「沙希」

脚本 ブレード・ムラタ、 監督 本田明成

1992年NOVA Entertainment作品

 NOVAってのは、前年にっかつ芸術学院に行ってたんだけど、そこで知り合った仲間(本田さんも)で作った有志団体。この「沙希」の他に「土鍋」他1本製作している。
 前年の自主映画制作は色々なトラブルで全て破綻してしまって、それが遠因になって俺がにっかつを辞め、次の年の夏にこういう形でユニットを結成したってわけ。

 本編を語る前に、にっかつについて少し語っておこう。
 にっかつ芸術学院はにっかつ撮影所(現日活撮影所)内にあった映画学校で、映像科と俳優科に分かれていた。これが自主制作を難しくしていた原因でもあるんだけど、俳優科というのは結構仲間意識が強いというか、固まっちゃってね。自主の撮影に呼んでない=キャスティングされてない人まで来ちゃって勝手に盛り上がってたりして、こっちとしてはそこらへんがちょっと迷惑だった。NOVAではあまりそれはなかったけどね。前の年はそんな感じだった。どちらかというと俳優科の人たちは映像というより舞台メインに考えていたな。
 まあ、自分も後年大学の英語劇の舞台にかかわるわけだけど、その気持ちはよくわかる。

 さて、ハナシを「沙希」にもどそう。というかまだ始まってないね。
 この作品は当初87年度城南高校映画部で企画されていたものだった。
 本田さんがこの企画を気に入っていてね。それで5年ぶりに再始動したってわけ。
 当時は監督の本田さんも結構いいかげんでね。「絵コンテきる」とかいいながら結局現場はコンテなしで流れで撮影してた。それはそれでいい偶然というのがあるからいいんだけど、当然なければならないカットがなかったりと、あとの編集の段になって大変だったよ。音も一部ないカットがあったり…。
 「土鍋」と「沙希」は一緒に5日間で撮ったんだけど、完成度に違いが出たのはこのせい。

 でも、撮影自体は楽しかったな。
 「土鍋」ほど過酷な環境での撮影ではなかったし、みんなほんわかと撮影してたな。
 特殊視覚効果(といってもたいしたことない)も使ったし、みんな楽しんでやってくれたから。少なくとも前年のように「自分は俳優だから」と撮影手伝ってくれないようなことはなかったし、これでは加耶役の泉関奈津子もヒロイン・沙希の諏方典子にしても助監督やってくれたりと和やかムードで撮影は行われた。

 自分にとっては印象薄い作品なんだけど、撮影が楽しかったという記憶は残っている。