さくら荘すとーりー

第4話 〜やって来た家族・その1〜

作:サイバスター


長い梅雨が過ぎ、本格的な夏がやって来た。寮生達やご近所さんとの付き合いもすっかり慣れ、大学での活動も順調、生活が楽しくなってきた和也は、女子寮の管理人も悪くないと感じてきている。何と言っても妻のさくらが一緒にいることが何より嬉しい。

「さくら、ちょっといいかな?」
「何?」

夏になると秋からの選手権に向けての強化合宿がある。和也はそのことを切り出した。

「拳法部の夏の合宿があるんだ。」
「あ、そうかあ。そんな時期なんだね。」
「でさ、例の件なんだけど、合宿明けでいいかな?」
「うふふ。いいわよ。」

夏休みになると、学生達は実家に帰り、職を持つ寮生達は盆休みにはレジャーや実家に帰ったりするので、管理人としても休みになる。そのタイミングを見計らって、和也とさくらは温泉旅行を計画していた。どうやら、それは拳法部の強化合宿の後になりそうだ。和也は素直にさくらに告げると、さくらは二つ返事で快諾した。

「じゃ、早速合宿の支度をしなきゃ。いない間のことは任せてね。」
「ありがとう。助かるよ。」
「いいえ。和也のためだもん。で、ご褒美は何にしようかな?」
[合宿先のお土産ってのは、どうかな?」
「うん、それ。いい。」

「じゃ、早速合宿の支度をしなきゃ。いない間のことは任せてね。」
「ありがとう。助かるよ。」
「いいえ。和也のためだもん。で、ご褒美は何にしようかな?」
[合宿先のお土産ってのは、どうかな?」
「うん、それ。いい。」

その合宿所は和也の実家に程近い海浜町にあり、小高い山懐に抱かれ、目の前は海岸になっている毎年利用している馴染みの温泉民宿だ。男子、女子部合わせて48名は初日の3時ごろにチェックインし、移動の疲れをしばし温泉で癒すことに。部員達がそうしている間に、和也と監督、マネージャーの4名は練習所になる近所のこれまた馴染みである地元小学校に挨拶に行く。今年もまた、人のいい校長先生と、用務員が連れ立って訪問に応じる。

「いやあ、今年もこの季節がやってきましたね。」
「はい。毎年ご好意に預かりまして恐縮です。」
「いえいえ、うちの生徒達も毎年楽しみにしているんですよ。皆さんの稽古を。」
「宮尾校長、痛み入ります。」

監督との毎年恒例の挨拶が終わると、宮尾と言うこの学校の校長は和也の方を見て、にっこりとする。不思議そうにしていると、

「千歳コーチ、ご結婚してらしたんですね、ちっとも知りませんでした。」
「は?どこからその情報が?」
「先日、小枝実お嬢さんが見えましてね、皆さんがいらっしゃるスケジュールを事細かに訊かれまして、その時に。」
「は?小枝実が?」

ここに妹の小枝実が来たと言うのだ。

実はこの校長、和也の父である正臣と旧知の仲で、和也たち兄弟とも幼い時からの付き合いだ。そんな関係で、和也たちの合宿にはこの小学校の体育館を進んで提供してくれているのだ。

何故小枝実がここに来たのかなんて事は、挨拶が済んだ頃にはすっかり和也の記憶の隅に追いやられていた。

「和也君、今年もよろしく頼むよ。」
「はい、監督。」
「拳聖の指導なんて早々受けられませんからね。」
「きっと部員達も楽しみにしているはずです。」
「あの、先輩、その、”拳聖”ってのは止しましょうよ。」

そもそも和也はこの拳法部がやっている武術、”千剛流”の宗家の家族の一人で、幼い時からの両親と兄の指導のもと、父正臣から免許皆伝を授与され、師範の資格を持っている。和也の不敗伝説は流派の中でも特に有名で、畏敬の念を込めて”拳聖”の徒名を持つに至るが、当の和也は徒名で呼ばれるのには抵抗があった。位は高いが一介の拳士であろうと決めているのだ。
和也がマネージャーの先輩に照れながら言ったところで徒名持ちである事には変わりはない。自分の生まれた環境を少しは恨めしく思うのだった。
和也たちは明日のスケジュールも含めて打ち合わせをするために民宿に戻っていく。

その様子を少し離れた山の上のホテルの一室でうっとりと双眼鏡を覗き込む少女がいた。
和也の妹の小枝実である。

「やっぱりお兄様は素敵よ。どうしてあんな女と、ましてや年上のおばさんなんかと結婚を・・・。」
「小枝実お嬢さま・・・」

小枝実の背後には数十名のいかつい男達と、同級生の皆藤渉という少年が控えていた。男達は全員小枝実の彼氏になりたい候補生だ。

「いいこと?わたしと付き合いたかったら、私の愛しいお兄様から一本でも奪うのよ。”拳聖”に一矢報いる事位出来る強い男こそわたしのステディに相応しいのよ。」
「おおーっ!」

男達は一斉に声をあげる。小枝実はどうやらこのホテルを貸切にしているようだ。小枝実達を除けばこのホテルには従業員しかいない。タンクトップにデニムのショートパンツと言った格好の小枝実の後ろに道衣を着た男達と言う図式は異様な光景である。

<中学からとはいえ、俺は小枝実を他の奴に渡すなんてことは出来ない。でもなあ、俺、和也師範に勝つなんて出来るのかなあ・・・・>

男達の中では新参者で、初段にもなっていない渉は内心気弱になっていた。自分なりに小枝実への思いは誰にも負けない自信があり、成り行き上この”師範から一本とって小枝実をゲットツアー”に参加していたのだ。

その日の夜、和也は温泉の湯で火照った体を冷まそうと、散歩がてら湯の香漂う町の商店街をそぞろ歩きをしていた。商店街にはそこここに土産物屋が軒を並べている。そこでふと和也は思い出した。さくらや寮生たちに買っていかなくてはいけない事を。懐の財布を確認すると、そのうちの一軒の土産物屋の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい!あ、和也さん!」

店の奥から聞こえてきたのは、寮生の一ツ木真美の声だった。意外な所での出会いに和也も真美もびっくりしている。

「あれ!?真美ちゃん。どうしたの?こんなところで。」
「あれあれ、表を良く見てくださいな。一ツ木商店って看板、見てませんね?」
「ってことは、ここって、真美ちゃんの?」
「そう、実家で〜す。ねえねえ、雛子ちゃん、おいでよ。和也さんだよ。」

真美は元気な声で奥にいる雛子に声をかける。奥からジーンズにTシャツ、店名の入ったエプロン姿の雛子が顔を出す。

「あ〜!管理人さんだ!ここは真美ちゃんのおうちだよ。」
「じゃ、夏休みはここで手伝いをしてるのか?」
「そうよ。偉いでしょ?」
「知らなかった。さしずめ期間限定の美人看板娘って所かな?」

和也は茶化すように冗談を言うと、真美と雛子は顔を真っ赤にし、照れくさそうに和也の背中をバンバンとたたく。
Tシャツだけの背中にはおそらく手の跡がついてるであろう。

「で、和也さんはどうしてここに?」
「ああ、大学の部活の合宿なんだ。」
「じゃ、愛するさくらさんへのお土産ね?」
「はは、寮生たちの分もあるんだけど。」

照れて誤魔化そうとしても女の勘は鋭い。地元の特産品である魚介類の佃煮とか、ちょっとした小物類が手際よく真美と雛子の手によって集められ、店名の入った包装紙に包まれていく。

「こんなものかしら。和也さん、消費税込みで8000円なんだけど、いいですか?」
「お、十分十分。はい、これ。」

和也は財布から代金を取り出すと、雛子に渡す。雛子はそれを真美に手渡すと、和也に商品を手渡しながら話し掛ける。
話の内容はこうだ。昨日の昼頃、見慣れないバスが2台ほど山の上のホテルに向かって行き、それから2時間位経ってから拳法衣を着た何人かの男を連れた若い女の子が町のあちこちに現れては何やら調べ物をしていたらしい。この店にもその連中は顔を出したとのことだ。
話を聞きながら、和也はその女の子の正体が小枝実であることに気がついていた。<いったい何を考えているのか、やれやれ>とげんなりとする和也だった。

「どうもありがとう、気を付けておくから。じゃ、俺、民宿に帰るね。何かあったらまた寄らせてもらうよ。お手伝い、がんばってね。」
「はい。まいどあり〜。」

店を出た和也は、手に土産物を入れた紙袋をぶら下げて宿に戻る道に出た。きっとこれでさくらも喜ぶに違いないとさくらの笑顔を思い浮かべてはニヤニヤしていたに違いない。
そんな和也に声をかけてくる少年がいた。渉である。

「あの、済みません、千歳師範ですよね?」
「ぎくっ!あ!君は・・・たしか、小枝実の友達の海堂君じゃないか?」
「名前を覚えていてくれて光栄ですっ!」

渉は拳聖とまで呼ばれる雲の上の存在である和也に名前を呼ばれ、感動で舞い上がってしまっていた。

「海堂君、今、俺の顔、見た?」
「はい、結構にやけてましたが。」
「そっか、見られたか。」

和也は少し恥ずかしい思いをしたが、そんな事は置いておいて、渉から話し掛けられたのだから何か自分に話があるのだろうと思い、道沿いにあるベンチに荷物を置いて腰掛けた。

「君も座れば?」
「は、はい。失礼しますっ!」

渉は緊張しながら和也の隣に腰掛ける。

「あの、師範、お願いがあるのですが。」
「小枝実のことだろ?」
「どうしてそれを?」

カマをかけるつもりで和也は小枝実の名を出したが、渉は驚いたように、和也のほうを見る。

「やっぱり、そうか。どうせ小枝実のことだから、俺から一本取ったら付き合ってやるなんていってるんだろ?」
「そうなんです。」
「で、海堂君としてはそんな馬鹿な事は止めて欲しいと思っている。そうだろ?」
「その通りです。どうしてわかるんですか?」
「妹の考えてる事がわからない兄がいると思うか?付け加えるなら、心配してくれてる男がいるってことは、幸せ者だな。小枝実は。」
「そんな。僕なんか拳法の実力だって全然下だし。不釣合いですよ。」
「果たしてそうかな?」

和也はすっかり意気消沈している渉を応援しようとしていた。

「だって、俺なんか準拳士でもないし、やっと黄色の帯ですよ。」
「ほう、確かに黄色の帯じゃ、負ける公算は大だな。でも、それは技術的なことだろ?」
「技術的?」
「そう、帯の色はそれぞれの拳士の技量によって段階を分けているに過ぎないんだ。」
「拳士の技量?ですか。」
「だけど、気持ちの強さはどうかな?そればっかりはこの俺でも見極める事は出来ない。今この瞬間でも、海堂君が小枝実に対して想っている想いの強さなんて分かりはしない。そうだろ?」
「それは、僕は小枝実さんのことは世界中の誰よりも好きです。」

渉は握り拳に力を入れて和也に言い放った。思わず言ったことだが、自分の中にこう言える自信に満ちた自分がいることを知って湧き上がる何かを感じていた。

「やっと本音が出たね。」

和也はふっと笑みをこぼした。その眼差しは弟を見る兄のやさしさにも似ているように見えた。

「あ、これはその・・・弾みというかなんと言うか。」
「それだけはっきり言える力が君の中にあるんだ。自信を持った方がいいよ。」

和也はかつてサキ婆ちゃんにさくらへの想いを伝えに行った時の自分を目の前の渉に重ねていた。<きっとサキ婆ちゃんもこんな心境だったのかな?>そう思う和也だった。

「あ!一つ忘れてました。明日の午後、師範の合宿に乱入するようです。」
「そうか、やっぱりね。まあ、海堂君以外の連中には負ける気はしないがね。じゃ、そろそろ帰るよ。」

和也は紙袋をぶら下げて、ベンチを立った。和也の背中を見送る渉には和也の最後の言葉の意味が掴めないでいた。<自分以外の連中には負ける気がしない?それって、俺が師範に勝てるってことか?そんな馬鹿な・・・>

民宿に帰った和也を待っていたのは、豪勢な食卓だった。

「コーチ、遅いっすよ。こちらへどうぞ。」

女子部員に促され、席に着くと、女子部員に取り囲まれている。

「あのー、いくらなんでも、これは・・・」
「いいんです。こうして毎年ここで合宿が出来るのもコーチのお陰ですから。これ位の役得があってもいいと思いますよ。」
「そうかな?」

和也は監督の手前、遠慮しようとしたが、監督は上座で首を縦に振っている。

「千歳コーチ、無礼講無礼講。」
「済みません。じゃ、ご好意に甘えますか。でも、練習は甘くないぞ。」
「わかってます。」

合宿前夜の夕餉は和気藹々とすすんだ。

翌日、部員達にとって地獄の合宿が始まった。早朝からのランニング、神社の石段での駆け上がりダッシュ、基本の突き蹴り演武数百回、朝食をはさんで午前中のメニューがこれだ。
そして昼食の時間、民宿に戻った部員達は、真美と雛子の用意した弁当にありつく事になった。

「一ツ木商店特製仕出し弁当です!皆さん召し上がってくださいな。さあさあ、和也さんも食べて!」

親しげに弁当箱を差し出す真美と雛子。他の部員達から和也はジト目で見られる。

「コーチ、さくら先輩がいながら、現地妻とは・・しかも二人も・・」
「ば、馬鹿!これはだな、」

弁解を始めようとした和也の脇で真美と雛子は、顔を真っ赤にしている。現地妻という言葉に酔っているのだろう、ぼーっとしているが、我に帰って説明を始める。

「私達は、さくら荘の寮生です!実家がこの近くで、手伝いをしてるんです。寮では和也さんとさくらさんに当てられっぱなしで。」
「そうそう。ラブラブで。見てるほうが恥ずかしくなっちゃいますよ。」
「ははは、そうか、そいつは良かったな。」

監督がしれっと突っ込みを入れる。部員達の疑惑の視線は一気に瓦解したようだ。

「じゃ、頂こうかね。」

監督が弁当に手をつけると同時に、一斉にみんな弁当をぱくつく。

「和也さん、ホントはちょっと、嬉しかったんですよ。現地妻。ね、真美。」
「うん。いつも和也さんにお世話になってばかりだから。」
「そうか、ありがとう。うまいよ、この魚。」
「うちのお父さんも喜びます。そう言ってもらうと。お父さん、漁師なんです。」
「漁師と、土産物屋と、弁当屋かい?忙しいね。一息ついたらご挨拶に伺うとしようか。大事な娘さんを預かっている管理人としてね。」
「はい。ぜひ。」
「良かったね。真美ちゃん。」

真美が嬉しそうにしていると雛子も嬉しくなる。親友同士のつながりはいいものだなと思わせる一瞬だ。和也は合宿の合間に真美の家族に挨拶をする約束をし、残りの弁当を腹の中に押し込む。真美と雛子は部員達の間を行ったり来たりして部員達に味噌汁やお茶を給仕している。女中だと言われても遜色ない見事な手さばきだ。

「食べ終わりましたらこちらの箱に器を戻してくださいね。」

甲斐甲斐しく働いている真美と雛子はいつの間にか部員達の中に溶け込んでいるようで、寮では見られない一面を見られた妙にくすぐったい気分に和也はとらわれていた。食事を終えた部員達はしばしの休憩の間も真美と雛子を囲んで談笑さえしている。すると、厨房の勝手口の方から雛子を呼ぶ声が聞こえる。

「雛子!皆さんは食事は終わったのかい?」
「はーい!てへへ。今のお母さん。真美ちゃん、片付けよ。」
「いけない、すっかりお話が楽しくて、忘れてた。雛子ちゃんのお母さんに怒られちゃう!」

雛子の母親は真美の店の仕出し部の責任者をやっているらしい。真美と雛子は慌てて食事済みの器を入れたケースを抱えると、部員達に励ましの言葉をかけ、民宿を後にする。ふと気がつくと、もうすぐ午後の練習時間になろうとしている。

「よし、午後の練習時間だ。いつもの体育館までランニング、行くぞ。マネージャーはドリンクの用意、いいよね。」
「お任せください。」
「よし、出発!」

民宿から小学校までおよそ2キロ。部員達は掛け声を合わせて一定のスピードで走る。監督とマネージャーは民宿の厚意で借りている自転車で後からついてくる。和也は部員達に混じって走っているが、息一つ上がっていない。独特の呼吸法を会得しているためだ。

小学校の建物が視認出来るところまで来ると、走るピッチを上げ、ダッシュ寸前のところまで加速する。ビリになった者が休憩のときのつまみの買出しに行くのがお約束になっている。男子部、女子部ともに一人づつ選出される事になっていて、これが意外なもので、かつてこの買出しカップルが結婚したという実績が数多い。既婚者である和也にはほとんど関係ないが、部員達は買出しに行くのは嫌なもので、必死の形相で体育館へと駆け込む。

「はい、今日の買出しカップル決定!」

かくして1年生の二人が本日の係に選ばれ、部員達は和也の指示の下、練習を始める。手始めは体全体のストレッチからだ。

やがて練習開始から小1時間ほど経過した頃、小枝実が数十名の男達を引き連れ、和也たちの練習場に入ってきた。昨日話をした渉も一緒だ。

「お兄様、お久し振りにございます。」
「やれやれ、やっぱり来たか。よし、みんな、ちょっと休憩!これより百人組み手を披露する。百人には少し足りないようだが、我が千剛流の真髄、徳と観よ。」

和也の指示で部員達は壁際に並んで正座をして、和也の様子を見入っている。和也は体育館の中央で小枝実と向かい合う。

「お兄様、出来ればこんな事はしたくないのですけれど、お受けいただきますわ。」
「ならば、早く終わらせよう。部員達の練習メニューもあるし。」
「ふふ。やっぱり私の愛しいお兄様ですわ。私の考えてる事はすぐに分かるのね。」

小枝実が右手をすっと上げると、背後の取り巻きがわっと広がり、和也を取り囲む。後で聞いた話だが、渉は前夜から小枝実と話し合いをして、止めさせようと必死に訴えたらしい。しかしそれも徒労に終わり、取り巻きの一人に加わったようだ。今は気持ちを切り替え、全力で和也に立ち向かおうとしている。渉の目に真剣さと集中力、そして何よりも尋常ならぬ闘気が満ちているのだ。和也はウォーミングアップをしながら、体に突き刺さる気配をひしひしと感じていた。

「さて、始めようか?」

和也は軽くステップを踏みながら、臨戦態勢を整え、周囲からの攻撃に備える。取り巻き達は和也の気迫に気圧されて、じりじりと間合いが広がっていく。しかし、和也の間合いの範疇である事は変わりはない。最前列から3列目までは一足飛びで仕留められる間合いだ。なかなか攻め入ってこない取り巻きたちに苛立ちを感じ始める。

「貴様ら、何のためにここに来た!臆したわけではあるまい!千歳和也、妹を守るために貴様らを叩きのめすから覚悟せい!」

和也の怒声が響き渡ったとき、小枝実がうっとりしたのを尻目に、取り巻き達は一斉に和也に襲い掛かってきた。
和也は軽い身のこなしで動きを見切ると、普段見せない奥義を放つ事に決めた。

「よしよし、そうこなくっちゃ。」

和也は次々と繰り出される取り巻きたちの技を見切りながら、表情は実に明るく微笑んでいた。<強くなったな。こいつら。>そう思う余裕まである。笑顔になった和也ほど怖いものはない。楽しみモードに突入しているのだ。

「さてさて、攻撃はそこまでかな?そろそろ行くよ。」

10分間の攻防が終わった頃、和也は反撃に転じる。

「ほらほら、左のガードが下がってる!足の軸がぶれてる!腰のひねりが足りない!手首の使い方が硬い!」

ついつい指導をしながら、和也は各自の弱点を突いた攻撃を繰り出す。それは時に突きであったり、蹴りであったり、関節技であったり、あらゆる千剛流の体術が盛り込まれている。まさに拳聖の徒名に恥じない華麗な技のオンパレードだ。一つの技が繰り出される度に取り巻きが一人ずつ床に這い蹲っていく。渉もその中に混じろうとするが、和也はなぜかそれを避け、まるで最後のお楽しみといった風に渉への攻撃はしない。
和也が攻撃をはじめて数分が経ったろうか、9割方の取り巻きが床にうずくまっている。残りの1割は流石に高位有段者だけあって、一撃で仕留めるのはしんどくなってきている。

「いや〜流石に講師クラスは強いね。ここいらで一つ取って置きを出しますか。」

和也は一つ呼吸を整えると、肩と首をくるくると回して体を解していく。相変わらず軽いステップは刻んだままだ。
そして体制を整えた和也は有段者の一人との間合いを一気に詰めると、懐に入り込み、右の拳を鳩尾に宛がったように見えた。次の瞬間、その有段者はがっくりと膝を付き、その場に倒れた。

「奥義、”菩薩衝。”」

1秒間に7〜8発の打突を加えて相手の内臓を振動させ、一気に下半身の力を奪い去るという技だ。

「あと5人。」

妹の小枝実も初めて目にする技だ。なんでも相手は同時に気絶する為、倒れるときは菩薩に抱かれたように穏やかな気分になる事から、菩薩衝という名がつけられている。母の必殺技だ。非力な女性でも、捨て身で懐に飛び込み、スピードを生かして効果的に攻撃できる効率のよい技だ。和也12歳にして会得した最初の奥義である。

部員たちは改めて和也の実力を知り、小枝実も兄の強さに酔いしれる。初めて目にする千剛流の奥義の破壊力に段位を持たない渉はすっかり萎縮している始末だ。<あんな人から一本取れるのか?>不安になる渉だが、目の輝きは消えてはいなかった。しっかりと渉の様子を確認した和也は残りの有段者達を菩薩衝で次々と撃破していく。今や立っているのは渉一人になっていた。

「さて、海堂君、残るは君だけだ。君の思い、その拳に宿し、懸かってきなさい。」
「うおおおおおっ!」

半分破れかぶれで和也に自分の知り得る全ての技を繰り出す渉。和也はそんな渉に容赦なく突き蹴りを入れていく。一つ極まる毎に渉は突き飛ばされ、体の各部に痛みや腫れが増していく。

「まだまだーっ!」

渉は自分を奮い立たせるようにして和也にくい下がる。飛ばされては立ち上がる。その繰り返しが続く。しかし闘志は消えていない。ぜーぜーと肩で息をしているが、構えた腕の高さも落ちていない。片目は和也のパンチで腫れ上がって開いていない状態だ。次の攻撃が自分としてはおそらく最後だろう、自分はそのとき和也の攻撃で力尽きるに違いない。しかしその前に何かやり残した事がある。それはこの拳に小枝実への思いを込めて和也に叩きつける事。それはきっと小枝実の心にも叩き付けられるはずだ。これをやらずに倒れる事は出来ない。渉は唯一開いている右目で小枝実の方を見ると、<小枝実、俺に力をくれ。>と心の中で呟いて、和也に対峙した。

和也はといえば、小枝実がいつしか必死の形相で兄の和也に立ち向かっては痣や腫れを膨らませていく渉の姿を心配そうに見つめているのを確認していた。<もう少しだな。そろそろ最後の一押しかもしれないな。>そう踏んで、改めて上着の襟を正していた。

「さて、ここいらで最後にしようか?海堂君。」
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ。望む所です。千歳師範。俺はこの一撃に小枝実さんへの想いをかける!」

その一言は体育館全体に響き渡った。気弱だった渉が、単なる男から漢(おとこ)になった瞬間だった。

小枝実にもその想いは伝わっていた。込み上げて来る涙がいつしか小枝実の頬を流れているのに気が付いていた。

そして海堂渉乾坤一擲の突きが放たれ、和也がそれを交わし、突きを入れようとしたその時だった。

「止めてーーーーーーっ!」

小枝実は叫びながら渉と和也の間に割って入って、今にも倒れそうな渉を抱きかかえたのだ。<よし、これで本当に終わるな。>和也は内心で胸を撫で下ろしていた。

「これ以上やったら海堂君が・・・海堂君が・・・」
「小枝実さん、結局俺、負けちゃった。だらしないよな。」
「ううん、そんな事ない。そんな事ないよ。立派だったよ、他の人たちは一撃でやられちゃったけど、海堂君は何回も立ち上がってお兄様に向かっていった。小枝実、海堂君ががんばってるって分かったもの。」
「小枝実さん。」

二人の会話の中に和也は割って入った。

「海堂君、最後の突きはいい突きだった。俺がこの場で初めてこの手で防いだ程だからな。これからも精進しろよ。いい拳士になれる。な。小枝実。」
「うん。そうと決まれば、海堂君、家に帰って特訓よ。いつになるか分からないけど、お兄様をやっつけるのよ。皆さん!帰りますわよ!早く起きて!」
「そ、そんな〜。」

取り巻きの男達を従えて帰ろうとする小枝実は去り際に和也に耳打ちした。

「ありがとう、お兄様。ワザとでも防御してくれて。」
「気が付いてたか?」
「私だって拳姫よ。分からないとでも思って?」
「ははは。じゃ、海堂君を大切にな。特訓で壊すんじゃないぞ。」
「もう、お兄様ったら。」

小枝実は軽く照れながら和也の脇腹を小突くと、渉に肩を貸しながら、体育館を出てゆく。取り巻きの男達も慌てて後に続いて出てゆく。

かくして小枝実のハートをゲットしたのは渉と言う結果に終わり、合宿は真美や雛子の差し入れも手伝って、以降は賑やかで、楽しく過ぎていった。合宿の最終日には海岸で花火大会があるというので、部員たちはこぞって見物に。和也は真美の家にお邪魔していた。

「初めまして。東京でさくら荘の管理人をしております。千歳和也です。」
「あらあら、これはどうも。」

雛子と一緒に真美の家族とともに夕餉にあやかる。縁側からは海岸の花火大会の様子が見て取れる。色とりどりの花が夜空に浮かんでは消え、軒下に下がる風鈴がリンリンと涼しげな音を奏でている。家族の暖かい会話、さくらとの生活にない何ともいえない雰囲気だ。やがては自分達にも子供が生まれ、子供が成長したらこんな雰囲気にしたいなあと思う和也だった。

翌日、たくさんの土産を持って和也はさくら荘に帰ってきた。

「ねえ、和也、小枝実ちゃんから手紙が来てるわよ。」
「なんだろ?お、やったな。」

さくらから手渡されたはがきには渉とのツーショット写真がプリントされていた。痛々しそうな渉の顔の脇で、嬉しそうな小枝実の表情が生き生きと写されている。

<拝啓。お兄様。海堂君はまだまだよわっちいけれど、一緒にいると温かい気持ちになります。お兄様がさくらさんと一緒にいるときの気持ちがちょっぴり分かったような気持ちです。小枝実はお兄様とさくらさんに負けないようなラブラブカップルになります。小枝実より。>

文面を読んで和也は安心していた。管理人室に腰を落ち着け、土産を手渡しながら、合宿での土産話を始める。
さくらは和也に寄り添い、頭を肩に預けながら、じっと聞き入る。エアコンが効いているせいで、暑苦しさは感じられない。

盛夏の夕方、日差しはまだ暑い。さくら荘はまったりとした時間が過ぎてゆく。

                                                        第4話・完


さてさて、今回は妹の小枝実ちゃん登場でした。次回は和也の家族が思いがけない試練を和也に与えにやってきます。誰が来るかは次回のお楽しみ。
それでは次回〜やって来た家族・その2〜をお楽しみに。