ストレスまみれ


と同時にもうひとつ、ストレスの原因が生じる。

相手が、自分のことを「正当に」扱っている(と思っている)以上、こちらも正当に対応する必要が生じる。すなわち、相手が女性なら「女性を相手にしている男性の態度」を、相手が男性なら「男性を相手にしている男性の態度」をとらなければならなくなるのである。

もちろん、礼儀にまったくといってもいいほど気を使わなくてもいい相手なら、そんなことをせずにすむこともある。しかし、礼儀正しくする必要(とは言っても、それほど格式ばる必要があるわけではない。正しく敬語を使うほどではないが、多少は丁寧な言葉遣いをする、という程度である)がある相手や、ある程度性別を意識して接してくる相手には、そういった態度をとらざるをえない。(人間関係を円滑にする気がまったくないなら話は別だが)


また、礼儀とは別の次元で性別を意識せざるをえないこともある。と言うのも、この国(に限ったことではないようだが)では、性に関する言動ははっきり口にはせず、場や雰囲気で察するべし、という慣習がある。だが、そんなものがちゃんと察することができる人間などごく一部にしか存在しないので、結果としてある行動をとったらこういう意味、という、あるの種ボディーランゲージのようなもの(でもないか)が世間一般に流通している。

たとえば、「ファーストガンダムのテレビシリーズを一気に見ながら語り合いたいぜ」という欲求が生じたとする。だが、知り合いでそんなことができるガンダムファンの知り合いが鈴木花子さんしか都合がつかなかったとする。ここで「今日はうち、親がいないんで朝までノンストップ・ファーストガンダムやんない? ほかの奴、都合つかなくてさ」と言ったとする。するとこの台詞はこの国の慣習に従うと次のように翻訳されてしまう。「私はあなたとセックスがしたいので、ガンダムを口実に家に誘います。私とセックスしたければ、家に来てください」
この「隠された(本当は存在なんかしていない)」メッセージをもとにお誘いが断られると、私は私が男性の肉体を持っているというだけの理由でガンダムをいっしょに見ることができなくなってしまう。また、このメッセージをもとにOKされると、楽しくガンダムを見終わった翌朝、私は花子さんに非難されることになってしまう。(よく、成年向け4コママンガにあるネタ「なにもしないからと言って誘っておいて、「本当に」なにもしないなんて」という状態である) また、花子さんが正しく私のメッセージの意味(つまり、言葉どおりの意味しかないということ)を読みとって二人で楽しくガンダムを見て朝を迎えたとしても、周りの人間はそうはとらない(可能性が高い)。二人っきりで夜を過ごしたというこの散文的な単なる事実が、性的な象徴としての「夜を過ごす(つまりセックスをする)」にすりかえられてしまうのである。

ここで、私が「身体は男でもこころは女の子よ。レズじゃあるまいし、女の子とはしないわよ」などと言えれば話は単純なのだが、あいにく私はバイセクシャルである。女性相手でも(相手が性的に好みなら)しっかり欲情する。(めったにないことではあるが) だが、それならば、同じくめったにないことながら男にも欲情する響谷なのに、男性と同じ部屋で寝ようと、一緒に風呂(つまり男湯)に入ろうと、なんら問題にされないのは、響谷が男性の肉体を持っているからである。

余談になるけど、1999年の正月に温泉に行ったとき、KINKI−KIDSそっくりの二人組が男湯に入ってきたことがありました。響谷は「目のやり場に困るぅ〜」などと思いながらも視線を完全に固定させていた。きっと、鼻の下を伸ばしまくったゆるゆるの顔になっていたんじゃないだろーか。このときはさすがに男の体を持って生まれたことに感謝しちゃいました。だって、女だったら男湯には入れないもの。一年分の幸運を正月早々使い果たしたかと思うほどのいい経験だったなー。ムフ☆

ことはお泊りや風呂に限ったことではない。あらゆる現場で、響谷は、勝手に捏造される性的裏メッセージと戦わなければならないのである。(菊地秀行のファンと、新宿「魔界都市」ツアーに行こうとしても、誘う相手が女性なら、デートの誘いと解釈される危険が付きまとうのである)