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エンターテインメント・レビュー

第十一弾

映画

踊る大捜査線
THE MOVIE

本広克行監督作品

本作は、いわずと知れたフジテレビドラマ「踊る大捜査線」の映画化作品である。
テレビ版は刑事ドラマとしては近年稀に見る傑作で、映画化されたのも頷ける。この映画化作品にしても、「踊る大捜査線」のエピソードの中でもベストと言えるくらいの出来である。

ただ、それは全てテレビとして見た場合である。
確かにこの「THE MOVIE」も、テレビの2時間枠のドラマとして見れば傑作である。ただ、映画としてはどうか?「映画はこうじゃないだろ?映画はこれじゃいけないんじゃないか?」と思える部分がいくつもあった。
まず、これはこのシリーズの特徴なのだが、本筋の事件とは別に警察のキャリアと現場の対立が描かれる。テレビの場合は、必ずしも放映時間中ハマッて見ている人ばかりではないのとシリーズであるため、各エピソードで語られる事件は重要ではなく、テーマである対立がメインに描かれる。事件がどれもテレビシリーズの1エピソードでしかないため、テーマの方が強く描かれるのである。だが、映画はテレビのエピソードではない。一つの作品である。映画のストーリーには一つの大きな流れがあって、人物も事件もテーマもその流れの中で絡み合ってくるのである。言って見れば事件はストーリーのヘソである。だからテーマが事件よりも目立つ描かれ方は、映画としてはマズイ。テーマはあくまでも事件を中心としたストーリーの背景として描かれるべきなのである。
更に違和感を感じたのは事件の描かれ方である。この「THE MOVIE」では二つの事件が描かれる。一つは小泉今日子演ずるサイコパス・キラーが起こす猟奇殺人で、もう一方がストーリー本流の副総監誘拐事件である。この二つが有機的に絡み合いながらストーリーが進むのかと思いきや、猟奇殺人の方は前半で解決してしまう。以降小泉演じるサイコ女が副総監誘拐犯をプロファイリングする以外ではストーリーとは関係しなくなる。これでは何のために事件を二つ用意したのかわからない。恐らく「羊達の沈黙」を狙ったのだろうが、ストーリーのまとまりが悪くなったのでは意味がない。更に問題なのは副総監誘拐事件の犯人像である。サイコ女が「犯人は頭の悪いガキだ」と推測した通りの犯人像なのだが、これがあまりにも情けなく、リアリティがない。犯人は未成年のグループでゲーム感覚で事件を楽しんでいたという設定なのだが、「本当にこんな奴いるんだろうか?」と感じてしまう。ゲーム感覚で事件を起こす奴はいる。だが、「ゲームをやってる」と本気で思う奴はあまりいないはずだ。海外のサイコパスキラーにしたって、彼らにとって殺人はゲーム感覚で起こすものではあっても、それ自体がゲームではない。殺人欲に駆られての犯行なのだ。青島が犯人宅に押し入るまではまだ良かったのだが、その青島に向かって「だってゲームじゃん?本気にならないでよ」と犯人が言うにいたっては、ただあきれるしかない。「そこまで馬鹿な奴はあまりいないだろう、おい?」ってなモンである。この事件に関しては「酒鬼薔薇事件」に対するアンチテーゼがあるのだろうが、犯人像が現実に比べてリアリティに欠け情けないのでは説得力に欠けてしまう。また、映画中の彼らが凶悪でないのは、「そこまでやったらマズイよな」というテレビ的な発想からきてるように感じてしまった。映画はテレビでは描けない事も表現できるメディアなのだから、表現などではもっとツッこんで欲しかった。
あとは何と言ってもクライマックス直前からラスト部分へのストーリーの構成である。主人公・青島とキャリアの室井の友情へと続く浪花節的なラストは感動的ではあるが、その流れは唐突で、あまりそれまでのストーリーの中心であった事件とは関係がない。展開が少し強引なのである。これはテレビでもよくあった。というよりテレビの事件はあまり深刻な事件ではなかったからテーマの方が優先されても納得して見ていられるが、映画の事件はテレビとは違って凶悪な事件である。それがラスト近くで色褪せ、お涙頂戴にとって代わられるのでは映画的な醍醐味が無くなってしまう。

以上、酷評になってしまったが、日本の娯楽映画としてはやはり傑作だと思う。大金払って見ても損をしたとは思わなかった。言ってみれば「イイ線いってンだけど、もうちょっと!」といったところである。だから「見に行きたい」という人がいたら自分はお薦めする。
とかく娯楽映画が衰退しきった今日この頃、日本映画にとって良い処方箋になったのではないだろうか。いや、是非なって欲しいものである。


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