!  7月30日(金) 池袋駅東口の「新文芸坐」で、明日31日から8月20日までの3週間「映画を通して戦 争を語り継ぐ」と題して、「上海支那事変後方記録」「真空地帯」などをはじめとした、 「戦争」をテーマにしたさまざまな日本映画27本を上映するということです。この特別 企画は78年からすでに半世紀続いているものらしく、「戦争があったこと、戦争に負け たこと、原爆による世界唯一の被爆国であること。それすら知らない若い世代が増えてい る。映画を楽しみながら、いまの日本の状況と戦争について、ちょっと考えて欲しいとい うのが企画のねらいです」と、主催者である館長の永田稔さんは語っています。 めまぐるしく事物が移り変わり、さまざまな危険を孕んだ現象が見え隠れしているいま、 私たちはもっと「戦争」について真剣に考えなければいけないと思います。私たちの世代 も「戦争」を知りません。いまの日本で、私たちは戦争を体験した人々の話を聞いたり、 こういう映画を通して、戦争を二度としてはいけないという認識を確認する必要があると 思うのです。そしてそれをまず同じ世代の一人でも多くの人々に気付いてもらうこと、ひ いては次の世代の人たちに、どれだけその認識を持たせることができるかが、私たちの使 命でもあると痛感しました。戦争をしてはいけないとわかっていながら、戦争に加担する ことをやむを得ないとしてしまう大人たちも、戦争の恐ろしさに気がつかない若者のどち らもが「戦争賛成派」であると私は考えます。 7月29日(木) 夫の高校時代の親友である鈴木雄一さんのお墓参りに行きました。京浜急行の三浦海岸駅 から剣崎行きのバスに揺られること十数分、降りてからさらに農道を十分ほど上ったとこ ろに、目指す霊園はありました。おりしも台風襲来の真っ只中で、ちょうど私たちが海岸 沿いの停留所に降り立った時一気に雨足が強くなり、傘をさしているにもかかわらず30 秒とたたないうちにずぶ濡れになってしまいました。辺りは民家と人気のない海の家が遠 くに見えるばかりで、雨宿りすることもできないまま農道に入りました。途中のすぎてい く農家の納屋のようなところでは、今まで作業をしていたのをあまりの雨の激しさに中断 したというふうで、採ったばかりの人参やネギが籠に入れられてありました。何台かの車 に追い越されながら、それでも一心に進んでいくうちに次第に雨は小降りとなり、霊園に 着く頃にはすっかり止んで、今度は強烈な陽射しが照りつけてきました。事務所でお墓の 区画を教えてもらい、お花とお線香を携えて行くと、1時間ほど前にお参りしたようにお 墓には半分灰になったお線香とお花が供えられてありました。赤みのかかった墓石には大 きく「愛」の字と、生前彼が好んで集めていた「ウマノスズクサ」、研究していたキノコ (鈴木さんは農学部の教鞭をとっていたほか、キノコを使って木のセルロースを分解させ、 家畜の餌にする研究をしていました)などが刻まれていました。小高い丘の上の墓地から は海も見え、周りは畑だし、空気も澄んでいて彼が眠るにはとてもふさわしい場所だと思 いました。帰り道、畑には人が出ていて西瓜の収穫をしていました。 7月28日(水) 信ちゃんから絵はがきが届きました。信ちゃんこと、信哉君は当バレエスタジオ、研究ク ラスに通う高校1年生です。この15日から1ヶ月間、カナダへ「留学」に行っているの ですが、その渡航先のオタワからの便りです。時差ぼけが辛いことや会話(英語)で苦労 していることなどと一緒に「ストレッチはちゃんとします。」とありました。思い返せば、 信ちゃんが私のところに初めて来たのはかれこれ13年も前、3歳の彼はお稽古場に入っ ては来たものの、お母さんのかげに隠れて「こんにちは」もなかなか言えない坊やでした。 正直言って、嫌がってすぐにやめてしまうのではないかと思ったくらいです。それがいま や16歳の青年です。本当に月日の経つのは早いですね。信ちゃんが初舞台で踊った「森 の小人」を今年、幼児クラスの8人が踊ります。 7月27日(火) 毎週水曜日の朝は古新聞や段ボールなど資源ゴミの収集日です。夜のうちにと、先ほど古 新聞を大量に持って出た夫は、用足しに一度家に戻り、また別のゴミを出しに行ったとこ ろ、すでに古新聞は何者かに持ち去られていたということです。その間、ほんの4〜5分 だったらしく、「まったくもって驚いた!」と言っておりました。こういうのを「虎視( 古紙)眈々」というのでしょうか……。 7月26日(月) 今日はわが家の2匹の猫たちの誕生日でした。7歳になりました。人間でいえば、60歳 ぐらいということです。そのせいか最近の2匹は少々動きが緩慢になったような気がしま す。少し前までは、1・2メートルぐらいの高さは平気でジャンプしてみせていたのです が、ここのところはいけません。50センチほどの椅子の上から床に飛び降りるにも、一 瞬躊躇しているのですから……。外に出たがることも昔ほどではありません。硝子越しに 目に映るアゲハチョウや柿の木にとまっている鳥に対して、身を乗りだして近づこうと試 みはしますが、ダメとわかるとあきらめも早いのです。できることなら、いつまでも元気 で長生きしてほしいと思います。キャットフードの「ヘアーボール・コントロール」を「 シニア用」にする日も近いかもしれません。 7月25日(日) いつもいつも困り果てているのですが、住まいのトイレ掃除がたいへん困難なのです。な にが困難かというと、その狭さです。なにしろ奥行き180センチ、幅74センチ、便器 と左右の壁面までが23センチずつしかありません。おまけに左右はコンクリートの打ち 放しです。便器の奥を拭く度に手に擦過傷を作ってしまいます。私のようなチビですらそ うなのですから、体格の大きい人では便器の奥まで拭き掃除することは拷問に近いでしょ う。トイレは掃除しやすさを第一に考えて作られるべきだと思います。これから家を建て られる方はぜひご一考ください。 7月24日(土) 小さな子どもを教えていて私が大切にしていることの一つに、子どもの話を「聞いてあげ る」ということがあります。レッスン中、私は一方的に「教え込む」のではなく、子ども との対話、言葉を介在させてのやりとりを大切にしているということでしょうか。子ども (特に3〜5才くらい)には自分が感じたこと、考えたことをすぐ口に出して言うことが よく見受けられます。私が聞いたことに対して答えてくれることはもちろん大切であり、 必要なのは当り前ですが、「今は話してほしくないな」という時であっても私に話しかけ たり、こちらがやろうとしている内容とは全く関係のないことを言いだしたりすることも よくあります。そんな時でも私はなるべくその話を聞くようにしているのです。子どもか らの発信を遮断しないということでしょうか。 今、世の中がめまぐるしく動く中、ともすると幼い小さな声はかき消されてしまうことが あるような気がします。または大人の「都合」によってそれが遮断されることも……。逆 に都合のいい時にだけいいように子どもの言うことをきくということで、子どもは親や周 りの大人の喜ぶことだけを口にするようになったりもするのです。ぶつぶつと独りごとを 言ったり、ボーッとしていたり、子どもの表情に紗がかかったような現象を見ることがた まにありますが、それはその表れでもあると言えるのではないでしょうか。 やはり「手間をかけて」こそ、子どもは豊かに育つと確信しています。 7月23日(金) 今年もわが家のベランダのブルーベリーを「収穫」できる季節となりました。何週間か前 から、枝についた、たわわな実が色づきはじめたのを見て、今年も鳥たちに食べられる前 に採っておかなければと思っていたのでした。実に触って簡単に落ちるものが「食べ頃」 です。下に受けたザルがいつの間にかいっぱいになりました。鳥たちのために手が届きに くいところはそのままにしておきます。冷水で洗って口に含むと、採れたての新鮮さとと もに太陽にたくさんあたっての甘さが!……ないのです! いつものあの甘さ、味の濃さ が。きっと「栄養不足」でしょう。無理もないなあ…あの木にしてあんな小さな「鉢」な んだもの……立派な果実の容姿に反して今年の味はいまいちでした。どおりで……いつも 追いはらうくらいの鳥の姿、今年は少ないなあと思っていたのです。鳥は「千万御承知」 だったのですね。   潰してヨーグルトに入れて、はちみつを少々加えていただきました。ほんのりとした甘み で美味しかったです。
7月22日(木) 今日、不思議なものを発見しました。「粘菌」ではありません。「線路工事用車輪装備ト ラック(命名順子)」です。終電通過後の線路の点検は、品川から横浜方面では大井町の 踏切が最初の踏切なので、毎日のようにそこから保線用の車両が出入りしているようなの ですが、今日はその現場を目撃しました。大型トラックが踏切から線路内に進入し、線路 をまたいだ所でその底面から太い一本の円柱が伸びてきて、車体を持ち上げてタイヤを浮 かせました。次の瞬間、その円柱を軸に車体が90度回転し、線路と平行になるや今度は ニョッキリと線路用の車輪が現れてレール上に固定されたのです! ちょうどウミガメの 産卵を見ているようでした。体操の「鞍馬」を見ているようでもありました。一体、昔は これはどのように行われていたのでしょう。とにもかくにも、これを発明した人は凄いな あ……!と思いました。 7月21日(水) 文音は今日から「館山水泳合宿」です。これは毎年この時期に行われる学校をあげての行 事で、1年生は3キロ、2年生になると6キロの遠泳を目標に生徒たちが挑戦します。文 音たち3年生は指導員として下級生たちが遠泳できるまでになれるよう、そして一人でも 多く遠泳が達成できるよう指導したり、一緒に泳いだりするのです。照りつける太陽の下、 大きな荷物を携えて今朝出掛けていきました。少しの間「母親返上(?)」です。そして 5日後、「mamba」顔負けの黒さになった娘は、たくさーんの洗濯物を抱えて帰って くることでしょう。 7月20日(火) な、何という暑さ! 都心(大手町)では39・5度、千葉県市原市の牛久という所では 40・2度の記録です。そういえば子どもの頃、ものすごく暑い日など友だちと「暑いっ て言っちゃいけないのね」ナンテいう遊びをしましたが、今日という日は「暑い」という ことを話題にしなかった人はいなかったのではないでしょうか。この暑さ、新潟や福井に 豪雨をもたらした源のフェーン現象となっての現れということで、湿度が低いせいか20 年ほど前に公演のために行った香港を思いだしました。連日の暑さによるものか、うちの 門柱のすぐそばの枕木に「粘菌」なるものが発生してしまいました。何日か前に夫が店を 開店するのに門扉を開ける時に私が居合わせた所、足元の黄色のペンキがこぼれている枕 木を指差して「見てごらん、粘菌だよ」と教えてくれました。そうです。「ペンキ」だと 思ったのは「モジホコリ目の変形菌類」だったのです。「『南方熊楠』って知ってるよね ?」と、とにかく植物には詳しい夫はさも当然のように私を見下ろします。「何だろう? そのクマだかウマだかは……」と私の頭は一瞬考えをめぐらせますが、そんなものは今ま で見たことも聞いたこともありません。潔く「ううん、知らない」と答えると、「え?ミ ナカタクマクスだよ、クマクス。こういう菌類の研究とかいろいろしてる学者で有名な人、 自然保護とかした……知ってるでしょう」って、知るか! ……というわけで、その「南 方熊楠」なる方が研究してらした「変形していくきのこたち」だったのですね。ひとつ勉 強になりました。で、その「粘菌」ですが、次の日に見てみると黄色(ABCマートのよ うな)がミカンの皮のような色に変色しており、形もずいぶん縮小されていました。そし て今日などはウニが干からびたようになっています。不思議ですね、命あるものの世界は!
7月19日(月) 「みんな自分のうちが好きじゃないんだって」と、文音が言いました。「えっ、どういう こと?」と聞くと、「みんなうち(自宅)よりも学校の方がいいって言うんだよ」と言い ます。「家にいたってつまんないじゃん、学校に来れば友だちに会えるじゃん」と言われ、 文音と、仲の良い一人の友だちだけは「友だちに会えなくたっていいよ、家にいるの好き だよ!」と言ってしまったということでした。 思い起こせば、私が子どもだった頃、夏休みとか冬休みによく友だちの家に泊まりがけで 遊びに行ったり、うちは商売をやっていたし弟も小さかったこともあって、友だちの家で 別荘とか旅行とか遠出をする時に、よく一緒に誘われ同行しました。その時いつもそうだ ったと記憶するのですが、行く時は嬉々として行くくせに、帰りは悲しくなるのです。も うすぐ家に帰らなければならないから悲しいのではありません。母のことを想うのです。 すると、あんなに大好きな母を置いてどうして私は泊まりになど行ってしまったのだろう という後悔にかられます。その時は鼻のおくがツーンとして胸がキューンとして泣きたい 衝動にかられるのでした。かといって、もうそれで何処へも行かないかというと決してそ うではありません。何ヶ月かして、また次の長い休みに誘われれば、また喜んで行く…… そんなことの繰り返しでした。 「海の日」の今日、34・8度だった日中に江ノ島海岸には4万人の海水浴の人が集まっ たそうです。 7月18日(日) インドネシアに滞在していた拉致被害者の曽我ひとみさんが、夫である米国人のジェンキ ンスさんと二人の娘さんとともに、今日日本に帰ってきました。どのTV局でもそのこと を取り上げて報じています。 約1ヶ月前に同じ拉致被害者の蓮池さんと地村さん一家が 再会を果たせた時に、失意の底にありながらも「希望を捨てない」とコメントしていた姿 を思いだします。それを思えば、これからいろいろな問題を抱えていかなければならない ことはあってもこうして彼女の希望通り、一家が日本の土を踏むことができたのは喜ぶべ きことであると思いました。ただ、たまたま見ていた番組で「完全生中継!」として、羽 田空港から到着後ジェンキンスさんが入院を予定されている新宿の病院(東京女子医大で しょうか)までの要所要所に何台ものカメラを設えて「完全密着取材」などを行っている のはどうかと思いました。また、聞くところによると今回の日本政府のチャーター機は入 札があって、各社ともその値段は何と! 1円だったそうです。で、政府はそれじゃあん まりだからとばかりに、5万円でJALに請け負わせたということ。なんだかあさましい と思いました。それだったらイラクの人質事件から解放されて帰国した5人の人たちに対 して「自己負担」とはなんたることでしょう! もっと「面倒」をみてあげてもいいので はないでしょうか。全くこのことといい、報道陣といい、なんでも「金儲け」の対象にな ることは最大限利用してやる(しかも、それをさも人道的なと言われる立場をとりながら) という下心が見え見えだと感じました。 7月17日(土) お店のお客さまにいただいた生パスタを料理しました。トマトとモッツァレラとうちで育 てているバジルをふんだんに使いました。生パスタというと、よく卵が打ち込まれている ためにパサパサ・ボソボソの食感が多いものですが、こちらはシコシコとしてアルデンテ に茹で上がりました。最近そこここに見かけるようになった成城石井というスーパーのオ リジナル商品です。 7月16日(金) 銀座の山野楽器で何枚かのCDを買いました。レジで支払いを済ませ、品物を受け取る時 です。店員の女の子がビニール袋の口にテープをとめるのに何やら指先をコチョコチョと 動かしていました。帰宅して気づきました。彼女はセロテープの片辺を何ミリか粘着面ど うし貼り合わせておいてくれたのでした。もちろんテープを剥がす際の便宜をはかる思い やりです。こうした心遣いが私は大好きなのです。 7月15日(木) シンクロナイズドスイミングでアテネオリンピックに出場する選手たちの様子がTVで放 映されていました。プールでの練習風景、コーチとのミーティング、筋肉トレーニングの 様子など、彼女たちの目は真剣で純粋でさえあると感じました。特にコーチとのやりとり を見ていると、彼女たちが全面的にコーチを信頼しているのだなと思いました。それもそ のはずです。自分の、あるいはチームの体力の限界に挑戦するということは他のスポーツ にも言えることですが、さらにシンクロの場合、水の中で自分の行っている演技が水上で 視覚的にどう写るのかがわかりにくいために、コーチの指示を正確に実現することこそが 重要になってくるのですから。コーチはコーチで一人一人の選手を色の違うコインに見立 てて、緻密に正確に動線を練り直していました。今、挑戦しているのはドミノ倒しのよう につぎつぎに秒差で演技をすることに加えて、そのまま体型を移動させるということのよ うです。その練習の極意は秘密だそうです。この競技は私がやっている舞踊とは根本が違 うのだけれども、表現のための鍛練・習練ということについてはおおいに共通するものが あると思いました。ただ、「八木節」を使うのだそうですが、ベジャールのような浅薄な 日本趣味に終わることのないことを祈るばかりです。本番が楽しみです。 7月14日(水) 熱中症は本当にあるのです。気をつけましょう。今日私は自分のトレーニングの後、間髪 を入れずにレッスンを2こま(4時間半)続けたら、脱力感と倦怠感におそわれました。 これは紛れもなく脱水症状のあらわれです。しまったと気付いてあわてて水分を補給しま した。まず水を飲み、グレープフルーツジュース(例のオリジナル・ジュース・カンパニ ーの)、野菜ジュースを立て続けに飲み干しました。1リットルは飲んだでしょうか。お まけに冷えた西瓜をたいらげました。しばらくすると体中の汗腺から汗が吹き出てくるの が体感されました。氷菓子を食べるよりも西瓜が効くように思われます。なんでも、夏場 に2時間運動したら1リットルの水分補給が必要なのだということです。 7月13日(火) お墓参りの後、久しぶりに大森の布恒更科へ行きました。ちょうどお店の目の前がマンシ ョンか何かを建設中で、途方もない暑さと工事のための喧騒で頭がクラクラしそうでした が、馴染みのある硝子の引き戸を開けて一歩入るや否や、そこはもう別世界という感じで した。大型のクーラーが効いているのはもちろんですが(しかも2台!)、打ち水がされ ている三和土、ひんやりとしながらも湿っている空気、天ぷらを揚げるゴマ油の香りと蕎 麦つゆのお醤油の匂い、戸を開けた途端に聞こえてくる「いらっしゃーい」というおかみ さんの柔らかく涼しげな声。懐かしい気分にさせられます。今日は季節の変わり切りの中 から、「イタリアンパセリ切り」、「モロヘイヤ切り」と「紫蘇切り」をいただきました。 「イタリアンパセリ切り」は口に入ったときのスルッとした食感といい、仄かにかおる青 い香りといい、この季節にはもってこいのお味だと思いました。「モロヘイヤ切り」は海 草のように非常に深い緑色で、しっかりとした歯ごたえがあります。「紫蘇切り」は赤紫 蘇だったかしらと思いきや、青い紫蘇が細かくちょうど青海苔のように御前蕎麦の中に打 ち込まれてあり、口当たりも一番柔らかく大葉の良い香りが鼻から抜けていきました。お つゆもとても濃い色のわりには辛すぎず、それぞれの蕎麦の味をきちんと引き立てていま す。どれも本当に美味しくいただきました。布恒の変わり切りはまちがいなく名人芸の域 にあると思います。おかみさんのきちんと着こなした古風な浴衣姿がなんとも涼しげで素 敵でした。 7月12日(月) お盆の支度を母と一緒にしながら夫が「ぼくが死んだら、お盆にはビワをお供えしてくれ」 と、唐突に言いました。「なにを言ってるの。私の方が先かもしれませんよ」と私が返す と「いいや、君は健康そのものだから、きっと後に残るよ」と、根拠のないことを言って います。今度は母までが「私は立田野の『小倉アイス』ね」などと言うので、「わからな いですよ、こればかりは‥‥。おばあちゃんが最後になるかもしれないんですからね」と 答えながら、私は何をお供えしてもらいたいか考えました。桃でしょうか‥‥。うーん。 何かなあ‥‥。子どもの頃から特に嫌いなもののなかった私は、逆に何が一番好き?と聞 かれて答えるのに戸惑ってしまいます。それこそ、父の胡座の真ん中にすわってお酒の肴 をつまんでいた頃は、生牡蠣だとかナマコ酢、粒ウニ、塩辛、生ウド、セロリにマヨネー ズをつけてパリパリ食べたり、生茄子にお味噌をつけて食べることなどが大好きでした。 でも、やはり桃かな……。桃のあのふっくらとした容姿といい、えも言われぬ良い香りと いい、有り難い気持になってしまうのです。有り難いと言えば、桃でもビワでも「千疋屋」 で一個何千円も出して買う気持はさらさらないですが、ある程度の値段がつけられていて も尤もだと思ってしまいます。あれだけのものを丹精込めて作る苦労を考えれば当り前で す。野菜だって同じです。家計を切り盛りしなければならない主婦としては美味しいもの を少しでも安く買いたいのは本音ですが、やはりああした大地の恵み、安さばかりを追い かけるのはなんとも寂しいことです。スーパーなどで色が悪い果物や痩せた野菜が安値で 売られているのを目にすると、実に情ない気持になってしまいます。 7月11日(日) 文音と買い物に出かけたところ、子どもを叱っている母親に出会いました。その表情はな んとも憎々しげでまるで汚いものでも見るようなものでした。思わず立ち止まって見てし まいました。あの叱られている女の子に、「お母さんのこと好き?」と聞いたときに、す ぐに「大好き!」と答えが返ってくるかどうか疑問だと思う私はおかしいのでしょうか。 7月10日(土) 今年もトロロアオイの花が咲きました。月見草を大きくしたような芙蓉の花とも似ている ような、なんともはかなげな淡い黄色の(玉子ボーロのような色の)着物生地のような風 合いの花弁をしています。この株は今から3年前に夫が王子の飛鳥山にある製紙博物館か ら買い求めてきたものです。トロロアオイは、文字どおり、その根のとろみを和紙の製紙 のさいに古来から用いられたものだそうです。初め3鉢あったものが去年2鉢になり、今 年はとうとう1鉢になってしまいました。なんとかこれだけは生かしてやりたいものだと 思っています。
7月9日(金) 渋谷に出て、タワーレコードでかつて振り付けに使った音楽の納まったCDを捜しました が、見つかりませんでした。きっと納戸の荷物を片付ければ昔のカセットが見つかるので しょうが、この暑さ、気が遠くなりそうでとても実行する勇気が湧きません。その曲とい うのは、♪チャーンチャンチャン、チャーンチャンチャン、チャーンチャーンチャチャー ン♪というのです。これではわかりませんよね。私もかなり無謀なことをするものだと思 いました。 7月8日(木) 昨日に引き続き、今日も厳しい暑さでした。先週はそれでも風がいくらか涼しく感じられ たのですが、今週に入るとそれもなくクーラーなしの日中は相当大変なものがあります。 子どものクラスを終えて階上に戻ると、2匹の猫は2階までのコンクリートの階段にそれ ぞれ一段ずつ占領して寝ているのでした。きっとひんやりとしているのでしょう。私には 身体を冷やすコンクリートの階段すらなく、猫よりもぐったりとしているのでした。 7月7日(水) 本当に暑い一日でした。実家の父の十三回忌の法要がありました。お寺さんは四谷の若葉 町の真英寺です。昔の文化放送があった場所のすぐそばにあります。私が子どもの頃はJR の四谷駅(昔は国鉄)から歩いたのですが、いつの頃からか地下鉄(これも今は「東京メ トロ」ですね)を使うようになりました。四谷三丁目駅から歩いていても気が遠くなるよ うな暑さに、12年前父が亡くなった日もちょうどこんな暑さの日だったことを思いだし ました。その前の日、火曜日で店が休みだった私は、父の入院している病院の近くのデパ ートで買った彼の好物の平目のお刺身とリトルマーメイドのチーズ蒸しパンを携えて見舞 いに行ったのでした。暑さのせいと病院の味気ない食事に全く食欲がなかった父も、白身 のお刺身だけは食べられるようでした。付き添っている母が銀行まで用足しに行っている 間、私は父の枕元で団扇を煽いだり背中をさすったりしていたのですが、急に「うんちが したい」と言います。父は最期までおむつをいやがって、母や看護婦さんを困らせていた のでした。部屋にはポータブルのトイレが置いてあります。悩んだ末、私は一人で父をト イレに座らせようと決心しました。その時の父の身体の重かったこと……。ベッドに寝か せる時はその重さを支えきれずに一緒になだれ込んでしまったほどでした。しかし、そう した時にも父は何のリアクションも見せず、笑いだしたり呆れた様子の言葉を吐くでもな く、ただじっとしているのを見て、相当苦しいのだろうな…と感じたこと、今も思いだし ます。その晩、なかなか寝つかれないからと母に催眠薬をいただいて来させて、怖いから 手を握っていてほしいと頼んで眠りについたまま、次の日の朝になっても起きず、午後に なっても目覚めることなく、夜になって遂に永遠の眠りについてしまったのでした。今日 もその日と同じくらい暑く、聞く所によると34・8度を記録したそうです。お墓に手を 合わせながら、私たちの健康や店が繁昌するようにと一緒に、「寂しいでしょうけれど、 お父さん、暫くはお母さん、まだ連れていかないでね」と父にお願いしました。 7月6日(火) 試験休みの文音を連れて「忠弥」へ行きました。5時少し前に到着してみるとすでに開店 しており、それでも辛うじて席に着くことができました(しかもラッキーなことにいつも の「定席」です!)。その後3分で満席という相変わらずの盛況振りです。「煮込み」に 始まり「ガツの唐酢合」、焼き物へと……。先週お土産の「煮込み」に感激していた文音 は「お店で食べると、もっと美味しい」と感じたようです。焼き物では「スタミナだれ」 のテッポウとシビレの塩が特に気に入ったようでした。私たち3人はそれこそ次から次へ と出てくるものをたいらげていったのですが、見ると周りにはお皿の上に焼き物を山のよ うに積み上げて、しばらくすると「持ち帰りに」と頼んでいる人が何人もいます。お腹が いっぱいで食べきれないのか、「煮込み」以外はお土産がないためにああいう風にして持 って帰ろうとするのかはわかりませんが、やはりこの場で焼きたてをいただくのが一番だ ろうにと思いました。途中、目の不自由な人が来店し「煮込み」といくつかの焼き物を注 文していました。親父さんは丁寧に「これがレバー、こっちがテッポウね」とその人の手 に串を触らせてあげていました。全くもってすごい店だなと感じました。「カクテル」は 飲みやすいけれど結構強いので、今日は2杯目からはビール(キリンラガーにエビスの黒 ビールを入れて)にした、真っ赤な顔の私をふくむ3人は中延の商店街を散策した後、帰 路につきました。 7月5日(月) ニュース番組の特集で「Mamba(マンバ)」を取り上げていました。マンバとはヤマ ンバのことで、渋谷のセンター街の「クラブ」などに集まる若い男女で、顔黒にパンダの ような目の周りの隈取りに白い口紅(果たして「べに」というのか疑問)、黒く塗りつぶ された目もとには星やらハートやらをたくさんかき込んでいる子たちを指して言う言葉で す。最近では男の子も金髪にもともと染まっている髪をさらに赤や青のスプレーで斑にし て、もとの顔が全くわからないほどのお化粧をして(それも水性マジックなどを使って) 集うようです。カメラが彼(彼女)らの後を追っていくと、目指す店に近づくにつれいる わいるわ…同じ顔の仲間が。「ハイ! 」とか手を振り合っている相手のことを番組のス タッフが「友だち?」と聞くと「ううん、ここに来て何度か会って知り合いになっただけ」 と答えていました。また、どうしてここ(センター街)に来るのかという問いに対しては、 「ここに来れば誰かに会えるから」と返していました。集まれば夜更けまで唄ったり踊っ たり街を徘徊したりする彼らですが、中に「まだ宵の口」の時間に帰路についている男女 一名ずつがいました。彼らはともに渋谷からは2時間半もかかる所に住んでいて、終電に 間に合うようにあんなに早い時間に渋谷を発ったのでした。男の子の自宅を訪問すると、 何ということもない普通の部屋で、化粧を落とした彼は「なぜこんなことしているかって 言えば、『昔はこんなこともしたよな……』っていう思い出にしたいからかな」と。そし て将来は製薬会社で新しい薬を開発する仕事をしたいと語っていました。机の上には化粧 した彼が友だちと笑って写っている写真がありました。一方、女の子の方は驚いたことに 一児の母でした。3歳になる息子と祖父母の家に居候している彼女は、保育園のお迎えを したり、ご飯を作ったり、走り回る息子を抱きとめたりしていますが、夜になると例の姿 で街に繰り出していくのです。しかしある晩のこと、騒いでいる仲間の中で彼女は元気が なく、帰り道でポロポロ涙を流しながら、こんなことはもうこの夏で卒業だと語ります。 聞けば、いつも置いてきぼりをさせている息子に「お前なんか嫌い! あっち行け!」と 言われたことがショックだったのだと言います。「自分一人が楽しいだけじゃ仕方がない。 今度は息子と一緒に楽しい方が幸せだなって思うようになった」という彼女の言葉に、私 は思わず「この子ってまともなんじゃない」と娘に言っていました。それまでは「汚ギャ ル」のような彼女たちの風貌に「うわっ!」とか「なに、これ!」などの悲鳴を発してい たのですが、先ほどの男の子といい、何か本当の自分と向き合えずに、ああした「殻」に 閉じこもっていた若者が、今ようやくその衣裳を脱ぎ捨てることによって「殻」から脱し 、羽ばたいていくように感じたのでした。 7月4日(日) ノウゼンカズラが花盛りです。この木はお隣との境のブロック塀を這い上がっているので すが、塀の上ではかなりお隣に越境しているのです。この花は一日花で毎日ぼたぼたと萼 ごと落ちます。心苦しいのでわが家の側へ枝を誘引してやりました。すでに先が切られた 枝が何本かありました。ご迷惑をおかけしました。
それはそうと、きょう、わが家の門柱の前の歩道に×印がチョークで描かれているのを発 見しました。道路工事か何かの目印なのでしょうか。とっさに「アリババと四十人の盗賊」 の話を思い浮かべました。まさか強盗団が狙いを定めてるんじゃないでしょうね。あまり 気分の良いものじゃありません。夫もそのことに気付いていて、「×印の前にL'Eを、後 ろにCELLENCEをチョークで書きたしてやったよ」と帰ってくるなり言いました。つまり、 "L'EXCELLENCE"という単語にしてしまったのでした。「パパってすごいことやるね」と娘 は言いました。 7月3日(土) ここのところ、続いて接近する台風のせいでしょうか、暑い暑いといっても多少冷たい風 が吹くことが多いようで、なんとなく私が子どもだった頃の「夏」って、こんな感じじゃ なかったかしら?などと思うことがあります。それでも今日は午後からレッスンが続いて いたのでリビングのサッシを締め切っていたところ、夜になって階下から戻ってみると、 2匹の猫たちがぐったりと寝そべっていました。あわてて鼻をさわってみると、なんとも なく濡れています。どうやら昼間は暑くて寝られなかったのが、夜になって涼しくなり2 匹揃ってぐったりではなく、ぐっすりと寝ていたのでした。鼻をさわられ、迷惑そうに「 なによ……! 」とばかりに、一瞬薄目を開けてはまた何事もなかったように寝に入る猫 たちでした。 7月2日(金) TVの「金曜ロードショー」で「おもひでぽろぽろ」を観ました。いままでなん度となく TVでもやっていたのは知っていましたが、最初から観たのは初めてでした。主人公のタ エ子が昭和41年に小学校5年生だったということで、私とは一つ違いであることから、 登場する街並みや、茶の間の白黒テレビに映しだされている「ひょっこりひょうたん島」 など、時代的な背景がとても懐かしく感じられました。また、タエ子とは家族構成も違え ば性格などもあまり似ているとは思えないのですが、11歳だった彼女に起こったいくつ かの出来事はまったく同じかたちで私にも起きた覚えがあります。父親に頬をぶたれたこ ともそのうちのひとつです。やはり11歳(10歳だったかしら?)だった私は何故か虫 の居所が悪く、すぐ上の兄にちょっとからかわれたことに腹を立てて泣きながら母に言い つけに行きました。その時父が仕事から帰ってきて、私が泣いているのを見て、すごい剣 幕で兄を叱りつけ殴りかかろうとしたのです。とっさに私は自分のわがままに気づき、思 わず「ひろにいちゃん(すぐ上の兄の呼び名)が悪いんじゃないの! 」と言ってしまっ たのでした。「それじゃあ訳を話しなさい」と問う父に、私はもう後にも退けず、しどろ もどろに「どこからか煙が入ってきて怖かった……」などと、ありもしないことを口にし たのでした。次の瞬間です、父の平手が私の頬にとんだのは。「あっ」と思う間もありま せんでした。私は自分たちの部屋(まだその頃は兄たちや弟と一緒でした)に飛んで帰っ ておいおい泣きました。いつもは短気で乱暴もする兄でしたが、その時ばかりはおろおろ して「ごめんね、ごめんね」を連発していたという記憶があります。まさに父にぶたれた のはその時が最初であり最後でした。今月の29日が亡き父の十三回忌にあたります。 7月1日(木) 今日から7月です。いよいよ本格的な夏の到来ということになります。が、小笠原諸島付 近の台風8号の影響でしょうか、暑い中にも吹く風がいくらか冷たく感じました。先週は 汗をかきかき頑張っていた子どもたちに今日は心なしかパワーが感じられません。聞いて みるとどうやら幼稚園でのプールが始まったとのこと、きっと疲れたのでしょう。それで も最後まで一生懸命頑張りました。 6月30日(水) 「たけしのTVタックル」の収録にスタジオをお貸ししました。なんでも「三宅さん」と いう政治評論家の半生記で、若い時分の演劇活動の稽古風景というシーンだそうです(月 曜日はレッスンがあるので私はこの番組を見たことがありませんでした)。放映は7月2 6日21時(テレビ朝日)です。ほんの数十秒だと思いますけど……。 6月29日(火) またしても「忠弥」に行ってしまいました。中延駅に降り立ったのが4時47分、店の前 に着いたのが50分、それでも一番乗りでした。ところが、それから2分とたたないうち に私たちの後ろには7〜8人の列、どうやら一緒の電車だったようです。たまたまホーム の階段近くに降りることができた私たちが最初に改札を通り抜けた結果でした。店が開い たのが5時5分前、焼き台前の「定席」に落ち着き、早速注文の品々をメモに書きつけま した。店の中は明るく活気があって、お客さんの誰もがこの店のことを好きなのだという ことが感じられました。10分後には満席でした。今日は「煮込み」のお土産をお願いし ました。親父さんはにこにこしながら、お豆腐を湯掻いて一丁入れて煮込むとまた美味し いとのアドバイスをしてくれました。家に帰ってそのとおりにして文音に出してみると、 これまた感激! 「こんなに澄んだおつゆの煮込みはいままでになかったね! 」と言っ て中にご飯を入れてペロリとたいらげてしまいました。来週、試験休みの文音を一緒に連 れていくのが楽しみです。 6月28日(月) 今年初めてのノウゼンカズラの花が咲きました。この木は4年前に家を建て直す時には既 に二階の屋根までのびていて、オレンジ色の花を咲かせていました。工事を依頼した建築 会社に対して、柿の木とゴムの木とそしてこの木だけは残すようにたのみましたが、この 木はぞんざいに扱われて直径5センチにまで育った主幹が横倒しにされていました。工事 が終わって真っ直ぐに誘引しようとしたところ、根元からポッキリと折れてしまったので す。家族全員がっかりしていたところ、地中をのびる地下茎からつぎつぎと新しい芽が頭 を出してきたではありませんか。ほんとうにホッとしました。去年から花をつけはじめ、 今年はお隣の塀沿いにはい上がった幾筋かにたくさんの花芽をつけました。この分だと、 もとの姿に戻るのにそう何年もかからないことでしょう。 6月27日(日) ゆうべのTVで戦争についての討論番組をやっていました。そこに中学3年生の女の子が 参加していました。この少女は文音の同級生でした。実に堂々と自分の思うところを述べ、 戦争礼賛の「おたく」っぽい大学生(実に薄気味の悪い表情をしていました)と互角に( いや、むしろ凌駕してさえいました)渡り合っていました。心情的レベルの反戦を語るの ではなく、アメリカが中東で獲得しようとしている経済的利権の指摘から論をおこしてい るのには心底感心させられました。聞けば、つねひごろ積極的に反戦運動をしているそう ですが、彼女の反戦は本物であると確信しました。 6月26日(土) またまた「お風呂の話」です。うちの風呂桶はむかしのお豆腐屋さんの店先にあってお豆 腐の沈んでいたあの木製の「桶」のようなのです。予算の都合でヒノキではなくサワラ材 ですが、サイズが135センチx75センチx60センチもあるのです。大の大人がゆう ゆうと3人浸かれる大きさです。わが家の設計をしてくださった先生が一家の温泉好きを 慮っての結果です。確かに旅館のお風呂のように身体をのびのびとのばせて気持ちがいい のですが、その水道代とガス代が入浴の度に頭をかすめるのです(なにしろ落とし込み式 なものですから)。引っ越してきた当初、水道代のあまりの高さに腰を抜かしそうになり、 あわてて洗濯機の風呂水利用ホースを買いにいったのでした。風呂好きというのは日に何 回も入りたいものなのですがね……。 6月25日(金) 「お風呂の話」の続きですが、うちでは皆が温泉好きでもあります。厳密にいえば、夫が 大の温泉好きで彼は若い(独身の)時分から方々の温泉巡りをしていたらしいです。その 夫に私が感化され(もちろん、仕事がらむかしからお風呂は好きでしたが)、そんな私た ちにあちこち連れて行かれて文音もいつの頃より温泉のファンになったのだといえます。 いままでに行ったうちで印象深いのは、栃木県の三斗小屋温泉、秋田県の乳頭温泉郷の黒 湯、山形県の銀山温泉などです。あ、それから静岡県は伊豆、松崎町の大沢温泉の露天風 呂もよかったですね。ただ、どこも時の流れとともに少しずつ変わってしまっているのは、 残念ですが仕方のないことなのかもしれません。けれど、露天風呂が時間によって男女交 替になっているのはいいとしても、無理やり板で間仕切りされてしまったりするのはなん とも興ざめですね(そういう場合は必ずと言ってもいいほど女性用のほうが狭かったり景 観が悪かったりするのです)。また、私たちが好んで行くのは大抵ひなびたところが多い のですが、そういう宿屋で夕食に「ビール」をお願いしたら「発泡酒」が出てきちゃった り、雪解けの水のために土台が流され床が卵が転がるほど傾斜している部屋であっても部 屋での食事だったのが、後に訪れた時には民宿よろしく「食堂」でいただくことになって しまって味気ない思いをしたり。どこにでもそれなりに喜んでついてきた文音でしたが、 長万部の二岐ラヂウム温泉で虫食いだらけの床柱と獣臭い脱衣場(冬季の休業中はおそら くキタキツネの巣になっていたのでしょう)、それにズドンのトイレ(汲み取り式の)に 遭遇してからは、「ベッドのあるきれいなホテルに泊まりたい」と言うようになりました。 いささか「英才教育」がすぎたようです。 6月24日(木) お天気は下り坂ということで、午後になって空が暗く曇ってきたので「降りだすのかな…」 と思っていたのですが、とうとう降らずじまいでした。なので、むし暑いことといったら 大変なもので、今日はレッスン中、子どもたちも汗だくでした。みな誇らしげにしきりと 汗で濡れたおでこをさわらせるのでした。こんな日は私も何回もシャワーを浴びることに なります。そうそう、シャワーといえば最近はお風呂に入らず、ほとんどシャワーで済ま せてしまう人が多いらしいですね。夏は特にその傾向が強いということですが、冬場でも そうだという人がいることにはちょっとびっくりしました。わが家では到底考えられない ことです。うちでは夫も文音も、もちろん私も一日に一回は必ずお風呂に入ります(時に は二回以上の時も…)。風邪をひいてる時や、夫は深酒で酩酊している時など以外は、こ の「お豆腐屋さん」(どういうわけか…)のような大きな風呂桶にお湯を(それもかなり 熱めの)ためて入るのです。汗や埃はシャワーで流せますが「その日の疲れ」は、やはり お風呂に入ってこそとれる! なんて思っている私は「昔の人間」なのでしょうか。 6月23日(水) 昨夜観に行った中堅公演ですが、どの人も実によく身体を動かしていました。7分〜15 分くらいの作品がならべられます。作者自身が踊る場合、創り手となって大勢のダンサー を動かす場合とそれぞれですが、私も長年の経験上、つい作品ができあがるまでの創り手 の苦労という面からの観かたをしてしまいがちです。ですから最近は、なるべく「素のこ ころ」のまま、目から入ってくるものを受け止めることを心がけています。全体を通して 観て思ったことは、雰囲気だけの作品は面白くないということ。品のない、知性を感じさ せない作品は魅力的ではないということ。そして、ある意味での「社会性」が加味されて いない作品はやはり観ていてつまらないということでした。作品を創るということは自分 と向き合うということです。私自身もそろそろ思い腰を上げて創作活動に入らねばと、多 くのパワーに叱咤激励されて家路についたのでした。 6月22日(火) 中延のモツ焼き店「忠弥」に行きました。アルミサッシの引き戸を開けて入ると、店内が あまりにもきれいなので驚きました。何度か行ったことのある夫について焼き台の前に席 を取りました。「この席が一番なのさ」と言う夫は「カクテル」なる飲み物を2つたのみ ました。見ると、焼酎にウイルキンソンのジンジャーエールと正体不明のビール瓶に入っ た液体を加えていました。飲むとモスコミュールにそっくりの味でした。各席に備え付け のメモパッド(手作りなんでしょうね、緑の下敷きを小さく切ったものに数枚の白い紙を 昔ながらの一つ目クリップで止めてあります)に各自が注文を鉛筆(これも備え付けの) で書き入れるというオーダー方法なのです。先ずは「ガツ唐酢合(からすあえ)」と「煮 込み」。「煮込み」は澄んだスープの塩煮込みで、きれいに下処理されたネタがプルプル、 とっても美味しくてご飯がほしくなりました。焼き物はいろいろいただきましたが、なか でもこの店独特の「タタキ」(軟骨をたたいたツクネ状の串)、「ハツモト醤油」(串を 打ったハツモトを醤油にしばらく漬け込んでから一味を振りかけて焼いたもの…草加煎餅 唐がらしのようなお醤油の香ばしさがたまりません)が特に美味しく気に入りました。あ と「スタミナ」という薬味たっぷりのタレにくぐらせたシロ(この店では「ヒモ」と呼ば れています)とテッポウも美味しかったです。 店を出てもまだ陽が高く、私は中延のアーケード街を通って池上線の荏原中延駅から池袋 の東京芸術劇場へ向かいました。現代舞踊協会主催の中堅公演を観るためです。途中五反 田駅で、それはそれはきれいな、「烏の濡れ羽色」とはまさにこのことと思えるような黒 髪の女性を見かけました。歳のころは24〜5歳でしょうか、パーマっ気のない、たっぷ りとしたほんとうに艶やかな髪をくるりとまとめてバレッタのようなものでとめています。 思わず「きれい! 」とつぶやいて、どんな風貌の持ち主だろうと追い越して確認してし まったほどです。黒髪の持ち主は、色白で化粧っ気がなく、髪と同じくらい黒くて豊かな 睫毛と眉毛の、ちょっと斉藤由貴のような感じのふっくらとした女性でした(私の想像で は「10年前の川上麻衣子」だったのですが、それはちょっとはずれました)。ともかく、 その髪を目にしたことで、私が豊かな気持になったこと。右を見ても左を見ても赤茶けた (時にはリカちゃん人形のような)染めた髪が多い中、この貴重な黒髪を大事にしてほし いと心から思いました。 6月21日(月) 19日(土)に「接近してきていた台風6号」が四国に上陸した後、京都の舞鶴から能登 半島を抜けて北上しています。依然と勢力は強く、暴風域が大きいのでこちらの地域でも かなり風雨が強かった時もありました。(特に台風の東側の地域では風が強くなるという ことです。)そんな中ではあっても、レッスンには昼、夜とも(仕事で来れない人以外は) みなさん来てくれました。それにしてもこの湿気、大小の窓から時折風が入ってきても、 かく汗の量がすごいのです。ストレッチをしていても流れる汗が床を濡らします。たっぷ り汗を流しながらのほぼ2時間近いレッスン、最後まで頑張れる体力はかなりすごいもの だとあらためて思いました。 6月20日(日) 友人が「ロミロミ」というハワイ式のマッサージを習得していて、一度施術してもらいた いとかねがね思っていたのですが、今日それが実現しました。うちのスタジオに彼女の持 参の折りたたみベッドをしつらえて、ラベンダーやローズマリーのハーブオイルを焚くと なんともこの天井の高い空間がたちまち「リラクゼーションスペース」に早変わり。夫と 私とたっぷり一時間ずつやってもらいました。その友だち、とくにまだどこかでその仕事 をしている訳ではなく、こうして友人知人関係にのみたのまれては、やってあげていると いう状態です。もしよければ、たまにこうしてうちに来てやってくれるというのですが、 「やってもらいたい! 」という方いらっしゃいますか? 出張「ロミロミ」のお申し込 みは私もしくはカンティネッタの夫が承ります。 今日私の番の時、早々と終えた夫は店で開店の準備をしながらベラ・ベスのヴァイオリン とデ・レーウのピアノによるストラビンスキーの「シャンソン・ルセ(ロシアの歌)」を かけてくれ(本人とすれば「アイスラー合唱団」などをかけながら、てきぱきと仕事をし たかったらしいのですが)、身も心もリラックスした私は、しばらく眠ってしまっていた ようです。 ※「シャンソン・ルセ」はストラビンスキーのオペラの短いアリアがもとになっているよ うです。これを弱音器の種類を変えながら8テイク収めている(したがって2〜3秒ずつ 録音時間が異なる)ミニマルなコンセプトのアルバムです。微妙に変化するヴァイオリン の音色に神経を集中するうちになぜか眠気がおそってくるのです。私も夫もそれぞれが結 婚前から持っていて、結婚して引越し荷物を開梱したとき夫が「あっ」と言ったのをおぼ えています。 このアルバム、ヴィレム・ブロイカーが主宰するオランダのBVHAASTというレーベルで今は CD化されているはずです。 6月19日(土) 台風6号が接近してきています。今週はずっとよいお天気の日が続いており「梅雨の中休 み」などと言われてましたが、週末はこの台風のためにお天気も崩れるでしょうとの予報 通り、昨日あたりから雲行きがあやしくなってきました。今日もなんとか晴れていました が、ときおり吹く強い風はまさしく台風の影響といえるでしょう。この台風、かなり勢力 が強く、暴風域が大きいとのことで、既に沖縄をはじめ各地の海岸では災害が出ています。 台風一過後はまた好天気かと思いきや、来週は再び雨降りの毎日がもどってくるというこ とです。まさに「梅雨の渦中」ですね。 6月18日(金) 娘の文音は15歳、中学3年生です。今日、実は久しぶりにお会いすることができた夫の 店のお客さまであり、親しくさせていただいている方に「順子さんは文音ちゃんを叱った りすることがあるのですか?」などと聞かれ「当然、ありますよ」と答えました。「ただ、 小さい頃には基本的なことでよく叱りましたけど、それに比べると最近は話を聞いて受け とめてやることのほうが多いですね」と言って、私は文音の小さかった頃を思い出してい ました。文音に許している最大のわがままがあって、今もそうなのです。それは、「ター ちゃん何ていってる?」なのです。ターちゃんとはつまりわが家の飼い猫のタマオのこと です。ことあるごとに、その猫の立場に立って、しかも猫の声色で私が答えることを強要 するのです。たとえば、「今日はむし暑いね」と私が文音に声をかけたとすると、文音は ただちに「うん。ターちゃん何ていってる?」とくるのです。わたしは「ダヨネ、フミオ チャン、マッタクモウヤンナッチャウヨネ」とアニメの声優よろしく答えるのです。この 習慣はそもそもは、よちよち歩きの文音にうまくうんちをさせるために、「うんちくんが 『フミオチャン、モットガンバッテリキンデヨネ。ボクモガンバッテデルカラサ』って言 ってるよ」と言いだしたのが始まりだったのです。その後声の主はお気に入りのくまのプ ーさん、ボノボノのシマリス、焼売と餃子のぬいぐるみのシューちゃんとギョーちゃんな どとめまぐるしく代がわりを重ね、いまでは飼い猫に落ち着いています。猫は2匹います から「ケムちゃん何ていってる?」もあるわけなのです。中3の娘ですよ。聞く娘も娘な ら、答える私も私だと思いますが。この習慣、一体いつまで続くやら……。 6月17日(木) 夫が赤いスニーカーを買ってきました。とにかく真っ赤で、道行く人の視線が必ず靴に注 がれると得意がっています。夫は1度見たら忘れられないような顔(スーパーマリオ似で) をしているものですから、路上ですれ違う人とは10人に9人までが視線が合うのだそう です。遠慮のないお年寄りなどは、すれ違ってもなお後ろをふり返って眺め続けたりする 人もいるそうです。その視線を靴に逸らすための赤いスニーカーなのでしょうか。 6月16日(水) 先日植えたスイートバジルの苗が太陽の恵みを浴びてものすごい成長をとげています。す でに薹立ち寸前なので大きく選定をかねて収穫となりました。さすがに大きく育った下の 葉は固かったのですが、摘み取ってからのタイムラグがないということは香りがとてつも なく違うのだということがよくわかるほどの香りの高さでした。モッツァレラチーズとト マトにこれでもかというばかりにたっぷりと乗せていただきました。ありがたい気持にな りました。 6月15日(火) 新聞に先日の「小6事件」の女児に精神鑑定が行われることがきまったという記事になら んで、平沼赳夫前経済産業相が大阪市内で開かれた国会議員のパーティーで講演した中で 「教育基本法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳 が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきてい る」と述べたことが書かれていました。が、これは違うと思いました。「個人の尊厳の行 き過ぎ」ってなんでしょうか。「個人の尊厳」に行き過ぎなんてあるわけがないです。ひ とは誰でも自分がかわいいのです。その「自分」が大事にされてこそ自分以外の人間も大 切に思えるのではないでしょうか。つまり、「個人」はどこまでも尊重されるべきであり、 それが希薄になるからこそ今回のような自分や友だちを大事にできない事件が起こったり するのだと私は考えます。この発言は、このような異常な事件を無理やり日教組の唱える 人権教育と結びつけたい権力者の発想にほかなりません。今日日教組がどれほどの影響力 があるのでしょうか。日教組という組織を悪玉に仕立て上げたくてウズウズしている権力 の本心が見えてしまうのは私だけでしょうか。 6月14日(月) 先日、文音と待ち合わせをするのに、とあるファミリーレストランに入った時のこと。私 の隣の席に、4人の家族連れがやってきました。30代後半でしょうか両親と、小学校3 〜4年生の女の子と1年生くらいの弟です。子どもたちはそのレストランでもらった「お 子さまメニュー」についているおまけのおもちゃで遊んでいました。と、その時です。「 なにやってんのよ」という母親の声に私は驚きました。「なんでできないの、そんなこと」 見ると、パズルのようなおもちゃに上手く解答できないでいる娘に母親が苛立って怒って いるのでした。「ダメじゃない! 」「もっとちゃんと見てごらんよ」さらにその母親は たたみかけます。女の子はというと、絶望的(私にはそう見えました)な顔をしてテーブ ルに二の腕をのせて寝そべっています。その様子を見聞きした私はわが耳を疑いました。 たかがこんなところでもらったパズル、間違ったっていいじゃないのという気持と、それ にしても子どもになにかをやらせる時に、こんなにやる気をなくさせるような言葉を並べ たてるとは……という気持が同時に起こりました。この母親にどんなに他の良いところが あったとしても、このデリカシーのなさ、子どもにとってこんな母親は願い下げにしたい にきまっていると思いました。しかも悲しいことに、しばらくたってから女の子は再度挑 戦して、その成果を母親に認めてもらいたくて見せようとしているのに「もういいよ、自 分でやって!」なんて言う始末。まったく教育の「きょ」の字もなく、母性の「ぼ」の字 もない殺伐とした女性(?)でした。私は思わず割って入って怒鳴りつけてやりたくなっ てしまいました。いるんですね、こういう人が。 6月13日(日) 夫がベランダの3鉢のカロライナ・ジャスミンをようやくのこと植え替えました。春先に 黄色いとっても良い香りの花をつけるこの鉢、たしか神代植物公園の中にある売店で買っ たと記憶するのですが、それは今から7〜8年も前のことでしょうか。始めはやはりベラ ンダ、といっても昔の(文音の生まれた)わが家です。陽当たりがよかったので水やりを 怠らないよう気をつけてやると、元気に蔓をベランダの柵に絡ませて、そこに蒲団を干し たい私の頭を悩ませました。その後、家を建て直すことになり世田谷区桜の家に移った時 も、絡んだ蔓をほどいて、いくつかのお気に入りの鉢とともにもって行って育てたのでし た。ですから、この家で3度めの住処となり、その間ずっと私たちと生活をともにしてき たという訳です。この家に移ってからも小さな鉢にもかかわらず、赤い螺旋階段に蔓をの ばし、葉を繁茂させては香りの良い花をさかせていたのですが、それももう限界です。夫 は素焼きで縁がゆるく波うっている「英国式ガーデニング」の本などに出てきそうな、た っぷりとした大きな鉢を買ってきて、絡み合った蔓はそのままにして3鉢を1つの鉢に植 え替えました。土も充分に加えられて、カロライナ・ジャスミンの「ホッとした」という 声が聞こえてくるようでした。 面白い発見もありました。先週植え替えたフジは園芸店の店先では単なる「白フジ」とし て売られていたのですが、これが「シロバナヤマフジ」であることがひょんなことから判 明したのです。それは蔓の巻き方なんです。フジの仲間で蔓が左巻きなのはヤマフジだけ だというのです。前からあるフジは確かにどれも右巻きなのです(実際に確かめました)。 DNAのなせる技というのでしょうか、自然界の底力を垣間見たようでした。 カロライナ・ジャスミン、フジの他、ノウゼンカヅラ、クレマチス、モッコウバラ、テイ カカヅラと、わが家には蔓ものがいっぱい植わっています。これらの蔓が家を覆うように なるのは何年後でしょうか。 6月12日(土) わが家の寝室は四畳半です。建築の時、私はいくら家具を置かないにしても布団を敷くの に六畳はほしいと言ったのですが、夫は何を思ってか「こじんまりしているほうがいいよ」 と譲らず、この大きさになったのでした。ところがこの部屋にある「押し入れ」がなんと 「観音開き」なのです。蒲団を敷くにつけ、上げるにつけ、開く扉の分だけ敷布団を移動 しなくてはならず(しかも向かいの壁面まで移動してもぎりぎりで)まったくもって使い にくいのです。洗濯物を抱えたままでは開けることのできないクローゼットへの扉(開き かたが逆)とともに、毎日閉口しています。 6月11日(金) NHKで国吉康雄展についてやっていました。藤田嗣治と同じように海外に活動の場をも った画家である彼のことを私は全く知りませんでした。何でも16歳で高校を中退して単 身アメリカに留学し、そこに住む人々と仲良くするための手段として絵を描くことを始め たということです。紹介された何点かの絵画からは、水墨画から学んだとされる独特の遠 近法や雰囲気を感じとることができるとの説明のほか、日本人である国吉がアメリカにい ながら第二次大戦を経験することで受けた精神的打撃や孤独感といったものを窺い知るこ とができるとのコメントを東京近代美術館の学芸員の女性は端的に述べていて、私も共感 を得ました。残念なことに、東京での展覧会は終わったばかりで、今は富山県立近代美術 館での会期であり、その後も愛知県美術館へ巡回移動をするとのこと。いつか機会があっ たらぜひ観に行きたいと思いました。 6月10日(木) 久しぶりにロールキャベツをつくりました。挽き肉にタマネギやら食パンをおろしたもの やらを加えてこねてみると案外「たね」がたくさんだったので、キャベツをまるごと茹で ていくつも包んで、半分を野菜と一緒にブイヨンで煮込み、もう半分はクリームシチュー 仕立てにしてみました。今回は後者のほうが評判がよく「昔行った、新宿の『アカシヤ』 を思い出したよ」と夫に言われました。 6月9日(水) 私の母は大正生まれです。大正14年の丑年生まれですから、今年で満79歳になります。 その母が最近私に相談したことは「新舞踊をやってみたいのだけれど、どうしようかしら」 でした。母は若くして結婚して、商売をやりながら4人の子どもを育て、毎日が忙しく自 分の好きなことのために割く時間など持てませんでした。私の父はというと、明治生まれ で、母とはひと回り以上も年上で、母の手を借りなければ横のものを縦にもできない(縦 のものを横にもできない?)人でしたからなおさらでした。近所に買い物に出かけるのに も「早く帰っておいでね」と言われるほどでしたから、12年前にその父が他界してから は、母はぽつりぽつりと自分の好きなものをやりはじめるようになりました。民謡、社交 ダンスに始まり土曜大学講座を受けたり、カラオケ教室にまで通いだしました。その母が 最近新舞踊の舞台を見ることがあって、感銘を受け、自分でもやりたいと思ったそうです。 私自身長年舞踊に携わってきたのに、母の踊り好きには気づかなかったのですね。もちろ ん私は一も二もなく賛成しました。ヨボヨボしている年寄りが多くなった昨今ですが、80 歳を目前にして新たなものに挑戦しようとしている母は天晴れだと思いました。 ※新舞踊とは私もよくわからないのですが、なんでも、民謡とは違い、演歌や歌謡曲に合 わせて踊る日本舞踊の一種らしいです。 6月8日(火) うちでは、石鹸は花王の「ハーネス」というのをずっと使っていました。近頃ではお風呂 に入った時、ほとんどの人がボディソープを使うのでしょうか(ちなみに娘も「ダヴ」だ とか「ラックス」だとかのボディソープ派です)。どうも私は「古い人間」なのか、タオ ルに固形の石鹸をゴシゴシとこすりつけて泡をたて身体を洗わないと「洗った!」という 気がしないのですね……。ところが、最近その「ハーネス」なる石鹸、なかなか売ってい ないのです。うちのすぐそばのヒノミ薬局にももうずいぶん前から置かれなくなったし、 ただ一軒置いていた大井町東口の駅前の薬局でも見られなくなってしまったのでした。い まどき、石鹸なんてなかなか売れないのかもしれませんね。私の子どもの頃は、実家では ずっと「ミューズ」でした。あの「ワ、ワ、ワーッ、輪が三つ! 」のミツワ石鹸のころ のです。父がそれが好きで、よくお風呂に入っては「ミューズ」が小さくなっていると、 「おかあさーん! 石鹸もってきてー」と母を呼び、新しい石鹸でタオルにいっぱい泡を たてては私や弟の身体を洗ってくれたのでした。その「ミューズ」がお歳暮などでよくよ そからいただく「ラックス」に替わっていったのはいつごろだったでしょうか。私が嫁い だ時に安藤家では「ハーネス」を使っていたので自然とそれになったのですが、わが家で は今、再び「ラックス」に替わろうとしています。 6月7日(月) 朝からどんよりと曇り空にお昼頃から小雨が降りだし、まさに湿度100%という状態です。 こんな陽気だとレッスンしていてかく汗の量が違ってきます。教えている私でさえ汗だく です。冬の寒さは苦手ですが、これから向かっていく夏の暑さを考えると、なかなか心構 えが要りそうです。とはいっても、やはり思いきり汗をかいた後の満足感、清々しさは格 別のもの。生徒の皆さんもレッスンを終えた時、汗だくになりながらも、とっても「いい お顔」をしています。 6月6日(日) 夫が以前買ってきてそのままにしてあったフジを植えかえました。 イタリア製の植木鉢を買うなら二国と環七の交差しているところにある、ケンマートが安 いです。カンティネッタへはじめて来たお客さまが間違って自宅の玄関の方へ入ってらし て、そこに置いてあった値段のついた植木鉢を見て「これはここで売ってるんですか?」 と聞かれたことがありました。 ようやく植え替えられたフジは柔らかな若葉をつけた蔓を思いきり空中にのばしているか のように見えました。スイートバジルが陽当たりのせいかものすごく成長がはやいので、 また買ってきたのですが、それも一緒に植え替えました。 6月5日(土) 「白い巨塔」の映画版をDVDで観ました。いまは北海道に住んでいる先輩が送ってくれ ました。制作年代は定かではありませんが、主人公の田宮二郎(すごく若かった)は馴染 みがあったものの、脇役の加藤嘉、東野英治郎、小澤栄太郎、小川真由美、田村高広たち がいい味を出していて、理不尽な結末とともに重く心に残りました。 6月4日(金) 長崎県佐世保で起きた事件、なんとも信じがたい状況が次々と報道されています。友人と の気持の「ずれ」を感じた時、それを簡単に(本人にしてみれば、決して簡単ではないに しても……)殺人の動機に転換させてしまうこと、殺すという行為を一種のパフォーマン スかなにかのように演じるところに自分自身を置き「前にビデオやDVDなどで見たこと がある」方法をまねてやってみてしまうこと。きっとこの少女は本当に「殺したい」と思 いはしたものの、まさか友人が二度と笑いかけたり、冗談を言い合ったりすることのない すがたに成り果ててしまうなどとは思いもしなかったのではないのでしょうか。簡単に「 またもとにもどるだろう」ぐらいの感覚しか、いやいや、そんなことすら心をかすめるこ ともなかったのでしょうね、きっと。少女の「気づいたら(怜美さんが)倒れていた」と いう話の記事を見て、少し前に逮捕された、新たな恋人と一緒に暮らしたいがために自分 の身体の弱い息子を虐待、挙げ句の果てに死に至らしめ、遺体を山中に埋めた母親を思い 出しました。彼女もまた、捕まった後に現場に連れて行かれ、息子の遺体が掘り返されて はじめて「我に返った」ということでした。 「怖い世の中だよね」と、そのニュースを見ていた娘はいいました。「ほんとだね」と私。 「何が起きるかわからないよね」「うん、うん」……と、次に「まったく『いまの子たち』 ってなにし出すかわからないから不気味だよ」平成生まれの彼女は言います。「えっ?」 と私。「『いまの子たち』って、あなたたちはいまの子たちじゃないの?」「文音は80年 代ですからね、これでも。90年以降の子たちだよ、怖いのは」たしかに娘は1989年生まれ です。その年、昭和天皇は世を去り、ベルリンの壁は崩れ去ったのでした。 6月3日(木) 振付に使いたくて、デイヴ・ブルーベックとポール・デスモンドの有名な「テイク・ファ イヴ」を買いにいったところ、何を間違えたのか「テイク・テン」というアルバムを買っ てしまいました。失敗!失敗! 変拍子のこのジャズは、今また魅力的な感じがしてきま した。そういえば、大熊ワタルのシカラムータもしきりと変拍子をやっています。 6月2日(水) ベランダに出した洗濯物に陽が反射して、周りの緑が色鮮やかに感じられた時、どこから ともなくスズメが2羽(私には「番」に思えたのですが)やってきて、そのうちの1羽が 急に見えなくなってしまいました。「あれっ?」と思ってよく見ると、セージやレモンバ ームが鬱蒼と生えている鉢のあいだから顔を出しています。もう1羽のほうもそのあとを 追って入り込み、今度はベランダの簀子の下から出てきました。小さな虫を食べに入るの か、簀子の下に吹きだまっている砂を浴びているのか、そうやってスズメたちは暫くのあ いだ「出たり、入ったり」を続けているのでした。なんとも、のどかな午後のひとときで した。 6月1日(火) 久しぶりに立石の「宇ち多」へ行きました。今日は煮込みの「白いところ」や「ガツ酢」 をたのんでみたところ、とても美味しかったです(「酢」とは、いわゆる酢醤油のことな のでした)。そのあと、浅草橋経由で吉祥寺の「カッパ」へ。なんと、夫の提案のもと、 「モツ焼き屋さん」のハシゴをしてしまったのです。「カッパ」のあの八角の効いた「生 レバーたれ」のお味はやはり独特の美味しさがあると思いました。5月末日までに提出す る「決算書」をどうにかやり終えた夫と私は、数日来の寝不足も手伝って、電車の中では 終始熟睡(そんなにまでして出かけていく私たちはモツ焼きに取りつかれているのでしょ うか)、しっかり三鷹まで乗り過ごしたのでした。 5月31日(月) 成城石井で売っている、オリジナルジュースカンパニー製のオーストラリア産オレンジジ ュース(紙パック1リットル入り)はとても美味しいです。何故ならば、これは濃縮還元 ではないからです(但し、加糖はされています)。同じシリーズのグレープフルーツジュ ースも同様に美味しいです。大井町の某バーでもカクテルにこれらを使っていると確認し ました。私が思うに、オレンジジュースは元気の素! じゃないでしょうか。レッスンの 後などの水分補給には、お茶や冷たい水が美味しいのですが、疲れた! と感じた時など には一杯のオレンジジュースを飲むことによって、またファイトが湧いてきます。ただ、 風邪の時などはやめたほうがいいようです(昔から、よく胃を荒らすなどと聞きますね)。 グレープフルーツジュースも喉が渇いていると甘く感じることがあります。ホテルなどで のアメリカ式の朝食に一杯のジュースが添えられているのもこれに通じるところなのかも しれません。 5月30日(日) スタジオまでのアプローチに雑草がだいぶ目立ってのびてきました。それならばと、スペ アミントの種を蒔いてしまおうと考えました。料理にも使えて一石二鳥ですし、ミントは 雑草並みに強いですから。馬込のケンマートに種を買いにいったのですが、真っ白で香り の良いマダガスカル・ジャスミンの鉢植えに目が奪われてしまいました。ツートンカラー の鉢がちょっとポンペイ風で素敵です。思い切って買っちゃいました。帰って夫に見せる と寒さに弱くて難しいかもと言われました(夫は何度も失敗したそうです)。それならば なおのことファイトが湧きます。 5月29日(土) 暑くてスタジオの小窓を開けてレッスンをしました。本当は小さな生徒たちの前でその姿 は見せたくなかったのですが、背に腹は換えられず、バーの上によじ登ってそのうえの滑 り出しの小窓を次々に開けて行きました。その姿は生徒たちにはあるいは忍者のように映 ったかもしれません。みんなよく汗をかいてわたしにおでこを触らせたりするのでした。 5月28日(金) 娘の文音が生徒会の執行委員長に当選したのは去年の11月でした。その娘がまたまた選 挙に出たのです。毎年夏にある館山遠泳合宿の食事総務(食事の一切を取り仕切る役)の 選挙です。正直言って、最初に「出る」という話を聞いた時には「えっ、この期に及んで ! 」と思いました。執行委員長を全うするだけでも大変だろうに、これ以上の任務をこ なしきれるのかしら・・・という不安からです。けれど、そんな親の心配などはなんのそ の、彼女の「館山」に対する情熱は日に日に高まるばかりでした。と同時に、今度はその 選挙に対する不安のほうが大きくなっていったのでした。考えてみれば、執行委員長とし ての自分は今どれだけの皆からの支持を得ているかわからない。部活もとうに辞めてしま ったので下級生とも特に親しくしてはいないし・・・。まるで山の頂きに雲がすっぽり被 ってしまったかのように、それからは「どうしよう、どうしよう・・・」の連発なのでし た。投票日当日の立会演説会で文音は得意のウクレレを使って、推薦者とともに牧伸二の 例の有名な「♪あ〜ああ、やんなっちゃった♪」の節の替え歌で支持を仰いだところ、思 いもかけず大受けで、大差で当選の運びとなりました。いろいろ引き受けて果たしてこな しきれるのだろうかという不安はありますが、娘の大喜びする姿はやはり私の未来への希 望なのだと改めて実感しました。 5月27日(木) ベランダのセージの濃い紫の花が次々と咲いています。切り花にして店に飾りましたが、 花はポロポロと落ちてしまいました。根があってこその花なのですね。ところで、カロラ イナ・ジャスミン(黄色い花の)に種らしきものができているのを発見!団扇型の平たい 鞘なのです。熟したら蒔いてみようと思います。 5月26日(水) またまたBSの番組の話なのですが「元禄女大名」という時代劇映画を偶然目にしました。 安田公義という監督のその映画は、勝新太郎扮する若者が中田康子という女優(私は知り ませんが)扮する「おてんば」お姫さまと結ばれるお決まりの筋書きでしたが、とても面 白く見てしまいました。なにが面白かったかというと、ある時はロケ撮り、またある時は セット撮り(ミュージカルよろしく歌あり踊りあり)で小気味よい展開で飽きさせません。 時代考証何のその、ちょんまげ島田髷で「きみを愛する何とかかんとか・・・」などと歌 いあげたりしているのです。かとおもえば、カツシンがカメラに向かって「まったく女っ てぇやつはね・・・」などとぼやくのです。エンターテインメントの極みはかなりアヴァ ンギャルドなのですね。楽しませていただきました。劇中、若いカツシンが按摩に化けて お姫さまの部屋へ忍び込むシーンではまさに座頭市のあの演技なのでした。公開年が判然 としませんのでパロディーなのか何なのか。スーパーマンといえばあの役者、カツシンと いえば座頭市なんですよね、私にとっては(北林谷栄がお婆さんやくで出ていましたが今 とまったく変らない風貌なのにはおどろきました)。 5月25日(火) NHKのBSの「天才画家」という番組(再放送)でモネの一生をとりあげていました。 モネといったら「睡蓮」と「草上の食卓」くらいしか知らない私でしたが、彼の、似顔絵 や風刺絵などを依頼されて描いていた少年時代、画家として広く世の中に知られるととも に結婚して子どもをもって、多くの光の表現を追求した作品を生み出した時代、さらに突 然の妻の死から居住地を転々とした後、最終の地に居を構え、そこに彼の庭園やその後晩 年までたくさん描くことになる睡蓮の池をつくってたくさんの家族とともに暮らした時代 と三部に分けられて描かれていた画家としての一生はとても興味深く、見入ってしまいま した。全体を見て特に面白いと思ったのは、モネが少年時代に人々から多くの賞讃の言葉 を受けて気持ちよく感じていた時に、自分の風刺絵と同じ場所に飾られていたブーダンと いう画家の、雲を描いた絵に気持を奪われ、その後、彼の「風景を見なさい。そしてその 風景を描きなさい」という助言に従ってその道に進んだということ。それから、光の表現 としてずっと白を基調にしていた彼の作品が、晩年で視力がほとんど失われていったとき に、さまざまな色をもってそれを表すというように変わっていったことでした。また、こ ういう先達の一生を通しての仕事の変遷、作品の変化を一瞬のうちに見ることができるの は、まさに後を生きる私たちの特権なのだなあとも感じました。NYのMOMAでしばら くその前に佇んで見入ってしまった「睡蓮」の絵を思い出し、ぜひまた見たいと思う私で した。 5月24日(月) 第57回カンヌ国際映画祭で、日本の中学3年生の柳楽優弥(やぎらゆうや)という男の 子が最優秀男優賞に選ばれたということです。「誰も知らない」という作品の主演で、史 上最年少の受賞だと報じられています。この夏、劇場公開されるとあり、最高賞のパルム ドールを獲得した、マイケル・ムーア監督の「華氏911」とともに観るのが楽しみです。 5月23日(日) 新聞に「未来を生きる君へ」と題して、ポール・牧の若者に対するメッセージが載ってい ました。自分の志す道を進もうとしている人に、何を目指し、何を心のよりどころにすべ きかということを自らの経験をもとに説いているものでした。お寺を継ぐ身でありながら 図書館で手にした一冊の本によって、喜劇役者を目指し上京した彼の心を支えていたもの は「疲れている人や悲しんでいる人にたとえ一時でも安らぎとほほ笑みを与えてあげられ たら」という希望であったようです。そして今、同じ道を志す若者に、ただTVに出たい とか、有名になりたいとか、たくさんのお金を得たいという夢だけでは貧しすぎる。それ より大事なことは、人々に笑いによって何を提供できるかではないかと呼びかけています。 私はこの文章を読んで、踊りもまったく同じことが言えると思いました。いえ、踊りに限 らず何でもそうです。人が生きていること、人間の人生そのもの自体がそうあるべきと感 じました。人間は他人のために何かできることがその人自身の本当の幸せなのだと考えま した。と同時に、幼い頃から何度も読んだ宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思い出しました。 主人公のジョバンニの心を通して私たちに贈られる作者のメッセージは「本当の幸いとい うものは自らの命をもって人を幸せにすること」ということに他なりません。常々、娘に も言っていることですが、自分のことだけを考えて行動するのは人間失格だということ。 お稽古に通ってくる子どもたちにも同じです。踊りも、クラブの鏡の前で独り熱中するよ うな自己満足の踊りは私は嫌いです。私は「若者」ではないけれど「日々勉強」であるこ とは今もこれからも変りはありません。この小さな暖かい記事が、自分の目指すものへの 再確認を促してくれました。 5月22日(土) 一日中曇り空で少し肌寒いくらいの陽気でした。今日の幼児クラスは久しぶりに8人全員 (5月から陽花(はるか)ちゃんが新しく入ったので8名になりました)がそろった!  と思いきや、お昼寝の途中で起こされたという陽一郎君が着替えの途中で「ねむい!」と 言って泣き出してしまいました。するとそれにつられてか、今日で3回目の陽花ちゃんも 泣いています。おまけに、お姉さん格のみなみちゃんまでお母さんのそばから離れられず にべそをかいています。あら、あらと思い、「電車ごっこ」を始めてみたのですが、つい てきてくれるのは元気のいい理乃ちゃん、奏ちゃん、怜ちゃん、芽久ちゃんの4人だけ。 「あたし、少し寝てきたから元気なのよ」と言っていた萌ちゃんもお父さんの首にしがみ ついて寝起きの顔になってしまいました。これは今日は少々手強いゾと「けんけん」をや ってみてもダメ! そこで椅子を2脚もってきて2人ずつ2組に分けて「かけっこリレー」 をやることにしました。走っていって椅子の周りをまわってまた走って帰ってきて次の人 にタッチ! と説明して始めました。タッチがうまくいかなかったり、競って走るという 感覚がなかなかもてなかったりしていましたが、何回かやっているうちにひとり加わり、 二人入りしていくではありませんか。走るかわりにけんけんでもリレーをやったりしてよ うやく全員が起動開始。少し時間はかかったもののその後は順調にすすみ、芽久ちゃん、 陽花ちゃんの3才コンビはとっても元気な「仲良しさんスキップ」を見せてくれました。 「森の小人」も振り付けが二番まで「一応」伝えられたし「先生はますますファイトが湧 いてくるよ!」という言葉を心の中で反芻する私でした。 5月21日(金) 一夜明けて、颱風は予想通りに太平洋(関東の東海上)を北上していきました。朝はまだ 雨が残っていましたが、(「警報」が出ることもなく、電車も不通にならなかったため文 音も予定通りに登校していきました)お昼頃からは絵に描いたような快晴で、空気中の老 廃物が洗い流されてしまったようにストレートな陽射しが木々の緑を鮮やかに映し出して いました。荒井由美の「悲しいほどお天気」という歌を思い出しました。兄たちの影響で JーPOPをほとんど聞かなかった私が荒井由美(今は松任谷由美ですが)を聞き出した のはずいぶん大人になってからのことでした。彼女の詩には、女性の私が聞いても「うへ ぇ」と思うような女の子チックな言い回し(あの特有な歌声と共にそれがいわゆる「ユー ミンワールド」なのでしょうが・・・)がありますが、同時に「まさに言い得て妙!」と 感心する部分も多々あります。「悲しいほどお天気」というのもそのうちのひとつで、雲 ひとつない本当に澄んだ少し濃いめの青空に出くわした時、昔から私はこのタイトルを思 い出すのです。もっとも、いつの日頃からか、真っ青な空を見て自分の「秘めた想い」を そこに映し出すよりは「あー、今日は洗濯物がよく乾くわ!」との思いがまず頭をよぎっ てしまうようになってしまった・・・それは本当に「悲しいほど」ですか、ね。 5月20日(木) 颱風2号が接近しています。気温も今日は低く、夕方頃から本格的な雨になってきました。 猫たちも心なしか元気がありません。関東地方への上陸はなさそうですが、今夜から明日 の朝にかけてかなりの雨が降るということです。文音は只今中間試験の真っ最中、何でも 明朝6時の段階で何らかの警報が出されているか、小田急線が止まっている場合には休校 になるということです。「塩化銅水溶液の電気分解」の実験・モデル図をまとめながら、 お休みになった方がいいような、でも試験が引き延ばしになるのはイヤだなあ・・・と思 いをめぐらせている文音でした。 5月19日(水) 朝からどんよりと曇っていて、夕方までにはぱらぱらと雨が降ってきました。レッスン中 夏ちゃんたちがいやにガラス窓の方を気にしているので何かと思ったら、大小のナメクジ がガラスにへばりついているのでした。大きいものは4センチくらいの長さ、小さいのは 2センチくらいで太さも輪ゴム程度しかありません。雨がしとしと降ってきたので嬉々と して出てきたのか、それとも今後の大雨を感知して避難してきたのか、わかりません。夜 の大人のクラスの時にはどこからどうやって入ってきたのか、スタジオの中に2匹いるで はありませんか。私はそおっと摘んで庭に放してやりました。 5月18日(火) わが家のおみおつけは鰹だしです。私の実家は煮干しだしだったのですが、どういうわけ で鰹節になったのか、よくは覚えていません。昔はそれこそ毎朝だしをとっていたのです が、朝など忙しいので、今では夜のうちに大鍋にたっぷりとお湯を湧かして何日分かをま とめてとっておき、冷蔵庫で保存して少しずつ使っています。そうするとほかにも煮物を する時、蕎麦つゆを作る時などすぐに使えて便利なのです。鰹だしといえば、うちにはち ょっとすごい鰹節削り器があるのです。何がすごいかといって、見た目が美しい、造りが 精巧である、大きくどっしりとしていて存在感がある・・・とどれもそうなのですが、削 り出される鰹節の薄さがすごいのです。この削り器、4年くらい前、夫が知り合いの染色 家のクラフト展に行った時に、その方の隣りのブースで展示販売されていた作品を買って 帰ったものなのです。江川さんとおっしゃるその作家は、木を使って身の回りのものを作 る方でわが家にはこの他にも、座面が猫の顔になっているストゥール(「いすニャン」と いう呼び名)や6種類の木を使った洗面所の鏡のフレームがあります。どれもとてつもな く精巧な仕事がなされています。すべて手作業にもかかわらず、まるで機械を使ったよう な仕上がりなので、仲間からはもう少し雑なほうが手仕事ぶりがわかって売れるぞと言わ れているそうです。この鰹節削り器はいまだに狂いがなく、蓋や引出しの開け閉めには相 当な空気の抵抗感を肌身に感じます。蓋を開ける「バフッ」という音で二匹の猫は色めき たって必ずよってくるのです。 5月17日(月) 今年は柿の木の葉が大きくなるのが早いような気がしています。5月はじめ頃まで晴れの 日が多かったせいでしょうか。去年に比べて枝も50センチは確実に伸びて、すでに緑が 茂っている状態です。今年は実も当たり年ではないはずですが、あちこちに小さな花を見 つけることができます。そしてそれよりも目がいってしまうのがとなりでぐんぐん成長し 続ける小葉のゴムの木です。前にも書いたと思いますが、これは私がこの家に嫁いだ時に は高さ1メートルほどの鉢植えでした。冬の間は玄関に入れておいたものを、陽気がよく なって外に出して柿の木のそばに置いていたところ、根が生えてしまったために鉢を破っ てそこに植えてやったのでした。当初はそこは柿の木の陰になってまったく陽が当たらな かったので、そのうち枯れてしまうだろうと思っていたのですが、予想に反してどんどん 成長していったのでした。今では柿の木の高さの五分の四ほどもあって、実に勢いよく伸 び続けています。そしてさらにその葉の根元には小さな花の蕾のような、または実のよう なちょうどイチジクの実を小さくしたようなものがいっぱいついているのです。実である としたらその前に花が咲いたはずですが、私たちには少しも覚えがないのです。いったい これは何なのでしょう。 5月16日(日) お天気がいまひとつはっきりしない日が続いています。今日も朝はよく晴れていたのです が、風があって午後からは雨が降ってきました。気温が高いうえに湿度が高く「このまま 梅雨入りかしら・・・」と思ってしまったほどです。今年こそは夏が来る前に階上の納戸 の荷物の整理をしようと心に決めているのですが、次から次へと「やらなければならない こと」が待っていて、そうやってまた今年もあの暑い夏を迎えてしまうのかとイヤな予感 が心をかすめました。 5月15日(土) 先日「母の日」に園芸店へ行った時に買ってきたスイートバジルの葉が大きくなりました。 しかしよおく見てみると葉っぱのあちこちに穴があいています。虫食いの穴です。大きく なったらトマトとモッツァレラチーズのサラダに入れて食べようと楽しみにしていたのに ・・・虫もちゃあんと柔らかくて美味しい葉っぱを知っているのですね。「カダン」をか けるわけにもいかず、どうしたものかと思っています。 5月14日(金) アテネオリンピック女子バレーボールの世界最終予選の試合、今日の対韓国戦は3対0で 日本のストレート勝ちに終わりました。それによって、日本は8年ぶりにオリンピックへ の出場権を得ることができました。遅い時間のニュースでハイライトを観ただけですが、 どの選手も実にのびのびとしたプレイをしていたように思います。私は特にバレーボール のフアンでもありませんが、それでも試合が白熱してくると夢中で応援をしている自分に 気づく時があります。日本の選手たちには「花」がありますね。 5月13日(木) 新茶が届きました。さがらやぶきたの深蒸し煎茶です。これがないと私たち親子はどうも 調子が出ません。新茶が必ずしも美味しいわけではないと思うのですが、新茶は季節を感 じさせてくれますね。私は四十年来このお茶に親しんできました。結婚してからは夫も大 のファンになりました。いまでは夫のほうがこのお茶なしではいられないほどなんです。 5月12日(水) 神奈川の渥見利奈先生から秋の舞台の出演依頼がありました。作曲家一柳慧の作品の舞踊 化です。夫に訊くと、一柳慧はオノ・ヨーコの前夫で(ジョン・レノンの前の)、一連の 吉田喜重(岡田茉莉子の夫)のこむずかしい映画(「エロス+虐殺」や「煉獄エロイカ」 といった)の音楽を書いているそうです。アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」に オマージュを捧げたドーナツ盤は記憶にあります。どんな舞台になるのかいまから楽しみ です。10月3日(日)神奈川県民ホールです。 5月11日(火) 朝、文音を送りだしてダイニングに戻ると、わが家の二匹の猫が揃って座って中庭の柿の 木を見上げていました。見ると、柿の枝にはヒヨドリのような鳥が番いでとまっています。 枝についている虫をついばんでいるのか、しきりに辺りを見回しています。そのキョロキ ョロしている動作に猫たちは「ニャン、ニャン」とも「ワウ、ワウ」ともつかない鳴き声 をあげて鳥たちに近づこうとしているのです。間にガラスがあるのをわかっているのか、 鳥たちは私の姿にさえ関心を示さずにそこにいるのです。猫と鳥と自分が同じ空間に存在 していることが実感されて、平和な気持になってしまいました。 5月10日(月) 身体のあちこちが痒くて痒くて平田先生(皮膚科)へ行ったところ、「チャドクガか、植 物あるいは紫外線のせいでしょう」と言われました。思い起こせば先週中庭の雑草取りを していました。クスリをいただいて嘘のように痒みは治まりました。そういえば数年前、 夫が干した蒲団についてきたチャドクガと同衾してしまって翌朝内腿が真っ赤に腫れ上が ってしまい、完治するのに1週間はかかったことを思い出しました。なんでも去年は異常 気象のためにチャドクガの大量発生があったそうですね。今年も気をつけないといけない のでは・・・。 5月9日(日) 「母の日」のプレゼントに、うちの一重のバラと同じものを探しに行ったところ、園芸店 のバラコーナーで大輪の黄色いバラを見ました。その時思い出したのが幼稚園の時のこと です。花瓶にさされた三本の大輪の黄色いバラがとても欲しくなった私は、担任の先生に 「ください」と言いました。先生はこれはみんなのバラだからあげるわけにはいかないと 言いました。それでも私はどうしてもそれが欲しくて、後で再度たのみました。すると、 「欲しいのは全部? それともひとつ?」と聞くではありませんか。私は全部なんて畏れ おおいので「ひとつ」と答えました。先生はなんとそのバラの花びらを一枚取って差し出 したのでした。ガッカリしてビックリした私でしたが、子ども心にもその心情を気取られ ないように精一杯嬉しそうにして、それを受け取り宝物のように持ち帰りました。家に帰 ってからは、その茶色に変色しかかっていた花びらをコップの水に浮かべて眺めました。 嬉しいよりは悲しい思い出です。わたしが先生なら絶対にこんなことはしません。 5月8日(土) 研究クラスにこの5月から水曜クラスの梨子ちゃんが移ったので同じクラスの仲間を紹介 しました。名前と学年だけでなく、一言、趣味または好きなことは?と尋ねたところ、み んなの答が意外でした。まず夏ちゃんは「おしゃれ」。これはうなずけます。彼女はいつ もお稽古に来る時かかとの高い靴やフリルのついたスカートをはいてきたりします。香葉 ちゃんの趣味は「グロテスクな絵を描くこと」だそうです。信ちゃんは「社会の(特に法 律の)勉強が好き」とのこと。みーちゃんは一言「寝ること」だそうです。新しいメンバ ーの梨子ちゃんは「プリクラを撮ること」とニコニコしながら答えていました。ちなみに 風邪のため休んだ文音に訊いてみると「阪神タイガース」とのことでした。何年もつきあ っていても知らなかったみんなの一面を垣間見た気がしました。 5月7日(金) 怖い夢をみました。池袋まで行こうとして特急電車に乗ってしまい、もっともっと遠い所 まで来てしまってひき返そうと反対方面の電車に乗ろうとするのですが、隣のホームまで なかなか行かれずに電車が出てしまう・・・あたりは既に真っ暗で人の姿も見えず、路線 図を見ながら「ずいぶん遠くまで来てしまったなあ・・・」と思っているのです。ちょう ど「千と千尋の物語」にでてくる水上の駅にいるような感じです。 昔から何か「はてしないところ」に対してとても深い恐怖感をもっていました。地図帳の はてしなくひろがる海と陸のさかいめを見るのが怖いし、NYで地下鉄を間違えて乗って しまって、イーストリバーの河口の駅まで来てしまい、地上に出た時に巨大なブルックリ ン橋が見えた時の恐怖感!(幸いひとりではなかったのですが・・・)地の果てまで来て しまった! というのでしょうか・・・。そんな思い出もあります。ただ、それは高所恐 怖症ではないのです。神奈川県民ホールの舞台でいちばん天井に近い所からブランコで下 まで降りてきたこともあったし(最初のシーンだったので開演前から舞台から20メート ルくらい高い所でスタンバイしなければならず、それはかなりお尻がぞわぞわしたもので した)、電車のホームの端を歩くことも平気なのですが、でも東京タワーの下にいて上を 見上げるのは怖いのです。押しつぶされそうな、地面に吸い込まれそうな恐怖を感じてし まうのですね。これから先もこの怖さからは逃れられそうにありません。 5月6日(木) 今日、三井住友銀行に用事があって阪急デパート(もはやデパートではないのですが)の 一角にあるATMまで行ったのですが長蛇の列、その時です。何を思いついたのか、私は 「こんな所で並んでいても埒があかないわ。『大井町支店』にいきましょ」とばかり、品 川区役所方面に向かったのでした。歩くこと5分、立会川を暗渠にした路を通り、大井一 丁目の「そこ」に到着した私は???と思い、暫くポカーンとしてしまいました。ないの です。それもそのはず、大井町支店は大森支店に統合されて何年も前になくなっていたの でした。それをすっかり忘れていたなんて! クラス会などでは昔のことをいちばんよく 覚えていることで有名な私なのですが、こんなありさまで、とうとうボケが始まってしま ったのかと愕然としてしまいました。本当の話。 5月5日(水) こどもの日に因んだ話題がTVのニュース番組でとりあげられていました。その中で、こ どもの化粧についてのレポートがあり、高校生や中学生向けのファッションビルにある化 粧品売り場に、最近では小学生がよく買いに来ることを伝えていました。そこには実際に 買いに来ていた小学生(4〜5年生でしょうか)親子が映し出され、インタビュアーの質問 に対して子どもは「お化粧にとても興味がある。きれいになりたいからお化粧をする」と 答え、親の方は「きちんと落とすことと学校にはしていかないことを約束できるのなら」 と、もっともらしく言っていました。なんということでしょう。最近子どもを叱ることが できない親が多いことはよく耳にしますが、子どもの本当の美しさを教えてやることも同 様にできないのでしょうか。番組ではその後、化粧品が成長しきれていない幼い肌にとっ てどんなに危険を孕んだ物かということを伝えてはいました。私はその時、どういうわけ かひとつの歌を思い出していました。マリー・ローランサンの詩を堀口大学が訳したもの に高田渡が曲をつけた「鎮静剤」という歌です。夫の店でよく流れている歌です。    退屈な女より / もっと哀れなのは / かなしい 女です。    かなしい女より / もっと哀れなのは / 不幸な 女です。    不幸な女より / もっと哀れなのは / 病気の 女です。    病気の女より / もっと哀れなのは / 捨てられた 女です。    捨てられた女より / もっと哀れなのは / よるべない 女です。    よるべない女より / もっと哀れなのは / 追われた 女です。    追われた女より / もっと哀れなのは / 死んだ 女です。    死んだ女より/ もっと哀れなのは / 忘れられた 女です。 私はこの歌の「女」というところに「こども」という語を入れてもおなじことが言えるの ではないかと思ったのです。つまり、こどもが忘れられた存在、即ちこどもがこどもとし て扱われないことこそが、こどもにとっていちばんの不幸なのではないかということです。 今の世の中には大人になりきれていない「未分化の大人」が大勢います。そういう人達は こどもを大事にできません。自分の責任においてこどもを正しい道に導いてやることをし ないのです。眉をひそめながらも「子どもが言うことをきかないから・・・」とか「流行 だから・・・」という言い訳によってこどもらしからぬ恰好を黙認したり、そういうもの を買い与えたりするのだと思います。ミニチュアの大人のようなこどもを見る度に、戦場 にいるこどもたちと同じくらい「哀れだ」と感じてしまう私です。 5月4日(火) 今日のプロ野球、阪神対広島戦は阪神の圧勝でした。雨のために試合開始が30分ほど遅 れたのですが、初回から阪神が主導権を握ったような一方的な試合運びでした。藤本がプ ロ入り初の満塁ホームランを打ちました。トラキチのわが娘は大喜びしていました。 5月3日(月) バーンスタインのミュージカル、「キャンディード」を観に行きました。ブロードウェイ ・ミュージカルといっても「フォッシー」のような踊りに重きをおいたものと違って、こ れはバーンスタインが手がけた音楽作品としての色合いが濃い作品でした。難しい歌を出 演者たちが達者に歌っていました。 5月2日(日) 洗足池まで用事があって、久しぶりにおひるどきの池上線と大井町線に乗りました。どち らの電車もこじんまりとしていて、駅と駅の間隔も短く(池上線は特に)のどかな感がし ます。上りと下りの相対したホームに立っていても、話しができそうです(したことはあ りませんが・・・)。ちょうど今日は薄曇りでありながら日中になって時々強い陽射しが さす天気で、ホームの三分の一くらいに屋根のない洗足池の駅では白いコンクリートに陽 の光が反射してまぶしいほどでした。思えば、JRの大井町の駅も10年くらい前までは 古い駅舎で、今のように「アトレ」もなく、改札口は地上と同じ高さで、「まもなく電車 がまいります」という駅員さんの(そう、テープじゃなかった! )アナウンスを聞いて から急いで切符を買って改札に入り、五段位の石段を降り、白いタイルばりのトンネルを くぐってホームに出るための階段を上っても充分電車に間に合うのでした。打ち水がいつ もされているような改札口も階段の木の手すりも温かみがあって私は好きでした。 5月1日(土) ここのところ数日間の「夏」を想わせるような陽射しを浴びて、わが家の柿の木の葉もず いぶん大きくなりました。娘の部屋の外壁は一面紅い縁取りのバラが満開です。こんな陽 気なので、水やりも朝晩と一日二回やらないとクタッとなってしまいます。とってもよい 天気だし連休の幕開けでもあるので、さぞやお稽古にはお休みの人がたくさんいるだろう と思いきや、三つのクラスで「お出かけ」は二名、「熱のため」でのお休みが一名で(怜 ちゃん、早くよくなるといいね)、みんなよく来てくれました。こんな書き出しですが、 夜になってのTV番組での話。「世界の一週間」という中で、(どこの国かは聞き逃して しまったのですが)飼い猫のDNAを採ってクローン猫を造ることに成功したということ が取り上げられていました。元気なうちに採取したDNAから死亡したものにそっくりの 猫ができるというのです。一匹、百万円くらいでできるそうで、既に八匹ほどの予約がは いっているということです。一緒に観ていた娘が一瞬、「ママ、よかったね、これでター ちゃんやケムちゃん(うちで飼っている二匹の猫の名前)が死んでも大丈夫だよ」と言っ たので、「バカ言いなさい! そうやって生まれてきた猫はいくら似てたってターちゃん やケムちゃんじゃないのよ」とたしなめました。無理もないことかもしれません。生まれ て初めて猫を飼った娘は、いつからかそれらの「死」を非常に嫌がるようになり、いつだ ったか冗談か本気で考えたのか、「死んじゃったら剥製にする」などと言って今日のよう に私に言われたのでした。実際、死んだ猫にうりふたつのクローン猫を手に入れた人は、 「あの猫と同一物でないことはわかっているけれども、彼女の一部に再会できて嬉しい。」 と語っていました。人間は傲慢だと思います。ある時には飼い猫に避妊手術をして、それ が死ぬとなると「生き返り」を欲しがるなんて。そしてそれは怖いことだと思います。 同じ時に、ペルーの市民が、汚職容疑でリコールしたのに否認して辞任しなかった市長に 対し一万人の暴動をおこして、その中の数人がその市長を引きずり出してきて殴り殺して しまったと伝えていました。そして警察は一時は犯人たちを捕えたものの、一万人の抗議 が怖くて釈放したということです。ふたつのニュースを聞いて、殺すということはとても 怖いことだけれども、クローン人間やクローン動物を造ることはそれよりももっともっと 怖いことだ、ましてや、それを商売にするなどということは絶対にあってはならないこと だと強く思いました。 4月30日(金) イラクから解放されて帰国した人たちの中で、今井紀明さんと郡山総一郎さんの帰国後初 めての記者会見の模様をTVで報道していました。人質として拉致されてからの日々、わ たしたちの想像をはるかに超えた恐怖、心身の消耗の大きさがその話から受け取れました。 その会見の終りの方で「世間で取り沙汰されている『自己責任』ということについてどう 考えるか」という質問に対して、今井さんは「こうして無事に帰って来れたのですから、 自分が体験したことを通してイラクの実態を今こそ周りの人たちに伝えていかなければな りません。そうすることこそが私にとっての自己責任だと思っています。」と毅然として 答えていました。今年の三月に高校を卒業した青年が、こんなふうに世の中のこと、自分 のことを考え、言葉にできるなんてあっぱれだと思いました。その彼に対して、「親が共 産党員」だとか、「在日朝鮮人」だとか、「反日分子」だとか、暴きたてて鬼の首でも獲 ったようにしているジャーナリズム、誹謗メールを送りつける「一般市民」(一般市民っ て、何なのでしょうか)、「国の立たされている立場も考えずに勝手な行動をして国に迷 惑をかけている者たちに血税は使えない」(銀行には惜しみなく血税を注いでいるくせに) などと息巻いて自分たちの思想こそが日本を成り立たせていると勘違いも甚だしい政治家 達、恥を知りなさい、恥を! 今井さんの「それでもイラクの人たちを憎む気持にはなれ ない」と言った言葉が心に残りました。戦争で対峙している国と国であっても、その国民 同士が憎み合う必要はまったくないのです。ベトナム戦争を終わらせたのは、ほかならぬ アメリカ市民の反戦運動の昂まりだったわけですから。わたしたち日本人が思い腰をあげ る、これが最後のチャンスかもしれません。 4月29日(木) 夫にたのまれて、大森の葡萄屋さんにワインを配達に行くのに、車に荷物を運び込むと何 と車が埃まみれで真っ白でした。思わず雑巾にたっぷりと水を含ませて、四方のガラスの みを洗って出かけました。後で夫曰く「この車の洗車による小さな擦り傷はビックリする ほど少ないヨ。あれをきれいに洗ったら新車並みだヨ」と。・・・・・・・・・・・・・。 4月28日(水) 最近、稽古が長引いています。みなさんの熱心な姿勢についつい、あれもこれもと教えて あげたくなってしまう私です。今日も終わったのは9時半近く・・・でも、なにかできて きて、もうひと言私が言い足したことをみんなができたとき(あるいはやろうとしている のが動きを通して見えたとき)こんなに嬉しいことはないのですよ。私の方がみなさんか らエネルギーをいただいているのです。 4月27日(火) 嵐の中、黒テントの「三文オペラ」(新装黒テント版)を観に行きました。池上本門寺の グランド特設テントなものですから、それはもうすごいのなんのって! あまりの風雨の 凄さに、昼間、夫が今日本当にやるのかどうかサイトで調べたほどでしたが、本番中も突 風がテントを煽る音は効果抜群、迫力満点でした。ただそれに比べて、面白かったには面 白かったのですが、チト物足りなさを感じたのは私だけでしょうか。15年前、品川駅の 再開発予定地の空き地でのテント公演の時は、ちょうど昭和天皇が死ぬか死なないかの時 で、それこそ「毒」満載の痛烈な「三文オペラ」でした。それでも今回は、盗賊の首の婚 礼に姿を現した警視総監の「今日は公人としてではなく私人として来た」 という台詞にはクスリと笑わせていただきましたが。公演後、夫は20年前の黒テントの レコードに佐藤信さんや斎藤晴彦さんや桐谷夏子さんのサインをもらいに嬉々として楽屋 に入っていきました。 4月26日(月) 四国は徳島県の脇町(わきまち)に今も残る「うだつ」をNHKでとりあげていました。 「うだつがあがらない」の「うだつ」です。そもそも「うだつ」とは、柱と柱にわたして いる梁から屋根までのびる短い柱のことを言い、それを富を得るなどして隆盛を誇った家 が、今ある母屋に加えてその屋根のわきからニョッキリ建てたことから、成功をおさめた りした者に対して「うだつをあげた」というような言い方をしたらしいということでした。 なんでも、京都で起こったのが始まりだったのですが、今もその形を残しているのが脇町 なのです。吉野川の中流に位置するこの町は昔から藍染め問屋がならび、表街道から見え るその屋根の上には別の小さな屋根がのっているというふうでした。それこそ昔は新しい うだつは隣のそれよりも10センチでも高く建てるという風潮がみられたようです。今、 町ぐるみでこの貴重な文化の遺産を残そうと、一軒一軒の修復が行われていると番組は伝 えていました。 4月25日(日) 久しぶりに家族三人で大森に出て食事をした後、少し寒かったのですが、お天気もよかっ たので家まで歩いて帰りました。バスや自動車の通る池上通りから裏道に入りました。大 井町で生まれ育った夫ならではの路地を選び、蔦に埋もれたような古い日本家屋や、いろ んな猫に出合いました。わが家を裏の路地から眺めました。娘の部屋の外壁に絡ませた一 重のバラ(カクテル)と白と黄色のモッコウバラが今を盛りと咲いていました。
4月24日(土) 土曜日の2時からは小学生クラスです。現在、この4月から4年生になっためぐちゃんと 同じく4年生の万由ちゃんの二人が来ています。二人だけなので、どちらかのひとりが風 邪、または用事があってお休みということになると、一対一のレッスンになってしまうの です。それはそれでいいこともたくさんあるのですが、子どもの側にしてみるとなかなか たいへんでもあるようです。4月になって、やはりそれぞれの理由でかわりばんこにお休 みしていたため、今日久しぶりに二人が再会しました。10分前にめぐちゃんが到着し、 それから2分もたたないうちに万由ちゃんが着きました。玄関に入ってくるなり「こんに ちはーっ!」と元気に挨拶する二人です。そして、再会するや「めぐちゃーん!」「まゆ ちゃーん!」と抱き合わんばかりの大きな声を耳にして、私まで嬉しくなってしまいまし た。 4月23日(金) 井の頭線に乗っていて、京王線沿線の百草園(「ひゃくそうえん」と読むとずっと思って いたのですが「もぐさえん」とフリガナがふってありました)の宣伝ステッカーにあるミ ツバツツジの写真を見て、わが家にも昔ミツバツツジの木があったことを思い出しました。 今のこの家を建てる前の、昔の鬱蒼とした庭です。蚊が多いのが難でしたが、ふわふわと した感じのミツバツツジのピンクの花の他、トサミズキやヒメシャラ、ヤマボウシの花も 咲き、雨上がりには土の香りのするいい庭でした。 4月22日(木) 娘が小学校の先生からはがきを受け取りました。中学校での先輩たちの卒業式、新入生を 迎える入学式で、執行委員長として娘が贈った言葉(夫のエッセイ「親馬鹿で結構」の頁 に掲載されています)を読まれて「小学校の卒業生が書いたメッセージとして、私はとっ ても誇りに思います」と書いてくださったのです。まさに今日、生徒会のさまざまな問題 に落ち込んでいた彼女はその言葉に励まされ、勇気づけられ、新たなエネルギーを与えら れたようでした。本当にありがたいことです。 4月21日(水) 春休みにお母さんの田舎へ帰っていたため、何回かお稽古をお休みしていたMちゃんが、 こちらに帰ってきてからもなかなかお稽古に入れなかったのですが、今日は一緒にスキッ プ、柔軟をやりました。だんだん元気になるね。よかったね、Mちゃん! 4月20日(火) 筍を煮ました。スーパーにならんでいた堀りたての筍は、どっしりと立派でまるみをおび ていて、思わず買いたい衝動にかられました。けれど今日はおダシのとり置きもないし、 今から夕飯の時間を想像してあきらめ、その前を通りすぎました。けれどベランダの山椒 の若芽が柔らかく光っていたのを思い出し、また戻って結局買いました。まずダシをとり、 米の磨ぎ汁で筍を茹でること40分、それから煮含めて、しめて・・・でも、摘みたての 山椒とともに、最高に春の香り立つ筍をいただくことができました。 4月19日(月) アメリカのボーイング社が無人戦闘攻撃機の攻撃実験に成功したそうです。今までは無人 の偵察(観測)機はあったものの、標的に向けて爆撃するといったことには初めての成功 だということです。なんということでしょう! ニュース番組の解説委員は「アメリカは 兵士の損失を最大限避けるために、この戦闘機の開発に力を注いだ」と言っていました。 それじゃあ標的にされる側の兵士(だけでなく、そこにいる一般市民も)はなんなのでし ょう。そちらは死んだって、殺されたって構わないということですか。ひどい話じゃない ですか。だいたい戦争なんていうものはあってはならないものだけれども、それでも戦争 にふみきるということは、相手の反撃による犠牲も覚悟してのことであるはずです。それ がなんのリスクも伴わない、痛みも感じないところで攻撃が実現したならば、紛争を解決 するためという大義名分すら失うものです。そこにあるのは、アメリカの世界支配への見 苦しいほど貪欲な野望以外のなにものでもありません。ニュースでは「2008年には実 用化」と言っていましたが、この期に及んでアメリカはまだまだ戦争をしていくつもりな んですね。 4月18日(日) 今朝方、一重のバラが一輪咲いているのを見つけました。今年初の花です。二年前の夫の 誕生日に私が贈った鉢植えを、去年大きな鉢に植え替えたのを機に、夫が娘の部屋の窓辺 に張ったワイヤーに蔓を誘引したものです。中が白く、縁取りが真紅の小さめの一重のバ ラはとても可憐です。明日は雨になるということなので、しっかりと降って、明後日あた り気温が上がればきっといっせいに開くことでしょう。 4月17日(土) 研究クラス、中学2年のMちゃんが「小さい人にあげてください」と、着れなくなったレ オタードを持ってきてくれました。見ると、4〜5才用のちっちゃいもの。思わず「記念 にとっておかなくていいの?」と聞いてしまいました。こんなにかわいらしいお稽古着を 着ていた彼女はもはや私の背も追い越して、さらに大きく美しく成長へのあゆみを進めて いるのでした。立ち止まってふり返ってみると、それまでの彼女の成長、努力や上達が思 い起こされて本当に感慨深いものがあります。更に、今度これを譲り受けるチビちゃんは 何年後か、どんな娘さんになっているのでしょうか。 4月16日(金) 2、3日前から屋上の物干し場に洗濯物を干すようになりました。陽が高くなり、日照時 間がずいぶん長くなってきたからです。(3月1日の日記参照)こことても、最初に作ら れた物干し場とは違い、お昼以降の陽があたる西に面した屋根の上に臨時にしつらえたも のなのです。足場がないので、脚立を置いてもらってのぼります。のぼるのはまだいいの ですが、両手に干し物をいっぱい持って取り込む時に降りるのがなかなかたいへんです。 でも、やはり洗濯物は外に干すのが気持ちがいいですね。お日様の匂いがします。夫が言 うには、「そんなかるわざ、君だからできるようなものだね」と。褒められているような、 呆れられているような・・・。 4月15日(木) イラクで武装グループに人質にとられていた三人の日本人が解放されました。本当によか ったと思いました。4月7日に連れ去られ、行方がわからなくなってから実に8日間、犯 人達からの要求である日本の自衛隊の撤退も実現されないまま、一時はこの人たちはこの まま「国」に見殺しにされるのかしらとやり場のない憤りを感じていたのですが、今日無 事に保護されたとの朗報にホッと胸をなでおろしました。世間ではいろいろなことが取り 沙汰されています。この三人の家族に対してもさまざまな攻撃が浴びせられていることを 耳にして、いやな気運が高まっていくことを感じていました。他人のためになにかをする ことを「余計なこと」とする風潮がひろまっているようにも思えたのです。       私は昔あったことを思い出しました。私の娘がまだ小学校二年生のときのこと、当時世田 谷の小学校に電車とバスを乗り継いで通っていた彼女は、帰り道のバス停で財布を拾いま した。3〜4人の友だちと一緒だったのですが、さて、どこに届けようといってもあたり に交番はなし、結局娘が、バスに乗って自分が電車に乗り継ぐ駅前の交番まで届けること にしたのでした。数日後、落とし主にその財布が戻って、その人は学校まで「お礼を言い に」来てくれたのです。ところがこの人、実は娘の通う小学校の付属の幼稚園の園児の母 親だったのです。たまたま校内の落とし物で届けられてないかと小学校に問い合わせて、 担当の先生が娘の担任だったことから、その話を娘から聞いていた先生は財布の行方を教 えてあげられたのです。問題はここからです。担任を通じて娘に会ったその人は、どうし てそんなに遠くの交番に届けたのかと尋ねたそうなのです。財布の中には家の鍵も入って いて、すぐに見つけられなかったために鍵を替えなければならなかったそうです。その場 の雰囲気、言葉のやりとりから、決して「ありがとう」とは言われていないことを察知し た娘は、家に帰ってから全てを私に話しました。最初に交番に届けたことを話した時のい きいきとした表情に比べて、「文音のしたことは、いいことではなかったの?」と涙なが らに話すのでした。私はすぐに担任に手紙を書きました。その時の状況を説明してほしい と。そして、どんな事情があるにせよ、落とし物を届けた子どもの行動を評価してやって ほしいと。私は落とし物を拾わずに、またいで通りすぎるような教育はしたくはありませ ん、と。 4月14日(水) 今まで長いこと踊りをやってきて、よく人から言われるのが「ずうっと続けてきて偉いね ・・・」という言葉です。また、小さい子を教えていて、お母さんから「何かにつまずい た時は、どうすればそれを乗り越えてまた頑張ろう!という風になるのでしょうか?」と 尋ねられることがあります。実は、私も決して自分が続けようと強い意志のもとに踊りを やってきたわけではないのです。まさか、こんな時まで続くことになるなんて思ってもみ ませんでした。ただ、自分の今までの年月をふり返って言えることは、人から言われてや ることは続かないということです。お母さんはなるべく子どもから話をされるまでは無関 心でいてください。無関心を装いながら、子どもの頑張り、子どもの変化には常に敏感で いてください。そして、子どもの上達には思いきり褒めてあげてください。私が大切にし たいのは、踊りが好きな心と、自分の踊りを踊るということです。大人でも子どもでも同 じことです。この二つを大事にしていれば、困難に突き当たった時も自分で頑張れるので はないでしょうか。おのずと光を見出せるのではないかと思うのです。 4月13日(火) 昨日とは10℃も気温差があって、とても寒いです。夫が花フジをふた鉢買ってきました。 見ると、白い花房をいくつも着けた、枯れ枝ののびた打ち捨てられたようなフジの鉢植え です。とても安かったそうです。花房に顔を近づけると、梅の花の香りにお香の重厚な香 りを混ぜたようななんともいい香りがしました。植え替えて手をかけてやれば、立派な樹 に育ちそうです。どこに植えて、枝をどう絡ませていこうかと、早くも夫は思いをめぐら せているようです。 4月12日(月) 天から降ってくる夢をみました。「落ちる」のではなく「降ってくる」としたのは、恐怖 感やスピード感がなかったからです。ふわふわと降りて、どこか高い山の上の木にひっか かります。そして、そこから更に下を覗いて自分がどこに落ちていこうかと考えているの です。結局、山の裾野の木の枝をクッションにしてやわらかい地面に落ちます。そして、 それからひたすら走るのです。真っ暗な山道をふもとを目指して。しばらく走ると大きな トンネルがあって、そこを抜けると急に賑やかな街並みとなり、大勢の人がバスに乗るた めに行列をつくっているのです。私は自分の乗るべきバスを知るために、近くの赤ちゃん をおぶった女の人に尋ねます。「JR線のどこかの駅まで行くバスはありませんか?」と。 その人は、自分が乗ろうとしているバスを指して「これが横浜線の中山の駅を通りますよ」 と教えてくれて私はその女性のうしろの列に並びます。ふと見ると、その赤ちゃんは一丁 のお豆腐を背負っていて、お豆腐には私と夫の結婚指輪が埋まっていました。 4月11日(日) 夫の従姉妹の結婚式があり、大磯まで行ってきました。多摩川、鶴見川、相模川と、いく つも川を越えて行きました。電車の窓からはすでに葉ザクラとなったソメイヨシノ、いま 満開のヤエザクラ、黄緑色のこんもりと茂った枝を川風に揺らしているヤナギなど、のど かな春の風景が見られました。何十年ぶりに降り立った大磯は駅舎も昔のままの様子で、 式場である大磯プリンスホテルまでの街並みも、のどかな田舎の風情を残したままでした。 ただ、昔の大磯ロングビーチだったところのホテルは(いまもその名前を残してはいます が)全く様相を異にしており、やはり子どもの頃何度もそこへ行った思い出をもつ夫と、 松林から国道をはさんで砂浜に下りていく階段があったとか、バーベキューする場所があ ったとか、三段階くらいに分かれた高い飛び込み台のあるプールがあったとか話が盛り上 がりました。海が近いせいか、日差しも強く感じられたなかでの結婚式は、お仲人さんも たてない今風のもので、堅苦しくなく好感がもてました。同行した娘は、どうやら結婚式 に強い憧れを抱いたようでした。 4月10日(土) 今日の幼児クラスは久々に7人全員がそろいました。春の野に咲く色とりどりの花のよう にみんな元気で力一杯動きました。7人のひとりひとりが全く違う個性を持っていて、そ れぞれ役割があり、集団を形作っているのがわかります。7人みんながかわいいです。 4月9日(金) NHKの昼の番組でイヴ・デュテイユが歌をうたっているのを偶然目にしました。彼はプ レモー村という、村民500人(うち、150人がこども)の村の村長だということです。 何曲かのフランス語の歌の後に「子どもの権利」という歌を日本語でうたっていました。 「言葉の大切さ」からはじまるこの歌は、守られるべきこどもの権利を「正しさ」「自由」 「真実」という三つの言葉で表していました。♪子どもの権利をことばにすると難しいけ ど、それはきみたちを守るために必要なことなのさ♪・・・。 わが意を得ました。 4月8日(木) 夫が私の化粧っ気のない顔をまじまじと見て、何というのかと思ったら「きみって金子光 晴に似てるね」ですって!なんということ。いま、夫が夢中になっている高田渡が唄って いる「猿股のうた」の詩を書いた、あの金子光晴ですよ。そしてご丁寧に、原満三寿(ま さじ)の「評伝金子光晴」を持ってきて、その裏表紙となっている、禿げ上がったしわだ らけのおじいちゃんの写真を見せてくれたのです。似ているのです、それが、かなり。た れ目の感じも、あらぬ方を見てニッと笑ったうすい唇も、目尻のしわも、どことなく・・。 4月7日(水) とうとう起こるべき事件が起きてしまいました(既に、今までにも起きていたのかもしれ ませんが・・・)。川崎市高津区に住む37歳の主婦が小学2年生の息子を絞殺してしま ったのです。塾に行きたがらず、ぐずったことに腹を立てたというのが犯行に及んだ動機 だということです。信じがたい事件です。こどもが自分の思い通りにならないからって殺 してしまうなんて。思い通りにならないこともあるということを教えるのが親でしょうに ・・・こどもの思いを受けとめるどころか、自分の感情の処理もできずに「激高した」な んて、こどもは辛い、あるいは悲しい、またはどうしたらよいかわからない思いを、いっ たい誰に打ち明ければよいのでしょう。また、事件当時は勤めに出ていて不在だった会社 員の夫が言うには、「(妻は)精神的に参っていたようだ」と。なんですか、この「よう だ」っていうのは。これじゃあ、近所の肉屋のおやじと同じくらい傍観者的なセリフじゃ ないですか。  4月6日(火) 夫の誕生日を一日早く祝いました。母がお赤飯を炊いてくれました。魚春さんのお刺身( 当然ヒラメ!)はいつもながら抜群の味でした。エグリ・ウリエのシャンパーニュで乾杯 しました。こちらもいつもながら存在感の十分な濃厚なお味で堪能しました。明日、8ヶ 月遅れで夫は私と同じ年齢になります。 4月5日(月) 3〜4歳のころの私は長兄と一緒に外国のポップスをよく聴いていました。そのことをふ と思い出しました。ポール・アンカの「恋の片道切符」でしょうか、♪チューチューチュ レーン、タブタブロ・・・ブウウウー、ウェナワンウェーティキトゥダブウー♪とお呪い のように歌っていました。「ヘイ・ポーラ」や「悲しき雨音」、フランク・シナトラの「 悲しきカンガルー」、「砂に消えた涙」、曲名は忘れたのですが♪エジレジーレバー・・ ・・♪と始まるマイナーの曲(これじゃあわかりませんよね)、「刑事」というイタリア 映画の♪アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモレミーヨー♪で始まる主題歌などが私のお 気に入りでした。魅力的なメロディーがいっぱいな時代でした。 4月4日(日) 咲いたサクラも凍えるような寒さの一日でした。ここ4〜5日休んでいた近所のバーの若 いご主人が夫の店にみえました。親友が急に亡くなったことの傷心で店を開ける気になら なかったのだそうです。親友の死は時には肉親の死よりも辛いものがあります。そばにい ても何をしてあげられるわけではないのですが、若いかれの嘘のないひたむきな生きかた に惹かれている私と夫は、ただただ元気を取り戻してくれることを祈るばかりです。 4月3日(土) 4月に入って初めての土曜日、今日はご両親の都合で3月いっぱい田舎に預けられていた ためにお稽古に来れなかった幼児クラスのMちゃんも元気なすがたを見せてくれるかと、 楽しみにしていました。すると、午後になって電話が相次いで鳴り、3名のこどもたちの 欠席の連絡が入りました。風邪のために40度の熱が出てしまったReちゃん、おうちの 用事のためにお休みしますとの連絡のMちゃん、そして最後はいままでめったにお休みし たことのなかったRiちゃんのおじいちゃまからで「今日はお休みします」とのお話し。 思わず「どうしましたか? Riちゃん、お風邪ですか?」と、尋ねると「脚が痛いと申 しておりまして・・・」との答えに「お怪我でもしましたか?」と、重ねて聞いてしまい ました。最初に「?」と思った私の予感は的中して、どうやら家で「特訓」をしてしまっ たらしいのです。その場でも申し上げたのですが、私の目の届かないところで「特訓」は しないでくださいね。ご家族のはやる気持はわかります。ですが、私のクラスは技術の習 得だけが目的ではないのですから。 4月2日(金) ちょうどひとつき程前に買ってきたにおいすみれの花が次々と咲き出しました。ビルの二 階の花屋さんのかたすみに長いこと置かれていたせいもあってか、うちに買って帰ったと きには葉もひょろりとしていて、緑も淡く弱々しかったのですが、日当たりのいい軒下で 力強く生まれ変わりました。今では、葉も濃い緑となり、生き生きしています。カロライ ナジャスミンの黄色い蕾も膨らんでいますし、山椒の木の芽もしげって、うちのベランダ はもはや春まっさかりです。 4月1日(木) またまた新聞の記事を見て驚いたのですが、群馬県桐生市の山林で遺体となって見つかっ たおばあさんが、娘と孫の手によって殺されたという事件で、逮捕された19歳の孫が「 100万円で母親から殺害を頼まれた」と供述しているとありました。信じがたい事件で す。私がこの事件の中で驚いていることは沢山あります。まず、(1)娘が母親を殺すこ と。しかも(2)強盗殺人であること。そして(3)それを自分の息子に100万円で頼 んだこと。(4)息子が母親から100万円で頼まれて自分の祖母を殺したこと。(5) 遺体を山林に捨てたこと。そして(6)二人はそれぞれ多額の借金を抱えていたらしいと 書かれていたこと。しかも(7)遺体は肋骨と胸骨が折れており、それはその孫が首を締 めるために祖母に馬乗りになった際に折れた可能性があるということ。などという「おま け」までついているのです。なんとも・・・。世の中にはずいぶん昔から強盗による殺人 はあったと思います。また、実の親子といえども仲が悪かったり、憎み合ったりすること も珍しいことではありません。それから、報酬を手に入れるために殺人を犯した人もいた でしょう。ただ、これら全ての条件がひとつの事件に集中していることって一体どういう ことでしょう。そんなことって、あっていいのでしょうか?特に、私がいちばんわからな いことであり許せないと思うのは、母親が息子に殺させたということです。それって、絶 対にあってはいけないことです。昔からの確執や言うに言われぬ事情のために、時には親 子でありながらも殺し合いをした、あのおどろおどろしい横溝正史の世界のもつ「健全さ」 は、もはやここにはないのです。 3月31日(水) 友人の高弥生さんに頼まれて、高さんのお友だちの主催するピアノ教室の発表会のアナウ ンス(司会)をやってきました。川崎市の総合自治会館ホールというところでした。「小 さな音楽会」という会の名のとおり、4歳から10歳の数名の音楽家がピアノを演奏した り、歌をうたったりしていました。とてもアットホームな感じでよい会でした。 3月30日(火) 新聞で、大阪岸和田で起きた中学生虐待事件での被害者のこどもを、学校側や児童相談所 が「遊び・非行型の不登校」と認識していたということを知りました。この事件が起きた 段階で、その要因は親だけでないということは前から気づいていましたが(3月12日の 日記参照)、それにしても全く、なんともお粗末すぎて次に出る言葉がありません。 しかし、この事件にしても、六本木ヒルズの自動回転ドアの事件にしても、ドアのメーカ ー側と森ビルの管理会社側とでセンサー設定を狭めていたことがわかったとか、無責任な 行動の結末を互いになすり合っているような感がしてしまいます。もちろん、それを究明 することが、この事件においてなされるべき最低のことだということはわかっているので すが、それだけの労力をなぜ事が起きる前に費やさなかったのかと考えてしまいます。だ って、そうでしょう。「社会」は、「今後、このようなことが二度と起きないように・・ ・」と、言いますが、このこどもは二度と戻ってはこないのですよ。「たまたま、この子 たちが不運だった」なんて、私は絶対に思いたくありません。 3月29日(月) サクラが咲き出すと、入学とか、進学とか、何かが始まるといった気分が高まります。私 のお稽古場は、もちろん入所は随時OKなのですが、やはり4月〜5月にかけて入る方が 多く、この時期にはお月謝袋を新しいものに替えてお渡しすることがよくあります。それ ぞれに多少くたびれたクラフト紙の袋に12個押された領収印を見ると、私の方がなにか 達成感というか、ある種の感慨をおぼえてしまいます。今日も何人かのストレッチクラス の方に「あとひとつ」でいっぱいになる袋をお渡ししたのですが、皆さん「えー、こんな にたまったんですね・・・」と、感慨深げでした。もちろん、はんこがたまっただけでな く、私の中にはその方その方一人一人の一年間の上達や頑張りが見えるからこその感慨な のです。去年の5月からいらしているMさん、ちょっとしたサポートで、脚があと少しで 180度まであがるようになりました。私よりずっと(失礼!)年上でいらっしゃるのに これはすごいことだと思います。私の方が、頑張るエネルギーを皆さんからいただく瞬間 でもあります。 3月28日(日) 大井中央海浜公園でお花見をいたしました。天気予報でも太鼓判を押していたとおり、二 三日前の陽気とは打って変わった変化に、サクラも一斉に花開き、絶好のお花見日和とな りました。ただこの海浜公園は海からの冷たい風のせいか、他所に比べて開花の速さが緩 慢なようで、五分咲程度にとどまりました。このぶんだとあと一週間ほどは花を楽しめる のではないでしょうか。 伊藤さん(早朝よりの場所の確保、ありがとうございました)、高口さん、鈴木さん、ア ンドレアスさん、板東さん、和知さん、大谷さん、小原さん、吉田さん、柴田(ボリス) 夫妻、江口夫妻、山本さん、高橋夫妻(到着順)・・・みなさん、ありがとうございまし た。今年もうららかなひとときを過ごすことができました。
3月27日(土) ドイツのドルトムントというところで開かれている、世界フィギュアスケート大会をTV で見ました。「女子シングル・フリー」という種目で、日本の荒川静香という人が優勝し ました。ちょうどその演技を見ることができたのですが、それはそれは素晴らしいもので した。2月にコーチがかわったこと、現地での練習の際に左足を痛めたことなどを解説者 は伝えていました。たしかに、左太ももベージュのタイツの下には痛々しくテーピングが 見られます。しかし、結果はまったく心配するにあたいしませんでした。三回転ジャンプ や、スピンなどの技術ももちろん素晴らしかったのですが、4分間の演技を通して、観る 者に迫る情熱というか、作品に入り込んでいる一途な思いというものでしょうか、ブラウ ン管を通して伝わってきて、私も思わず涙してしまいました。 表彰式の時、ふたつの星条旗にはさまれて日の丸が揚がる中、演奏された「君が代」を聴 いて、文音が「これはなあに?」とたずねました。 3月26日(金) 先日、知人のダンスリサイタルを観に行くために、西武新宿線の新井薬師駅に降り立ちま した。そこで「蜜蜂」というコーヒー・紅茶の店というのに入りました。なかなか趣のあ る引き戸でしたが、店内は昔からあるスナックのようでした。高田渡をおかまにしたよう なマスターがいて、注文したコーヒーの濃さを聞いてくるのです。テーブルの上には金魚 鉢やらカエルの置物と一緒に、かごに入った駄菓子が置いてあるのでした。「お菓子はサ ービスになっております。どうぞご自由に召し上がってください」との声に、面食らって しまいました。見回すと、そこここでふたり、三人と、なにかのお稽古帰りだか、集会の 帰りに立ち寄ったような常連風の主婦たちが、コーヒーカップ片手にむしゃむしゃとそれ らを食しているではありませんか。時間がたつにつれて混んでくることに、四人掛けのテ ーブルを占領していた私はブルボンのチョコレートをひとついただいて、早々に退散した のでした。 3月25日(木) 20日(土)に、いかりや長介が亡くなりました。72歳だったそうです。彼は広く知ら れているように、ザ・ドリフターズのリーダーであり、晩年には俳優としてTVや映画の 「名脇役」として、あちこちに出演していました。たまたま、今月の15日、母の確定申 告のため税務署を訪れた私は、そこで順番を待つ間に、一枚のポスターを見つけました。 それは、消費税はお客(消費者)から預かった税金なのだから、きちんと払うようにと商 店主たちに促したポスターだったと思います。黒いタートルを着たいかりや長介が腕くみ をしていました。「このひと、いつだったか自分が癌であることを発表していたけれど、 どうしたかな・・・最近出てないナ・・・」と思いました。 23日にお通夜、24日に告別式があったとニュースは伝えていました。私は特別にいか りや長介が好きなわけではありません。世間が言う「名優」だとも思いません。人生の年 輪を感じさせるような存在自体には渋さを感じますが、時々映されるテレビカメラ目線が どうも気になります。それでも、こどもの頃(大人になってからも)、ザ・ドリフターズ の「全員集合」は欠かさず見ていました。騙しあい、追いかけっこ、勘違い、ドタバタ・ ・・とっても稚拙なのですが、かれらの演じるコントには、おなかをかかえて笑ったもの でした。たしかに幼稚だし、低次元の内容が多かったです。しかしどうでしょう、いまT Vでさかんにもてはやされている、いわゆる若手芸人による、あのヒステリックなわめき や、殺伐としたコントにくらべ、かれらのそれはなんと憎めないものだったのでしょう。 志村けんがメンバーとして加わり、食べ物を粗末にするとか、下ネタが多すぎるなどの非 難が相次ぎましたが、そんな時のものでさえ、いまほどにはひとの心を不愉快にするもの はなかったように思います。   告別式の一コマで、加藤茶が「あと少ししたら、みんなであの世で『全員集合』しよう」 と、しみじみと言っていた言葉が心にのこりました。合掌。 3月24日(水) 「少し枝をまびきしてやらないとね・・・」と、ご飯を食べながら夫が言いました。柿の 木のことです。ガラスごしに見ると、本当にほそい枝があちこちに向かってのびています。 そして、その先端にはどこを見てもふっくらとした芽がついているではありませんか。早 くに切るなら切ってやらないとかわいそうです。それにしても、カロライナジャスミンは 蕾を持っているし、ブルーベリーも花芽をつけているし、山椒の可愛らしい芽もたくさん 出てきています。レッスンのたびに、挨拶とともに「寒いですね。」と、きまって言って しまうこのところですが、「寒い、寒い」と人が言っている間にも、春は確実に近づいて いるのですね。 3月23日(火) 京成線の「立石」という駅の駅前商店街に「宇ち多」というモツ焼き屋さんがあります。 (夫のエッセィの中では既にお馴染みですが・・・)私ももう、7〜8回は行ったでしょ うか、なにしろ開店が午後2時で、しかも最初から店に入るために1時間程前からみんな ならんでいるという、「モツ焼きの道場」ともいうべき店です。今までに1度しか行った ことのない娘を、春休みになったので連れていくことができました。「シンキ」に始まり、 「レバ生」、「タン生」、「ナンコツ塩焼き」・・・と、出されるモツの味もさることな がら、そこに集うお客がすごいのです。もちろん、文音のようなこどもはひとりも見られ ません。年齢層も高いですが、常連客はみな根の生えたような常連客です。それでいて、 彼らは決して常連づらをしないのです。待たされてふくれたり、特別扱いを期待したりす る人はひとりもいません。まさに、よい客が店をつくっているという印象です。文音は、 「美味しい、美味しい!」を連発して、大満足の様子でした。
3月22日(月) 今日も冷たい雨が降り続く一日でした。春を前にした寒さを感じながら歩いていたら、ち ょうど去年の今頃、友人のお父さまの選挙運動のお手伝いで、街宣車に乗って川崎の田舎 道をまわったことを思い出しました。ちょうどサクラが咲き始めてから花吹雪が舞う頃ま での二週間程と記憶しますが、あちらこちらの美しい花とともに私のこころにのこったの は、古い美しい日本家屋でした。低い生け垣から見えた縁側はよく陽があたっていて、そ こにはめられているガラス戸は使い込まれていて、離れたところから見ても木のあたたか さが感じられるようでした。きっとその家は、かなり昔からそこに建っていたのでしょう。 古くからある物が健在であるということは、とってもしあわせなことですよね。特に自分 の生まれ育った街などの街並みが、昔のおもかげを残していてくれたりするのはありがた いことだと思います。反対に、懐かしい景色が一変してしまっていたり、馴染んでいた建 物などがすさんでいるのを目の当たりにするのは悲しいことです。そういえば、このあい だ何年ぶりかに降り立った鶴見の駅前の、私が小学生だった頃からあった小さな肉屋さん が、建物がそのままディズニーランドみたいな派手な色のペンキで塗り替えられて「モス バーガー」になっていたことは、ちょっとショックでした。 3月21日(日) 昨日の日中の気温はなんと、4度だったそうです。寒いわけです。今日もお天気は悪くは なかったものの、やはり寒い一日でした。先週の木曜日にサクラの開花宣言が出されまし たが、この寒さではサクラの花もちぢかんでしまって、開花もとまってしまったのではな いでしょうか。この分だと、つぎに陽気がよくなった時にいっせいに満開になりそうです。 ちょうど、わが家で予定している28日のお花見には見頃になると思われます。場所はこ こ何年か行っている大井の海浜公園です。午前10時頃から始める予定ですので、よかっ たら皆さんいらしてください(完全持ち寄り制です)。 3月20日(土) 実家のお墓まいりに行ってきました。今日はお彼岸のお中日、春分の日とあって祭日なの で、さぞや混雑しているだろうと思いきや、雨降りでおまけに予想もつかない程の寒さに、 お寺さんもひっそりとしていました。お寺は四谷の若葉町にあります。昔の文化放送があ ったところのすぐ近くです。昔、両親とよくおまいりに行った時には、今の裏口の方が表 門で、なだらかな石段を降りたところに広い玄関が戸を開け放たれてあったと記憶してい ます。そこでつい昨年94歳で亡くなったご新造さんが、髪をきれいにびんがたに結って 火鉢の上にお線香の束を幾本もかざして火をつけていたのをよく覚えています。今日はそ の方のお孫さんご夫婦が迎えてくれました。母と傘をさして本堂の脇を歩くと、屋根をつ たって落ちる雨が緑青のみどりの水たまりをつくっているのでした。 3月19日(金) 石破防衛庁長官が、イラクへ派遣されている自衛隊のことを「自閉隊」と言ったことに対 し、自ら謝罪の会見をしたとニュース番組が伝えていました。自衛隊を志願する若者につ いて、自分の世界にひきこもりがちな性格をもつ者が多いという意味で、冗談めかして言 った言葉であったらしいのですが、会見の中で「国の志をもって任務に赴いている自衛隊 の方々に対し、たいへん失礼な発言だった」と述べていました。それじゃあ、自閉症とい う診断をされてその病と闘っている人々に対しての「失礼さ」はなかったのでしょうか? ・・・と、申し立てをしたところで、彼のこころにその応えを期待することは困難でしょ うね。たびたびTVで目にする彼の風貌に、私にはどうしても「血の気」を感じることが 出来ません。どなたか、彼について「こんな暖かいこころを持った人情家だよ!」といっ た話を知っている方、おしえてください。 3月18日(木) 納戸を片付けていたら、古い写真に思わず見入ってしまいました。そこには、娘の生れる 前から小学生時代までのわたしたち親子が写っていました。娘の成長ぶりに目を見張りな がらも、知らず知らずに、今はなきわが家の姿を捜し求めている私と夫でした。♪狭いな がらも楽しいわが家・・・♪(エノケンではなく、高田渡で)。 3月17日(水) 右の股関節が私の場合、もともと左にくらべかたいのですが、そこを使いすぎたり、疲れ をためると痛めてしまいます。使いながら治さなければならないので、痛くなるとなかな か厄介なのです。一週間ほど前からそんな状態です。また、尾てい骨が私はひとより出て います。最近、腹筋を鍛える時、上体が起ききってしまうので、そこで尾てい骨を床に強 くこすりつけるようになってしまいます。それが続くと、痣になってしまう程になります が、一昨日からそんな状態です。あっちもこっちも痛いなんて、まったく情けなく恥ずか しいはなしです。 3月16日(火) 親子三人で、大森のモツ焼きの「七輪」へ行きました。名前のとおり、七輪でモツを焼い て食べさせてくれる(自分で焼くのですが)この店は、狂牛病や、O-157などの事件ももの ともしない、すばらしい食材を提供してくれる「知る人ぞ知る」店です。この店に行きは じめて、もうかれこれ6〜7年になります。ここのマスターがなかなか怖いおじちゃんな のですが、どういう訳か娘はえらく気に入られています。八つや九つの女の子が、はじめ からレバ生でご飯なんか食べてたからかもしれません。今ではこのマスターに、さまざま な「うまいもの」を「うまい食べ方」を伝授されています。美味しいモツを食べたい時は 娘とこの店に行くに限ります。 3月15日(月) 卒業式のシーズンです。今日も娘の通う中学では卒業式が催されました。卒業式ではふつ う卒業生が「仰げば尊し」を、そして在校生が「蛍の光」を歌うのに対し、ここでは在校 生が福山雅治の「ひまわり」を、卒業生はチューリップの「心の旅」、スマップの「オレ ンジ」、スピッツの「楓」などをうたいます。そして先生方は森山直太郎の「さくら」を うたうのです。また、最後に全員で「信じあって」「夢を抱いて」と、ともに学園長の丸 木政臣作詞、卒業生だった三枝成章作曲の歌をうたって卒業生たちを送りだすのです。 「心の旅」は以前、娘の入学式の時に上級生たちがうたってくれたのを聴いて、不意に涙 がこぼれる程の感動をおぼえました。ずいぶん昔、自分も口ずさんだあの歌は、今を生き る十代の、まさに「青春のうた」なのでした。 3月14日(日) 急用ができて渋谷に出ました。日曜日、ホワイトデーでもある今日は、駅も道路もデパー トも人、人、人・・・。その間をぬって歩くだけで、昔の(?)人間である私は疲れてしま いました。街を歩く若いカップルも、何が可笑しいのか道端で奇声を発する「くまどり」 の化粧をした少女たちも、慇懃なデパートの店員たちも、街角でティッシュやビラを配る お兄さんたちも、私とは全く異なる世界で生きる人々のような感がありました。これって 「老化現象」でしょうか? 3月13日(土) 幼児クラスのKちゃんを叱りました。Kちゃんはとても利発なこどもで、4歳にしては話 す内容もしっかりしているし、いろんなことに積極的に応じてくれます。そのKちゃんが すねたような、ふてくされたような態度をしました。その態度の要因の多くは、他のとも だちの中で足が天井に向けてまであがる子がいることに対し、Kちゃんの心の中に、「私 はからだがかたい・・・」という思いがつのっていたことにあったのだとおもいます。私 のきつく叱る態度に対し、彼女は「わかりました。ごめんなさい。もうしません。ちゃん とやります!」と、たてつづけに言い放ちました。「なにがわかったの?」と問い返す私。 無言のKちゃん。「先生が何を怒ったのか言ってごらん」「・・・・・・」 私はできないことに対し怒ったりはしません。まして身体のかたいことについてなんて。 けれども、一生懸命でないことに対しては厳しく叱ります。3歳児であろうが、高校生で あろうが。そのことについては、これから時間をかけて話をしていこうと思います。Kち ゃんにも、もちろん他のこどもにも。ですが、それよりもまず話をしなければなりません。 「ごめんなさいを百回言うことよりも、なぜ怒られたかをわかることこそが大事なんだよ」 と。 3月12日(金) 最近、TVや新聞で一日一回といっていいくらい必ず目にし、耳にするニュースに、親に よる幼児虐待が挙げられます。なぜ、こんなに、こういった事件が頻発するのでしょうか。 それはもちろん、親が親として不適格であるからなのは明白なのですが、昔なら、そうい う犯罪的な虐待を防止する近隣社会の人間関係が安全装置としてはたらいていました。そ れが現在では機能していないということが大きいと思います。児童相談所の人たちや、病 院の人間、隣に住んでいる人々など、当然気づいているであろう人間が見て見ぬふりをき めこんでいるように思えてなりません。いつだって「しわよせ」は弱いものにふりかかる のですから、社会ぐるみでなんとかしなければ、こういった悲しい事件はあとを絶たない にちがいありません。 3月11日(木) またまた筑紫哲也ネタで恐縮ですが、彼の番組で小学校からの英語教育の導入を取り上げ ていました。曰く、「外国語教育も結構だが、日本語の乱れをなんとかするのが先 決だ」。そうではないんですよね。「結構だが」という次元ではないのですよ。この日記 の2月19日をご覧ください。 3月10日(水) ニュース番組で、「イラクもう1つの不安」と題して米軍の使用する劣化ウラン弾の恐ろ しさを取り上げていました。湾岸戦争の際に軍に従事していたアメリカ人が、米兵に対し て教育的な配慮から作った、劣化ウラン弾についてのビデオが発見されたのでした。その 制作に携わった人は作戦から外され、そのビデオは闇に葬られました。何故そうなったか の問いに対し、「実際に使うためでしょう」と答えていました。この度のイラク戦でもそ の危険な兵器が使われているのは公然の事実です。国会の答弁で小泉や石破は「危険でな いのは医学的にも実証されている」などと言っていましたが、明らかな嘘でしょう。例の ビデオの制作者は、日本軍は一刻も早くイラクから撤退すべきだと奨めていました。「撤 退」できないイラクの人々はいったいどうすればいいのでしょう。 3月9日(火) 今、お笑い系のTV番組がものすごく多いですよね。特に若手のお笑い芸人たちのバトル やら、バラエティなど、毎日のように放映されるのを見て思うのですが、漫才やコントの 手法が昔とはずいぶん違ってきているということ、やみくもにただ怒鳴ればいいと思って いる人たちが多いこと等々。私は「アンジャッシュ」、「ドランクドラゴン」、「フット ボールアワー」、「いつもここから」、「インパルス」など、なにか個性的で、そこにい るだけで「ふっと」観ているほうの心がほころんでんでしまうようなコンビが好きです。 今日も彼らの毎日を追う番組の中、大阪のとある演芸場でお弁当をぱくつく大衆の前で一 生懸命「フットボールアワー」が演じていました。終演後、舞台そでで客の反応がいまい ちだったと反省する彼らの真剣な表情が印象的でした。 3月8日(月) 寒さのなかにも春が近いことが感じられるようになりました。始まるまえこそ点けておく エアコンやストーブも、レッスンなかばには暑苦しく感じるようになり、しだいに心地よ い汗が流れてきます。そういえば、今年は桜の開花も例年にくらべ一週間以上早まりそう です。昼のレッスンに去年の5月から通っているSさん、小学校三年生の息子さんにつき あってマラソンの練習と、1.5キロを彼と同じペースで走ったところ、一度も休まずに最後 まで走ることができたと、しかも次の日も筋肉痛に悩まされることなく、再び一緒に走っ たと嬉しそうに報告してくれました。彼女はこどもの頃から、どちらかというと運動は苦 なほうだったと聞いています。そんな彼女が1.5キロも走り通せたということは、まさに継 続的なレッスンのたまものであると私は思いました。嬉しいことです。 3月7日(日) 今週末、つまり12日(金)と13日(土)の2日間、横浜人形の家あかいくつ劇場で私 の兄と義姉と甥が率いる「ほ組2004」の芝居をやります。演し物は「不連続恋愛事件」で す。夫婦二人芝居からはじまって、成長した息子たちが加わりました。観に行ってやって ください。12日が15時と19時、13日が14時と18時開演です。 詳しくは下記URLをご覧ください。 http://www.yokohama-artlive.com 3月6日(土) 今日の幼児クラスでのこと。いつもレッスンの途中で「動物ごっこ」なるものをやってい ます。こどもたちに自分の好きな動物になってもらい、見てそれがそうと思えるように身 体をつかって表現させるのです。これは一見何でもないお遊びのように見えますが、実は こどもの想像力、創造力そして主体性を育てる実践だと私は考えています。その「動物ご っこ」ですが、いつもはひとりが3つか4つやるのを、なんだか今日はこどもたちがだら けてきたので、ひとつやっただけで終えてしまいました。なんと、こどもたちのがっかり した顔。それでも私に言われるように次の柔軟にうつっていきましたが、さいごのご挨拶 をする前になって、いちばん小さい2歳の芽久美ちゃんに「かめ」と言われてしまいまし た。ごめんねメグちゃん、来週またいっぱいやろうね。 3月5日(金) においすみれの鉢を買いました。ちょうど花屋さんの前を通りかけた時、リーガー・ベコ ニヤや、促成のマーガレットなどが今やさかりとばかりに文字通り華々しく咲いているな かに、咲き終わった花房をいくつもつけたまま、端の方によせて置かれていたのが目に止 まり、思わず買ってしまいました。今年は例年よりたしか二週間ほど早く沈丁花も開花し たように記憶しています。あの花のかおりも早春を感じさせますが、このにおいすみれの 懐かしくてちょっと古めかしいおしろいのようなかおりは、懐かしいこどもの頃の春の日 を思い出させてくれます。 3月4日(木) 昨日はお雛祭りでした。雛祭りといってもなにをするわけでもないのですが、年に一度こ のまだ春とよぶには北風の冷たい時期に雛人形を出し入れする時には何かしら感慨深いも のがあります。防虫剤のにおいとともに、一年一年、古さを増していくお人形を眺めなが ら去年の今頃はああ、あんなことしていたっけなあ・・・とか。そして、いつも思い出す のがこのお人形を買いに行った時のことです。一月も半ば、小雪のちらつくなか娘をおぶ って実家の母と行った浅草橋は忘れられません。あの時背中で泣いていた娘も、お蔭様で 中学二年生です。近頃では「文音がお嫁にいかれなくならない様に、早めにお雛さましま ってよ。」などとのたまうようになりました。 3月3日(水) 筑紫哲也は一体どんな人間なのですか?姿形のことではありません。今日のニュース番組 で、大きな話題性のあるニュースの蔭で、実は別の、重要なニュースが小さく報道される ことについて、ニュースの序列があたかも誰かの思惑のままに報道されかねない、そのよ うな現状について「ご了承ください」みたいなことを言っていましたが、それは違うと思 いました。報道を送りだす側の意見とは到底思えない発言でした。 NHKのラジオFMの「歌謡スクランブル」で「大人の女性のためのハートフルミュージ ック」として選ばれた曲が、谷村新司の「昴」と井上陽水の「少年時代」、さだまさしの 「防人のうた」でした。3曲とも単にムードだけを煽った何て実のない歌なのでしょうか。 これを聴いて泣くなんてお笑いですよね。「昴」は俗にいう右翼の街宣車がガーガーとか けていますしね。こんな歌は嘘っぱちです。本当に心にしみる歌は声高ではないのです。 3月2日(火) 大熊亘(おおくまわたる)とシカラムータの新しいアルバム「凸凹」はなかなかよいです。 フリーが基本のユニットなのにきちんとした旋律があって緻密で前向きのところが気に入 っています。中でも、アンジェイ・ワイダの映画「灰とダイヤモンド」のテーマ曲を思わ せる東欧的な「ある道化師の週末」と、マーチングバンド風なシンプルな力強さを持った 「アルバート・アイラー・メドレー」の2曲は振りをつけて踊ってみたいと思っています。 そうそう、そういえば一昨年ライヴで聴いたヴィレム・ブロイカーたちにも共通する世界 を感じます。(RESPECT RECORD RES-55 タワーレコードかアマゾンあたりで買えると思い ますよ) 3月1日(月) 今日から弥生と思いきや、雪が降りました。ほんの少しの時間でしたが。雪といえば、昔 の家で娘の文音がベランダで雪だるまをこしらえたことを思いだします。新しい家でもほ ぼ同じ位置に物干し場があるのですが、お隣ができて全く用を成さなくなりました。冬場 は特に干し場に困ります。一番日当たりの良い二階の居間の中に洗濯物を干しています。 1月1日の日記に貼り付けた写真を見ていただくとわかっていただけます。そう、満艦飾 なのです。炒めものをした時などは臭いが移って困ります。カラッとすっきり乾かせる物 干し場がほしい! 2月29日(日) 今日で一カ月間日記を書き続けたことになります。キーボード入力もままならないありさ まですが、一か月分を読み直してみると、なかなか感慨深いものがあります。明日から3 月です。時の経つのは本当に早いですね。 2月28日(土) 今日、幼児クラスに二名の体験希望のお子さんがみえました。とても元気な二人でレッス ン前からお稽古場を走り回って、始まってからもものおじすることなく参加してくれまし た。ところが、そこであらためて感じたのが、通いはじめて6ヶ月(そのうち1名は3ヶ 月ですが)になる生徒たちの成長ぶりです。思えばはじめのうちは並ぶ事すらままならな かったのが、今や「はい、ならんで」という私の声に、手を横にひろげてぶつからないよ うに並ぼうとしたりするのです。時にはきちんと1番のポジションなんかとっていたりし て・・・そんな時は思いっきり褒めてあげます。いちばん嬉しいのはほかならぬ私なので す。 2月27日(金) わが家には二匹の猫がいます。娘が小学校2年の時に、タマゴッチがほしいと言いだして、 「そんなのダメだ」と言って夫が「本物」を知人からもらい受けたものです。この7月で 満7歳になる兄弟猫は、姉さんのタマオと弟のケムリです。今日、二匹の爪を切りました。 タマオは案外おとなしく切らせるのですが、ケムリの方はたいへんな騒ぎです。なにしろ 体重6.2キロ、押さえつけるのも一苦労です。今日もあまりの大変さに夫にガッチリと抱き かかえてもらっていたところ、何を恐怖と感じたのか、まだ切り終えていない爪で嫌とい うほど夫の手に引っ掻き傷をつけて逃げ出しました。もちろん、とっつかまえて爪は切り 終えましたが、夫曰く、「飼い猫に手を掻かれた」。 2月26日(木) NHKの「ひるどき日本列島」は埼玉県の川口でした。川口といえば「キューポラのある 街」ですね。監督浦山桐郎はこの1作だけでも映画史に残る監督だと思います。原作は早 船ちよで確かポプラ社の本だったと思います。夕陽が黄色く差し込む図書室で読んだ記憶 があります。映画では、当時18歳の吉永小百合の初々しい魅力はなものにも変えがたい ものだと思います。浦山監督の最後の作品となった「夢千代日記」のラストシーンをめぐ っての確執は残念でした。吉永小百合の魅力は偉そうじゃないところにあったと思うので すが。 2月25日(水) 新しい家ができてもうじき3年になります。結婚してから住んだ昔の家は木造で、戦後す ぐに建てた建物を引き家したり増築したり改築したりで、迷路のようになっていた母屋に 隣接する離れを二階建てに直した小さな家でした。母屋とは廊下で続いていて、一階は八 畳ほどのリビング・ダイニングとお風呂とトイレ、二階には四畳半の夫の書斎(後に娘の 部屋になりました)と六畳の寝室、その上に夫の本や雑誌の置場になっていた小さなロフ トがありました。庭に面した一階の窓からは夫が植え増やしていった木々が眺められまし た。少しでも地面があると次々に植えていくものですからしまいにはジャングルのように なっていました。こんなことを書き出したら次から次へと思いだされてきます。仮住まい へ引越しの日、荷物がなくなってがらんとした家を見まわると、二階の娘の部屋の窓ガラ スにマジックで書かれた「さようなら 文音の生れた家」という娘の文字がありました。 娘にとっては生れて育った家なのです。目頭が熱くなりました。 この新しい家を住みよい家にして、家族の思い出をいっぱい詰め込んでやろうと、決意を 新たにしました。
引越しの直前、ジャングルのような昔の家の庭で 2月24日(火) 今年は花粉の舞う量がやはり少ないのでしょうか。例年に比べて、今のところ症状が軽く 済んでいます。こどもの頃は花粉に悩むなどということはなかったと記憶しますが、この 季節、なぜか昔から特別の気持が昂まります。なにかを待ち受けているような、楽しみが 近づいてくるような、それでいてどこかもの悲しいような。この時期になって、この空気 を感じて「あっ、今年も来たな」と思うのです。忙しい日々を過ごしていてもなにかの折 りに感じるのですね。 今年は梅の花をまだ観たという気がしません。学生の頃は、よく今は亡き父と一緒に北鎌 倉の東慶寺やら瑞泉寺やらへ梅を観に出かけて行ったものでしたが、もう何年も行ってい ません。 そうそう、そういえば、先週夫と歩いた井の頭公園の井戸の端の梅の木が、申し訳程度の 花を咲かせており、それでも枝に顔を近づけるとなんとも良いあの香りがしたのでした。    陽のなかに 梅の香聴きて 亡父(ちち)想う   順子 2月23日(月) 「春」を思わせるような昨日の陽気にくらべて風がとても冷たい一日でした。昼間のクラ スのあと美容院(なんて古風な言い方!)に行きました。目指すお店は文京区小日向。そ の方とはもうかれこれ30年近いお付き合いになります。当然、彼女は私の踊りのことも知 っていて、その都度かかっている舞台によって、やれポニーテールにした時にあげた髪が 軽くなる様にとか、フワンとまわったあとにばさつかないようにだとかいう「注文」に丁 寧にいつも対応してきてくださったのでした。昔に比べて舞台の数もずっと少ないのです が、とにかく現在は髪も自然だし自由。舞台によって規制されるなんてことも少なくなり ました。ので、最近は殆どおまかせ状態です。昨日もまな板の上の鯉状態でした。できあ がった髪は、毛量の多い後頭部のあたりが、ぼんのくぼでおもいきりジャギジャギになっ ていました。萩原宗の愛弟子の彼女はきわめて正統的な流儀をこれまで崩すことがなかっ たのですが、最近はそれにとらわれすぎずに、新しい感覚も良いと思うものはどんどん取 り入れていこうとしているそうです。その姿勢に「日々勉強」という言葉を強く感じたの でした。その髪型、とても気に入っています。 2月22日(日) 今年はバラの芽が動きだすのがいつもの年より早いような気がします。 娘の文音の部屋はわが家の西の端の2階にあって、わが家ではいちばん日当たりが良いの です。真南向きの出窓の外側にステンレスワイヤーが縦横に荒く張ってあります。そこに カクテルという名前の一重の蔓バラを絡ませているのですが、もう芽が動きだしてしまっ たのであわてて枝の更新をして、ワイヤーに誘引してやりました。香りの良い白い花の咲 くモッコウバラも大きくなったので、鉢替えをしてやってから枝をワイヤーに誘引してや ろうと思ったのですが、嵐のような今日の強風で断念しました。なるべく早くにやってや らなくては。 2月21日(土) NHKのETVスペシャルで「山之口貘」をやっているのを偶然見つけ、思わず店にいる 夫を呼んでしまいました。番組では所縁のある高田渡が「生活の柄」を歌っていました。 この歌は昔から知っていて「なんて歌詞なんだろう」と思っていましたが、やはり「なん て歌詞なんだ!」でした。山之口貘にとって故郷であった沖縄は、思慕の対象であると同 時に差別から逃れるために隠したい存在だったということが驚きでした。しかしこの引き 裂かれた感情が、詩人山之口貘を詩人にしているおおもとなのだと思いました。 それにしても、テレビに映った高田渡が去年吉祥寺の「伊勢屋」で会った実物の高田渡と 全く同じく飄々としたすがただったのでホッとしました。映し出された彼の住まいがとっ ても庶民的で、まさに「生活の柄」を感じたのでした。 山之口貘の詩を歌にした高田渡、彼とともに「生活の柄」を歌った大工哲弘、そのどちら とも会ったことがあるのが私と夫のちょっとした自慢です。 去年高田渡を見かけた時のことを夫が夫のページに書いているのでここに引用しておきま す。   ・・・道に面した立ち呑みコーナーへふと目を遣ると、そこでアザラシのタマちゃん   のようなヒゲの男が呑んでいるではないですか! サングラスをかけてはいても直ぐ   に判りました。なんと高田渡だったのです。嬉しかったですね。引っ込み思案のわた   しですが思わず声をかけてしまいました。   「あの、失礼ですが高田渡さんではないですか?」   「はい」   「ぼくファンなんです。こんなところでお会いできるとは。感激です」   「いつも大体こんなところで呑んでいます」   「ぼくは『ブラザー軒』が大好きです」   「ああ、それはどうも・・・」   「いつも素晴らしい詩に曲を付けていらっしゃいますよね、黒田三郎の詩とか」   「ああ、あれは最初の方だけ使わせてもらって・・・」   「山之口貘のトリビュートアルバムは毎日聴いています。大工さんとやってらっしゃ    るのもいいし」   「たくさん持ってるんですね」   「いやー感激です。握手していただけますか? どうもありがとうございます」   「またどこかでお会いしましょう」   高田渡の手はちょっぴり冷たかった。(2003年4月1日) 2月20日(金) 久しぶりに、高弥生さんのジャズのクラスに参加しました。いつも教えばかりで追われそ うな毎日ですが、自分の身体の確認のためにも、もちろん新しい身体表現の創造のために も、私にとって大いに役立っています。高さんはステージやTVの世界でずっと活躍して きた人で、のびのびとした動きや、センスのある間のとり方が魅力です。 2月19日(木) 最近気になることがあります。特に就学前の小さな子たちに多いのだけれど、自分から言 葉を発することが少ないような気がします。聞けば答えるのにそれだけ。一問一答のイン タビューのようになってしまうのです。新聞によると、文部科学省は小学校から英語を必 修にはするように検討しているらしいのですが、私は反対です。こどもたちにとって母国 語である日本語が疎かになりはしないでしょうか。言葉は考えるための道具ですから、複 数の道具を使いこなすことなど、母国語もままならないこどもたちには無理だと思います。 自分自身を深く見つめるような段階までの言語能力を獲得する前に、別の言語を習っても、 考えるための道具にならずに、どっちつかずになってしまわないでしょうか。日常会話が 流暢でなくても構わないと思います。その先の言語能力の質こそが問われるべきではない でしょうか。だからとにもかくにも日本語教育なんです。日本人とは民族でも国籍でもな く、日本語でものを考えるから日本人なのです。 2月18日(水) 幼稚園の時から来ている子が中学入試に合格したと報告してくれました。入試などを控え て稽古を長期にわたって休む子が多いのにこの子はほとんど休みませんでした。偉かった ね。 2月17日(火) 井の頭公園から吉祥寺の駅周辺を歩きました。公園駅に降りたのがもう4時近かったため、 陽もずいぶん傾いていたのですが、こども連れの母親や学生たち、犬を散歩させる人で結 構賑わっていました。同じ裸の木でも、よく見ると先端の芽の部分がかすかに膨らみ、春 が近づいてきたことを感じたのでした。 2月16日(月) 今日はストレッチ・クラスが二つある日でした。長い人でもうじき1年になりますが、最 近とみにみなさん背中がのびてきてきれいにバランスがとれるようになりました。 ガルバンソ(またの名をヒヨコ豆と言います)と赤いんげん豆のスープを作りました。チ リ・ペッパーを多めに振り入れると中米風になります。美味! 2月15日(日) 甥の出演する芝居「三月の五日間」を天王洲のスフィアメックスに観にいってやりました。 ブツブツとしか言わない独白的な手法に新しさを感じました。りんかい線2駅でしたから 正味5分で大井町駅まで戻ることができました。さすがに交通便利な大井町です。 2月14日(土) 稽古を3クラスこなすとさすがにくたびれます。 バレンタインデーでした。そういえばこの日にチョコレートをプレゼントするようになっ たのは、確か私が6年生の時からだったと思います。 2月13日(金) 母の所の鉢植えのクロッカスが咲きはじめました。黄色が少し早めで、紫色とは2〜3日 違うようです。小学校3年生の時、水栽培に失敗したことを思いだしました。芽の出かか ったものを実家の母がストーブのそばに置いてしまってダメにしてしまったのでした。落 胆した私に芽のでかかった球根を花屋さんから買ってきてくれたのですが、全然愛着が湧 かなかったのを覚えています。 2月12日(木) 娘の文音が初めて受けた英語検定の合格通知が来ました。四級合格おめでとう! その夜 はバレンタインデー用のチョコレート作りに深夜まで付き合わされました。 2月11(水) 現代舞踊協会研究部主催の「一日舞踊大学講座」にスタッフとして参加しました。日々の ストレッチの方法が間違っていなかったことが確認できて安心しました。 2月10日(火) 昨年亡くなった舞踊家の日野聖巳(ひのまさみ)さんのお別れの会がありました。朝鮮舞 踊の第一人者、小澤絢子先生のお弟子さんでした。56歳の生涯は短すぎました。明日の 「一日舞踊大学講座」ではお会いするはずでした。20年前の「夢を見た」という作品が 記憶に鮮やかに残っています。合掌。 2月9日(月) 夫に差し出された新聞の切り抜きは、ロシア語の同時通訳で第一人者の米原万里がその父 君米原いたるについてなされたインタビュー記事でした。彼女もその父君も知らない私に はよくわからなかったものの、裕福な生い立ちにもかかわらず、級友の誰もが麦飯の弁当 なのに自分一人が「白いご飯」だったり、卒業後は自分よりも優秀な級友が丁稚奉公にだ されたりした戦前のきびしい階級差別を目の当たりにして、共産主義運動に身を投じる決 心をした父君に感銘を受けました。いわれのない差別や不平等に対して決然と異議を唱え る原初的な正義感こそが、共産主義運動の端緒だったのだと思います。いまの日本共産党 にその正義感がありますか? 2月8日(日) わらび座の「アテルイ 北の燿星」を観ました(池袋の東京芸術劇場で)。坂上田村麻呂 (さかのうえのたむらまろ)と蝦夷(えみし)とよばれた東北地方一帯の部族の首長アテ ルイとの物語です。肥沃で豊かで平和な東北の郷土に対して、支配・制圧の侵略を執拗に 続けた大和朝廷は、最終的にアテルイを生き埋めのうえ鋸引きで処刑して、その地での支 配権を獲得するにいたったのですが、坂上田村麻呂はアテルイを処刑して伝説的な英雄に なってしまうことを恐れ、あくまで朝廷に対して降伏させる戦略を選びたかったのです。 それはもちろん、幼なじみでもあったアテルイ自身に対する友情もあったのですが。 劇中でアテルイが部族の首長に選ばれるシーンがありました。真っ先に戦いに飛び込んで いくものこそがリーダーに相応しいからということで、アテルイをリーダーとして推し立 てたのでした。アテルイ自身も、当然仲間のためにたたかうのだが、もしも間違った方向 へ行ったときはいつでも自分を殺してくれと言っていました。現在の日本のリーダーはど うでしょうか。イラクに真っ先に飛んで行ったのですか。誤った判断をした際の責任を取 る決意はおありですか? おりしも楽日だったため、終演後の舞台上で原作者・脚本家・演出家のあいさつがありま した。口々にイラクに対するアメリカの侵略戦争とのアレゴリーを指摘していました。配 られたアンケート用紙に私は次のように書き入れました。いま日本人が観るべきは「ラス ト・サムライ」ではなく「アテルイ」ですと。 2月7日(土) 昨年9月から始めた土曜日の「幼児クラス」の成長が最近著しいと感じます。最初は混沌 とした無政府状態!、それがいまでは手を横にして自分たちでならべるようになったので す! ご両親も感動でしょうが、教師冥利に尽きる瞬間でもあります。 2月6日(金) 娘の中学校の学年委員会(よそではPTAとよばれる組織の役員会のようなものです)で 帰宅が猛烈に遅くなってしまいました。この道中を娘は毎日通っているのかと思うと天晴 れな気持になりました。 2月5日(木) 鶏ガラのスープをとってワンタンを作りました。鶏ガラのスープを上手にとるコツは絶対 に沸騰させないことです。ごくごく近所で40数年営んでいた中華そば屋さんが先月の20 日で店を閉じました。計画道路の拡幅ために収用に応じたためです。近々解体が始まるの でしょう、店の前に店名入りの食器類が「どうぞお持ちください」の貼り紙と一緒に出さ れていたのを、夫が大振りのラーメン丼だけもらってきました。その器でワンタンをいた だきました。


2月4日(水)
生徒の小学校2年生のこどもがレッスンの後に私のところにやって来て、「2月いっぱい
でお稽古をやめます。」と唐突に言うではないですか。その理由は?と尋ねると、「飽き
たから」のひと言。わが耳を疑いました。バレエ教師歴30年で初めて聞いた理由でした。
飽きるほどやってないくせに! 何事もなかったかのようにレッスンを終えた後に言わせ
た親は、娘のその理由に何らかの配慮はなかったのだろうか。

2月3日(火)
娘の中学校で、大阪から福井幸男先生をお迎えしてのエコ・クッキングの実習に参加しま
した。茶殻のかき揚げなどというアイデアレシピは、生徒たちの未熟な調理技術のため加
熱不足の超レア状態で真価を確認しきれず。
帰りに、鎌倉の神奈川県立近代美術館で8日までの会期の「堀内正夫の世界展」へ足をの
ばしました。堀内正夫は幾何学的なアブストラクトの彫刻家で、一見味気なさを感じやす
いのですが、実は寡黙な中にも計算され尽くした独自の内面世界が表現されていることや、
時間の経過を作品化していることに、私は感心させられたものです。ユーモアのセンスも
魅力です。図録がどうしても欲しくて再訪したわけです。会場で2〜3人で談笑する小柄
なお婆さんの姿がありました。聞こえてくる話の内容で、その方が堀内正夫の奥さま堀内
淳子さんであることが判明しました。華奢なお身体ながら、かくしゃくとした足取りと話
し振りに感銘を覚えました。

2月2日(月)
娘の文音が学校が入試のため休みだったので、朝ゆっくりと起きてハムトーストを作って
食べました。トーストした食パンに松田のマヨネーズ(甘口)をたっぷりと塗るところが
ミソなんです。紅茶はアールグレイが良いようです。

2月1日(日)
これからは毎日日記をアップしていこうと思います。
大井町の住人ならそのDNAに染み込んでいると夫が言うところの、駅前は東小路のラー
メン屋「永楽」に家族3人で行きました。ちょうど昼すぎで行列に並ぶこと20分ほど。
夫のラーメンだけ「周回遅れ」(このお店は何食分かをいっぺんに作るので)でやって来
たので、通常では半個の味付け煮卵が1個だけなのに2個入っていました(よしよし)。
焦がしネギの浮んだスタイルで、渋谷の百軒店の「喜楽」に酷似しています。それもその
はず両店のルーツは同じ店で、大森にある「喜楽大飯店」なんだそうです。

1月1日 (2004年)
左のお宅は去年建て替えられました。緑色のバーは物干し竿です。 9月3日 (2002年) 今日はいい天気です。二学期が始まって、家の中もひっそりしているお宅も多いのではな いでしょうか。
左のお宅は取り壊されました。 1月23日 (2002年) わが家の庭には1本の柿の木があります。多分夫が子どもの頃からこの場所にあったので しょうが、わたしがこの家に嫁いで(なんとも古い言い方!)来た時にはまだひょろひょ ろで、幹の太さも10センチほどだったように記憶しています。それでも貧弱なからだに、 12月になってようやく熟しきる小さな朱色の実をつけていました。 その頃の庭にはこの柿の木の他に、ひめりんご、紫陽花、アオキ、山茶花、楓などがあっ たのですが、その後、夫の好みでヤマボウシ、ロウバイ、ヒメシャラ、三つ葉ツツジ、土 佐ミズキ等が植え足され、鬱蒼とした小さな「林」のようになっていました。しかし、こ の建て替えの工事でそれらの木々のほとんどは取り払われ、残されたのはこの柿の木と、 それにまとわりつくように伸びている小葉のゴムノキ、ノウゼンカズラ(工事後にワイヤ ーに固定しようと誘導した時に根本から折れてしまったのですが、近くの地面から新芽が いくつもニョキニョキと生えてきて一安心!)、たったこれだけです。その柿の木に、他 よりは少し遅く沢山の実がつき、暮れにようやく十分に甘みも増すほどになりました。 年が明けていよいよ熟し、軟らかいものもみられるようになると、どこからか鳥が毎日や ってくるようになりました。早朝はカラスです。バサバサと大きな羽音をたててやってき ては丸ごと実を取り去っていきます。その後で、名前のわからない尾の長い嘴の黄色い中 型の鳥、同じような大きさで尾も嘴も黒っぽい鳥、スズメ、メジロなど、多い時は一度に 30羽以上の鳥たちがこの柿の木に止まり、我先にと柿の実をつついて歓声を上げていま した。 ある日、あまりの鳥の多さにただならぬ雰囲気を感じていたのですが、残り少ない、それ でも30個ほどは残っていたでしょうか、柿の実があっという間に食べ尽くされてしまいま した。翌日か らはぱったりと鳥たちは姿を見せません。わが家の南隣りのお宅はこの4 月から9階建てに建て替えるそうです。完成すればわが家にも庭にもこの柿の木にも日が ほとんどあたらなくなるでしょう。今年はまだしも、来年以降も柿の木が生き延びて、ま た実をつけるかどうかはわかりません。はたしてあの鳥たちと再会することがあるでしょ うか。
萼だけが残されボウズになったわが家の柿。左のお宅が建て替えられます。 1月21日 (2002年) 上野の森美術館にニューヨーク近代美術館(MOMA)展を観に行きました。目当てはマ チスの「ダンス」やボナールの「庭に面した食卓」など、'99年のニューヨーク公演の折り にMOMAで観てきた作品たちとの再会でした。この季節には珍しい嵐のような大雨の中、 ましてや月曜日だというのに、会場は人であふれていました。「これでもか」と言わんば かりに「名画」を集めた企画といい、さすがフジTVです。でも、狭い会場に機械的に詰 め込まれた「名画」たちはいささか窮屈そうでした。MOMAでのドーンとした空間の中 に置かれていた時とは随分と違った印象でした。美術館で鑑賞するのは作品ばかりではな く、わたしと作品との間にある空間も含んでのことなのだと、今日気づきました。なぜか 再会の感動はなく、みな白々しく、旧知の人に知らん顔をされたような寂しさが残りまし た。みんな偽物のような印象を持ったのはわたしだけでしょうか。それでも、マチスの彫 刻はやりたいようにやっている感じがなんとも楽しそうで、面白かったです。