nakakiya essay

どーも初めましてアクアリウスのボーカルの中木屋といいます。
僕は今 大阪芸術大学でミュージカルを専門的に勉強しています。
めずらしいでしょう。
そこで新しいエッセイのネタがみつかるまで、なぜ僕がミュージカルを大学で勉強しているのか?
はたまたなぜバンドのボーカルに?そんなことテーマに恋の話をまぜつつ、
僕の人生を赤裸々に告白していこうと思います。
興味のある人はみていって下さい。
さてさてまずはどうして、舞台に立つようになったかこれから話していきましょう。
今から6年ばっかし前、14歳の時に、まぁ好きな女の子がいまして(あー恥ずかしい…)その彼女が生徒会の副会長をやってまして、ある時僕が生徒会室に遊びに行くとこんな話し合いの最中でした‥‥
会長 「今年は、別にだれも演劇やりたがってないし、別にやらなくていいんじゃない」
副会長「そうね、去年もやらなかったし、私達は他の仕事もあるしね」
書記長「じゃあ今年はなしということで…」
そんなやりとりを聞いていた僕は思わず叫んでいました
中木屋「おーい、なんだよやろうよ!」
会長・書記長 「おっ何だ何だ!」
中木屋「俺でてーよ!一度やってみたかったんだよー!」
会長・書記長「‥‥‥」
副会長「な、中木屋くん本当?本当にやるの?」
中木屋「おーまかせろ!やるやる、おもしろそうじゃん!!」
‥‥とまぁその時は好きな子の手前いいカッコしようとしてこんな展開に、しかし次の日の放課後、生徒達の間でDr.マシリトと呼ばれていた山村先生(はっはっは実名だしてやった、おれこの先生嫌いだったんだよ!)に呼び止められた!「中木屋、ちょっと職員室まで来なさい!」
ゲゲッいったいなんだろう‥‥?
Dr.マシリト「中木屋、おまえ、文化祭の演劇の責任者になったらしいな。」
中木屋「へ? なんのことでしょう??」
Dr.マシリト「今すぐ図書館で本を選んできなさい。なんなら、俺も一緒に選んでやろう。」
中木屋「いや、いいです!」
そう言って職員室を逃げるようにでた後、真実を確かめるべく生徒会室に行くと、昨日の話を生徒会長が書類として提出していたのでした。さすが生徒会、恐るべし生徒会、なんて行動が速いんだと、そのとき僕は思いました...。
そんなわけで役者兼演出家兼プロデューサーとなった僕は着実にステージと名のつく世界に引きずり込まれていくのでした。
 それからが大変!まずは台本を選び(題名は”葉檜”という感動もの)スケジュールをたて役者を募集したり大道具作ったりと死に物狂いで働き、何とか成功を収めました。その時友達が言った「本当に感動した!」というフレーズを今でも鮮明に覚えています(ちょっといい話)。
そして、この文化祭がきかっけで、めでたく僕は意中の彼女と付き合うことになったのでした。付き合い出して間もなく、僕たちはお互いの夢を話すようになりました。
彼女「私は将来保健の先生になりたいんだ、しゅうくんはなにになりたいの?」
中木屋「えっ......、別にないなあ....。」
彼女「えっ?ないの? なんかさみしいね」
がーん、なんだかよくわからないが、その言葉は僕の心に大きな衝撃を与えました。俺っていったい何になりたいんだろう?それからの日々この自問自答を繰り返していました。
なりたいものがない、やりたいことがない、そんな自分に初めて気が付いた十五の時でした。
 
それまで自分の夢について深く考えたことはありませんでした。
僕の両親は僕の「修司」という名前を、学問を修め司るという意味で、国語の先生にしたがっていて、先生だけは絶対ならない!といつも思っているだけでした。あらためて自分の好きなことって何だろうと考え、一番楽しかった演劇の舞台を思い出し、
「よし、役者になるぞ!」
なんて、単純なんでしょう......今タイムマシンがあるなら、しばいてでも止めます........。
「そのためには東京だ!東京の適当な大学行っといて、おかんら安心させといて、自分は劇団に入って役者になろう!」
という風に楽観的に考え、次の日から大学へ行くと言い出し、そのため進学校の受験を思いついたのでした。
 そして高校へ入学。ここで僕は演劇というものに三年間はいる事ができませんでした。役者になりたがっていたのになぜ?と思うかもしれませんが、当時の僕は今からは想像もつかないくらい賢く、県内では有名なスーパー進学校に入学してたのです。そんな学校だったので、周りはどんぐり眼鏡にスポーツ刈り、特に演劇部は家で鉄道プラモ集めてそうな男と自宅でコスプレしてそうな女、さらに読書好きなおかまの集団で(演劇部のみなさんごめんなさい)当時中学生の頃からオシャレして女の子とちちくりあってた僕には抵抗があったんです。そんな理由で三年間結局演劇部には入れませんでした。
そしてあっというまに又、受験シーズンがやってきて、花の東京へ行くチャンスが来たのでした。
花の東京。
僕にとって東京とは自らの中学時代からの夢がはちきれんばかりに詰まった大切なものでした。
僕は東京の演劇の街、下北沢に住むことも決心し、長年の計画していたように東京の大学についての資料を集めました。
するとそのなかから日本大学芸術学部(通称日芸)に演劇科なるものがあることを知りました。
花の東京に、しかも演劇が勉強できる大学がある!!
僕はその瞬間から日芸に一目ボレをしてしまいました。
日芸はその時の僕にとっての理想の相手でした。
そして受験の日。今でも鮮明に覚えています。
駅から日芸への道のりの緊張感、高鳴る鼓動。キャンパスに足を踏み入れた時の感動。
そのせまいキャンパスも、古臭い校舎も、何気なくのびる木も、すべてが美しく見えました。
日芸は一次試験が筆記試験、いわゆる国語や英語のテストで、その合格者のみが二次試験の実技試験を受け、合格者を決めるというものでした。
そして受験から数日後、高校3年の僕の恋は、一次試験にてあっけなく失恋してしまったのでした。
 どうしても日芸行きたい。もうかなり意地になってました。日芸の受験でみごとに桜が散ってしまった僕は日芸へリベンジすることを誓い広島へと移り住みました。広島での浪人時代はつらいものでしたが、たくさんの友達に囲まれてあっという間に過ぎていきました。そして日芸への二度目の受験。まずは去年と同じ様に英語、国語のテスト。左手にギュッとお守りを握りしめ祈るような気持ちでテストを終えました。そして眠れない日を幾日か過ごし発表の日...。もう幾度となく通った日芸への道のりを歩きドキドキしながら校門の前に立ちました。ひとつ大きく息を吸い、一歩一歩下を向きながら合格発表の掲示板の方へと向かいました。そして掲示板の前に立ち、下を向いたまま自分の番号を幾度となくつぶやき、二年間の思いを胸に静かに顔を上げました。真っ白な掲示板っをみると....あった....。合格!合格!合格!
この時は本当にうれしかった。初めてキャビアを食べた時よりも、初めて彼女ができた時よりも、なによりもうれしかった。きっとこれからの人生、この時ほどうれしいことはもうないんじゃないかというくらいうれしかった。そして二次試験の手続きをすまし、意気揚々と家へ帰り、もうすっかり大学生の気分になっていました。しかし、人生そんなにうまくいかないのでした。
(続く)

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