音霊使いミュージ・第2話 〜自由人・発つ〜

=エルフの森・ミュージの工房兼自宅付近=

「くそっ!一体あのお方の住まいはどこにあるんだ。」
「ファルゼン、そうカリカリするな。せいてはことを仕損じるぞ。」

ヴェナス王国の騎士、ファルゼンとヤーダーは見た目は重そうに見える甲冑を纏い、自然崇拝者でも全てを知り尽くされていない人跡未踏とも言えるうっそうとした森の中を進んでいた。王家に伝わる神聖魔法である”軽量化”の呪文が施されていなければとてもじゃないけど軽快には動けない。騎士である二人は母国の国王から親書を携え、このヴァルスタル大陸でも名を聞かぬものはないというほどの有名人の住むと言う小屋を目指していた。

当の有名人は今、王都コーダーの王宮にいることを知らずに。

その一、建国祭6日前

「ふぁ〜〜。よく寝た〜。」

王宮の自室に朝の澄んだ日差しが差し込む。その線上に、二人の騎士がお目当てにしている男の枕がある。男の名はフリースト=ミュージ=ヴォーダー。本編の主人公である。森の工房のベッドにはないふかふかの柔らかい王宮のベッドも悪くないと思いながらうとうとと目を醒ますミュージだったが、何やら今日はベッドの沈み込みが深い感じだ。肩口に誰かの息が当たっている。寝ぼけながら息の当たる方に顔を向けたミュージはそこに、気持ちよさそうに寝息を立てているミュリエルがいるのを確認し、驚いて眠気が一気に吹き飛んだ。

「ミ、ミュリエル!あれ〜〜!?」

夕べは王宮に建国祭の為に来て、ヴィッツ王の歓待を受けて、宴会に参加して、夜遅くまで飲んで、う〜〜ん、それからそれから・・・と、寝る前の記憶を必死になって辿ろうとするが無駄な努力、前後不覚になったらしい。記憶がまったくないのだ。友との再会についつい飲みすぎたようだ、軽い頭痛がする。それよりもあのミュリエルが、自室の自分のベッドに寝ているのは何故だか、しかも裸で寝ているのはどうしてか、ミュージの寝起きの頭はその事を考えるのにフル回転している。
そんなパニック状態のミュージを尻目に、ミュリエルは目を覚ます。

「あら、おはよう、ミュー。」

上体を起こしたミュリエルの背後からは朝日が照らし、均整の取れたミュリエルの姿態のシルエットを作りだす。それは神殿に奉納されている女神像にも似た美しさだ。ミュージはしばし見とれていたが、今はそれ所ではない。

「ミュリエル、俺、夕べ、なんかしたか?」
「うふふ・・・覚えてないの?酔って私を連れ込んで・・・。」

ミュリエルは意味ありげな笑みを浮かべている。本当は酔ったミュージを介抱しようとこの部屋に連れて来て、ベッドに寝かしつけ、寝ている隙に襲いかかろうとしたが、主の身の危険を感じた光精霊ファロストスと闇精霊クロスターの精霊姉妹がタリスマンから飛び出し、クロスターの発した”眠り”の呪文で眠くなってしまい、ミュージのベッドに潜り込んで寝てしまったというのが真実なのだが、そんなことを知ったらミュージの困った顔を見るチャンスがふいになってしまう。さらに、この体を見てその気にならない男はいないだろう。そう考えたミュリエルは敢えてシーツで体を隠したい恥ずかしさを制してこの状況を楽しむ事を決め込んだのだ。”妖しの魔女”の異名は伊達じゃない。
そんな事は露知らず、ミュージはおろおろしている。昔だったら”若気の至り”で済まされるだろうが、現在の地位と名誉もある状態じゃ責任問題だ。相手が隣国の貴族の娘ならばなおさら、外交問題に発展しかねない。

「と、とにかく、そんな格好をしてると、風邪引くよ。それに、夕べは酔っていて、記憶が定かじゃないんだ。ミュリエルにひょっとしたらひどい事をしちゃったかもしれない。だとしたら、俺としても考えなくちゃならないね。”自由人”を辞めなくちゃ。」

部屋の隅の椅子に腰掛けて呟いたミュージの言葉は意外なものだった。”自由人”を辞める。それはミュージがミュージでなくなることを意味する。そう、”若き自由人”の異名を冠するミュージは如何なる者も束縛は出来ない。それがオーギョク王国の不文律、決して侵してはならないタブーなのだ。
ミュージとしても、即刻母国へ帰って堅苦しい公務に就かなければならない事になるのだ。事情によっては友のいる国に刃を向けなくてはならなくなるかもしれない。つくづく自分の生まれを恨むミュージだった。

ミュージの出自については別の機会にするとして、ミュリエルはちょっとした悪戯のつもりでいたが、王国の不文律を侵すような事になるとは思いもよらなかった。朝食を摂りに部屋を出た後のミュージの部屋で一人残されたミュリエルは服を身につけながら今後の身の振り方を考えていた。

町は建国祭に向けて、今日もにぎわっている。その中を一人思案顔のミュージがてくてくと歩いている。本来なら王宮で楽士達に演奏を指導していなければならないというのに、だ。楽士長のメランに見つかったら大変な権幕で叱られるであろう。今朝の一件が重くのしかかっているのだ。

<そうだ、あそこにいこう。>

気分が滅入った時等にミュージはいつも郊外のカヤクの木が一本だけ頂上に生えている丘の上で笛を吹いて気分を紛らわしていた。足が自然とそちらに向く。日の高さが頂点を少し過ぎた頃、ミュージは丘の上の木陰に腰を落ち着けていた。

<冗談でミュリエルはあんなことしないよな。>

丘の更に北には自宅のあるエルフの森を囲むラムス山脈が見える。そちらを向いて山並みを眺め、ミュリエルの事を考えてみる。気を落ち着かせるために愛用の笛をホルダーから取り出し、ゆったりした曲を吹いてみる。自然と気分が晴れてくる。木陰にいるせいか、樹精霊リーフェスの気が影響してくるのだろう。
暫く演奏を続けながら、ミュリエルのことをいろいろと考え始めた頃、山並みの一部から土煙が立っているのに気が付いた。それは次第に山を下り、自分がいる丘に近づいてくる。

「おや?何だろ?」

暫くすると、その土煙の先にはそれぞれハロスと呼ばれるらくだのこぶを背中に付けた馬に乗った騎士の姿が見えてくる。丘の前は王都コーダーへの街道になっていて、勢いよく二人の騎士、ファルゼンとヤーダーが駆け抜けていった。

「あの甲冑は確か、クリシュナの国の騎士が着けるものだ。」

騎士の甲冑にはドラゴンの羽を模った彫刻ないしはそのように打出した飾りが胸当てに施されていて、大陸の人たちはその胸当てを見ると、どこの国の騎士なのかすぐに分かるようになっている。ドラゴンの羽は友であるエフェクレール=クリシュナ=ミーシャの母国、神殿王国ヴェナス神国のものであることが判別出来た。

「何かあったのかな?」

呟くミュージを尻目にファルゼンとヤーダーは王都へ一目散に入っていった。二人は王都ならば、皇女クリシュナがいて、彼女ならばミュージの友なので、渡りをつけてくれると信じていた。

「畜生!何であのお方はあの小屋にいないんだ!」

相変わらずファルゼンはカリカリしている。

〜数時間前〜

「ここにあのお方がいるのか。」
「やっと見つけたな。これで我らが国も救われる。」

やっとの事で見つけたミュージの工房だったが、そこは主は不在で、玄関の扉に看板がかけられていた。
看板には”主は王都コーダーに行ってます”と記されていたのだ。一週間かけて辿り付いたのに、空振りに終わったファルゼンとヤーダーは気を取り直し、王都コーダーへと向かう事にしたのだ。

=王都コーダー=

ファルゼンとヤーダーの両名は道行く人に神殿への道を尋ね、町のほぼ中心部に位置する戦の神、マース神殿に辿り着いていた。しかし、突然の訪問なので、執務中のクリシュナには会わせることは出来ないと、門番の衛兵戦士に門前払いを食らう始末。ほとほと困り果てている両名に、後から尾行していたミュージが声をかける。

「お見受けするにヴェナスの神殿騎士でございますか?」
「いかにも。我はヴェナス神国の神殿騎士、ファルゼン=カイストスなり。」

少し大柄なファルゼンが自慢の顎鬚を撫でながら威厳を誇示するように答える。

「同じく、ヤーダー=トッシュナーなり。して、貴殿は?」

ファルゼンより少し小柄のヤーダーは胡散臭い表情をしつつも声をかけたミュージにただならぬ気を感じていた。

<こ、こいつ、我ら騎士に気配を気取られずに背後を取った。見た感じは軟弱そうに見えるのだが・・・>

そんな事は意に介さず、ミュージは両名に話し掛ける。

「まあまあ、俺に付いて来な。お目当ての人、多分この中にいる大神官に会いたいんじゃないか?渡りをつけてあげるよ。」
「うむ。信じてよいのだな?」
「ここは俺の庭みたいなところだから。」

二人の騎士を引き連れて、ミュージは神殿に入っていく。

「ご苦労様、この二人は俺の友達なんだ。入るよ。」
「はっ、かしこまりました。どうぞお通りください。楽師さま同伴ならば、大神官さまもお会いになりましょう。」

先ほど門前払いをした衛兵戦士が突如現れた青年に恭しく頭を垂れて騎士とともに中に招き入れる。両名はきっとこの男はかなりの高貴な人間なのだろうと思っていた。さらに神殿の中ですれ違う全ての者達がその男を見るなり、恭しく頭を垂れる。
やがて長い回廊を通って、クリシュナの執務室の前にミュージは着いた。ここにも修道女が門番のように立っている。

「やあ、大神官さまに会いたいんだけど、取り次いでくれないかな?」
「かしこまりました。」

修道女はこれまた急いで中にいるクリシュナに確認を取ると、大きな扉を開く。

「楽師さま以下2名、、どうぞお入りください。」

ミュージは騎士を連れて執務室に足を進める。

「やあ、元気かい?忙しそうだね。」
「あら、私はマースの御心の示すままに生きているだけです。それよりも今日はどんな風の吹き回しかしら?」

御簾の影にいるクリシュナはそれまで握っていたペンを机の上に置くと、御簾をくぐってミュージの前に出てきた。
騎士の両名は久し振りに拝顔する皇女の姿に感動し、騎士の礼にて応える。

「あなた達!どうしてここに?」

母国の騎士を見るのはかなり久し振りで、驚きを隠し得ないクリシュナだった。

「この二人がさ、君に会いたいって言うんで、連れて来たんだけど、迷惑だったかな?」
「いいえ、きっと母国に何かあったのでしょう、そうでなければこうしてくる事なんて考えられません。」
「それもそうだ。」

ミュージの中ではミュリエルの事はどこへやら、これから起こるであろう事にワクワクと胸を躍らせていた。

ファルゼンとヤーダーは懐から国王マルスードからの親書を取り出し、クリシュナに捧げ、口上を述べる。

「皇女様、突然の訪問、平にご容赦ください。私たちは国王陛下よりこの親書をあるお方に届けて、母国の危機をお救い願うよう、申し付けられました。聞けば皇女さまはそのお方とお友達であらせられるとの事、是非ともこの親書を取り次ぎ願いたいのです。」

ヤーダーの口上を聞いたクリシュナは自分が届ける相手を訊いてみる。

「して、どなたに届ければよいのだ?」
「”若き自由人”の異名を拝するお方、フリースト=ミュージさまに。」
「ですってよ、ミュー。」

クリシュナはミュージに声をかける。

「な〜んだ、俺に用があったのかあ。早く言えよ。」
「な!?なんと!?そなたが?」
「そうだよ。俺がそのミュージだよ。」

ファルゼンはここまで案内してきたこの男がミュージである事を知り、びっくりしていた。

<こ、この男が大陸最強の音霊使いなのか!とてもそうは見えん。しかし、皇女様と親しげに話しているところを思えばあながち・・・>

不思議な顔をしているファルゼンを尻目に、ヤーダーは、すんなりと神殿の中に入り、すれ違う者たちの態度が敬意に値する事、更には簡単にクリシュナと拝謁し、親しげに話していることで風体にとらわれて人を判断するものではないなと分析、反省していた。

「さてと、早速その親書とやら、見せてもらいましょうかね。」
「じゃ、私はお役目ごめんね。」
「ちょっと待った、クリシュナの母国の危機だぞ。放っておいていいのか?それに、俺一人の手に余るかもしれない、戦の神の託宣も必要だ。」

ファルゼンから親書を受け取ったミュージは執務に戻ろうとしたクリシュナを引き止め、話に加わるように仕向ける。小難しい事を考えるのはミュージには苦手だ。昔からクリシュナかミュリエルに任せる事に決めている。

親書の内容はこうだ。ヴェナス神国の北に隣接するザメド王国で、最近ある石が発掘されたらしい。その石に触れたザメド国王、ダガルド2世は石に封じられていた魔王、ヴァルザスに心を奪われ、今まで友好関係を続けていた母国に兵を進めてきたという。神聖魔法で対抗してはいるものの、魔王の力を行使するザメド王国に対して防戦一方で、反撃の糸口さえ掴めないらしい。そこで、かつてこの石に魔王を封じた精霊がいるらしいことを知って、国王は決断した、大陸最強の”若き自由人”の助けを借りる事を。ダガルド2世に捕り付いている魔王、ヴァルザスを再度封じるために・・・と言ったところだ。

「ふむふむ。魔王ヴァルザスね。姿はドラゴンそのものだな。俺の先代の音霊使いが封じた奴だ。面倒だなあ。先代の奴、もっとややこしいところに埋めとけばいいのに。」

親書を読み終えたミュージは先代の音霊使いである父の姿を思い浮かべていた。

「で、どうするの?ミュー。」
「う〜〜〜ん。きっとこれも俺に与えられた試練だろう。きっちり落とし前はつけるさ。ファルゼンさん、ヤーダーさん、災いの根源は俺に任せな。旅の支度を終えたら出発するよ。国王陛下には一言、”若き自由人は立つ”とでも伝えてください。」

不安そうにしていた二人の騎士の表情がぱあっと明るくなった。クリシュナは扉の外にいる修道女に宿を手配するように命じ、一晩の宿を二人の騎士に供する事で、遠路の旅の疲れを癒すよう取り計らった。これにはファルゼンとヤーダーは甚く感激し、喜んで神殿を後にした。

「ごめんね、ミュー。ホントなら私だって・・・」

母国の両親の事を思い出したのだろう、クリシュナは瞳に涙をためている。今の自分の立場では表立って行動する事は出来ない。そう、ここオーギョクで自分はあまりにも政治的に権力の高すぎる位置にいたのだ。それに相手が魔王では神聖魔法の効果も薄い。頭に”神聖”とは付いているが”魔”法なのである。やはり”魔”を清めるのは自然の力”精”の力が絶対条件だ。ミュージに頼るしかないのである。それを思うと心配と悔しさがこみ上げてくるのだった。

「気にすんな。クリシュナ。君は俺が行動しやすいように通り道になる国に渡りをつけてくれればいいよ。」
「ええ、ありがとう。」

クリシュナはいつしかミュージの胸に体を預けていた。やはりこのあたりは女性だ、不安をかき消したい気持ちが高まると誰かにすがりたくなるのであろう、友であるミュージには素直に感情をぶつけてくる。彼女の気持ちを察したミュージはなだめる様にそっと肩を抱いている。

その頃、昨晩の事を素直に話してミュージに詫びるべきかどうか悩んだミュリエルが、クリシュナに相談しようと執務室の前に来ていた。

「クリシュナ、いる?」

宿の手配に奔走しているためだろう、いつもなら修道女が先に来訪者の確認をするところであるが、不在になっていたのを不審に思いながら、ミュリエルはクリシュナの名を呼びながら執務室の扉を開けた。かくしてミュリエルが目にしたのは、毛皮のカバーをかけたソファーに腰掛け、クリシュナの肩を抱いているミュージの姿であった。
これにはミュリエルはショックを隠しきれなかった。

「ミ、ミュージ・・・クリシュナ・・・あなた達、いつの間にそういう・・・許せません・・・」
「ち、ちょっと待て!ミュリエル!」

ミュージが慌てて肩を抱く手を緩めて離れ、静止をしようとする間に、ミュリエルはいち早く派風弾の方術の印を結んでいた。(派風弾とは、圧縮空気を弾丸のようにして放ち、物体を吹き飛ばす方術の事である。制御方法によっては人をも吹き飛ばす事が可能。:方術協会理事、ミュリエル=ミスティ=クレードル著、方術正典より引用)そのお陰で、ミュージはいとも簡単に執務室の窓から庭の彼方の池まで吹き飛ばされていた。

「ひょえ〜〜〜っ!」

残されたクリシュナとミュリエルの耳には飛ばされて行くミュージの悲しい悲鳴がこだましていた。

「ちょっとミュリエル、幾らなんでもひどいんじゃないの?」
「だって・・・」

ミュリエルは神妙な顔で昨晩の宴会の後のことや、今朝のミュージの事などもあり、悩んでいたのにも拘らず、相談しようと来て見れば今しがたの光景に切れてしまった事をクリシュナに話した。クリシュナはさっきファルゼンとヤーダーから受け取った親書がまだテーブルの上にあることに気が付き、手に取ると、ミュリエルに見せ、事情を話して聞かせた。

「ああ、なんて事を私は・・・」

ミュリエルは自分の誤解からとは言え、最愛のミュージに対して酷い仕打ちをしてしまった事に後悔をしていた。

一方のミュージは、ミュリエルに嫌われてしまったのだろうと完全に思い込み、ずぶぬれの格好のまま、旅の支度をしようと、自宅のあるエルフの森へと歩いていた。その足取りは重かった。ラムス山脈を越えるべく、麓に差し掛かった頃にはすっかり日が暮れ、気温も下がってきていた。寒気を覚えたミュージは暖を取るため、火精霊イーフリーを召喚しようとホルダーから笛を取り出すが、先ほど池に浸かったので、愛用の笛には水が溜まり、まともに吹くどころではない。

「ちぇっ。自業自得、因果応報ってところか。仕方ない。」

笛の中の水を捨て、ぶんぶんと振って水気を払い、体温で乾かそうと懐にしまい込む。湿り気を帯びた笛は乾く時の気化熱を得るためにミュージの体から体温を奪ってゆく。笛の使えないミュージは今、森の中で妖魔や野獣に襲われても抵抗する術を持たないも同然の状態だ。しかし勝手知ってる庭のような場所だ。危険な所は避けていく術は知っている。ミュージは最短ルートで工房に到達すべく、道を急いだ。

しかし神様はそうは簡単に工房への道を明けてはくれなかった。体温の低下と平行して、ミュージの意識は朦朧とし、山脈の峠を越えたところで、遂にミュージは膝を落とし、倒れてしまった。
薄れ行く意識の中で、ミュージは首のタリスマンがぼおっと光るのを感じながら。

一方、王都コーダーではミュージに当てた親書を持って、ミュリエルとクリシュナ揃ってが国王ヴィッツの下を訪ねていた。

「どうした、ミュリエル、元気がない顔だな。」
「国王陛下、これをご覧ください。」
「ふむ。」

ミュリエルはミュージ当ての親書をヴィッツに見せながら、元気がない顔の訳を包み隠さず吐露していた。

「そう言う事か。あい分かった。魔王ヴァルザス、相手としては面白い!友に手を貸そうではないか!この建国祭に花を添えるイベントだ。お前達も手だれの者を連れて参るが良い。」

すると、ヴィッツはミュージの顔を思い浮かべては、こんなに楽しそうな事を独り占めにさせないぞといったかつての冒険者の顔に戻っていた。

「ミュリエル、お前は一足先にミュージに合流して先を急げ。そして辛いであろうが、ルーン王国に本件を伝え、我が軍団が通過できるよう、ルーン国王、カークス3世に伝えよ。」
「わかりました。して、先方への交換条件は何にしましょう。」
「ミュージには悪いが、大陸最強の音霊使いの為せる業を目に出来るのだ。同盟関係にある国としては承服せざるを得まいて。」
「それに現在中立状態にあるハイラムス山脈の国境線を正しく定めると言った条件を提示してはいかがで?。」

クリシュナの提案はヴィッツの意を得たものだった。その場でヴィッツはペンを取り、さらさらとルーン王国への親書をしたためていた。

「よし、これを持ってゆけ。さあ、面白い建国祭になるぞ。」

ミュリエルはヴィッツから親書を受け取ると、瞬間移動で方術協会の自分の部屋に戻った。大陸各地には、瞬間移動の中継点や停留所に当たる場所に地踏みの印を結んである場所が数多くある。方術士の能力によって印の場所のスパンは違うが、ミュリエルの能力は大陸屈指と言われるだけあって、大陸のあらゆる場所に及んでいる。急ぎミュリエルは支度を済ませると、方術装具を身につけ、ミュージの工房の一歩手前に当たる地踏みの印の場所、ラムス山脈の峠をイメージし、瞬間移動を敢行する。

「ふう。さてと、急がなきゃ。」

着いた場所が峠である事を確かめるため、あたりを見回すミュリエルの目に、白い光が飛び込んでくる。すでに日が暮れているというのにそこだけ明るい。不審に思ったミュリエルは光の許に近づく。するとそこにはミュージが倒れているではないか。服が濡れているのに加えて、体が冷えている。思いがけないところでミュージに合流したわけだが、ミュリエルの心は痛んだ。彼女の心を感じたのか、白い光はタリスマンに収まっていた。精霊が救難信号を出していたのだろう。ミュリエルはミュージを抱えると、地踏みの印の場所に戻り、ミュージの工房をイメージして、瞬間移動に取り掛かった。

<全て私のせい。ごめんなさい、ミュージ。愛しているのよ。絶対死なせはしない。>

ミュージの工房に着いたミュリエルは早速湯を沸かし、暖かな蒸しタオルを用意し、ベッドに横たえたミュージの体を温めるために濡れた着衣を脱がせる。蒸しタオルの温度を手で確認すると、ミュージの体にかぶせていく。
だがなかなか体温が上がらない。しばし思案したミュリエルは自らの着衣を脱ぎ去り、全裸でミュージの肌を温める。そして病を制する方術を使う事にした。回復の呪文を唱え、ミュリエルはミュージの唇に自らの唇を重ねる。呪文が第一段階とすると、第二段階は重ねた唇で病の気を吸い取るのだ。重ねては吸い、外に吐き出す。いわゆる人工呼吸の逆の要領だ。次第にミュージの血色が回復してくる。頃合いを見てミュリエルは第三段階の作業に移る。今度は本来の人工呼吸の要領で生気をミュージの体内に吹き込んでゆく。

回復しつつある意識の中で、ミュージは暖かいものに包まれていた。切なさも伝わってくる。何とも言えない気持ちよさだ。
数十回の口付けを重ねた頃、ミュージは意識を取り戻し、目を覚ました。

「う、う〜ん。ここは俺の工房だ。」
「気が付いたのね。ミュー。」
「君が運んでくれたのか。ありがとう。とても暖かいよ。君の回復方術はぴか一だな。」
「ありがとう。」
「と、言うわけで、夢の続き、してくれないかな。ミュリエル。俺のココも、回復したみたいだ。」
「きゃんっ!」

ミュージはミュリエルの体を抱きしめ、それを求めた。きっとこれが俺の結論なんだろう、俺はミュリエルが好きだ。愛しているみたいだ。それだけだ。この透き通る白い肌の全て、色香漂う瞳、長くてしなやかな髪、全てを感じたい。その思いの極みがこの行為で伝えられる。そう思うミュージだった。
それはミュリエルも同じだった。かつては互いの恐怖を打ち消すために求め合った快楽だったが、今は違う。互いの思いを受け止められる。そんな充実感に満たされている。
何回かのキスが交わされた後、ミュージはミュリエルに言った。「俺はミュリエル、お前が好きだ。俺のモノになれ。」と。ミュリエルはこみ上げる嬉しさに涙を浮かべていた。「ええ。私の全てはあなた、ミュージのものよ。」そう答えるミュリエルだった。

その夜、互いの思いを確かめ合ったミュージとミュリエルは、心も体も本当に結ばれた。

その二、建国祭5日前

翌朝、遂に友の絆を越えたミュージはミュリエルよりも少し早く目を覚ました。上体を起こすと、掛けシーツがずれ、ミュリエルの胸から腰に掛けての煽情的な曲線が朝日に晒される。昨晩この体の隅々まで全身に感じたのだと思うと、なんだかくすぐったい気分だ。人を好きになる事がこんなに気分のいいものなのかと改めて感じるミュージだった。ふと胸を見ると、右の乳房にキスマークが付いている。その胸は呼吸に合わせて上下に脈を打っている。そんなに強く吸い付いた感じはしなかったのだが、二人が愛し合った勲章として、また、自分の想いがミュリエルに刻まれた証と考えると、嬉しい気分だ。

チュンチュンチュン・・・窓の外で野鳥が鳴いた。その声にミュリエルはやっと目を覚ます。

「おはよう、ミュー。何見てるの?」
「ミュリエルって綺麗だなって。」
「今ごろ気が付いたの?その綺麗なミュリエルは、あなたに全てを捧げました。”妖しの魔女”を手に入れたあなたは”魔王”かしら?ふふ。」
「いいや、魔女を女に清めたのさ。そうだろ?」
「ホントにミューってうまいんだから。あ、いけない。朝ごはん、用意するわね。」

ミュリエルは体を申し訳程度包む下着だけを着けると、台所へと向かう。食料庫にあるありあわせの食材を使って、パンとスープ、フルーツジュースと言った軽食が用意された。台所から食卓に配膳するミュリエルは生き生きとしている。

「顔と手、洗ってね。」

ミュージは工房の脇に湧き出る泉で顔と手を洗う。この泉は水精霊の導きで掘り当てたものだ。生命の活力を引き出す力がある。病み上がりの体にはちょうどいい、軽く一掬いの水を喉に流し込み、工房の中の食卓に戻る。

「頂きま〜す。」

ミュージは朝食にありつく。テーブルを挟んでミュリエルとの食事。幸せな気分だ。そこでふとミュージに疑問がわきあがった。

「あのさ、ミュリエル。昨日はどうして峠にきたの?」

ストレートに疑問をぶつけるミュージに、ミュリエルは素直に経緯を話す。内容を聞くと、どうやら国家挙げての行事になってしまうようだ。
そうと決まれば行程を急がなければならない。朝食を早々に切り上げ、旅支度を整えると、愛用の笛を取り出す。
風精霊召喚をするためだ。一晩経って、大方水分は飛んで乾いている。ベストコンディションだ。

ミュージは草原の風と言う曲を吹き始める。すると、タリスマンが緑に輝き、風精霊シルフィードが現れる。

「よお、おいらの手を借りたいか?」
「ああ、ウインドライドを頼む。」
「おっけー。」

シルフィードがパチンと指を鳴らすと、ミュージとミュリエルの足首のあたりを小さな竜巻が包む。足が20センチほど地面から浮き上がる形になる。体を行きたい方向に倒すと、進むようになっている。足元がふらついているミュリエルに手を差し伸べるミュージ。

「掴まって。」

ミュージの手をしっかりと掴んで落ち着くミュリエル。スケートの初心者のような感じだ。

「行くよ、良いね。」
「ええ。」

膝をゆっくりと曲げて意識を前に向ける。するとゆっくりと加速を始める。シルフィードがミュージの意識する方向に向かい、二人の進行を誘導する。トップスピードは時速60キロぐらいだろうか、快適に街道に出る。あとは街道伝いに行けば、ルーン王国までは一本道だ。森の中の道を快適に進む。ほぼ一日あれば国境近くまでは行けるだろう。二人の心の中には互いがいればどのような困難があろうと乗り越えていけそうな、そんな強い気持ちが芽生えつつあった。

「そろそろ大丈夫だな。そっちのお姉さんは。止まる時はまた呼んでくれ。ラブラブオーラに宛てられちまっていけねえ。じゃあまたな。」

少し見通しが良くなったところで、シルフィードはタリスマンの中に戻る。ミュリエルも感覚がなれてきたようだ。自在にバランスが取れるようになってきた。

その頃、王都コーダーでは出兵の準備が進み、クリシュナはヴェナス神国への瞬間移動に取り掛かっていた。
また、ヴェナス神国では、じりじりと前線を後退しつつ、態勢を整えていた。戦死者や、怪我人が次々と出ている。ファルゼンとヤーダーは夜明け前に宿を発ち、駿馬を駆り、母国とルーン王国の国境付近に達していた。国王にミュージからの吉報を伝えるために。

その頃、ザメド王国、王都ガレル宮殿では、戦況が優勢に進んでいるのを知り、優越感に浸る国王の体を乗っ取った魔王ヴァルザスの姿があった。そしてその背後に、隣国フリズント帝国の密使、奇才クラバツキーが控えている。大陸では禁忌と言われるバハムール新教を信奉する国家がフリズント帝国だ。かつて帝国はヴィッツ、ミュリエル、クリシュナ、そしてミュージの4人のパーティに辛酸を舐めさせられていた。その時の恨みを晴らすべく仕掛けられた戦争なのだ。

<ふふふ。見て居れ、”稀代の策士”。貴様に目にモノ見せてやる。本当の策士とは誰なのか、せいぜい苦しむが良い。>

猫背を震わせて、クラバツキーは異様なギョロ目をぎらつかせていた。彼の目当てはクリシュナのようだ。ここまでは彼の手駒は思い通りに動いているようだ。しかし、大陸最強の駒が彼のボードに乗ってくる事は予想をしていなかった。

(作者あとがき)
さてさて、違う勢力が絡んでいる図式になってきました。奇才クラバツキーの野望を打ち砕く事は可能なのでしょうか?愛の絆で結ばれたミュージとミュリエルの活躍はいかに?本当の敵を討つ事は出来るのか?それよりも何よりも、建国祭は無事に開催できるのか?
次回、”音霊使いミュージ” 第3話 〜方術の国、ルーン王国の一日〜をお楽しみに。