「狂気への逃避行」

脚本・監督 ブレード・ムラタ

1991年ソロプロジェクト作品

 「魔胎伝」の撮影が終了し、自分の作品を企画した。
 当初は、5話構成のコメディで考えていた、元自衛官による反乱の失敗で山に追い詰められた彼らのドラマがこの作品の内容。結局マジメなものになっちゃったけど。

 この作品のヒロインには当初野口律子をキャスティングした。同士の女性隊員には関塚まいこ。これは「魔胎伝」の流れもあったけど、このヒロインは闘う戦士だから見た目にボーイッシュなりっちゃんがぴったりだと思った。女性隊員の関塚さんもおっとりとしたキャラだったので、ふたりともピッタリだと思ったし、「魔胎伝」での演技を評価した結果でもあった。
 でも、二人にはお断りされた。
 りっちゃんは、「魔胎伝」でも書いたように「トレンディドラマ」がやりたかったようだし、関塚さんは、この映画の「狂気」の象徴である「死体の肉を食らう」という行為が気持ち悪い、というのが理由だった。
 で、急遽かわりの人を探したんだけど、これには苦労しなかった。
 ヒロインには、川端さんという人をキャスティングした。演技力もあったし、なんか和製シガニー・ウィーバーっぽくなりそうで申し分なかった。女性隊員役には名前忘れちゃったんだけど「やちよちゃん」を起用。彼女ものほほんとした雰囲気を出せる人だったので問題なし、ということに。
 キャスティングは、男性陣にかんしては魔胎伝と一新するつもりだったので、ヒロインと同じ反乱自衛官役に安藤ヒロヲ、そして彼らの元上官にして、彼らを追う敵役に小松公典を布陣した。とくにヒロヲはぴったりな役柄だったな。彼には後年、「土鍋」などでお世話になっている。

 この作品の製作体制は、ちょっと変わっていて、監督は自分なんだけど、シナリオのパートをわけて、それぞれの演出を別の人間が担当する、というものだった。演出陣は、もうはっきりとは覚えてないけど、本田明成、こまっちゃん、池原 健の三人だったと思う。こまっちゃんは、面白い絵コンテを描いてたな。ちょっとお下品なので、ここでは言えないけど。本田さんは、元々絵コンテが苦手だったから、確かその場で演出してたと思う。池ちゃんは、よく覚えてない。ひょっとしたら本田さんとこまっちゃんだけだったかな、演出陣は。

 これは、予算も自分がすべてもったんだけど、10万ちょっとだったかな。だから、結構細部までお金はかけたな。特殊メイクとか、小道具類とか。
 ガンエフェクトは、助監督の日比野くんが担当したけど、組み立てたM16がジャムッたりして、結構大変だったな。

 でも、最も大変だったのは、山林にみたてたロケ地。
 最初は広尾にある、例のニセ皇族事件で一躍有名になった宮家・有栖川宮家の記念公園で撮影してたんだけど、ある日管理事務所に見つかって大目玉をくらい、別の場所を探し回ったことだな。東京ではなかなか見つからず、仕方なく元カノの住んでいた神奈川県・緑区の公園まで行くことにした。
 神奈川県は、こういうところの管理はかなりずさんで、おかげで撮影場所は確保できたんだけど、夏が終わりに近づいてたこともあって撮影時間が思うようにとれず、撮影は進まなかった。

 小さいトラブルもいくつかあったな。
 まず、ヒロイン役の川端さんが演技に入りすぎて失神寸前になったことだ。そのシーンに辿りつく前だったから、ちょっと入りすぎだよって。あと、神奈川にロケを変えた初日の帰りにレンタカーのバッテリーがあがっちゃって、急遽本田さんの兄さんにクルマで来てもらってチャージしてたな。あの時は「邪魔だ、バカヤロー!」と右翼の方々の罵声を浴びたもんだった。

 結局、9月ににっかつの2学期が始まってすぐ製作中止を決定し、皆に通達して自分は学校を辞めた。未練はありありだったが、これの失敗は自分にとって大きな痛手だったし、あと「どうせ勉強するなら大学の映画学科に行きたい」という思いが当時の自分にはあったんだ。これが、後年のシラキュース大留学につながっていく。