
あの惨劇が起きた日から、人の世にして5年の歳月が流れた。
人と魔族の覇者争いは、人間界に古代兵器が発掘されてからというもの膠着状態が続いていた。
魔族の魔法を使う攻撃に為す術さえなかった人間界に、魔法以上の破壊力を秘めた古代兵器が
発見されてからというもの、劣勢だった人間界は起死回生のチャンスをつかむことが出来た。
魔族側はそれを古代魔法と呼び、己たちと同等の力を持つに至った人間を恐れていた。
静かな湖の湖面にさざ波が起きる。
水面から鋭角上のものが突き出て、岸辺に向かって静かに移動していた。
上空から見れば、美しい肢体を優雅にくねらせているものを見ることが出来たであろう。
岸辺に着くと、そのものは立ち上がり、その美しい肢体を惜しげもなく森の動物たちに
披露していた。
先程鋭角上に見えたのは、見るからに角だとわかり、美しい肢体は、まだうら若き女性のものだと
わかる。
一角種族の最後の生き残りの少女、マナ・ラーヤ。
まだ顔たちは幼く見えるが、その一系纏わぬ裸体は立派な大人の体躯をしていた。
水面から上がると、少女は衣類をつけながらお供のものに声をかけた。
「パンサ、あなたも水浴びしたら。気持ちいいわよ」
ブルルルッとパンサと呼ばれたものが首を横に振る。
見るからに馬に見えなくもない。人や貨物を運ぶため、その四肢は太く発達して、遠くのものを
聞くためにその耳は長く伸びている。性格は温厚で人間界では運搬手段のひとつとして飼育されている
動物だ。
「だめ、臭いんだから。嫌でも入ってもらうわよ」
と少女は言うと、その動物の手綱を引いて強引に湖に入れようとする。
パンサはよほど水浴びが嫌いなのだろう、泣き泣きいやいやをする。仕舞いにはその場にへたりこんで一歩も動こうとしない。
「もう、臭いままならもう乗ってあげないわよ」
それでもてことして動こうとしない。
「仕方がない。私一人でもう一度泳ぐわ」
そう言ってマナはもう一度湖の入って行く。
優雅に泳いでいるマナを、遠くでパンサは見ている。
と、その時、マナに異変が起きた。
突然、湖に引き込まれ湖面に姿を消す。
「た、助けて!パン・・・」
何かが起きたのだろうか。なかなか湖面から姿を現そうとしない。
パンサは不安になり、恐る恐る湖面に足を踏み入れる。
湖面は静かなままだ。
何かが起きたと直感したパンサは湖に飛び込み、必至で泳ぎ、マナが消えた場所へと急ぐ。
不安と焦りでパンサは必至で泳いでいた。
消えた場所を何度も何度も顔を突っ込みマナを探している。
と、その時、水面から突然腕が伸び、パンサの首を掴む。
「ちゃんと泳げるじゃない。パンサ」
何事もなかったようにマナは湖面から顔を出し、ペロッと舌を出していた。
たばかれた。パンサはこの女主人の奸計にもののみごとにはまったのだ。
あざとい罠にまんまとはまった自分の愚かさを呪った。くやしさで涙が出そうになる。
「ありがとう、パンサ。私のこと心配してくれたのね」
マナは慈愛を込めてパンサの顔をそっと撫でた。
「私を心配してくれるのはあなただけ」
パンサの顔に頬をすりよせる。
「ずっとこれからも一緒にいてね」
先程までの怒りは消え、パンサは幸福な気分にひたっていた。
旅の汚れと疲れを水と一緒に綺麗に洗い流して、マナとパンサは湖のほとりで、しばしの休息を取ることにした。
のどかな風が吹く平穏な湖のさざ波を聞いていると、今までの出来事うそのように感じる。
龍種族に一族を滅ぼされ、何者かによって一度は助けられたところまで覚えている。
気がついたところは人間界の過疎の村であった。 崖下で大怪我をしていたマナを人間界の老人が
助けてくれたのだ。
老人は異種族の自分をなんの偏見もなく我が子のようにかわいがってくれた。
平穏な日々が続き、マナの心と身体の傷は徐々に癒されて行った。
マナと老人のささやかな平和な生活がしばらく続いた。
だがそんな平穏な日々は長続きはしなかった。
老人が病に倒れ、この世を去ってしまったのだ。
最後に老人はマナに言い残すように言った。
「一角種族の生き残りがお前以外にまだいる。お前は人間界で生きてゆくことは出来ぬ。
その生き残りの者を探すとよい。それがお前にとって一番幸せなことじゃ」
自分意外にまだ生き残りがいる。
天涯孤独となったマナにとって同族への帰依は当然だったのかも知れない。
マナは旅に出た。
同族を探し求める長い旅に。
「本当にいるのかしら」
マナは傍らで寝そべっているパンサに向かって言う。
パンサは興味なさそげに大きなあくびをしている。
「あなたが話すことができたらいいのに。そしたらこの旅も退屈じゃなくなるのに」
パンサはさらに大きなあくびをする。
「もういい!」
マナは物言わぬパンサに話しかけるのを諦めた。
「いつになったら・・・」
不安な思いがつい言葉になって出る。
なんの手がかりもなく、闇雲に旅をしているのに不安を覚えていた。
魔族、人間に遭遇する危険を冒してまで、旅を続けてる意味はあるのだろうか。
あのまま老人の家でひっそり暮らして一生を終えることだって出来た。
だが、種の継続の本能がマナを突き動かした。
探し求める者が異性だと限らない、同性ならすべては終わる。
それを確かめるためにも旅を続けなければいけない。
のどかな昼下がり。気持ちいい風が吹いている。
このまま平和な日々が続けばいいのに。
岸辺に寝そべって空を眺めていたマナに突然黒い影が覆う。
「!」
鋭い矢が飛んできて、となりに寝そべっていたパンサに突き刺さる。
「パンサ!」
パンサは悲しい悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちる。
「いや、パンサ」
一緒に旅してきた仲間が自分の目の前で命の火を消そうとする。
マナは必至になってパンサの体をゆすり名前を連呼した。
「だめ、死なないで」
マナの必死の呼びかけにもうパンサは答えることが出来ない。
みるみるうちにパンサの体は冷たくなってくる。
「いやっ! 一人にしないで!」
マナの頭上にさらに無数の影が覆いかぶさる。
マナは空を見上げた。
涙で曇ってはっきり見えないが、そこには異形な者が、太陽を覆い隠すようにして無数に
舞っていた。
「!」
そのシルエットを見ただけでそれが何者かマナにはすぐにわかった。
忘れもしないあの龍戦士! 自分の両親までか仲間まで皆殺しにしたあの龍戦士だ。
しかも一匹だけではなく、その数は無数にいる。
あの時の恐怖がマナを襲う。
その内の一匹がマナのいる岸辺に舞い降りた。 大きな翼を広げ、鋭い眼光がマナを射止める。
その眼に魅入られたかのようにマナはその場を一歩も動くことはできなかった。