A War of Words.




私は常識が嫌いです………と言うよりも、「常識だよ」とか「普通でしょ」と普段から本気で使う人が嫌いです。
冗談で言うんならまだ許せますが、本気で言うのが許せません。

当たり前の様に口にしますけど、『常識』のラインが人によって違うんです。
本気で「常識でしょ」って言う事はすなわち、『自分の価値観を他人に押しつけている』と言う行為そのものなんです。
ですから『嫌い』です。
そういう事を平気で言える人が。



上をすんなり勘違いした人には意外に聞こえるかも知れませんが、私は『常識を知らない人』も嫌いです。
『人によって常識のラインが違う』とは前述している事ですが、やっぱり『最低限度』ってのが有る訳です。
勘違いした人の為に言い直すなら『最低限度を知らない人が嫌い』です。

ただこれは、自分に対する反語(自戒の句)でもあるんですが、この場合の判断基準は『自分の常識』になってしまっている事も事実です。
ですから『怒りの度合』としては、先のよりも低いです。
けれども『私から見た最低限度を知らない人』が『嫌い』な事には変わりありません。


全ての価値観・思考は、全て相対的なモノです。
絶対の価値観なんて『夢の様な話』は存在し得ません。



『死』すらも『生』の相対でしか無い。
だが我々は『生』の側にいる。



価値観を論ずる時、人は上から見ている(客観的に見ている)つもりであっても、その実は『片方のサイド』からしか見えていないんです。
『真に客観的な視点』は、『感情・思想・意思を持つ人間である限り、存在し得ない』のです。
全ては『己の主観に依る『擬似客観』と呼ぶべきモノ』でしか無い訳です。



『生者』が『生と死』を語ろうとしても無駄なのだ。
所詮は『生きる者』から見た『死』でしか無い。



『常識』・『普通』と言う言葉で、人を押さえつけようとするのを止めよ。
己と違う意見・思考を持つ者を『異常』・『異端』と呼ばわりする権利は誰にも無い。



それも知らぬ者が幾ら語ろうとも、少なくとも俺には何の意味も持たない。






賢者に語るべき言葉は無く、愚者には理解出来ないのだから語るだけ無駄だ。








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