幾つかの情けない出来事

第1話   待ち合わせは情けない

 わたしは滅多に遅刻しない。これは自慢である。一般社会人なら当然であるがミュージシャンは常識を逸脱したものであり「1時集合ね」と言うと、大概2時くらいからぽつぽつ集まりはじめる。これをミュージシャン時間という。いつもわかっていながら、わたしは決められた時間の少なくとも10分前には到着する様心掛けている。下手をすると1時間近く前に着いてしまう。何のことは無い、小心者なのだ。ちなみに、約束時間を過ぎても集合場所にいない場合は約束自体を忘れてしまっている。これも、よくある。ごめんなさい。
 まあ、そんな訳で、結構な時間待ちぼうける事態が発生するのだが、これがなかなかたのしい。近場に御茶屋でもあれば、熱い紅茶と甘いもので幸せな時間が過ごせるし、なければないで、電車なら読書の続き、車のときはお昼寝のひとつもできる。しかし、極稀に、各種悪条件が揃ってしまうこともある。
 その日わたしは夜8時に、とある友人と待ち合わせをしていた。15分前到着。寒いと言うよりは痛いと表現するほうが相応しい京都の冬である。近くにはすでにシャッターを下ろした雑貨屋と、残業チームの灯りが残るのみの会社のビルが息を殺した様に立っている。街灯の下で本でも読もうかと思ったが、あまりの外気の冷たさに手袋無しの状態はためらわれた。やむおえず、手ごろな壁に背を預け、待ちの態勢に入った。
 ボーカリストであるこの友人とは実に2年ぶりの再会になるのだが、このブランク以前の彼女は、前述のミュージシャン時間で生活していた。時間通りに現れたことはかつて無く、30分や1時間は当たり前であった。いっそのこと待ち合わせなどせず、家まで迎えに行こうと何度思ったことだろう。とはいえ、2年ぶりである。しかも一緒に食事に行く約束である。懐かしさもさることながら、空腹の状態であろうと思われるし、そう遅刻はしない筈だとふんでいた。
 ふと時計を見るとまさに8時にならんとしている。はたして、分かっていた事ではあるが、彼女は現れない。
「やっぱりなあ。」と思った瞬間、過去に彼女を待ちつづけた幾つもの記憶が次々によみがえってきた。
京都駅、河原町、本屋に喫茶店、なんとけなげに待っていたことだろう。きっと前世私は犬だったに違いない。とりあえず、携帯に電話を試みる。
「はい....。○○さん?...違いますよ。間違うてんのちゃう?」
ええええっ?おやじだ。いくらなんでも彼女がおやじの筈はない。番号は合っている。どうやら、この電話は解約したのだろう。
 しかたない。凍える頬を手で暖めながらさらに待つこと20分。やはり現れる気配が無いので思いきって自宅へ電話してみる。彼女の母君が受話器をとったらしい。
「はい、もしもし。○○です。あーらまあ、藤森さん、いつも娘がお世話になってますう。あーら、今日はあの子とお約束してらしたの?あーらまあ、連絡がつかない?そうそう、あの子携帯、今持ってないんですよ。ごめんなさいねえ。出かけたのは出かけたんですけどねえ。そのうち着くと思いますけど...。」
 あきらめて、もう少し待つことにした。せめて風を凌ごうと電話ボックスをみるとすでに先客がいる。若いお嬢さんが、楽しそうに喋っている。受話器の向こうは恋人であろう。長引きそうなので諦め、さらに待つこと15分。さすがに辛なってきた。迷惑と思いつつも、再度彼女の家へ電話する。
「あらまあ。まだ、参りませんか。お時間と場所は合ってますよねえ。それじゃ、そのうち行くんじゃないかとは思うんですけど....。まあ、お待ちいただくしかないですわねえ。あら、もうずいぶん待ってる?ごめんなさいねえ。しょうのない子でねえ。適当に切り上げていただいて....遅れたあの子が悪いんですし。まあ、もうちょっとお待ちいただいて、それでも来なかったらご縁が無かったということで....。」
わたしは呆然と立ち尽くしてしまった。この母君の言葉で寒いのもすべて忘れてしまった。「ご縁が無かった」....などと言われた日には一体どうしたら良いのだか。
 かくして、ご縁はあったらしく、9時をまわったくらいに彼女は現れた。大阪に出かけていて遅くなったそうである。
二人で中華料理の夕食をとりながら彼女はこの2年間の出来事をいろいろと話してくれた。これについてわたしも相槌を打ったり受け答えをしていたらしいが、内容はさっぱり覚えていない。
 夜も更けて、別れ際彼女に「母に、ファンになったと言っといて」とわたしは叫んだ。

第2話   なにか降る日は情けない
降るのだ。これが。
しかも、傘をさすわけにもいかぬのだ。
それは、一昨年春頃からはじまった。
春と言えばハルサメである。にゅるにゅる降るわけではない。しとしと降るあれだ。
わたしは、灰色の空の下、リハーサルの為、一路池田へと向かっていた。
愛車、シトロエン2CV6はいつも通り、とふとふと心地よいエンジン音をたてている。
道程の半分も走ったであろうか。雨は本降りにならんとしている。
はやく目的地について、一段落したいものだ.....などど思っていたわたしの額に、ひたり、とそれはしたたった。雨漏り、である。
赤信号でギアをニュートラルにいれ、恐る恐る上を見上げると、案の定グレーの幌の一部分からグレーの空が顔をみせている。しかも放っておくと、みるみる陣地を広げていきそうな勢いだ。
動揺を押さえつつ、ホームセンターに立ち寄り、パンク修理用のチューブ入りゴムで事無きを得た。
さて、日本は季節感の豊かな国である。
春の次には梅雨が来る。これが、風など伴おうものなら、大往生である。
幌の穴を見つけてはふさいでみるがドアの隙間、窓の隙間、ありとあらゆる隙間から、雨風の容赦ない攻撃を受ける。これでは洗車機と大差ない。あきらめて、自分用にバスタオルを、車用に雑巾を携帯して、乗り切った。ただ、あえて言うなら、何処からでも水が入ってくる...ということは、何処からでも水蒸気が出ていく....ということで、晴れさえすればすぐに乾燥するのだった。
さて、そうこうしているうちに、冬が訪れた。京都のきりきりと冷える冬である。
その日、友人宅を訪ねて滋賀にむかった。
ご存知だろうか、京都から滋賀へ抜けるには峠をひとつ越えることになるのだが、ここが、甚だしく雪国なのである。京都、大津が、いかに晴天であろうとも、ここは降る。
そして、例外なくわたしの出向いた日も降った。まさに峠に差し掛かり、トンネルをくぐった時、車ごと夢のような世界に包まれた。しかし、幸いにも積雪はさほどなく、凍結する時間にならなければ楽勝だと思われた。
と、ひらり、ごく近い場所を舞い落ちる雪のひとひらがかすめた。
降雪は遠近感をくるわせるものである。気をつけて運転せねば、と思った矢先、ひとひら、またひとひらと後続隊が来るではないか。
またしても動揺を押さえつつ、見上げれば案の定ぽっかりと穴があいている。
幌は布に合成樹脂をコーティングしたものである。
この寒さに樹脂が収縮し、尚且つ張力に絶えられなかったのだなあ、などと、もののあはれを感じつつ、また穴を塞ぐのであった。
同様に昨年の四季を過ごし、年末に車検という、一大イベントを迎えた。
ちなみにこの頃には穴というレベルを通り越していた。すっかり老朽化が進み、ピンポイント攻撃ではなくなっていたのだ。どこからか、いつからかしっぽりと水分を含み、鍾乳洞を思わせんばかりにひたひたと滴が落ちる。まさに、タライか洗面器でも置きたい状況である。
愛車は88年式。この情けない幌も、12年にわたって活躍してきたのである。思えば大したものだ。
「雨漏りしてても、車検は通りますけどねえ。」
整備士さんは笑っていたが、これを機会に思い切って取り替えることにした。
不思議なもので、もう、雨漏りしなくなるかと思うとちょっぴりサミシイ気がした。
果たして車検は完了し、仕上がった2CV6は若干緩めに張り替えてあった。助手席のシートの上に布の切れ端が置いてある。カットからやったのだろうか。すごいぜ整備士さん。
車屋にお礼を言い、運転席に乗り込む。晴天。国道を程よく走ると、緩めの幌がばたばたとはためく。
相変わらず窓、ドアの隙間から外気は入りたい放題である。
なあんだ、やっぱり、情けないんだ。変わらぬ友の様子に微笑ましい気分で家路についた。

第3話   インディゴの夢
 一日の半分近くは夜である。眠ってしまえば自分の世界に突入してしまうのであるが、かならずしも現実との接触が絶たれるわけではない。
面白い夢であれば声を出して笑いもするし、話し掛けられれば返事さえしてしまう。
 その夜、仲のよい者が泊まりに来ていた。夜も更け、うつらうつらしかかったところに、わたしが話し掛けたそうである。
「ねえねえ、あれってなんだっけ?」
「あれって?」
「うーん.....。あれって、マイケル ジャクソンだっけ?」
「何がマイケル ジャクソンやって?」
「うーん....昨日の...晩ごはん。」
どうやら寝言であったらしい。翌朝、「いったい、どーゆー夢みとんねん!」と突っ込まれたのは言うまでもない。
まあ、こんな話はおいといて.....。
 
 日が暮れかけていた。茜帯ゆく公園を犬の散歩の綱を引き歩いていた。風は程よく乾き、肌に心地よい。
もうじき夕飯になるので踵を返し、公園の出口へ向かった。犬も十分遊んで満足したのかわたしと同じペースで歩いている。
白に茶と焦茶の斑点のある中型の雑種である。
 と、不意に低木の陰から子ウサギほどの茶色の塊が飛び出した。
塊は既に計算済みであったかのように犬の喉元に小さな牙を立てた。
あまりの素早さに犬も急所をはずさせることさえできなかった。
なんとか振り払おうと懸命に暴れるのだが事態は変わらない。
わたしはその小動物を追い払おうと必死でたたいたり蹴ったりした。
しばらくの格闘の末、塊は獲物を諦め、植え込みの陰へ逃げ込んでいった。
どうやら、大きいイタチのようだった。
 犬に目をやると四肢を投げ出してぐったりと倒れていた。
辛うじて息はあるものの、一刻を争う状態であることは明らかだった。
わたしは血まみれの犬を抱きかかえ、半泣きの状態で公園を出た。
 公園の出口にいた中年の係員に病院の場所を尋ねると、彼は手をあごにやり、暫く考えた。
「あるにはあるけど、ここからだとちょっと遠いですよ。タクシーかなんか拾わないと...。
でも、ここじゃつかまりにくいしねえ。」
まいったねえ、という顔で頭を掻いた。
「ぐずぐずしてる暇はないんです!早く病院に行かなくちゃ!」
ヒステリックに叫んだ時、ふっと、公園の隣の看板が目に入った。
なんと、まさに動物病院と書かれていたのである。
「そこ、病院じゃないですか!」
駆け出そうとするわたしに係員は言った。
「そこの病院は.....ちょっとねえ....。」
しかし、彼の話の続きをのんびり聞いている時間はない。
公園を囲むブロック塀沿いに全力で走った。
 病院のつるバラが絡む門を開けると、ずいぶん妙な感じがした。
ドアまでがたっぷり20メートルはあるのだが、その間が細いテラスになっており、透かしの入った小奇麗な白いテーブルと椅子が幾つも置かれ、少なからぬ人々が楽しそうにお茶を飲みながら話に花を咲かせている。
驚いて一瞬足を止めてしまった。
が、そんな場合ではない。
わたしは人々の間を擦り抜け、突き当りにある診察室への重厚なドアを開けた。
 椅子と机こそないが、まるで小さな教会のようなほの暗い不思議な空間が広がった。
そこに四十前後の柔和な笑みをうかべた医師がいた。
「どうしました?」
医師は言った。温かみのある、人を落ち着かせる声だった。
わたしは歩み寄り、腕に抱えた瀕死の犬をみせた。
「さっき、公園でイタチに噛まれたんです!おねがい!助けてください!!」
彼は犬の頭をそっと撫で、様子をうかがった。大事なものを見るような穏やかな表情で。
「大丈夫。何ともありませんよ。」
そんなはずはない。あんなにひどい目にあったのだ。
「ほら!喉、噛まれてこんなに!」
傷口を見せようとしてわたしは驚いた。
犬には血痕のひとつもなかったのである。首のあたりを触ってみたが、ふわふわといつも通りの毛があるばかりだ。
医師はわたしの腕から犬を取りあげると、そっと床においた。
犬はゆっくり立ちあがり、歩きはじめ、そのうちご機嫌に彼の足元を走り始めた。
わたしは何が起こったか解からずその場に立ち尽くしていた。
彼は言った。
「これは、あなたの犬ですか?」
わたしの意識の何かが言った。
「はい.....いいえ。これは、わたしが昔、飼っていた犬です。」
彼は笑顔で静かに頷いた。
犬は少しづつ若くなり、いま子犬の姿で彼の足元にじゃれついている。
わたしの意識とわたしの意識のなにかが交わった。
医師の笑顔が、”おかえりなさい”と言った。
「ありがとうございました。」
わたしはくしゃくしゃの笑みで言い、じゃれつづける子犬を残し診察室のドアを閉めた。

明け方の凛と張った空気の中に、涙の冷たさで目を覚ました。

第4話   これは困った!
   
 老化......なんと恐ろしい言葉であろう。老いることは誰しも避けられぬ運命であり、だからこそ人生に意味があるとさえ言っても過言ではない。しかし、それとこれとは話が別である。
元来わたしは記憶力が非常に乏しい。ただでさえ少ない記憶容量を音楽やら電算機やらに費やしてしまっているので日常生活に至っては微々たる余りのスペースがあてがわれるばかりである。
ここにもってきて、老化であろうか、近年さらに拍車がかかっているのである。これは、まずい。
 さすがに今、食事を採ったかどうかくらいは覚えているが、昨日の食事のメニューになると腕を組んでしまう。一昨日になると、もうダメである。
 こんな具合だからいろいろと情けない事が起きてくる。
たとえばシャンプー。毎朝起き抜けにシャワーを浴びて髪も洗って...というのが日課なのだが、シャンプー後、トリートメントをし、これをすすいだかどうかが思い出せない。
暫く考えた後、たぶん洗い流したであろうとふんでタオルドライをし、体も拭って、ジーパンに片足を突っ込んだところで、なんだか不安になる。
思いなおして、また着掛けた服を脱ぎ、シャワーを浴びてみると、どうやらちゃんとすすいでいたらしく、ぎしぎしといやーな感じになって、再びトリートメントをせざるおえない。
シャンプーに比べトリートメントが尋常でない勢いで消耗する原因はここにある。
 先日えらい食物を拵えてしまった。フランスパンをトーストしようと試みたのだ。たかが、トーストである。オーブンにスライスしたフランスパンを放り込み、待ち時間にソーセージなんかをボイルしていた。
焼きあがったパンにマーガリンを塗る。その上にイチゴジャム。(これはお気に入りの組み合わせである。)イチゴ......あっ!あああああああああああああああああああ!!!!!!!!
しまった!さっきガーリックトーストを作ろうとしてパンの切り口ににんにくを景気よくがりがりやったとこだったのである。これを喰う勇気はなかった。
 いつか、わたしは滅多に遅刻しないと書いたことがあったが、あくまで「滅多に」であって、「絶対」ではない。そして、この比較的発生確率の低い「遅刻する事態」が起こった場合、ほぼ取り返しのつかない状態にある。
 春に長田ストリートライブなるイベントがあり、われらアクアリウスは目出度くうわさのメインステージへの参加と相成ったのであるが、これに先立ってオーディションと名のつく大仰なものがあった。
どのようなステージングをするかを審査員の先生方にご披露しアドバイスを頂戴し、ふるいにかけられるというシロモノである。
会場が地下鉄長田駅のすぐ近所ということで、電車を交通手段とした。
早めに出発し、40分の余裕をもって、駅についた。駅に掲げられた地図と手持ちの地図を比較する。
なんだか、様子が違う。出口が沢山あるのだろうと思い、とりあえず地上に上がってみる。やはり様子が変である。在るべき道も在るべきマクドナルドもそこには存在しない。すうっと血圧が下がるのを感じた。ここは駅員さんに尋ねるのがベストだと思いなおし再び地下へ。
わたしの手から地図を受けとった彼は暫くそれを見つめて哀れそうに言った。
「あっ、これ、神戸の長田ですよ。神戸地下鉄。ここからだと1時間半はかかりますねえ。」
わたしはこの時点で大阪の長田にいたのである。
倒れそうになるカラダを自動改札機で支え、最短の移動方法を訊くと、よろめきながらホームへ下りた。ここで、西尾BUN氏からの電話が鳴った。いやな予感がしたそうである。
わたしは開口一番言ったものだ。
「もう、だめだ〜.............。」
この期に及んで、NAMIちゃんから「神戸に行け」と念を押された様な記憶がほんのり甦ってきた。
果たして、出演順を入れ替えてもらうなど上村氏の手配のおかげで一命は取りとめたのであるが、非常に恐ろしい経験となったのは言うまでもない。
 しかし、全ては自分が原因である。
そのうえ、時間はせつないかな、不可逆なものであり、私の記憶力がさらに低下するのは避けられない。へえーん。どうすればいいんでしょう。
人差し指なんかを回してみたりする今日この頃である。

第5話   るーの日本語辞典
1.関係無いけど

話の内容は忘れてしまったけれど、ずっと昔に「国語元年」という芝居をみた。
国語辞典をつくらんとしている人物の物語である。
これの初めの方に主人公の弟子が先生の辞典はいかに素晴らしいかを訴えんとその一節を読み上げる件がある。
「たとえば ”行き倒れ”、普通の辞典では”病気、寒さ、飢えなどのため、道ばたに倒れること、または、倒れて死ぬこと。また、その人。”と、ここで終わっていますが、先生の辞典はさらに説明があります。”大抵は、前向きに倒れている。”」

2.ワープロは賢くなりました。

最近のワープロは文脈を考えて漢字変換してしまう。たいしたものである。
昔の恐ろしい変換に呼吸困難になるほど笑った人は少なくあるまい。
しかし、なんとも微妙な変換をする場合があって、これは選択する側に委ねられる。
「主人は昨年無くなりました。」と書かれると、「えっ?どこへ?」なんてことになる。
「クリームシチューの臭いだ。」と書かれると、なんだか腐りかけているような気がする。
「貴社益々御清栄のこととお喜び申しあげます。」だと、「まあまあ、落ち着いて。」とか、言ってしまう。
.......んなことは無いか。

3.大きさ、数量

やまほど、ぎょうさん、てんこもり、なんて事をよく言うが、量的なものを考えてみた。やまほどは山を思わせる程あるわけで、ぎょうさんは”仰山”、山を仰ぐ程である。てんこもりになると”てんこ”つまり山の頂上まであることになる。
小さい方へ進むと、ひとにぎり、豆のような、米粒ほど、と、どんどん地味になる。
私的には”こころもち”という既に認識できないかもしれない表現が好きである。

4.似て非なるもの

例えば、「いい男」と「いいおやじ」。
男もおやじも男性を表すものだが、前者の”いい”は容姿であるのに対し後者は年齢である。
「さる」と「おさる」。丁寧語の様でもあるが、前者は動物そのものであるのに対し、後者は芸をせねばならない。
「さけ」と「しゃけ」。前者はバイタリティに溢れ川登りまでするが、後者は既に切り身になっている。
「湯上り」と「風呂あがり」。前者は浴衣姿の美女だが、後者は片手を腰に牛乳を飲んでいる。

5.ごろ合せ

以前知人が語ったのだが、「恋」は「乞い」「来い」、であると、即ち未だ報われず相手の気持ちを欲しがっている状態であるというのだ。うまく言ったもので、なるほど、恋する人々が切なくなりもするわけである。
これではしんみりするので、ちょっと付け足してしまおう。
「愛」を「相」「逢い」「合い」とするならば、ひとりではない事を意味し、さらにご縁もあり、仲睦まじくと言ったところか。
めでたしめでたし、とゆーことで、今回はこのへんで。

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