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エンターテインメント・レビュー

第十四弾

映画

ガメラ 3

金子修介監督作品

この映画を怪獣映画として見るか、SF映画として見るかでまったく評価が分かれてしまう。
自分はどちらのスタンスで見たかというと、実はそのどちらでもあってどちらでもない。わかりやすく言えば、一本の映画として見たということである。
この映画の実質的なレビューに入る前に、自分なりの映画論を述べておこうと思う。興味のない人は読み飛ばしてもらってかまわないが、レビュー本文も、私個人の映画論を根拠にしていることを理解してほしい。

映画とは、人間ドラマである。人間ドラマとは、葛藤である。
シンプルだが、これが自分の映画論だ。例外はない。動物映画も怪獣映画も、ホラーもコメディも、そこには人間の生き方が描かれていなければならない。それ自体に物語の核を置くかどうかは関係ない。例えテーマ性の皆無な痛快アクション映画であっても、主人公の生き方が人間的でなければ、誰もその主人公に感情移入できないはずだ。怒りも悲しみも笑いも、そして狂気さえも、すべて人間が生きていく上で持ち得るドラマそのものだ。
だから、怪獣が出てくる映画だからといって、怪獣が豪快に戦っていれば人間ドラマなどどうでもいい、という観客を満足させるようなモノは、自分の映画論から言えばそれは映画ではない。ただの見世物だ。遊園地のヒーローショーとなんら変わりない。

さて、話を「ガメラ 3」に戻そう。
これは映画だ。自分はそう断言する。本多猪四郎監督の「ゴジラ」も映画だった。
友人の知り合いが、この映画を見て「怪獣映画じゃない。ただのアイドル映画だ」と言ったそうだ。もちろんこの意見を生んだ原因は、怪獣アクションの少なさや完結しないエンディングからきている。 確かにこの映画の主役はガメラではなく、前田 愛演じる、ガメラに怨みを持つ少女だ。ガメラとギャオスやイリスとの戦いよりも、この少女のドラマに物語の主眼が置かれている。ギャオスとの戦いは、決着すらついていないうちに映画は終わる。終わったのは少女自身に巣くった怨念地獄だけだ。怪獣が暴れまくらなければならない怪獣映画としては、確かに物足りない。でも、自分は敢えてこう言いたい。今までの怪獣映画こそが、映画として不完全だったのだ、と。
人間が怪獣をどう思い、どう接していくのか。人類にとって怪獣とは何なのか。それが描かれなければ、それはただの怪獣パーティーだ。映画ではない。
その意味で、主人公の少女の「性への目覚め」の暗示も含めたドラマ性や、人間達を救うため、傷だらけで最後の戦いへと向かわなければならない悲運の怪獣のラストを描かないという手法は、映画の正統な文法だ。良質のエンターテインメントを目指した金子監督と脚本の伊藤和典の目論見は、部分的にではあるが成功していると自分は思う。

ただ、この映画も万全とは言い難い。大きな欠点があるのだ。
それは盛り込みすぎた要素を結局消化できなかったという点だ。
この映画には、メインでガメラを追う中山忍演じる真弓や前田愛扮する綾奈とは違ったルートからガメラを追う(といっても合流するが)謎めいた人物が二人でてくる。一人は政府対策委員の美都、もう一人は天才ゲーム作家で推測統計学に精通する男・倉田だ。 この二人は終始謎めいた行動をとり、その理由はほとんどあかされることなく、あっさりとガメラ(+イリス)に殺されてしまう。殺されたというより、自殺に近い。その行動はまったく理解できない。ドラマとして、正当な理由なく登場人物の行動が理解できないというのは問題である。そして、この二人の行動と関係してくる「MANA」という概念も、サラッと簡単な説明はあったものの、何の具体的な説明もなしに映画が終わってしまう。あの二人も、「MANA」も面白そうな要素ではあるのだが、うまくストーリーと噛み合ってないのだ。綾奈を深く追いすぎたため、そういった環境説明にまで描写がいたらなかった、という点では確かにアイドル映画の域を脱していないようにも見える。

そういった欠点はあるものの、先に言及したようなドラマ性の高さと、そして日本映画としては極めてレベルの高いSFXとでこの映画は一級のエンターテインメントに仕上がっている。日本映画にありがちな「特撮で〜す!」といった感じの違和感はほとんどない、見事なCG技術だった。まだハリウッドの技術にはおよばないが、かなりの進歩である。

この映画にしても、先にレビューで取り上げた「踊る大捜査線」にしても、日本の娯楽映画がいい方向に向かいつつある事を裏付ける重要な証拠となる作品群だ。問題は、このことに日本の観客及び制作側が気づくか否かだ。
映画としては必ずしも完成度が高いとは言えない部分のある「踊る...」は、TVの人気のおかげで未曾有のヒットとなったが、比較的完成度の高い「ガメラ 3」があまり評価されていないのには不安が残る。理由は、やはり良くも悪くも怪獣映画だからだろう。普通の映画ファンからは「怪獣映画はちょっと...」と敬遠され、怪獣映画ファンからは「怪獣が活躍しない」とそっぽを向かれた結果だが、これは正当な映画の評価ではない。

映画の制作レベルはようやく時代に追いついた。あとは業界のお偉方と観客の思想転換に日本映画の未来が懸かっている。