製造母体の日本航空機製造は巨額の赤字を残して解体した国策の共同企業体だった。主幹となったのは国内最王手の航空機メーカーを中心とした各社である。垂直尾翼の先端には、それでも空に向かって羽ばたいていく戦後初の(そしておそらく最後の)エアライナー自主開発プロジェクト「日本航空機製造」プロジェクトのマークは、どこか夢の実現に向かって誇らしげに映る。「世界には自国製の旅客機もつくれない国は三等国」という認識がある中、ターボプロップ旅客機は作れたのに商業ジェット旅客機はまだつくれないでいる日本の現状は、所詮このプロジェクトが「B−29にさえ勝てればそれでいい」という後ろ向きな民族的遺恨の結晶に過ぎないのではないか、という危惧を抱かせないでもない。 |