沖縄の歩み、米軍基地
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歴史のはじまり

沖縄で発見されている人類の痕跡は約32000年前のもの。歴史に登場するのは12世紀頃から。
沖縄各地に残されているお城(グスク)跡から、考古学的に貴重な中国の青磁器など多くの外来
品も発掘されています。
沖縄県立博物館・美術館  那覇市歴史博物館 


琉球王国の誕生

○琉球王国
15世紀に「按司」と呼ばれていた地域有力者が覇権を争い、「尚 巴志」という按司が中山・
南山・北山に分かれていた三つの勢力を束ねて全土を統一。首里に都を移して首里城を作り、
琉球王国が誕生しました。また、当時は優れた航海術を要していたために、大航海時代に突入。
日本の内地や中国、韓国、東南アジアとの貿易や交流を推し進め、遠くは中南米までその痕
跡があるといわれています。このことによって、琉球王国は海外からの文化を吸収し、琉球独
自の文化を育むことになったのです。沖縄の生活習慣や衣食住などに中国や東南アジアの香り
が漂っているのもこのためです。
※「琉球」という呼称は、もっとも密接な関係にあった中国によって命名されました。
首里城公園 

○琉球王朝

■第一尚氏王統

初代琉球王は尚巴志。尚巴志王統とも呼ばれ、7代63年続きました。
■第二尚氏王統
6代目国王「尚泰久」に仕えた金丸(後に尚円)による王統。沖縄県になるまで19代409年継続。


○沖縄の世界遺産・関連遺産
<城跡>
◇今帰仁城跡(今帰仁村) ◇座喜味城跡(読谷村) ◇勝連城跡(うるま市) 
◇中城跡(中城村) ◇首里城跡(那覇市)

<その他>

◇玉陵/第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。那覇市。
◇識名園/王家の別邸で南苑とも呼ばれています。那覇市。
◇斎場御獄/琉球王朝を支えた国家的な祭の場。南城市。
◇園比屋武御獄石門/1519年に造られた石門。那覇市。


日本併合

○薩摩藩の軍事侵攻による日本併合

隆盛を保っていた琉球王国は、1609年に薩摩藩の軍事侵攻を受けます。この結果、琉球王国
は薩摩藩の従国となり、徳川幕府への忠誠を誓わされました。その後、1872年に琉球藩となり
ました。

○琉球藩から沖縄県へ
琉球藩になってから約7年後には江戸時代が終わり明治時代に突入。琉球藩は廃藩置県政策
によって「沖縄県」となりました。
■王族の子孫
有名なのは最後の国王「尚泰」の4男「尚順」。男爵で貴族院議員。琉球新報、沖縄銀行を創設。
また桃原農園を作りパイナップルなどを移入。首里桃原の松山御殿は閉園し現在はレストラン
として営業。1945年沖縄戦で死亡、享年72歳。
■沖縄独立運動
沖縄では琉球王国の復活を願う「沖縄独立運動」が幾度となく行われましたが、独立論は後退
し、現在では「琉球文化復興運動」に移り変わっています。
参照/沖縄独立運動の過去と現在


米国統治と日本復帰

太平洋戦争時には、日本で唯一の地上戦が沖縄で行われ、20万人以上が戦死。日本の敗戦
によって沖縄は米国統治となり、沖縄に行くにはパスポートが必要になるという状態となりました。
その27年後の1972年5月5日、沖縄は日本に返還。多額の基地維持費用を日本に負担させたい
という理由が返還の背景にあったともいわれ、米軍基地問題は今でも多くの課題を抱えたまま
となっています。
沖縄県平和祈念資料館  (財)沖縄協会 
<平和の礎>
1995年、沖縄戦終結50周年を機に糸満市魔文仁に建立されたモニュメント。沖縄戦などで亡くな
った人々全ての氏名が記されています。
<730記念碑>
沖縄の本土復帰時、1978年7月30日に沖縄県全域で車の右側通行が左側通行に変更された記念碑。
沖縄各地にありますが、最も有名なのは石垣島の730記念碑。離島ターミナル近くにある730交差点
の歩道脇に設置されています。
<護国神社>
沖縄県護国神社
<沖縄復帰闘争碑の意味するもの>
辺土岬の先端に立つ沖縄復帰闘争碑。本土復帰から4年を経て建立された背景には、「復帰によ
る米軍基地の軽減と人権回復への期待」が、日米両政府によって裏切られたことがあります。
つまり沖縄県民の怒りを歴史や記憶に留めるために、建立されたのです。本土復帰交渉の中身は、
当時の佐藤栄作政権が米軍の要求を丸飲み。軍事強化に逆用されたものであったため、平和を
叶えたい沖縄県民の願いは完全に無視されました。


国際都市・沖縄へ

沖縄は台湾や中国、東南アジアに近いとう地理的利点から、近年ではアジアからの観光客増加
に加え、アジア経済地域の要所として注目されるようになり、年々アジア交易が盛んになってき
ています。ちなみに石垣島からは大阪まで1600キロ・東京まで2000キロあるのに対して、台湾ま
で270キロ、香港まで1100キロ、フィリピンまで1200キロ。また、沖縄県では沖縄サミットを契機
にコンベンョンシティ施策を積極的に推進。大きな国際会議の誘致にも成功し、国際都市・沖縄
へと変貌しつつあります。


米軍基地問題

沖縄の最大案件となっている米軍基地問題。基地の整理縮小、駐留米軍兵力の削減、日米地
位協定の見直しなど、多くの課題を抱えています。沖縄県の米軍基地は日本の米軍施設の75%
を占め、県内に38の米軍施設が設置されています。また沖縄県の米軍施設総面積は約240km2、
沖縄本島面積の約19%を占有しています。
米軍嘉手納基地  米軍沖縄海兵隊

○普天間移設問題の原点
橋本政権時代の日米首脳会談でクリントン大統領の好意によって基地問題が議題に上り、その
後まもなく普天間基地返還合意に至りました。名護市長は代替施設の受け入れを決断し辺野古
地区移転を表明したものの、当時の大田沖縄県知事は県民の総意としてこれを完全拒否。
橋本総理と名護市長の決断は泡と化し、以降、移設問題の棚上げ状態が現在まで継続、普天
間固定化の可能性も取りざたされています。大田知事が辺野古移転を容認していれば現在の
普天間基地はとっくに返還済となっているものの、大田知事は以降の知事の責任と言及・・・。

○沖縄米軍基地問題の原点
沖縄県民が怒っているのは、大局的に言えば「何故、在日米軍基地の4分の3が沖縄にあるのか」
という点。これはもっともで他府県が米軍基地を受け入れて分散化するのが筋というもの。沖縄問
題というよりも利己主義的な日本国民全体の意識の問題かも・・・・。

○中国の沖縄戦略
沖縄米軍基地問題に欠かせないのが中国の戦略。2012年9月沖縄県に位置する尖閣諸島の国
有化に反応して中国の大胆行動が脅威となっています。 沖縄の大学教授の中には「米軍基地
は不要。中国などとの国防問題は経済交流で回避できる」といった幼稚発言をする人もいますが、
もちろん論外。中国人民解放軍トップの意識は「沖縄は中国の領土」。経済から取り込むのは中
国の得意技でもあり、中国の最終目的は「沖縄から米軍基地を追い出すこと」といわれています。

○米軍基地の建設
本島の米軍基地は1950年2月1日に当時のGHQ(連合軍司令部)が建設を発表。以降、10年間に
わたり、基地用地の強制収用、基地建設が行われました。
飛行場
嘉手納飛行場/普天間飛行場/読谷補助飛行場/伊江島補助飛行場
キャンプ
キャンプ・ハンセン/.キャンプ・シュワブ/キャンプ・シールズ/キャンプ・桑江
キャンプ・マクトリアス/キャンプ・コートニー/キャンプ・瑞慶覧
訓練場
北部訓練場/ギンバル訓練場/金武ブルービーチ訓練場/津堅島訓練場
金武レッドビーチ訓練場/浮原島訓練場
射爆撃場
沖大東島射爆撃場/久米島射爆撃場/出砂島射爆撃場
爆撃場
鳥島射爆撃場/黄尾興爆撃場/赤尾興爆撃場
弾薬庫
嘉手納弾薬庫地区/辺野古弾薬庫
港湾
牧港補給地区/那覇港湾施設/天願桟橋
通信
トリイ通信施設/礎辺通信施設/瀬名波通信施設/泡瀬通信施設/八重岳通信所
慶佐次通信所
その他
ホワイトビーチ地区/陸軍頂貯油施設/奥間レストセンター/工兵隊事務所


基地の街・コザ

○現在のコザ
コザは1970年代に沖縄市となりコザという地名は存在しません。しかし今でも多くの人がコザ
と呼び、街の3分の1以上を米軍・嘉手納基地が占める「米軍文化が息づく街」となっています。
洋服店を経営するインド人の他、多国籍の外国人が住む街、音楽の街、アートの街としても知
られています。また年々東京化していく那覇に対して、「コザはコザのまま」を守り、最も沖縄ら
しい街のひとつであるものの、基地周辺の商店街はさびれ、半分はシャッターが閉まったまま。
米軍基地入り口から続くゲート通りには米兵向け商店やバーが建ち並んでいます。
コザナビ/沖縄市観光協会インフォメーションセンター


○米軍統治時代のコザ

■米軍への依存

基地納入業者、基地建設労働者、基地で働く軍雇用員も多く、市の経済の8割を基地に依存。
また「Aサイン」と呼ばれる米軍向け飲食店は「約300店」が営業。
■米軍の圧力措置
米軍に好ましくない事態が起こると、特定民間地域立ち入り禁止措置「コンディショングリーン」
と外出全面禁止措置「コンディショングリーンワン」を発令。これにより極端に基地依存している
コザでは住民の収入源が絶たれ、コザ経済は疲弊。結果的に米軍の意のままとなりました。
またコザ住民が米軍擁護と反米軍に分かれて対立することにもつながりました。
■コザ暴動
本土復帰1年半前(ベトナム戦争時)に起こった突発的騒動。米軍関係者の加害事件を発端に、
基地周辺住民が米軍と対峙。騒動は一夜で終息したものの、米軍はその報復手段として基地
労働者7000人の大量解雇を実施。日本政府(佐藤栄作首相)は沖縄返還の重要な時期でも
あったことから、「基地に反対しながら解雇撤回を求めるのは筋が通らない」という正論を展開、
米軍に配慮しました。