「あらゆる文化の尖端にあるものは精神の驚異である言語である」
 −−ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的諸考察』(藤田健治譯、二玄社)より
  はじめまして、木村貴と申します。35歳の男で、現在、仕事でスイスの
チューリヒにすんでゐます。
上に引いたのはスイスのバーゼル大學教授を長く務め、ニーチェの友人で
もあつた文化史家、ブルクハルトの言葉です。
彼は言ひます。「言語は(中略)その中に國民がその精神生活の實體をたく
わえておく最も永続的な素材である。特に偉大な詩人や思想家の場合にさ
うである」。言葉は、偉大な先達の精神から我々が學ぶための貴重な手段
です。偉大な詩人、思想家の文章は一字一句が練りに練られ、深い意味と
美が籠められてゐる。その精神は翻譯を通じてもある程度傳はるとは言へ、
母國語で讀めれば、それ以上の歡びはありますまい。
19世紀イギリスの作家、ギッシングは『ヘンリ・ライクロフトの私記』(岩波文庫)で、
「私がイギリスに生まれたことをありがたく思ふ多くの理由のうち、まず初めに
浮かぶ理由の一つは、シェイクスピアを母國語で讀めるといふことである」
(平井正穗譯)と誇りをこめて書いてゐます。
翻つて日本はどうでせうか。古典は多く殘つてゐるが、現代の言葉との隔たりが
必要以上に大きくなつてしまつた。明治以來の言文一致運動の一つの歸決として、
文語體が滅びてしまつた。さらに敗戰後、正統な仮名遣に代り「現代仮名遣い」が導
入されたうえ、漢字は使用を制限されたり、形を省略されたりしました。
我々はシェイクスピアとほぼ同時代の井原西鶴はおろか、明治の森鴎外や
樋口一葉すらまともに讀めなくなろうとしてゐます。それは言葉の斷絶が一つの
原因です。日本の「偉大な詩人や思想家」たちが時間をかけて美しく、合理的に磨
上げてくれた言葉のかたちを守りたい。私がご覽の樣な表記で文章を書くのは、
そんな思ひからなのです。