廃屋
1985年。時代はバブルの衰退期。
学校現場ではいじめなど様々な問題が浮上し、また家族間の不和も問題化していた。
いわば、今の時代の前兆ともいえる要素が浮かび上がり始めた時代でもある。
大田一樹(16)は郊外の県立高校に通う高校生。
素行もまじめで、家庭内にも一見何の問題もないごく普通の高校生だ。
そんな彼は、学校の帰り道で、廃屋の畳の上に座り、呆然としている少女に出会う。
その少女―加瀬奈美(16)は一樹と同じ高校に通う、ごく普通に見える少女だったが、父親は無職、母親は水商売で、家庭内もうまくいっておらず、学校内でもひとり浮いたような存在だった。バブル時期では無視され続けた低所得層のど真ん中に彼女はいた。
奈美は一樹に気づき、あわてて廃屋をあとにする。
それからというもの、毎日一樹と奈美は廃屋で出会うようになる。
最初は無言で逃げていた奈美も、一樹が声をかけると応答するようになり、二人は次第に仲良くなっていった。
廃屋での二人のひととき。それは下校途中の楽しみになっていった。
二人は一見違う環境にいるようだったが、話し合っているうちに、一樹も奈美も家庭に恵まれていないことに気づいた。一樹の家は、父親は仕事でほとんど家におらず、母親は、一樹に一流大学の受験のことのみ話す、典型的な核家族だった。コミュニケーションがとれているようで、実はまったくとれていない、名前だけの家族。奈美の家族は、とうに崩壊している。二人の境遇は、そういった点で似ていた。そんな二人にとって、廃屋はまさに二人だけの楽園だった。
その二人を、学校の生活指導教師が見つける。
両親ともども学校に呼び出され、二度と廃屋に行かないこと、二人で会わないことを誓わされる。
夜。一樹はひとり母親の目を盗んで家を抜け出し、奈美の家へと向かう。
奈美は、父親と母親のせっかんであざだらけだった。奈美は一樹にすがるように「ここから連れ出して」と言い、二人は夜の町をあの廃屋へと逃げ出す。
夜の廃屋。そこで二人は結ばれる。
しばし呆然とする二人。
奈美は、突然「死のう」と言い出す。彼女の変化についていけない一樹。なぜ死ななければならないのか?逃避行でもすればいいじゃないか、と説得する一樹だが、奈美は納得しない。もう二人のあいだにロマンはない。あるのは絶望だけだ、だから死のう、と。
あくまで拒否する一樹に、奈美は愛想をつかす。
「だめだね。」
そういい残して、奈美は廃屋を後にした。
残された一樹は、ただ呆然と奈美が消えた方向を見つめるだけだった。
あれから10年。
一樹も立派な青年になった。
奈美の行方は知らない。その後まったくといっていいほど彼女の話は聞かなくなったし、実際学校に姿を見せることもなかった。
都市化が進み、この郊外ももう10年前とは姿を変えつつある。一樹たちが通っていた県立高校もすでに統廃合されなくなっていた。そして、廃屋は―
今、まさに廃屋にユンボの爪が入るところである。一樹は切ない思いを胸に、その光景を見つめる。壊れゆく廃屋、時代、そして奈美との記憶。時代は変わっていた。
一樹は一呼吸し、その場を離れる。自分も都会に出て、すべてが変わってしまった。
一樹は、崩壊する廃屋に奈美の記憶を埋葬し、その場を去る。
完
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