3月。
まだ肌寒さが残る日、女子大の3年生になる朝丘 幸は真新しいアパートの前でタクシーを降りた。
幸がキャンパスの事務局でルームメイト募集の広告を見たのは一週間前だった。それからすぐに事務局から募集主を紹介された。
募集主の藤田綾子は、今時珍しく黒髪に色白の純日本風美人だったが、どこか陰のある女だった。だが、三人姉妹の実家でさんざ騒々しい環境に我慢を強いられていた幸にとっては、物静かな綾子はルームメイトとしてはかなり好印象だった。
元来男っぽく、カラッとしたタイプの幸には、キャッキャしたイカにも女の子!というタイプよりは綾子のようなタイプの方が向いていた。
それは干渉されるのが嫌いな綾子にとっても同じだったらしく、二人はその場で同意し、この3月からルームメイトとして一緒に暮らすことになった。
もうほとんどの荷物は宅急便で運びこみ、あとは幸本人の到着を残すのみだった。
二階の角部屋。 幸はアパート二階を見上げた。
角部屋の窓は全てカーテンが閉められ、中を窺うことは出来ない。
幸はスッと息を吸い込み、傍らに降ろしてあった荷物を持ち上げ、アパートへと歩き出した。
部屋へと足を踏み入れた幸は、ざっと辺りを見渡した。
2DKの間取り。ダイニングの真中にはガラス製のテーブルが置かれ、全体的に質素な感じのする部屋。
カーテンが閉められているせいもあって、暗い雰囲気である。
ダイニングまで来た幸は、浴室の物音に気づき、振り向く。
まもなくして浴室から髪を拭きながら出てきたのは、全裸の綾子だった。
唐突な出会いに言葉を失う二人。しかも綾子はヌードである。
「あ、あの…」
幸が声をかけようとするが、綾子は何かに怯えるような表情を浮かべながら壁に背をつけ、次の瞬間バスタオルを背中に羽織ると、瞬く間に浴室へと消えていった。
幸は何がおこったのか理解出来ず、ただ呆然と浴室の方を眺め、そこに立ち尽くしていた。
綾子は料理上手だった。 幸の目の前のテーブルには、パスタやスープ、サラダなど数々の皿が整然と並べられていた。
「さっきはごめんなさい。突然だったからびっくりしちゃって」
涼しげな表情で綾子がきりだす。
「ううん、こっちの方こそ。…でも驚きましたよ。だって背中にタオルを羽織るなんて。普通前を隠すでしょ、ああいう場合」
幸の言葉を聞いた綾子の表情に一瞬緊張がはしる。
「…慌てたんです。私、家族にも裸は見せたことないから」
フッと微笑みながら答える綾子。
「へぇ、そうなんですかぁ。あたしなんか家族の前じゃ全然ノーガードですよ。父親には『おまえは女なんだから』なんてよく言われましたよ。ま、最近はさすがに隠す部分は隠しますけど」
微笑む二人。
「食べましょうか」
綾子の言葉を皮切りに、二人の食事が始まる。
ナイフとフォークの音に咀嚼音。
会話のない食事に雰囲気がぎこちなくなっていく。
「そうだ」
ぎこちない雰囲気を振り払うように幸が始める。
「来週、パーティがあるんですよ。いわゆる合コンってやつ。藤田さんも行きません?相手は一流商社のサラリーマン」
「…面白そうですね。でも私、合コンって出たことないから」
「えー?そうなんですか?今時珍しいですね。でも、藤田さんならモテモテですよ、きっと」
フッと微笑む綾子。
幸が続ける。
「いいのいなかったら、それはそれで女同士で飲みってのもいいし。どうです?行きませんか?」
「せっかくですから、参加させてもらいます。私、まだ東京に出てきて日も浅いので、色々な方と知り合いになっておきたいですし」
「そうそう、いい機会ですよ。あたしの友達も来るんで、紹介しますね」
幸は、綾子を誘えたということ以上に、ぎこちない雰囲気を打破できたことに胸をなでおろし、綾子の料理に舌鼓をうつのであった。
新学期も始まり、最初の日曜日。
幸と綾子は引越し作業の影響で雑然としていた部屋を片付けていた。
外の気温は20度を越え、暖かいというよりも暑さを感じさせていたが、奇妙なことに綾子はタートルネックにロングスリーブのセーターを着ていた。
ダンボールを折りたたんだり、荷物を運んだりという作業で、ただでさえ汗がでてくるというのにその格好で黙々と作業を続ける綾子に、幸は疑問を感じた。
「暑くない?」
思い切って聞いてみる幸。
「別に。私にはこのくらいが丁度いいの」
涼しく切り返す綾子。
綾子はかがみこむ時、タートルネックの襟の部分をグッと引っ張り上げる癖がある。まるで隙間から背中が見えるのを避けているようだ。
幸は、そんな綾子に違和感をおぼえつつあった。
居間で幸が友人の智子に電話している。
綾子は外出中である。
「そうなの。何か変なんだよねぇ。必要以上に背中を見せまいとするんだよ。背中の肌。何かあるのかな、背中の肌に」
受話器の向こうから智子が答える。
「タトゥでもあるんじゃないの?それか、でっかいにきびとか(笑)」
「刺青なんて、隠すくらいならしないでしょ。雰囲気も謎めいた感じだし。面白いっちゃあ、面白いルームメイトだわね」
「いっそのこと脱がしちゃえば?」
「ばか言わないでよ。それじゃセクハラだよ。あ、そうだ。例の合コン。フォーマルにするってのはどう?」
「フォーマル?私ドレスなんかもってないよ」
「あんたは何だっていいのよ。彼女だって持ってないと思うし。あたしのドレスを貸してあげるの。思いっきり背中あきのやつ持ってるから」
「ま、相手は一流企業のサラリーマンだし、いいかもね」
「じゃ、決まりね!」
玄関のドアが開く音がする。
「あ、じゃ、また電話するわ。じゃあね!」
慌てて電話を切る幸。
綾子が居間に入ってくる。
「ただいま」
「おかえりなさい。あ、あの例の合コンだけどさ。フォーマルドレスって持ってる?」
「…ないけど。どうして?」
訝しげに幸を見る綾子。
「フォーマルになったんだ。合コン。ホラ、相手が一流エリートサラリーマンでしょ。だから、ね。持ってないなら貸してあげるよ。いいの持ってんだ」
というや否や背中あきの黒いフォーマルドレスを持ってくる幸。
それを見て呆然となる綾子。
「これ。着てみて」
「え、で、でも」
「いいから」
といってドレスを無理やり綾子に渡す。
「…わかったわ。自分の部屋で着てみるから、ちょっとここで待ってて」
綾子は思いつめた表情でつぶやくように言うと、自分の部屋に入っていった。
したり顔の幸。
縦長の鏡の前で試着する綾子。
そのドレスは前と後ろがV字形にあいている、日本人にとっては露出度の高いドレスである。
髪をたくしあげ、露出された自分の背中をじっとながめる綾子。その目には恍惚の色が浮かんでいる。
突然ドアが開き、幸が入ってくる。
綾子は慌てて鏡に背を向け、背中を鏡に押し付けて隠す。
「どう?いい感じでしょ?」
「…」
こわばった表情で幸を睨む綾子。
「ねぇ、ちゃんと見せてよ。中々セクシーなんだから、そのドレス」
「…出てって」
泣きそうな表情で幸につぶやくように言う綾子。
「…どうしたの?」
「出てって!」
綾子の怒号に、今度は幸が唖然となる。
「出てけ!」
「…は、はい」
尋常でない様子の綾子に、仕方なくすごすごと部屋を出て行く幸。
綾子、そのまま崩れるようにしゃがみこみ、頭を抱え、泣き出す。
大学のキャンパス内には広い公園があり、学生達で賑わっている。
幸と智子は木陰のベンチに腰掛け、話している。
「なんかコンプレックスでもあるんじゃないの?」
わけがわからない、といった様子の智子。
「いずれにしても、尋常じゃないね、あの反応は」
幸は何かを確信したように話す。
「きっと背中に何かあるんだよ。間違いない」
「もういいじゃん。そんなにこだわらなくっても。ルームメイトなんだし、うまくやってけなくなっちゃうと困るでしょ?」
幸を諭すように言う智子。
「でも、見たい。そこに何があるのか」
「困ったわねぇ」
「結局彼女は新しいドレスを買っちゃったし、ドレス作戦はダメねぇ」
幸は智子の言葉など完全に聞いていない。
「そうだ、いい考えがある。合コンの日」
「合コンの日?」
「うん」
幸の目に希望の光がやどる。
合コンの夜。
幸たちのアパートから程近い高級レストランが合コンの一次会会場だった。
席につき、談笑を始めている幸達とエリートサラリーマン達。
綾子はタートルネックのブルーのドレスに身を包み、控えめな態度と、丁寧な言葉づかいで男達の心をくすぐっていた。
いわば子供の中に大人の女性が交じったという感じで、男達の目は完全に綾子にいっており、もはや合コンの体はなしていなかった。
もちろん幸、智子を含む他の女性陣は面白くない。
小声で幸に毒づく智子。
「(何よ、これじゃ私達、ただのかざりじゃん)」
「(待ってな。例の考えがあるんだから)」
幸はシチューの乗った皿を手で払い、綾子にぶちまける。
「きゃっ」
「あ、ごめ〜ん!」
綾子のドレスはシチューまみれになっている。
「…ど、どうしよう…」
今にも泣き出しそうな綾子。
「これ、早く洗わないと跡残っちゃう。ね、ちょっと帰って着替えてこようよ」
「え?」
「ドレスも洗濯に出して。そうしないと何もかもだいなしだよ」
「…そうね。わかったわ」
残念そうな表情を浮かべつつ、腹部を拭きながらスッと立ち上がる綾子。
「じゃ、ちょっと着替えてくるから。ごめんなさいね〜」
と言い残し、綾子を引っ張ってその場を去る幸。
ただ呆然と成り行きを見守っている他のメンバー達。
アパートの部屋に戻ってくるや否や、幸は居間の洋服ダンスを開け、何かを探しだす。
「幸、私どうすれば…」
「今ベンゼン探してるから、取りあえずドレス脱いでよ。きれいに拭き取ってクリーニングに出せば大丈夫だから。代わりのドレスはあたしが貸すからさ」
「…わかったわ」
綾子はそう言うと、自分の部屋へとすごすごと入っていった。
綾子の部屋のドアが閉まった直後、幸はベンゼン探しをやめ、綾子の部屋へと近づく。
綾子は気を取り直し、首筋のジッパーに手をかけ、ゆっくりと下へと下ろし始める。
綾子の背中が次第にあらわになっていく。
突然、綾子の部屋のドアが開け放たれ、幸が入ってくる。
剥き出しの背中を綾子に向けたまま凍りつく綾子。
綾子の背中に目が釘付けの幸。
やがて綾子が絶叫する。
「ぎゃあぁぁぁ!!」
二日後。 すっかりと引越しの準備を終えた幸は綾子の部屋の方を見やる。
そこに綾子はいるはずなのに、まるで気配はない。
幸はため息をつき、荷物をまとめる。
「綾子、あたし行くから」
部屋からは何の応答もない。
幸に罪の意識はない。
綾子の背中には、結局何もなかったのだ。それこそ何もないくらいきれいな背中だった。それが綾子にとっては醜い背中だったのだろうか?まるで十分痩せている若い女性がダイエットするように、彼女はその背中を隠し続けたのだろうか?それとも、誰にも見せたくないほどに、彼女は自分の背中を愛していたのだろうか?誰にも中傷されることも傷をつけられることもない、自分だけの背中。
だからこそ彼女は一人恍惚にひたりながら自分の背中を見つめ続けたのだろうか。
いずれにしても幸の理解能力を超えていた。
幸が部屋を後にした後、部屋から出てくる綾子。首からすっぽりと布団をかぶり、壁を背に窓へと向かう。
窓の下には、さきほど部屋を出て行った幸が見下ろせる。
綾子は幸を一瞥し、震えながらカーテンを一気に閉めた。
完
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