沖縄独立運動の過去と現在
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琉球王国から沖縄県となった経緯


■1609年、薩摩藩は琉球王国の領土だった奄美大島を経て沖縄本島・首里城に進軍。
琉球王国は4000名の兵士で対抗したものの敗れてしまい、尚寧王が首里城を開城。以降、
琉球王国は薩摩藩の従国・属国となり、その後、琉球藩となりました。

■1879年、廃藩置県を行った明治政府は、琉球処分によって沖縄県を設置。沖縄県令(知事)
として「鍋島直彬」が赴任し、王統の支配は終焉。琉球王族は日本の華族とされました。



沖縄独立運動/太平洋戦争以前


■琉球王国消滅に不満を抱いた一部の旧支配者層は、「脱清人」として琉球王国と親密な関
係にあった清国に亡命し、清政府に「琉球王国の再興」を働きかけました。沖縄県内では、琉
球王国の再興を求める「頑固党」と、それに反対する「開化党」が対立しました。

■1894年に始まった日清戦争で、琉球王国再興の後ろ盾となっていた清が敗北。これによって
琉球王国再興の道は断たれ、同時に県内で活動していた頑固党も力を失っていきました。

■その後、「日本の主権を認める代わりに、尚家による統治を求める」という「公同会運動」が起
こったものの、日本政府は却下。以降、公同会運動は消滅しました。



沖縄独立運動/米国統治時代


■1945年、太平洋戦争が終結。日本を統治したGHQは、沖縄県を日本から分離し、信託統治
領としました。背景には米国側の「沖縄はもともと琉球王国であって、日本ではない」という意識
があり、「帝国主義からの少数民族解放」という正義的なたてまえがあったといわれています。
また領有当初は、「琉球独立構想」をも持っていたことから、沖縄では「琉球国復興」の期待が
高まり、琉球独立運動が始まりました。

■1950年代に入ると、東西冷戦構造を背景にした沖縄の軍事戦略上の価値が高まりました。
これによって、米国の関心は「沖縄の独立」よりも「軍事拠点の維持・拡大」へとシフト。
このため、米軍による言論統制、軍用地接収などが始まり、米国による沖縄解放という期待は
裏切られることになったのです。

■米国による「琉球再興」は幻と感じる住民が増えたことから、沖縄では急速に「日本への復帰」
が叫ばれるようになりました。 琉球民族の解放を謳い沖縄独立支持を表明していた日本共産党
や日本社会党も「独立」から「復帰」へと運動方針を変更。こうして独立運動は復帰運動へと移り
変わっていったのです。

■1972年の沖縄返還が近づいてくると、「反日本復帰」の意味を含んだ沖縄独立運動が再び叫
ばれるようになります。これには、復帰の交渉過程において日本が米軍の要求を丸飲みしたこ
とへの日本不信と、米軍の影響力が維持されることへの反発がありました。



沖縄独立運動/本土復帰〜現在


■本土復帰後、沖縄独立運動は沈静化。その後、「琉球文化復興運動」へと移り変わってい
きました。

■現在では、国政で議論されている「道州制」による大幅な自治権獲得が台頭。内閣府の地方
制度調査会では、沖縄県を単独州として割り当てる案を2006年に発表。沖縄県を「地方分権の
一国二制度モデル」として、より強力な自治権と経済的競争力の推進も検討化されています。



◆中国の影・・・
琉球独立を最も願っているのは中国だといわれ、沖縄が独立した場合、「中国による侵略対象
となるのでは」という懸念の声もあります。侵略はないにしても、莫大な経済援助と引き換えに
軍事的な協定を要求するともいわれています。理由は台湾・フィリピン・その他、アジア太平洋
戦略に欠かせない地理上のメリットが生じるからです。このため、琉球国をめぐって米国と中国
の全面対決に発展、日本もそれに加わる事態も容易に予測されます。

◆中国の沖縄観
中国共産党の機関紙「人民日報」では、沖縄はかつて中国の属国であったにもかかわらず、
日本が武力で併合したと主張。つまり、「沖縄は中国のもの」という考え方を展開しています。

◆2007年/琉球大学・沖縄県民電話意識調査 ※電話回答数1200
◇「日本人ではなく沖縄人である」=41.6%
◇「沖縄は独立すべき」=20.6%

◆現在沖縄独立運動を行っている政治団体
かりゆしクラブ (旧・琉球独立党)