節 供


◆節供は薬になるものを食べる日◆


 日本人は、古くから薬草や薬になるようなものを、日常の食生活の中に取り入れて食べる習慣があります。
 病気になってから、薬を服用したり、医師にかかるのではなく、ふだんから体力を高めておいて、自然治癒能力を強くするという考え方にもとづいているのです。
 日本人の優れた生活の知恵が、ここにあります。そのひとつが節供の発想で、すべて季節の分れ目に設定してありますが、それらの日はとかく体調をくずしやすく、油断すると病気になりがちだから、特別に注意しょうという考え方が背景にあります。

【一月一日】の元旦に飲む「屠蘇洒」という漢方の洒は、悪霊をはうむる洒であり、病気を避ける酒として服用されてきました。山椒や肉桂、桔梗、甘草などが入っており、保温や健胃、強心などの効架があります。

【一月七日】にはナズナ(ペンペン草やスズシロ(大根)など解毒性や消化能力を高める作用の強い薬草入りのおかゆを食べて、胃腸の調子をととのえ、春からの稲作開始に備える工夫をするのがお正月の行事なのです。

【三月三日】はひな祭りで、白酒を飲む。もち米で作った甘酒を飲みやすいように、よく擂りのばしたもので、発酵食品だから酵母や麹菌、乳酸菌などが含まれており、整腸効果がきわめて高い。なぜ、女の子にもこの白酒を飲ませるかというと、厄払いをするためなのです。洒には悪い霊を追い払う力があると信じられていました。

【五月五日】は、菖蒲の節供であり、ショウブ湯に入り、ヨモギを搗き込んだちまきやカシワ餅を食べます。ヨモギには強壮や解毒作川があり、カロチンやビタミンCも多い。

【七日七日】は七夕で、農業の節供として考えると、炎天下で田の草取りなどの重労働をしなければならないとさです。この日は織姫さまの天の川になぞらえて、食欲のない時季にそうめんを食べて体力をつける日です。むかしから夏の贈り物というと、江戸でも上方でもそうめんと決っていたのは、七夕信仰と結びついているためで、夏を無事にのりきるための体力食といってよいでしょう。

【九日九日】は重陽で菊の節供。
 この節供の前後が稲の取り入れ最盛期であり、農家にとっては、一年中でもっとも忙がしい。疲労も頂点に達する時季であり、この節供には菊の花を洒に浸して飲み、菊の花の酢のものやおひたしを食べました。菊花には鉄分やビタミンB1、Cが多く造血作用があって、血行をよくしてくれるから疲労が早く抜ける作用につながっています。

 このように「節供」ひとつとってみても、日本人は体調を崩しやすい季節の変わり目を、上手にのりきるための食による体力作り、食による健康管理が実に上手な民族なのです。
 ところが、節供は一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日というように
「五節供」しかありません。十月から十二月までは、なぜ節供がないのかというと、必要ないということを知つていたのです。なぜかというと、稲は収穫されるし、畑ではイモがとれ、山ではクリやクルミなどの木の実顆、そしてキノコもたくさんとれる。
 海にはサンマがやってくるし、人家の近くまでサケが背面を水面から盛り上げるようにして、大群で河川をのぼってきました。
 秋から初冬にかけては、雪にとじこめられる冬に備えて体力をつけるときであり、そのために多種類のものを食べる季節なのです。また、その食べることを可能にする食料も豊富にありました。
 日本の節供の日というのは、栄養のあるものを食べ、病気よけのために役に立つ薬用茶を欧み、薬効成分の高いものを食べて薬餌療法をする日だったのです。秋から冬にかけては、豊富な食べものをまんべんなく食べて寒さに負けない、体力をつけるときでした。



  旬の味十二ヶ月】

[一月] 棚探がし


一月十五日は、「棚探がし」の行事をします。元旦から続いてきた、お正月の神ごとの終わりに、神棚にかざってあった、お供え物をすっかりおろして食べてしまう行事。
 棚探がしをする日取りは、土地によって、まちまちで、関東およぴ、近県では正月の四日に、三が日の食べ残したお供え物などを集めて「雑炊」に炊いて食べるのを、棚探がし、とか棚元探がしといっています。土地によっては、七日か十五日に「棚探がし」をすることがあります。
 また、二十日を「骨正月」といって、正月の最後の日とする所もあります。シヤケやブリなどの年肴を、残っていた頭や骨まで、すっかり食べ尽くすというので、「骨の正月」とか、「骨くおし」、「骨たたき」と呼ぶ場合もあります。
 ずっとご馳走攻めできたお正月のハレの行事も二十日で終わり、残りものをきれいに食べつくすことによって、ふだんの日に、また戻り、仕事に本格的にとりかかる準備をするわけ
です。


[二月] 梅の花

梅の花が一輪、二輪と咲くにつれて、春の足音が身近になってきます。バラ科に属する梅の原産地は、中国の江南地方で、日本には弥生時代に渡来したらしく、各地の遺跡からその種子が出土しています。
『万葉集』には、梅の花を詠んだ歌が一一八首あり、この数は、ハギの一四二首に次いで二位で、奈良時代には春の花といえば、百花にさきがけて咲く、梅の花でした。
梅の意を表わす「毎」という字は、本来、豊かな髪の成熟した女性を描いた象形文字で、子を次々と生み出す能力を示しているといいます。また、毎には、草が盛んにしげるという意味もあります。
つまり「梅」は、実をたくさんつけるという多産の木という意味でしょう。梅は、その実を食用や薬用にするために、輸入され、広く栽培されるようになったものです。
万葉の時代には、梅の花びらを洒に浮かべて飲む風流もありました。
   「酒杯に 梅の花浮かべ 思ふどち
          飲みての後は散りむともよし」
大伴坂上郎女の歌で、「酒杯に梅の花を浮かべ、気の合った者同士で飲んだあとは、花は散ってしまっても、いっこうにかまいませんよ」という意味です。


[三月] 摘み草

 陽ざしもやわらぎ、いよいよ春。若草のにおいが、季節の息吹を感じさせます。
 昔は三月に入ると、あたたかい日を選び、青草を踏んで野遊びをしました。生々とした若草を踏んで、冬から回復したばかりの生命力を全身にとり込んだのです。この行事を「踏青」と呼びました。その日は若菜を摘んで帰り、あつものにして食べます。
 副食物を「菜(さい)または、「菜(な)」といいます。どちらも野菜の菜からきていますが、そのくらい、日本人の副食物には野菜が多かったのです。
「野菜」を分解すると、「野」の「菜」となって、山菜を意味します。むかしは、栽培種よりも、土手や野山のやわらかい野草を利用する方がはるかに多かったのです。
『万葉集』 にも、摘み草の歌がありますが、その内のひとつをあげてみましょう。

     
「春日野に 煙立つ見ゆ おとめらし
            春野のうはぎ 採みて煮らしも」


「うはぎ」は「よめな」のことで、春日野にあんなに煙が立っている、少女らが春の野で摘んだよめなを煮ているらしいよ、とうららかな春の情景を歌ったもの。


[四月] 旬の内のタケノコ

 古くから、「旬の内を筍といい、句の外を竹という」といわれるように、発芽してから十日(句)以内がタケノコで、十日を過ぎると、それはもう竹となります。
 つまり、タケノコは食用にして美味な「旬の期間」が、たいへんに短かい食べものなのです。
 その理由は、伸びるスピードが速いためで、一時間に8から10センチも伸びる例もあるというから驚きます。
 たいがいの野菜は、一年中出回るというたいへんに便利な世の中ですが、タケノコだけは、文明社会にがんとして背を向け、季節が到来しなければ、地上に姿をあらわしてはくれません。
 出現しても、ぐずぐずしていると、味のもっともよい句の時季をあっという間に見逃してしまうという、きわめてわがままな食べものなのです。
 堀りたての新鮮なタケノコは、刺し身にして生食できるはどおいしいです。時間がたつにつれてエグ味が出てきます。
エグ味のもとはホモゲンチジン酸などですが、米ぬかをひとつまみ、それに赤トウガラシを入れて茹でると、エグ味の成分が分解されて、おいしくなります。
 タケノコのうま味成分は、チロシンというアミノ酸で、ストレス解消や脳の機能を活性化させる成分として注目されています。


[五月] 男の子の天か取り食

「せちは、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などの香りあひたる、いみじうをかし」
 これは、清少納言の「枕草子」三十七段の書き出し。「節供は、五月がいちばん。ショウブやヨモギなどが、いい香りをはなち合っていて、とてもすばらしいことだ」というような内容です。
五月五日の「端午の節供」をいったもので、もともとは中国から渡り、日本化して盛んになりました。古代中国では、五月のことを不吉な月と称し、なかでも五月五日はもっとも災難に遭遇しやすい 「悪日」として、悪霊払いをするために、さまざまな行事をおこなっていました。
香気の強いヨモギで人形を作り、門戸につるして悪霊がとりつくのを防いだり、魔除けの力があると信じられていたショウブを身につけ、あるいは、薬草摘みなどして邪気払いをしたのです。
 端午の節供に欠かすことのでさないのが、ちまきにかしわ餅。米粉やクズ粉を練り、茅(ちがや)の葉で巻いて作ることから、この名があります。
 かしわ餅の原形は、「ぶと」という古代菓子で、兜の形をしており、これまた厄除けに役立つ。カシワの葉には防腐効架があり、保存性を高めます。
 江戸時代になって、五月五日は男の子が無事に育ち、天下をとるほどの大物になってほしいと祈る祭日となりました。このために、料理には尾頭つきの魚、小豆飯、命の根を固めると縁起をかついで、ゴボウ、大根などの煮しめ料理もふるまうようになったのです。


[六月] 鮎の塩焼きの武者ぶり食い

六月の声を聞きますと、河川のアユが解禁されるところが多く、天然のアユが出回ってきます。
アユも、養殖の並笈で、大衆魚になってしまいましたが、味、香りとも天然ものにはかないません。 アユは「香魚」ともいいます。いかにもすがすがしくて、ちょっとスイカに似た香りを持っているためですが「初夏の使者」とか、「清流の女王」とも呼ばれています。
あまり、風采のあがらない淡水魚の中では、アユは、まさに「清流の女王」といってよいほど、気品があります。
又アユを「年魚」とも言います。秋になって、河口の近くで生まれたアユは、冬の間は海に下って春になると、川をのぼって成長し、秋に産卵をすませて、死んでしまうからです。
アユの一生は、わずか一年しかありません。まさに、「年魚」なのです。
アユは、香りと姿で余べる魚です。この二点を十分に味わう為には、塩焼きが最高です。
焦げ目もうまそうな、「塩の立った」状態の焼き上りが理想的で、これを武者ぶりつくようにして食べるのが一番うまい。箸を使って、小骨を取り、小骨をとり分けるような食べ方は、アユなどの川魚には感心しない作法です。


[七月] 土用の厄除け

「土用のうし」はうなぎにとっては、大厄の日です。
一年に四回ある土用(季節の変わり目を土用という)のうちで、夏の土用が、ことさら重視されたのは、暑さのために体力が消耗しやすく、ここを無事に過すことは非常にだいじだったからです。
一年中でもっとも暑いのは土用の頃で、猛暑をのりきって、収穫の秋を迎えるため、古くから、さまざまな健康法が、おこなわれてきました。
 土用の薬草は、薬効が強いといって、ゲンノショウコやクコ、ドクダミ、トウヤクなどを採取して陰干しにします。
「うしの日」には「う」のつくものを食べて、精や根をつけるなども、健康法のひとつといってよいでしょう。
「う」の字のつく食べ物のトップは、何といってもウナギ。健康によい脂肪とビタミンAやB群それにカルシウムがたっぶり含まれていますから、夏の強壮食としては理想的なのです。
 脂肪ののったウナギだと半串で、肝吸だったら一杯で一日に必要なビタミンAのほぼ半分がとれます。
 うなぎは奈良時代から夏負け予防の妙薬として人気が高く、『万葉集』にも、ウナギを食べて丈夫になりなさいという、大伴家持の作品があるくらいです。


[八月] スズキで天下を取った平清盛

 スズキは夏が旬の魚で、まっ白の肉は淡白ながら、塩焼きにしたりすると、きわめて、うまいのは、夏場になると食欲が旺盛になって、脂肪がのるためです。
 夏のスズキは、「絵にかいても食え」といわれるくらい味覚の王者といってよいでしょう。フッコ、セイゴ、スズキと名前を変えながら成長するので、出世魚と呼ばれている魚でもあります。
 この出世魚をたまたま食べて、スズキのように出世した男がいます。
平清盛で、まだ若かった頃、伊勢から海路熊野詣の途中の船の中に、大きなスズキがとびこんできたのです。
 案内の山伏は、「これこそ熊野権現さまのご利益。どうぞお召し上りなさい」とすすめました。早速、料理して家の子郎党にも食べさせたといいます。
 このせいか、「吉事のみがうち続き、清盛は太政大臣にまでもきわめたまえり」と、『平家物語』に出ています。
 清盛の出世は異例なほど速く、最盛期には知行する国は日本の半分にも及び、一門の殿上人は三十余人という空前の栄華をはこりました。
 ただ、清盛の晩年は源氏の旗揚げがあり、不運でしたがそれでも六四歳で死んでいます。平安末期の日本人の平均寿命は三〇歳台ですから、かなりの長命といってよいでしょう。


[九月] 熱爛の季節

 九月九日は重陽の節供。
 陽数の最高の数字である九が重なる日で、「重九」とも呼び、古くからおめでたい日とされてきました。
 九月九日は「菊の節供」とも呼ばれ、長寿をもたらすといって、菊酒を飲み、菊飯を食べるのがならわしです。
 平安時代には、天皇が臣下に「菊花洒」をたまわりました。
菊洒のいわれは古く、その昔、中国で無実の罪で僻地に流された男が、毎日菊花の露を飲んで800の生命を保ちましたが、のちに世に出て、魏の文帝につかえたという故事によります。
 菊は「千代見草」とか「よわい草」と呼ばれるおめでたい花で、前夜のうちに菊の花に綿をかぶせて、露を吸いとり、その露でからだをふくと肌が美しくなるとか、若返るというロマンチックな故事があります。これが「菊のきせわた」で、重陽の節供のたいせつな行事です。
「菊酒」は、酒杯に菊の花を浮かべ、その香気を惜しみながら飲む「薬酒」その芳香と花の気品の高さのため、邪気をはらい、寿命をのばすと考えられていたのです。事実、「菊洒」には、疲労回復や食欲増進、それに頭痛の解消などの効果があります。
 古くは、この日の酒宴から爛鍋を用いて酒をあたためました。


[十月] 栗ごはんの季節

秋になったら一度は食べてみたくなるのが栗ごはん。栗の鬼皮と渋皮をむき、小さければそのまま、大きな栗なら二つか三つに割って、米といっしょに炊きこむ。
炊き上ったら、ゴマ塩をふりかけて食べますが、ついつい食べ過ぎてしまうほど食が進む。栗の甘い香りが、食欲をかきたてるのです。
 こどもの頃は、大風の吹いた次の日など、よく山に入って、クリ拾いをしたものです。拾ったばかりの栗は、みずみずしい甘さがあり、生で食べてもうまかった。
 松尾芭焦の俳句に、
 
「行く秋や 手をひろげたる 栗のいが」
があります。山路の行く手に、栗のいがが口を開いて転がっていた。掌をひろげたように開いた栗のいがが、笑っているように見えたのでしょう。
栗は縄文時代から秋の食べものとして重視されてきました。戦国時代は、干し栗が兵糧や保存食にもされています。干し栗を「かち栗」といい、「勝つ」に通じるといって武士によろこばれたのです。
むかし、いろり火の灰の中で焼いた栗のうまかったこと。茹栗もうまかったし、栗キントンもうまかった。秋は栗の季節です。


[十一月] 霜先の菜食

 この月を霜月とも雪見月とも呼び、やがて初雪がやってきます。
 十一月におこなわれる古式の収穫祭に「霜月祭」があります。新ワラで神社の屋根をふきかえ、しめ縄も新調して装いを新たにします。
 この祭りのもっとも重要な要素は、新穀でかもした酒を神前にお供えして、収穫を感謝することです。
 十一月は、「霜先の薬食い」ともいわれますようにどの地方でもとり入れがすんだばかりで、食べものは豊富なときであり、むかしは、ドプロクを大々的に仕込んで、大いに飲み食いするのがならわしでした。
 これが本当の「霜月祭」の意味なのです。
「薬食い」の呼び名を用いているように、秋中続いた田畑の重労働で弱った肉体に、新たな生命力を補給するための知恵であり、寒さが本格化する前、冬ごもりにそなえて、滋養をたっぶりつけておこうという行事なのです。
     
「霜月と きけどもまたは 雪見月
            ゆきし戻りに ちがう月かな」

 十一月は、日増しに冬枯れの様子を深めていく月です。


[十二月] 冬至かぼちゃ

 二十二日は冬至。
 一年中で昼がいちばん短かく、夜長をかこつ日。昔の人は、次の日からまた日が長くなりますように祈りました。これが冬至行事のはじまりで、この日は冬至がゆや冬至んにゃく、冬至かぼちやなど特定の食べものを食べてお祝いしました。
 また、「ン」のつく食べものを七種とると福がくるという信仰もあります。ミカン、レンコンなど。
 野山は枯れ、動物も冬眠に入るなど、生命力の減退する時期にそなえた「薬食い」の意味もこめられています。冬至にユズ湯に入ったりユズ洒を欧むと風邪を引かないともいわれています。
 この日は寒さに対する準備をする日でもあったのです。そこから、体力のつく物をとる習慣が生まれました。いまでは、かぼちゃを食べるならわしだけが残っていますが、昔は珍らしいものの代表がこのかぼちゃだったのです。
 冬至にかぼちゃを食べると中気や風邪の予防になるといわれていますが、かぼちゃにはビタミンAやCが多く、理にかなった伝承ということができるでしょう。
 また、冬至ゆず湯といって、輪切りにしたゆずを風呂に入れて浴し、ゆずのビタミンCを肌にすり込むと足や腰が冷えません。



  「福」の来る食べもの

「笑う門には、福がくる」よく知られたことわざです。
ニコニコと、笑い声の絶えない人のところにやってくる「福」というのは、何のことなのでしょうか。
「福」の「示」は「知らせる」とか、「教える」という意味があり、「?」はもともとは酒つぼのこと。したがって、「示」と「?を合体させますと、「神さまからちょうだいした、おめでたい酒」、あるいは「神さまからさずけられる霊力」といった意味になります。
最近、「笑いの癒しの効果」が、たいへん注目されています。笑うことによって、ストレスが解消したり、血圧が下がったりすることはよく知られています。ストレスは、よく万病のもとといわれるように、脳を硬直化させますから、脳細胞の死滅に拍車をかけてしまいます。
 その反対に、「ウワッハッハッ」と大笑いすると、脳や心臓がリラックスし、病気に対する抵抗力も強くなります。
 笑うと、自然治癒力を向上させるナチュラル・キラー細胞(免疫力の強い白血球の一種であるリンパ球)の働きが活発になり、ガン細胞をやっつけてしまうはどの威力を出すそうです。
 いつもニコニコしているような方のところには、神さまがそっと「福カ」をさずけてくれるので、ますます病気もしないし、ボケもしない、そして、どんどん長生するような体質になっていく-----。それが、「笑う門には、福がくる」ことだと思います。
 笑いのゆとりを得るためには、精神安定効果の高いカルシウムや脳の疲れをとるビタミンB1、記憶力をよくするレシチン(大豆に多い)、脳の老化を防ぐビタミンE(ゴマに多い)、さらに野菜に豊富なビタミンCや魚などのタンバタ質も重要で、和食の良さ、先人の知恵を学びたいものです。


  食文化研究家  永山久夫