「謎の閃光」

企画・製作 JHP94

1994年JHP94作品

 JHP94=1994年版城南高校映画部は、87年当時最も重要だった3人−本田明成、秋田冒険王(仮)、ブレード・ムラタにより1994年に結成された、1日だけのプロジェクト。
 映画部再結成は、実はこの2年前に山口亜砂子、布川勇治、そして本田さんと一度してるんだけど、なんかしっくりこなかった。で、2年後にこのプロジェクトになったわけだけど、なんかこの当時までは映画部にたいする未練みたいなものがあったんだね。

 この日、たまたまビデオカメラを買ったんだけど、そこに本田さんと秋田さんが集まってね。で、何か即興で撮ろうという話になって、台本もなにもなしに成り行きだけで製作されたのがこの作品。カメラのストロボ機能が、当時としては斬新だったから、それを多様したエフェクト頼りの企画でね。内容はどうってことないものだったけど、やはりこの3人でやるプロジェクトは一味違ったね。本田さんのバランス感覚、秋田さんのセンス、そして自分の実行力があいまみえて出来上がった作品だった。

 本田さんはノリノリだった。彼は実製作が好きだから、こういう現場ですべて作り上げていくのはよかったのかもしれない。彼とはその後も「終章〜Epilogue」を製作するわけだから、この作品の位置づけは大きい。
 秋田さんは、楽しんではいたけど基本的に「映画部はもう高校でおしまい」という人。このときもその後も、ね。この頃もあまり付き合いのいいほうではなくて、たまたまタイミングがあったから作れたというのが実情。
 それでも、やはり集まればツーカーの3人だったから、非常に刺激的な撮影だったよ。

 何度も言うけど、こういう作り方はもう二度とできないだろうね。今は、自分も秋田さんと同じ考えで、もう映画部の再結成はない。どうせやるならまったく新しいプロジェクトでね。