日本・北アメリカ航路編
シアトル(バンクーバー)・タコマ線(北米航路)
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| 三池丸(I) | 日本郵船 | 3,308gt | 97.048m | 1888年 | ? | 日本郵船最初の新造船の1隻、1921年7月16日売却 |
| 山口丸(I) | 日本郵船 | 3,287gt | ? | 1890年 | ? | 1896年11月1日海軍省払い下げ、1913年5月13日売却 |
| 金州丸 | 日本郵船 | 3,967gt | ? | 1891年 | ? | 1896年11月1日海軍省払い下げ、1904年4月26日海軍傭船中、撃沈(日露戦争) |
| 信濃丸(I) | 日本郵船 | 6,388gt | 135.635m | 1900年 | 1等:26人、2等:20人、3等:192人 | 1904年陸軍が傭船、1905年仮装巡洋艦として東シナ海でバルチック艦隊を発見(日露戦争)、後に台湾航路に就航して、1923年航路と共に近海郵船に移籍、1929年日魯漁業の蟹工船、第二次大戦後は引揚船となり、1951年解体 |
| 加賀丸(I) | 日本郵船 | 6,301gt | 135.635m | 1901年 | 1等:36人、2等:16人、3等:168人 | 船価115万7,000円、1932年6月29日解体 |
| 伊豫丸(I) | 日本郵船 | 6,320gt | 135.635m | 1901年 | 1等:36人、2等:21人、3等:168人 | 1933年5月26日売却 |
| 安藝丸(I) | 日本郵船 | 6,444gt | 135.635m | 1903年 | 1等:50人、2等:22人、3等:174人 | 後にヨーロッパ航路、オーストラリア航路に配船、1934年3月31日売却 |
| 丹後丸(I) | 日本郵船 | 6,893gt | 135.6m* | 1905年 | 1等:36人、2等:26人、3等:58人 | 後にオーストラリア航路、ムンバイ航路に配船、1943年11月13日名瀬港口で座礁中に雷撃・全損(第二次大戦) |
| 横濱丸(II) | 日本郵船 | 6,143gt | 121.9m* | 1912年 | 1等:26人、3等:229人 | 1942年3月10日ニューギニアで空爆・沈没(第二次大戦) |
| 静岡丸(I) | 日本郵船 | 6,568gt | 400'0'' | 1912年 | 1等:28人、3等:242人 | 1933年4月23日座礁、5月13日委付 |
*1896年、日本郵船は三池丸以下3隻で、4週1回の北米定期航路を開設した。1901年、信濃丸、加賀丸、伊豫丸、金州丸、旅順丸、土佐丸の6隻で2週1回となる。1907年から1908年は、信濃丸、加賀丸、伊豫丸、安藝丸、丹後丸。1917年から1922年は、諏訪丸、伏見丸、香取丸、鹿島丸。1922年以降は、加賀丸、伊豫丸、横濱丸、静岡丸。
三池丸(I)(3,308gt)
信濃丸(I)(6,388gt)
丹後丸(I)(6,893gt)
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| たこま丸 | 大阪商船 | 6,178gt | 400'0'' | 1909年 | 1等:6人、3等:176人 | 1944年2月1日雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 志あとる丸 | 大阪商船 | 6,182gt | 400'0'' | 1909年 | 1等:6人、3等:174人 | 1917年ブラジル移民、1944年7月16日雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 志かご丸 | 大阪商船 | 6,182gt | 400'0'' | 1910年 | 1等:9人、3等:182人 | 1923年9月関東大震災時に京浜―阪神間で救援輸送、1943年10月15日雷撃・沈没(第二次大戦) |
| ぱなま丸 | 大阪商船 | 6,059gt | 400'0'' | 1910年 | 1等:9人、3等:184人 | 1920年海外興業(東洋移民・南米植民・日東植民・日本植民等が合併)によるブラジル移民、1921年南洋海運に売却 |
| めき志こ丸 | 大阪商船 | 5,785gt | 125.0m | 1910年 | 1等:12人、3等:72人 | 1944年8月21日雷撃・沈没(第二次大戦) |
| かなだ丸 | 大阪商船 | 6,064gt | 400'0'' | 1911年 | 1等:9人、3等:180人 | 1921年南洋海運に売却 |
| はわい丸 | 大阪商船 | 9,470gt | 150.9m | 1915年 | 1等:12人、3等:756人 | レシプロ船、1925年南米航路、1928年コレラで移民17人死亡しシンガポールに30日間停泊、1943年南洋海運に売却、1944年12月2日九州南方で米潜水艦Sea Devilにより雷撃・沈没 |
| まにら丸 | 大阪商船 | 9,486gt | 144.8m* | 1915年 | 1等:10人、3等:1,046人 | 1924年南米航路、1944年11月25日ボルネオ島沖で米潜水艦Mingoにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| あふりか丸(I) | 大阪商船 | 9,476gt | 144.8m* | 1918年 | 1等:24人、3等:1,040人 | 1942年10月21日台湾海峡で米潜水艦Finbackにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| あらびあ丸 | 大阪商船 | 9,480gt | 144.8m* | 1918年 | 1等:24人、3等:1,058人 | 1944年10月18日ルソン島沖で米潜水艦BluegillとRatonにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| ありぞな丸 | 大阪商船 | 9,684gt | 155.9m | 1920年 | 1等:29人、3等:1,054人 | 1942年11月14日ガタルカナル島沖で米軍機により雷撃・沈没(第二次大戦) |
| あらばま丸 | 大阪商船 | 9,617gt | 475'0'' | 1920年 | ? | 1930年3月6日犬吠埼沖で座礁・沈没 |
*1909年、大阪商船はシアトル・タコマ航路を開設し、「たこま丸」型6隻を使用して年25航海行った。1915年以降、「はわい丸」型6隻を使用し、「たこま丸」型は南アメリカ東海岸航路に転配となる。1924年、「はわい丸」「まにら丸」も南アメリカ東海岸航路に就航する。1931年、所謂「郵商協約」により大阪商船は撤退し、日本郵船が本航路を独占した。
志かご丸(6,182gt)
ぱなま丸(6,059gt)
あらばま丸(9,617gt)
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| 氷川丸(I) | 日本郵船 | 11,622gt | 163.3m | 1930年 | 1等:76人、2等:69人、3等:186人 | ディーゼル船、特設病院船(第二次大戦)、戦後北米航路に復帰、1960年赤字のためシアトル航路から撤退(1961年日本郵船は船客業務を停止)、1961年2月28日氷川観光(株)に売却、ユースホステルとして横浜に係留、1967年氷川丸マリンタワー(株) |
| 日枝丸 | 日本郵船 | 11,931gt | 163.3m | 1930年 | 1等:76人、2等:69人、3等:186人 | 1937年11月シアトルで爆破未遂事件、特設潜水母艦、のち特設運送船、1943年11月17日ラバウルで米潜水艦Drumにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 平安丸(I) | 日本郵船 | 11,616gt | 163.3m | 1930年 | 1等:76人、2等:69人、3等:185人 | 1941年特設潜水母艦、1944年2月18日トラック島沖で米軍機により雷撃・沈没(第二次大戦) |
*日本郵船は、氷川丸、日枝丸、平安丸、静岡丸、横濱丸を配船し、シアトルに代えてバンクーバーを終点とした。
氷川丸(I)(11,622gt)
特設病院船時代(氷川丸)
宝塚少女歌劇団(氷川丸、1959年)
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| 三池丸(II) | 日本郵船 | 11,738gt | 163m | 1941年 | 2等:100人、3等:136人 | 1944年4月27日ヤップ島沖で米潜水艦Triggerにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 安藝丸(II) | 日本郵船 | 11,409gt | 163m | 1942年 | 1等:37人、2等:?、3等:? | 1944年7月26日ルソン島沖で米潜水艦Crevalleにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
*三池丸、安藝丸ともに日本郵船の優秀船舶建造助成施設による建造であるが、就航はしなかった。
三池丸(II)(11,738gt)
サンフランシスコ線(北米航路)
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| 日本丸 | 東洋汽船 | 6,163gt | 128.93m | 1898年 | 1等:106人、2等:14人、3等:383人 | 浅野総一郎社長Pacific Mail Steam Shipと業務提携して北米航路開設、クリッパー型3隻英国に発注、1919年チリのCompania Sud Americana De Vaparesに売却Renaico |
| 亞米利加丸 | 東洋汽船 | 6,307gt | 128.93m | 1898年 | 1等:106人、2等:14人、3等:383人 | クリッパー型、1909年南米西岸線に就航、1911年大阪商船が譲受け台湾航路に就航、仮装巡洋艦(日露戦争)、特設病院船、1944年3月6日米潜水艦Nautilusにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 香港丸 | 東洋汽船 | 6,159gt | 128.93m | 1898年 | 1等:110人、2等:14人、3等:399人 | クリッパー型、1909年南米西岸線に就航、1914年大阪商船が譲受け台湾航路に就航、1934年解体 |
| 天洋丸 | 東洋汽船 | 13,454gt | 167.639m | 1908年 | 1等:249人、2等:73人、3等:600人 | 我が国初の大型旅客船、蒸気タービン採用、1908年日米紳士協定・ルミュー協定(カナダ)(日本人労働移民制限)、1924年移民法(新規日本人移民の米国入国禁止)、1926年日本郵船に移籍、1933年解体 |
| 地洋丸 | 東洋汽船 | 13,426gt | 167.639m | 1908年 | 1等:249人、2等:73人、3等:600人 | 天洋丸の姉妹船、1916年香港沖のタンカン島で座礁・全損、解体 |
| 春洋丸 | 東洋汽船 | 13,377gt | 167.639m | 1911年 | 1等:198人、2等:70人、3等:620人 | 天洋丸の姉妹船、1926年日本郵船に移籍、1936年解体 |
| 波斯丸 | 東洋汽船 | 4,381gt | 131.12m | 1881年 | 1等:98人、3等:313人 | 元White Star Lineのex-Coptic、1904年Pacific Mail Steam Shipが譲受け、1915年同社の太平洋航路撤退にともない東洋汽船が購入(ex-Persia)、1925年解体 |
| これや丸 | 東洋汽船 | 11,810gt | 551'0'' | 1901年 | 1等:209人、3等:550人 | 1916年Pacific Mail Steam Shipより東洋汽船が購入(ex-Korea)、1926年日本郵船に移籍、1934年解体 |
| さいべりや丸 | 東洋汽船 | 11,790gt | 551'0'' | 1901年 | 1等:204人、2等:44人、3等:420人 | 1916年Pacific Mail Steam Shipより東洋汽船が購入(ex-Siberia)、1926年日本郵船に移籍、同年米国から青い目の人形、1935年解体 |
| 大洋丸 | 東洋汽船 | 14,458gt | 180.0m | 1911年 | 1等:184人、2等:135人、3等:434人 | 元ドイツ賠償船ex-Cap Finisterre(第一次大戦)、1921年東洋汽船が政府より運航受託、1926年日本郵船受託運航、1929年日本郵船に払い下げ、1942年5月8日男女群島沖で米潜水艦Grenadierにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
*1898年、東洋汽船は日本丸以下3隻を建造して、香港―サンフランシスコ間の定期運航を開始し、後に天洋丸以下3隻と交替した。1926年、天洋丸以下5隻と同航路営業権を日本郵船に譲渡した(第二東洋汽船と日本郵船の合併)。
日本丸(6,163gt)
特設病院船時代(亞米利加丸)(6,307gt)
天洋丸(13,454gt)
天洋丸の1等ラウンジ
春洋丸(13,377gt)
ハワイ移民母国観光団(春洋丸、1917年)
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| 浅間丸(I) | 日本郵船 | 16,947gt | 178.00m | 1929年 | 1等:239人、2等:96人、3等:504人 | ディーゼル船、2本煙突、1937年9月1日香港で座礁、1940年1月21日英国軽巡洋艦H.M.S. Liverpoolが敵国人のドイツ人船客21人連行(浅間丸事件)、1944年11月1日バシー海峡で米潜水艦Atuleにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 龍田丸(I) | 日本郵船 | 16,955gt | 178.00m | 1930年 | 1等:239人、2等:96人、3等:504人 | ディーゼル船、2本煙突、1941年12月2日真珠湾奇襲攻撃(日本時間12月8日)に先立ちロサンゼルスに偽装航海、1943年2月8日御蔵島沖で米潜水艦Tarponにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
| 秩父丸 | 日本郵船 | 17,498gt | 177.77m | 1930年 | 1等:243人、2等:95人、3等:500人 | ディーゼル船、1本煙突、戦前最大客船、1938年船名のローマ字表記をヘボン式(Chichibu)から内閣訓令式(Titibu)に変えたところ、米語の俗語で乳首(tit)を意味することが判明、1939年1月鎌倉丸に再命名、1943年4月28日パナイ島沖で米潜水艦Gudgeonにより雷撃・沈没(第二次大戦) |
*日本郵船は社債を発行し(3,000万円)、浅間丸以下3隻の(当時の日本において)豪華な客船を建造した(優秀船)。
浅間丸(I)(16,947gt)
龍田丸(I)(16,955gt)
| 日英戦時交換船として東アフリカに向かう龍田丸(1942年8月13日) | 龍田丸に乗船するため横浜港に集まった英国人(1942年7月30日) |
| 鎌倉丸(旧秩父丸)(17,498gt) | 1等ラウンジ(秩父丸) |
船名 |
運航会社 |
総トン数 |
全長 |
竣工年 |
旅客定員 |
備考 |
| 橿原丸 | 日本郵船 | 27,700gt | 218m | 1942年 | 1等:220人、2等:120人、3等:550人 | 1942年空母隼鷹として就役、1944年長崎沖で雷撃、大破(第二次大戦)、戦後、佐世保で解体 |
| 出雲丸 | 日本郵船 | 27,700gt | 218m | 1942年 | 1等:220人、2等:120人、3等:550人 | 1942年空母飛鷹として就役、1944年沖鳥島沖で空爆、雷撃(第二次大戦) |
*日本郵船の大型優秀船舶建造助成施設による建造であったが、建造途中で海軍省が買い上げて、航空母艦となった。
橿原丸(完成予想図)
飛鷹(出雲丸)
04/04/02