音霊使いミュージ

とある地方の深い森の中、精霊たちと心を通わせる者あり。
彼は王国が、更には大陸が災厄に見舞われしとき、何処より舞来たりてこれを排する為に立ち向かう。
彼の姿は流麗にして優雅、老いを知らぬものなり。
彼の力は一本の横笛にて発現し、数多の精霊の力を引き出し、これを使役するのを常とする。
万物を生み出し
万物を打ち砕き、
光を闇に、
闇に光を、
灼熱の炎を繰り出し、
雷を放ち、
乾いた大地に潤いをもたらし、
緑を繁らせ、
大いなる風を孕み、
氷雪も彼に味方する。
彼は自然と自由を第一に愛する。
彼を仲間にせし友らは、蛮政を振るう君主から民を救い、偉大なる王国を興す。
その名はオーギョク。剣と戦いの王国なり。
仲間はしかし彼の自由を束縛せず、宮廷楽師の称号を彼に与えたり。

民は彼をこう呼ぶ。”若き自由人(フリースト)”または”音霊使い”と。

〜ヴァルスタル大陸在住、大賢者ラーマ=カーミラ=ヴォーダー著、『大陸記』より引用。〜

説話1・久し振りの王都。

=オーギョク王国・王都コーダー=

ここはかつて蛮政を振るっていた君主から4人の若者が力を合わせて民衆を解き放った王国だ。
さすがに王都だけあって人々は明日を生きるための戦いの汗を流し(これを人は仕事と呼ぶ)、国王の指導力は民の隅々までに行き渡り、実に活気のある町だ。王都コーダーは王国一の賑わいを見せる城郭都市だ。

今日も多くの人々の笑いと声があふれ、行き交う人々の表情は明るい。市場や露店では売り子が客寄せのために威勢のよい声が飛び交い、客は負けじと値切りの声を張り上げる。日々是戦い。いつもの町の風景だ。基本的には貨幣経済を奨励しているが、物々交換でも商いは成立する。これも現国王であり、建国王、かつての4人の若者の一人、”剣王”ヴィッツ=バルトの政治方針だ。
ちなみにここ、オーギョク王国はヴァルスタル大陸の東の端に位置し、王都コーダーはその国土のほぼ中央に位置している。母なる大河であるセリヌース川を構え、その水源となるシュアン湖、大いなる海、フラム海、地母神ガ・ラムスが横たわると言われるラムス山脈を後方に構える天然の要害でしかも自然に溢れる風光明媚な国土を保有している。

コーダーの町は1週間後に建国祭を控え、賑やかさが増している。

「ねえねえ、もうそろそろ楽師さまがお見えになる頃ね。」
「そうね。早くあの演奏を聞きたいものね。」

人々は口々に宮廷楽師の噂をしていた。とりわけ宮廷楽師は特別な存在だ。楽士の存在は数あれど、楽師の称号を持つ者はただ一人しかいない。”若き自由人”のことだ。彼の住まいは王都コーダーの北西に位置するラムス山脈を越えた森林盆地、通称”エルフの森”にある。人跡未踏の森の中に幻の泉があり、そのほとりに小さな山小屋が建っている。三日前に小屋を後にした彼は、5年に1度の建国祭に出席するため、ラムス山脈の峠に差し掛かっていた。さすがに建国祭に楽士最高の称号を持つ者が出席しないのは式典が台無しだ、ましてや王族の威厳と体面に傷がつくことが目に見えている。
彼の身長は1メートル85センチ、がっしりとした体躯に頭には肩幅がすっぽり包まれるほどの黒い大きな幅広帽子を目深に被り、萌黄色のマントを羽織っている。腰からは愛用の横笛をホルダーに入れてぶら下げ、茶色のショートブーツを履いている。彼の歩みのリズムに合わせて帽子につけている白い鳥の羽がゆらゆらとなびき、そのかくしゃくとした姿勢はどこか優雅さをかもし出している。

峠の頂点を越えた頃、王都の町並みがようやく彼の視界に見えてくる。かなりの足早で歩いてきたものの、彼の息が上がるということはない。友らとの冒険が彼に並外れた体力を与えていた。このときばかりは友らへの感謝をせずにはいられない。

「ふう、やっとここまで来たか。」

彼は街道に出てすぐの展望台に腰を落ち着けると、携行しているマジュアの木をくりぬいて作った水筒を取り出し、渇いた喉を潤す。中に入っている水は、自宅の脇にある聖なる泉、フェルールの泉から汲んで来たものだ。マジュアの木は樹精霊リーフェスの知恵、泉の湧出は大地の精霊モンモと、水精霊ナーガの協力だ。精霊たちの活力を体内に取り込むことになる。
二口ほど水を流し込んで一息つくと、悪戯好きな子供といった風体の風の精霊、シルフィードが首のタリスマンから顔を出す。

「よ、おいらが力を貸してやろうか?」

彼の首についているタリスマンはマントの留め具であるとともに、王国をはじめ、大陸での身分証明書にもなるチョーカーのバックルにもなっている。
ちなみにシルフィードは高位精霊に位置付けされる精霊のひとつで、彼の修行中で2番目にタリスマンから現れた付き合いの長い精霊だ。

「いや、遠慮しとくよ。」
「やせ我慢は体に毒だぜ。」

手を後ろ手に組み、毒づくシルフィードだが、彼はにっこりして軽く言う。

「じゃ、この汗を乾かす位のそよ風をくれないか?」
「お安い御用さ。」

彼は腰のホルダーから愛用の横笛を取り出すと、ゆっくりとしたテンポの曲、”風のささやき”を演奏し始める。メロディに合わせて本来は踊りが好きな精霊はしなやかに舞い始める。すると彼の周りにのみ爽やかな風が流れる。実にいい心地だ。<これで少しは楽に歩けるな>そう思い、残りの道を再び歩き始める。

読者の面々はお気づきかもしれないが、彼こそこの物語の主人公にして大陸ナンバーワンの精霊使い、”音霊使い”フリースト=ミュージ=ヴォーダーその人だ。人は彼のことを畏敬の念を込めて”楽師さま”と呼ぶことが多い。

時刻は夕方、その日の夕日を拝む頃、ミュージは王都コーダーの北の関所にいた。

「おい、何者だ?」

関所の役人にミュージは呼び止められた。どうやら登用されて間もない若い役人だろう。ミュージを知らないようだ。
ふとマントの襟から見えたチョーカーの色に、顔を青ざめさせる若い役人だった。ミュージのチョーカーは緑色に金のふち取りのされたものだ。緑は楽士を示すものだが、金色の縁取りはその上を行く宮廷楽師を意味しているのだ。

「あ、あなたがヴォーダー伯でいらっしゃいますか。失礼しました。」

同時にミュージは伯爵の称号も受けていたのを忘れていた。恭しく敬礼をされて、ミュージはちょっと困り顔だ。

「いや、だからそんなに畏まらなくていいのに。」

関所を通り抜けたミュージは町の目抜き通りに足を向けた。道筋の食堂や屋台から美味しそうな焼き物の匂いが漂ってくる。夕餉にはまだ早い時間だが、香りに誘われて腹の虫がグゥと騒ぐ。ミュージは懐の路銀を確かめると、香ばしい匂いを醸し出している焼き物の露店に足を向ける。この露店ではオーギョク特産、クロック鳥の照り焼きを販売している。香辛料や、絡めたたれが焼ける何とも言えない香りに魅入られて、磁石に吸い寄せられる金属のようだ。

しかし、世間はミュージの思う通りには行かないものだ。先ほどの北の関所の役人が知らせたのであろう、彼を待ち侘びていた者達が真っ先にミュージの元へ馳せ参じていた。先頭にいるのは仲間の一人、宮廷方術士にして大陸一の名を欲しい侭にしている”果敢なる賢者”または”妖しの魔女”の通り名を持つミュリエル=ミスティ=クレードルだ。後ろには、宮廷楽士長のメラン=ヴァイツアー、そしてミュージの直弟子2名の男女、更には戦の神、マース神殿の神官位を拝する美女、エリサ=フロレスが付き従っていた。

「宮廷楽師様、お迎えに上がりました。」

恭しく口上を述べてミュージに真っ先に頭を垂れたのは他ならぬミュリエルだった。このメンバーの中では一番身分の高き者の役目と思い、そうさせたのだろう、他の者達も彼女に続いて頭を垂れる。

「あ、いや、その、参ったなあ。」
「宮廷楽師様は我が王国、更にはこの大陸の至宝にございます。こうしてお出迎えに上がるのは当然にございます。」

ミュージは背中に嫌な汗をかきながら困っているが、ミュリエルはこうしたしきたりを重んじる性格だ。頑として譲らない。

「だから、みんなが集まってきちゃったよ。」

公の面前で”果敢なる賢者”が頭を垂れる相手といえば、国王にして”剣王”以外にはこの相手、”若き自由人”しかいないことは周知の事実だ。いつの間にやら町の人たちがミュージたちを取り巻いて見物を決め込んでいる。実にミュージとしては苦手な状況だ。逆にミュリエルとしてはミュージをからかう好いシチュエーションである。だが、それもミュリエルの愛情表現であることをミュージは知っている。彼女もまだ20代後半の年齢、本来ならこの王国では彼女の年齢なら結婚をしている年齢なのだが、独身を通している。その原因を作っているのはミュージ当人なのだ。プライベートなら、今すぐこの場で目の前にいる萌黄色のマントの男をいとおしく抱きしめ、その唇に自らの唇を重ねたい衝動を必死で堪えている。
それは10年前、前君主を打倒する戦いの中、戦いの恐怖を打ち消そうとたった一夜だけ、互いの体を求め合い、快楽に逃れたこと。それによってミュリエルはミュージに純潔を捧げ、本当の女性に目覚め、魔女に相応しい輝きを得るに到ったのだった。しかし建国のとき、ミュージは政権には参画せず、自由を欲し、エルフの森に帰っていった。その別れはミュリエルにとってミュージへの思いが本物であると感じさせたのだ。

ぽりぽりと後頭部を掻きながら、ミュージはおろおろしている。

「まあ、積もる話は場所を改めてするとして、俺は今、あのクロック鳥の照り焼きが気になって仕方ないんだ。とにかくだ・・・あれ?」

話が終わるか終わらないかのうちに直弟子その一である男の方、キース=ツァイベルが店頭販売のコーナーに走り、鳥の照り焼きを入手して、ミュージの前に差し出していた。

「お師匠様、どうぞ。」
「ありゃ、いやあ、悪いね。これ、高かったんじゃない?いくらしたの?」

懐の路銀を出そうとするミュージだったが、メランがそれを制して、こう言い放った。

「いえいえ、御代は気になさらずに、建国祭の演目をお決め下さると言う事で。」
「やっぱりそうなるのね。でもさあ、俺が送った楽譜はどうしてる?」
「しっかり練習させていただいてますよ。」

キースは肩に掛けた革袋の中から楽譜を取り出した。

「その曲を演奏するからね。さて、国王陛下に挨拶に行くか。」

無事に楽譜が手元に届いていることを確認したミュージは、機嫌良く王宮に歩き出す。ミュリエルはうまそうに鳥の照り焼きを頬張っているミュージのそばに夫婦のように付き従って歩き出す。

「おい、あまりくっつくなよ。」
「あら、相変わらず照れ屋さんね。」
「そんなんじゃねえよ。」

二人の会話を聞いていて、エリサはメランに尋ねる。

「あの、楽士長さま、クレードルさまって、ミュージさまといるときって、いつになく幸せそうですね。」
「それはそうだ。何と言っても、クレードルさまは楽師さまを愛しておられるからな。」
「ええっ?本当ですか?」
「だが、お師匠様はあの調子だ。俺としては早いところ、決めて欲しい所なんだが。」

キースが話の間に割って入って、チラリとジュディアを見る。当のジュディアはミュージが他の女性と仲良くしているのはあまり良い気がしない。幼馴染のキースが子供っぽく見えて仕方がないのだ。ジュディアもミュージに惹かれる女性の一人である。

「キース、あなたはお友達。お師匠さまは違うわ。」
「ちぇっ。」

軽くいなされたキースは軽く舌打ちをして、とぼとぼと歩く。

やがて王宮が近づき、ミュージたちは国王、ヴィッツ=バルトに謁見することになる。
その頃、ラムス山脈を越え、エルフの森に到達した二人の使者の姿があった。