大いなる恵みを うけたる我等
 主にこたえる歓びを 立ち上がりて 歌え
 声を合わせて───




卒業
Garako Inagaki Presents.





 中高一貫の学校では、中学の卒業式なんて形式だけのものだ。それでも、“卒業”の二文字は大きい。特に野球部にとっては、軟式と硬式では全然次元の違うものになる。グラウンドも違うし、中学の軟式とは桁違いの真剣さになる。───桐青は甲子園の土を踏むからだ。
 和さんはそこに行く。先に行ってしまう。
 彼はとてもいい主将だった。厳しさと優しさを兼ね備え、人心掌握も得意で、監督の信頼も厚い。それがまた、一年坊主として高校野球の世界に入っていく。それが準太には想像つかなかった。
 シンカーを評価してくれたのも、和己だった。
 和己のリード通りにシンカーを投げれば、面白いようにバットは空を切った。
 短い式典の後、三々五々三年生が出てくる。ほとんどの生徒に緊張感はない。ただ、高等部に進学するだけの話だからだ。胸に小さな造花をつけた和己がその群れに混じってやってきて、準太を見つけて声をかけてきた。
「よう」
 ぺこりと準太は頭を下げる。
「和サン、卒業おめでとうございます」
「高等部に進学するだけのことだ。そんな改まって言うなよ」
「それでも、野球は別になっちゃいますから」
「まあ、そうだけど。ようやく硬式が出来ると思うと、嬉しいな」
 高校野球は“特別”だ。甲子園───野球をやる者にとって、その言葉はある意味神聖ですらある。たった三年間だけ赦される、その挑戦権。和己はそこへ先に行くのだ。───行ってしまうのだ。
 不意に涙が滲んだ。
「な、なんだ、どうした?」
「和サン……」
「泣くなよ。なんで泣くことがあるんだ。オレは主将の重荷から降りて清々しているのに」
「うそばっかり」
 はは、と和己は豪快に笑った。準太の涙を吹き飛ばそうとしているようだった。
「オレ、オレ……」
「ん」
「和サンともっと野球、したかった、です」
「バカ言うな。おまえだって来年は高等部来るだろう」
「絶対行きます」
「なら問題ないだろ」
「でも和サンがキャッチじゃなくなる」
「おまえなあ」
 和己は準太の頭をぐりぐり、と撫でた。
「可愛いこと言うなあ。捕手選んでるようじゃまだまだ投手としては一人前になれないぞ」
「それでも、オレ」
「うんうん、気持ちだけ受け取っておくから」
 和己はにこにこ笑っている。準太は思わず口にした。
「───淋しいんですよっ。和サンがいないと、野球淋しいんです。だから、卒業とか、すっげえ、すっげえ……」
 和己はびっくりしたように目を瞠いた。思いがけない、という表情だった。
「中学、野球楽しかったな」
「───」
「準太みたいな投手が入ってきて、利央みたいな捕手が来て、まああいつはまだまだ子供だけど、きっとすごい伸びる。オレは中学の野球が本当に楽しかったよ、準太」
「オレも、です」
「高校はきっと、もっと辛いだろうけど、きっともっと楽しい。オレはそう思ってる。───甲子園」
 準太は肯いた。この人はもう、先を見ている。後ろを向いて、感傷に浸るような和己じゃない。
「正捕手のポジション、オレは絶対手に入れる」
「和サンなら絶対なれます」
「絶対、なんて言葉はわからないけどな。オレはそのつもりだ。だから、準太」
「はい」
「おまえ、高等部でもエースになれ。オレが絶対受けてやる」
「───和サン」
「一年間、進化しとけ。ちゃんとオレは待ってる」
「……っ」
「泣くな」
「和サン、オレ、がんばります───がんば、ります」
 必死に涙を拭う準太の肩を、和己は力強く抱いて言った。
「おう、頑張れ。絶対、だからな。約束だ」
「───はい」
「だからもう泣くな、他の奴なんかのんびり帰り支度してるんだから、おまえばっかり深刻な顔するんじゃない。だいたいオレが恥ずかしい」
 準太は和己の顔をしっかり見据えた。
「卒業、おめでとうございます。それから、絶対、オレ、野球頑張ります。だから、待っててください。一年間」
「おう、待ってるからな」
 準太の大好きな、和己の最高の笑顔だった。



 準太にとって和己は最高の捕手だ。いなくなる、そう、ただ思っていた。だから卒業が悲しかった。だけど、“約束”を貰った。
 高校野球で。
 また、和己とバッテリーを組んで。
 甲子園に───絶対、行く。



 後ろ姿を追って、追い続けて、いつか、夢は現実になる。
 そう信じている。
 祈っている。









end.





28thJune.2007