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エンターテインメント・レビュー

第六弾

映画エイリアン4

ジャン・ピエール・ジュネ監督作品

言わずと知れたエイリアンシリーズの最新作である。作者は子の映画についてはあまりイイ評判は聞いていなかった。そのためか、実際見てみてもそれほどつまらないとは感じなかった。ただ、「凄く面白かった」わけでもない。この作品には明らかに欠点があったからだ。それは一体何か?
それをこれから述べていこうと思う。まだ観ていなくて、これから見に行こうという人は、ここから先は見ないほうがいいと思う。

まず気になったのはキャラである。
この作品も、他の作品同様、何人か主要キャラが出てくるが、そのどれもが魅力的でないのだ。ドミニク・ピノン演じるブライエスは、その容貌とは裏腹に個性の全くないキャラだった。それはロン・パールマン演じるジョーナーにしてもしかりである。そして他のキャラ達も、リプリーと、ウィノナ・ライダー演じるコール以外はまったく存在感がない。
これは、他のキャラ達にまつわるエピソードやシーンが皆無だからである。どんな人物かもわからないまま、次から次へと殺されてしまう。「2」のキャラ達は、ハドソンやバスケスなど容姿そのものは今回のキャラより遥かにインパクトが低いが、みなそれぞれにイイ味をだしていて、一人ずついなくなるたびに画面が寂しくなっていった。今回は、どんなに主要キャラが減っても、寂しくはならなかった。これは明らかにキャラの描写不足である。リプリーさえ目立ってればよいというものではないのである。

そしてリプリー。これは「3」からなのだが、リプリーはエイリアンに襲われない。特に今回は、彼女はまるでエイリアンに対して恐怖を抱いていない。彼女が怖くないと言う事は、彼女に感情移入して観ている我々もまた、エイリアンが怖くない。まがりなりにもホラー映画で、そのモンスターが怖くないというのは大問題である。もちろん「エイリアンシリーズ」はただのホラー映画ではないので、怖ければいいというわけではない。しかし、やはりこのシリーズはホラーというジャンルに属していると自分は思う。「怖さ」は、この映画になくてはならない重要な要素だと思う。だから、主人公がモンスターに襲われない、あるいは絶対にやられないと話の中で約束されてしまった以上、その主人公でシリーズを続けるのは不可能なのである。この「4」も、もしコールが主人公だったとしたら、もっと面白かったはずである。リプリーはコールのアドバイザーとしての役割を担えばいい。

もう一つ気になったのは、シナリオと映像が必ずしもしっくりときていない事である。
ラストシーンで、遺伝子操作の末生まれた人間とエイリアンの混血児を、母親であるリプリーが殺すわけだが、そこではある種の悲哀感がこめられている。言ってみれば、近所の子供を傷つけてしまった飼い犬を飼主が殺さなければならないといったような悲壮感漂うシーンだ。「何でなの、ママ!?」とばかりに悲しげな表情を浮かべつつ死んでいくニューボーン・エイリアンにリプリーが「許して」と涙ながらに訴える。そういったアメリカ映画にありがちなお涙頂戴シーンなのに、映像では宇宙空間にボババーっと吸い出されるニューボーンの内臓がカットバックで映ったりする。これはジュネの感覚なのだろうが、明らかにこのシーンとは合ってない。このシーンの意味合いからして、ここはもっとスマートにニューボーンを殺さなければ意味が無い。脚本家は、「3」のラストよりも感動的なラストを書いたつもりだろうが、映像がこれでは台無しである。
ジュネの感覚は決して「エイリアンシリーズ」に合わないものではないし、映像のダークな雰囲気は好きである。しかし、今回に関しては、シナリオと彼のセンスは合っていなかったように思う。

話は面白かった。映像もいい。下手すると「2」よりも面白くなったかもしれないだけに、上記の欠点は残念でならない。これからもし「5」や「6」を作るのであれば、是非とも実行していただきたいのがリプリーの主役降板である。リプリーを準主役にまわし、新たなフェミニスト・ヒーローを創造すれば、本当の意味で「Resurrection」と言える作品になるだろう。

率直にいって、「3」よりは面白かった。


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