第17回 「”脚本VSゲームシナリオ”論」

 

昔だったら、「脚本VS戯曲」論になるんだろうなぁ。
今は猫も杓子もゲームシナリオだから、ここで徹底的に脚本とゲームシナリオについて論じてみようと思う。

まず、脚本とは、映画やTVのストーリー構成や台詞を書いた設計書で、それに基づいて演出プランやら演技プランやらが練られていく。脚本は映画の製作過程で重要な役割を果たすが、それ単体で作品にはならず、あくまでも映画の設計図でしかない。
監督は脚本にしばられてはいけないし、役者もそれは同じ。それぞれの個性が出てこそ、総合芸術としての映画が完成する。書かれた脚本がそのまま映像になることはまずないし、だから長年やってきたベテランの人は別として、通常脚本家のことは作家とはいわない。

これに対してゲームシナリオは、ゲームの画面そのもの。シナリオで書いた文字は80%画面に登場するし、だから、描写にもこだわらなくてはならないし、台詞も役者の個性を活かして、なんてことはないので、充分練らなければならない。結果的にそれでいいものがあがるかどうかは別。ゲームにおいて、シナリオライティングは、プローチャートに肉付けする重要な作業で、ストーリーもオリジナルなら、作成者は作家として扱われる事が多い。誤解を与えては困るので付記しておくと、そういう人は稀で、大体は分業だから、一人がクローズアップされることは少ない。前の会社はそうだったが…。

で、具体的にどう違うかというと、脚本は、ホントに設計図。描写もあっさりしていればいるほどイイ。なぜならその方が演出家や役者の個性を発揮する余地があるから。びっしりト書きが書かれた脚本は、現場では嫌われる傾向にある。
それに比べてゲームは、むしろ逆。びっしり書かないとならない。なぜなら、書いたものがそのままゲーム画面にでてくるから。特にアドベンチャーゲームの場合は、シナリオ=画面テキストだから。わかりやすくいえば、小説に限りなく近い。だから、作家だと勘違いしている人が多いのかもしれない。

共通していえることは、脚本家=シナリオライターというのは、それ単体では何も出来ない人です。
スタッフが演出をつけたり、キャストが演技をつけたり、グラフィッカーがCGを描いたり、プログラマーがエフェクトつけたりして、はじめて作品として仕上がっていく。
シナリオは、作品になる過程のモノだ、ということかな。

わかってもらえましたでしょうか。

だから、ゲームシナリオライターになったから映画やTVの脚本書けるぞーということはまずないし、その逆もあまり関係ないかな。しいていえば、映画・TVの方が歴史が長いから、そっちからゲームシナリオライターになる方がはるかになりやすい。逆は、現時点では普通の職から脚本家になるのとそんなに変わらないね。

というわけで、あくまで自論ですので、ヨロシク。

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