第一弾として、今回はアニメのヒーローたちの変遷論を私なりに展開したいと思います。

日本アニメーションの創世期の時点では、基本的には実写撮影が難しいヒーロー達が跋扈していました。例えば、鉄腕アトムのようなロボット、遊星仮面のような宇宙人、ビッグXのような遺伝子操作巨人、エイトマンのような人造人間、鉄人28号のような操縦型ロボット、魔法使いサリーのような魔法少女などなど。勧善懲悪、正義と悪の存在を明確にして、悪者がやっつけられるのを見てすっきりしたものです。当時のこれらの作品には“こんなことはしちゃいけないぞ”みたいなメッセージがそこかしこに盛り込まれていました。まあ、子供の躾の手伝いをアニメは担っていたのかもしれません。
しかし、“悪”と言うものは、やがて形態を変えてきます。“悪”=野望、欲望を理念とし、さらにはこれらを達成するために破壊や殺戮、略奪、侵略を行為として行い、しかも組織的になってきます。例を挙げれば、マジンガーZのミケーネ帝国や、新造人間キャシャーンのアンドロ軍団、科学忍者隊ガッチャマンのギャラクター、他の作品でも侵略して来る異星人たちがこれら組織化された悪の軍団といえるでしょう。この頃のタツノコプロ作品や、ダイナミックプロ(永井豪作品)作品、などに代表される作品群では、次第にヒーローたちは更なる強大な力を手にしていきます。巨大ロボットの操縦能力を有し、自らを新造人間とし、または同じ意識を持つ者たちが仲間になり、人間をはるかに超えた力を持つことで、これら悪の軍団に対抗していくようになりました。
その中で、異彩を放つ作品が登場します。一つは松本零士原作の“宇宙戦艦ヤマト”です。これには驚きました。それまで見られなかった“侵略者側の正義”と言うものがあったのです。それと、あの名高い“機動戦士ガンダム”。これにはそれぞれの国の政治的な側面も織り交ぜられ、さらにストーリーの深さを増しました。この辺りになると、勧善懲悪という図式はもはや当てはまりません。“戦いや戦争を通しての主人公の成長”という図式へと移り、“主人公を取り巻く人間ドラマ”にも視点が広がっていきます。(まあ、今のアニメにも“勧善懲悪”のパターンはありますが)現在のアニメは殆どが“主人公の成長”と“人間ドラマ”と言ったパターンで、“お子様アニメ”と“大人も見られるアニメ”に分化しています。言わば、アニメファンがそれぞれの作品を選んで見る時代になって来ています。果たしてこれから、“どんなヒーロー”“どんなヒロイン”が登場するのでしょうか。温かく見守っていきたいと思います。
以上、第一回目のお話でした。

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