私の大事な人、家族よりも代え難いと思う人はふたりいたのです。彼らがまだ幼いころから、私がまだ子供だったころから、ずっとずっと一緒にいて、そして世界が終わるまでも一緒にいたかったのです。 だけど、“世界の終わり”はあまりにも予想さえしなかったかたちで訪れ、そんな儚い望みはあえなく断ち切られてしまいました。 あの、白銀の月を見上げた青い青い夜。私が生涯忘れることのできない、あの夜。 私の義弟と彼は、その希望を亡くしたのでした。 Garako Inagaki Presents. Dedicated to Ms.YU-KI. ジョウイのまなざしが、変化したことを私は気づいていました。あのミューズの街の外、遠い落日を見据えながら彼を、義弟と一緒に指先が闇に触れて凍えるまで待っていた、そのときに。ただ涙が溢れ、帰還を感謝すること、喜びに震えること以上に“何か”の予感が私の胸を貫いて。 それはすぐに忘れようもない結果をもって私と義弟を打ちのめすのですが。 彼を止めることが出来なかった。 あんなに大事なひとだったのに。 私が、私自身よりも大切に思い、また命さえ捨ててもいいと思っていた大事な世界は、取り返しのつかない空隙でもって終結したのです。 だけど私は夢をみたかった。かなわない、などと信じたくはなかった。この手で、また取り戻すことが出来ないはずはないと。 また三人で。どこまでも笑顔を失わず。世界の涯であっても、三人であるという信頼を手にして。 ───いたかった。 眠れない、と隣の義弟(おとうと)の声で私は目を醒ましました。醒ました、というよりは夢と現の岸辺にさまよっていた意識がふと呼び戻されたというほうが近い、夜半の月明かりの下で。大樹の下で雨露をしのぐために、ピリカちゃんを起こさないように、そっと起き上がり、私は彼を振り返りました。サウスウィンドウに着くまでは安心できないので、子供づれである私たち(私たち自身も子供だし)は目立つことを避けて、街での宿泊はできませんでした。逃げよう、と冗談めかして言ってはみたけど、ジョウイのことを捨てるわけにはいかなくて。私自身の心も、そして義弟も同じように。 「ナナミ……」 「なあに?」 私は精いっぱいの明るい声で返事をしました。弱音を吐けば、彼はすぐに泣いてしまうだろうと思ったから。私はお姉ちゃんなんだから、彼を守らなければと強く思ったから。半身を起こして、膝を抱えた彼はその間に顔を埋めました。 「やっぱり、なんでもない……」 「ちゃんと寝ないと、辛いよ」 「───」 「寝なさいったら。歌でも歌ってあげようか?」 「いいよ」 「ほらほら。横になりなさいって」 「───僕たち、」 「え?」 義弟は顔をこちらに向けて、まっすぐに私を瞶めました。月光がその少年らしい顔貌を縁取って、唇がゆっくりと動きました。 「僕たち、どうなっちゃうんだろう」 優しい子。信じがたい現実を直面させられて、それを認めるより前に動くことを余儀なくされた私たち。相克する心をどのように昇華すればいいのかわからない私たち。 「ジョウイを───」 見上げると真円の月が、ちっとも変わらない優しい白い光を投げてくれて、私は少し泣きたくなりました。 「ジョウイを、探しに行こうよ。ね。いつになるかわからないけど、ぜったい。絶対に行こう」 「そうだね……」 義弟の心の動きは手にとるようにわかりました。激しい慟哭をあらわにできないほど、まだ事実として掴めない揺れる感情(こころ)。 義弟の影が動いて、私の肩にそっと額をもたせかけました。ふ、とぬくもりがそこに宿って。 「二人なら、大丈夫だよね。ナナミがいれば……いつか、ジョウイをきっと───」 「そうだよ。お姉ちゃんがついてるもん。大丈夫大丈夫」 自分にも言い聞かせて。私ひとりの力で何が出来るのだろう、と一瞬だけ浮かんだ考えをすぐに振り払って。 「ナナミ」 「なあに?」 「泣いても、」 「だめだよ」 「───」 「まだ泣くのは早いよ。ね。男の子だもん」 「違うよ」 彼は顔をあげ、私を見て微笑みました。 「ナナミ。泣いてもいいんだよ。大丈夫、僕はずっとずっと傍にいるから」 その日あまりの衝撃が私を打ちのめして、滅多にないことなのですが高い熱を出しついに床に伏せてしまいました。 先刻ジョウイが、私に告げた言葉。 「ハイランドの軍門にくだってくれ」 「幼なじみとしてではなく、それぞれの立場の人間として」 ───どうして? ピリカちゃん……あの子をみるジョウイのまなざしは、変わらないようにも思えたのに。あの子を抱いたジョウイは、とても哀しそうにしていたのに。 ミューズでの予感は、そんな形で私の前についに現れ、そしてそれは確かな現実で、私は諦めそうに挫けそうになる自分と必死に戦いました。 そして、ジョウイの夢を見たのです。 孤独な姿。ルルノイエにある、ジョウイの孤高の姿。 まだ見たこともないはずの皇都ルルノイエの、その華麗で静かなたたずまいのその奥にいるジョウイの─── 冷たい目をして、大人たちに囲まれているジョウイ。 知らない誰かにかしずかれ、支配者として振舞うことを当然のようにするジョウイ。 それから、それから─── 苦悩の姿。 時折、悪い夢を見たかのようにうなされて。独りで、たった独りでそれに耐え続けているジョウイ。 手にとるようにそれが見えました。 すぐに声をかけてあげたかった。抱きしめてあげたかった。 どうして? どうしてそんなに、苦しい思いをしてまで、戦わなくちゃいけないの? ジョウイがそんなに苦しんで、何が生まれ、何を得られるというの? 私が望む、小さな平和とそれはどうしても矛盾してしまうの? わからない。わからないよ、ジョウイ。 私の義弟はあの、白い月光の夜から日に見えて変化を続け、いつか本当に一軍のリーダーらしくなって、どんどん私の“小さな弟”ではなくなって。それは嬉しいことなのだと思う反面、とてもとても淋しくなって。少年というものは、あまりにも成長を急ぐものなのだと、私はその時初めて知りました。 いつも一緒にいた私たちは、それぞれとても忙しくなっていて、同じ城にいるのにあまり顔をあわせることもなくなっていきました。 これが幼年期の終わり、自立ということなのかもしれない、というのは理解っているつもりだったけれど─── でも、こんなふうに気持ちが隔たり、いつか本当に離れてしまうことを証明されてしまうのだと、また三人でと私がけして捨てることのない望みさえも、はかないものだよと突きつけられるような痛みを感じたのです。 だけど、それは誰にも言えない。 言えないかわりに、なくさないようにずっと心に抱いていようと誓ったのです。 私にとって一番大事なものは、最期まで変わりがなかったので。 激しい痛みが胸を貫いて───それは、私の心の痛みと肉体の痛みが合致した、その刹那だったのです。私が誰よりも大事にしているふたりが、私の言葉など聞き入れず、少年ではなくそれぞれが王として、雌雄を決しようとしていることを私も理解していて、だからこそとても痛くて、痛くて、でも止めることなど出来ないと本当は理解っていて。 その時に、もう考えるよりも先に私は身体が動いていたのです。 だって、守らないと。 守ることしか、私はできないのだもの。私の小さなちいさな力。 私の望みを叶えるためには───決して喪わないためには。 ナナミ、と二人が叫んだのをおぼろげになる意識を掴みかける一瞬で聞きました。 流れる血潮。 紅。 目の奥にうつる……たくさんの、記憶の破片。凄い速さで流れて、それがこめかみのあたりからゆっくりゆっくりと、染み込むように。 暖かい。私の血。私の想いでいっぱいの、その流れ。 あげる。全部だって、全部以上だって全然惜しくない。 「あの時、一緒に逃げていれば、こんな結末は───ナナミまで喪うことはなかったのかもしれない」 だめだよ。男の子が泣いちゃ。ねえ、あなたはもう私の小さい義弟じゃない。 「ごめん……ナナミ、ごめん……死なないで。お願い。お願いだから」 ああ、ジョウイも───私は、もしかして。 これは私が望んだ結末? だって、もう本当に有り得ないと思っていた。 私たちだけ、たった三人で。 夢のように思う。巨大な中庭を抱いたロックアックスの空が暗くなっていく、その様を私はうっすらと感じ取っていました。 二人の眦からそれぞれ零れた涙が、男の子の綺麗な涙が、至高の宝石となって私を飾ってくれました。 なんて夢のようなんだろう。かなえられた夢なのかも。 顔を歪めた、私の大好きな、大切な、命よりも───もっと尊いふたりの。その遠いむこうがわに、あの日のような月が姿を現していました。 視界が随分暗くなってしまって、でも蒼く美しく私たちを照らしている。このほんの数刻の、たった三人の聖域を。 私はそっと目蓋を閉じました。その裏側にも、月と彼らの姿がくっきりと残りました。 ねえ、信じているよ。 私はまだ、祈っているよ。ちゃんと最期まで、想っているよ。 だって私がやめちゃったら、もう誰もいないでしょう。 私の命で贖うことも出来るのならば……伝えることがきっと出来る。 忘れないで。 私が、大切にしていたことを。希望を失うことなかったことを。 願っていたことを。この命など惜しくないほどに。 ───私がどれだけあなたたちのことを愛していたかを。
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12thJanuary,2001