まるで魂の半分のような俺達だから。はかったように一対である俺達だから。 おまえが俺の名を呼ぶのとまったく同じ数だけ、俺もおまえの名を呼べたらいい。 「カミュー」 親友は振り返り、笑顔になった。 Garako Inagaki Presents. Dedicated to Ms.Ryo Yuzuhara. 「カミューの声は、不思議だ」 「───ん?」 陽に透ける、蜂蜜色(ハニーゴールド)の金髪の下に隠された、碧い睛が笑った。また、マイクロトフがおかしなことを言うな、というふうに。それが嬉しくてたまらない、というふうに。 「何? 俺の声がどうしたのか、マイクロトフ」 「いや」 俺は巧く言葉を操ることはできない。だからカミューはいつも、ゆっくりと待って───それから、そっと俺の眸をのぞきこむようにする。 「マイクロトフ」 焦れたようにせかす言葉。俺はますます言葉を失う。 平和にも争乱にも似つかわしい声。 下士官たちに厳しく指示を飛ばしていた時も、剣戟の最中(さなか)にあげる檄も、こんな時間───争いが全て終わり、涼しい木陰を散策する時の意図のない会話にも。 カミューの声はぴたりとはまる。どんな場所にいても、どんな姿をしていても、それがカミューだから一幅の絵のように。 葉擦れの音が騒ぐ。遠くにデュナン湖がわずかに覗く、城の裏の小さな林。立ち並ぶ木々にも喜びの声が聞こえるようだ、と言ったのもカミューだった。 返事をしない俺に、カミューは諦めたようだった。 何か言おうとしてひらいた唇の動きを見咎めて、俺はその前に───遮る、前よりも一瞬先に言ってしまう。 「カミュー」 「……何だい?」 「カミュー」 「───」 「カミュー」 名を呼ぶばかりの俺に、彼は困惑したように笑い、足を止めた。横から少し回り込んで、俺の前に立ちはだかる。 葉群をすり抜けて、被る陽光の矢。それをきらきらと弾く親友のやわらかそうな髪。 容易く降りる静寂(しじま)。 俺はどう言葉を選ぶべきかさんざ迷い、さっきのように方角違いの科白を吐いてしまわぬように───結局いつもの自分のようにぶっきらぼうに言い放つしか出来なかった。 「どこかへ、行くのか。カミュー」 それはカミューも予測していた筈だ。俺の心を読むのは、世界で一番カミューがうまいから。 俯くことさえもせずに、カミューは俺の眸をまっすぐに見返した。 「マイクロトフ」 「行くんだな。いつだ」 「───明日」 「グラスランドに?」 「そうだ」 肯定されて、かなりの落胆と、そして……ほんの少しの安堵を感じる。カミューが嘘をつかなかったことに。正直に、告げてくれたことに。隠し事の上手な彼が、最後まで騙し通そうとしなかったことに。 カミューが“そうしてほしくない”と思っていたことを、俺は絶対にしたくはなかった。鈍い(自覚はある)俺ではあるけれど、カミューのことなら少しは───あくまで他人と比べて、ではあるけれど───理解っているつもりだった。だけど、カミューが黙って行ってしまう、それはあまりにも口惜しかった。きっとあの戦いが終わったその時から、カミューは考えていたのだろう。マチルダ騎士団から、帰還の要請が公式にやってきた時には、もう思いを固めていたのだろう。 親友の俺と、離れ別れても。 子供ではないから、見苦しい嫉妬に掴まれて取り乱したりはしない。ただ、とても残念に思う。 あの声を、もう間近で聞けないのかと思うと。 その姿を、もう傍で─── 「マイクロトフ。黙っていてすまなかった」 「いや。おまえが決めたことだろう。どんな理由があるにせよ、それは尊重すべきだと俺は思う」 「───すまない」 「謝ることじゃない、カミュー」 カミューは結局俯き、こんなことなら言うのではなかったと俺はかなり後悔した。また、居心地の悪い沈黙がやってくる。 ひらひらと、風に吹き飛ばされた緑の欠片が視界の端を過った。次の瞬間、強い風が木立を吹き抜け、俺とカミューの上衣の裾を薙ぎ払った。 「……すごい風だ」 「ああ。カミュー、髪がぐしゃぐしゃになっている」 「マイクロトフはその長さだから、全然平気なんだな」 苦笑して髪をなおそうとする。その時、思考よりも行動が先に立った。 触れたい、と思う。 カミューの金の髪にふと触れる。乱れたそれに指を絡め、そっと梳く。カミューが目を瞠った。 「……マイクロトフ」 我にかえった俺は自分自身の行動に驚き、慌てて掌を放す。カミューはゆっくりと寂しげに微笑んだ。 「いいんだ」 「何───」 「すまない。親友の───おまえに黙っていたことを、謝らなければならないと、言わねばならないとずっと思っていた。そして、感謝を。おまえといたこの十余年、俺は本当に楽しかった。マチルダの騎士として、騎士団長として、充実しまた輝いていた日々だった。それは全ておまえがくれたものだ。マイクロトフ」 「何を言う!?」 俺はふたたび驚いて、心底驚いて、二三歩カミューに迫って否定しようとした。だが、その刹那。 「赦して欲しい」 接近し向き合っていたカミューの頭が正面から斜めに傾ぎ、俺の肩に乗せられた。目のすぐ下にカミューの金髪が。さらさらと。微風に煽られて。 胸元でカミューの声が俺の名を呟いた。 「マイクロトフ───」 「ゆるす、などと」 「───」 「言えるはずがない」 「マイクロトフ……」 誤解したカミューの声が曇る。まなざしは隠されている。その碧さを目にすることが出来たなら、今この瞬間に。全ては伝わる。伝えることが出来る。言葉なんかよりも、何百倍も正確に。 だけどカミューは顔をあげない。肩甲骨のあたりに、カミューのぬくもりがじんわりと染みてくる。暖かいのに、もどかしい。 こんなふうにカミューが振る舞うことは、かつてなかったので俺は途惑う。いつでもカミューは俺の思うことを俺が思うよりも先に察知して、俺が気づいた時にはもう全て、親友の暖かい手がそっと添えられていて、だけどそれは過保護なわけではなく自立した一人の騎士として、あくまでその範疇でちゃんと俺が不愉快にならないように、堕落しないように、気遣ってくれていた。あまりにも感謝しているのは俺のほうだ、と思う。 だからカミューが望むことならすべて叶えてやりたい。強く強く、そう思う。 「カミュー」 だけど言葉は胸の内(なか)で毛玉のようにもつれて固まり、うまくほどけない。こんな無器用さはあまりにも無様だ。 ただ、彼の肩にそっと掌をそえ、探した。赦すのではなく、裁くのでもなく、ただ俺こそがカミューに感謝しているということを、どのようにすれば一番カミューが辛くないように伝えられるのかを。 ───否、カミューにはそんな小細工は不要だったのだ。俺が思うまま、無骨に愚直に生きることの全ての意味を、俺以上に知悉している彼だから───それを信じようと。 「……幼いころ、俺がカミューと出会うもっと前だ」 「───」 「世界は無条件で俺のことを愛してくれるのだと、あのころは無心に信じていた。だけど、長じるにしたがってそんなものは幻想で、自分が愛するほどには世界は俺を愛してくれないことを無論理解した───だけど」 「───」 「カミュー、おまえだけは俺を裏切らなかった。俺はそれを知っている。おまえが自分自身で選択する事柄、それが」 「───」 「それが、俺にとっても何らかの意味や意義があることなのだろう。それを俺は信じることが出来る。カミューがどこへ───」 俺は言葉を区切った。予感だけであった訣別を今度こそ現実にするには、少しの覚悟が必要だった。 「どこへ、行こうともだ。理由など必要ない。カミューがそう決めたなら、俺はそれを信頼しよう。その未来(さき)が、俺自身の未来(さき)と必ず交差するという保証はない。だが」 「……マイクロトフ」 「約束をしよう。俺たちはかつて、互いを裏切ったことはなかった。これからもけして裏切らないと。できるか。カミュー」 「無論───」 静かな声で、カミューは応じた。ゆっくりと頭をあげ、まっすぐに背筋をのばし、優雅に裾を払いマチルダの正式な作法で一揖した。 「マイクロトフ。感謝する。おまえが大好きだ。俺は生涯、おまえを裏切ることはないだろう。おまえも俺を裏切ることはない、と信じよう。この誓いを、愛剣(ユーライア)に……いや。俺自信の心にかけよう」 「では、俺は自分の騎士としての魂にかけよう」 「おまえらしいな、マイクロトフ」 カミューが微笑むのと同時に、いつのまにか雲に隠されていた太陽が不意に姿を現し、樹々の枝葉に阻まれてなお翳ることを知らぬげな光となった。俺たちを照らす、この誓いに相応しい光。永遠に変わらないものなど何もない。そんなことは子供でも知っている。だけど。 彼だけは、信じてもいい。きっと裏切らない。裏切ったら───、とカミューはまた笑った。心の底から。その答えは聞く必要はなかった。 ───あれがカミューの精いっぱいの甘えだったのだと、気づいたのはもっとずっと後になってからだった。 黎明とともに、たった独りで親友は旅立った。俺はそれを、ただ心の内で見送った。彼の頭上に、行き先に、大いなる幸いがあるようにと、ひたすらに祈りながら。 その声は。言葉は。 その姿は。俺の名を呼ぶそのひとは。 もう俺の傍にはない。 だが、確かなものはこの胸に。 けして消えない輝きとなり、俺を照らし導く光の名となる。
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8thJanuary,2001