「それは断る」
花井は“茫然”の二文字が頭を駆けめぐり、その言葉の意味を把握するのにたっぷり三秒はかかった。
「……え?」
「だから、断るって言ってんの」
意味がわからない。もう一度言ってみる。念のためだ。
「えっと、オレ、おまえとつきあいたい……って言ったんだけど」
「だから断るって。何度言わせるんだよ」
田島は苛々してきたようだ。言葉尻に険が滲む。
「……な、なんで」
これだけ言うのがやっとだった。そして戻ってきた返事に腰が抜けそうになった。
「だっておまえ、背ェたけえんだもん」
Here we go!
Garako Inagaki Presents.
なんだそりゃ。
なんだそりゃ。
───なんだって?
確かに花井は百八十を簡単に超える。対して田島は百七十に遠く及ばない、身長差はまるでお似合いのカップルのようだ。
だからって。そんな理由!? というか理由になってない。
「り、り、理由ってそれだけ」
混乱しかけた頭をずれた眼鏡を戻すことでどうにか立て直しかけ、花井はなおも食い下がった。昼下がり、遠くからのんびりとした嬌声が聞こえる。誰かがバレーボールでもやっているのだろう。ロッカールームは静かで、花井と田島は対峙したまま動けない。田島はぷいと横を向いてしまった。
「用って、そんだけなの?」
「そんだけって言うなよ!」
人が一大決心をしてついに告白したのに。そんな態度はない。“つれないよおっかさん”という意味不明のフレーズが脳裏を過ぎり、花井はこめかみをおさえた。
「だ、だって、最初おまえからキスしてきたし、今までだって何度もキスしたし。中途半端はイヤだからオレだってこうやって」
「あー、キス、したなあ」
のんびり言う。それがどうした? という態度だ。花井はますますわけがわからない。
「花井の唇うまそーだったからよー」
なんですと?
「キスすっと、ちょーキモチイイから。でもそれとつきあうって別じゃね?」
オレは食い物と同レベルかよ。あんなに何回も抱きしめてキスしたのに。田島も嫌がらなかったのに。なんでこんなことを言われなければならないのだ。
相手は田島だ、と花井は哀しいことに今頃気づいた。常識で測れる相手じゃない。
「じゃあ……オレは今、おまえにゴメンナサイされたってことになるのか」
「まー、そうだな」
がっくり。
音がしそうな勢いで花井は項垂れた。
「そう落ちこむなよ。オレ、つきあいはできないけど花井好きだぜ」
そんな慰めはいらない。むしろなんで慰められないといけないのだ。みるみるうちに青ざめてしまった花井を少し可哀想に思ったのか、田島が近寄ってきた。
「おまえがもうちょい背ェ低かったらな。見上げてるのって結構疲れるんだよね」
花井は今まで自分の身長を呪ったことなど一度もなかった。むしろ、すくすく育った自分を誇らしく思ってさえいた。筋力だって体力だって、まだまだいける。しかし、まさかそんなことが肝腎な時に徒になるなんて。神様仏様、これは何の因果ですか。オレは前世でそんなに悪いことをしたのでしょうか。
「なー花井」
衝撃のあまり黙りこんでしまった花井に田島はまた少し近づく。
「キスとかならいつでもしていいよ。つーかオレからもするし」
「はあ!?」
「だから、花井は嫌いじゃないしむしろ好きだって言ってんじゃん。わっかんねェ奴だなー」
わからないのはおまえのほうだ、と言いたいところをぐっと我慢した。この忍耐力は田島のことを好きになってから覚えたものだ。目を離すとすぐに糸が切れた凧みたいに吹っ飛んで行ってしまうから、いつでも視線が追っていて、気がついたら好きになっていた。最初のうちこそ当たり前のように四番をこなす田島に敵愾心を抱いたけれど、それが天性のものだけではなく常人の何倍もの努力の礎の上に築かれたものだと知ってからは、ある意味尊敬してもいる。野球に関してだけは。
野球以外の田島は本当にバカだし子供だし、だけど物事の本質だけはきちんと解っている。本質しかわかってない、とも言う。
「田島。わかった」
花井は妥協するしかない、と諦めた。
「いままで通りでいいんだな。そういうことでいいわけな」
「そうそう」
「キスする」
「うん、オレもする」
「抱きしめる」
「んーそれは身長差がなぁ」
「でもする」
「わーったわーった」
無邪気に笑っている田島にふと意地悪な気持ちが湧いて、花井は突然田島の腕をとって引き寄せ、ロッカーに押しつけ強引なキスをした。触れるだけのキスじゃない、きっちし“キス”だ。恋人同士がするようなキス。
驚いたように目を瞠った田島は、それでも抗わなかった。舌を絡めても気持ちよさそうに息をつく。畜生、これ以上何もできないのかよ。花井は田島の唇を貪りながら自分の理性に臍を噛んだ。
抱きしめると腕の中にすっぽりおさまる田島。でもそこにずっと縛っておけない田島。
「いてーよ花井」
離すもんか、とは言えなかった。田島を束縛することなんか誰にも出来やしない。気づかなかった自分が迂闊だったのだ。だけど、腕にはいっそう力をこめた。それが精一杯だった。
今はこの関係に満足するしかない。
この腕の鳥籠に閉じこめようとしても無理だから、せめて宿り木になってやりたい。大きなものを背負っているこの小さな背中が疲れた時には。
「花井、おまえってバカだな」
「うっせえよ。オレはおまえが好きだ」
「バーカ、知ってるよ」
にっし、と全開の笑顔にやっぱり、どうしようもなく惚れちゃってるのだった。
end.
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