耕作禁止

 名古屋鉄道には、鉄道用地を耕すことを禁じる立て看板が立っているらしいとの 情報を得ました。そのような看板があるということは、鉄道用地内を耕して しまうという状況が実際にあるから、またはかつてあったからだということが 想像できます。では果たしてどのような状況で鉄道用地を耕してしまうのでしょうか。 興味ある内容であり、また是非ともその看板の写真を撮りたかったので、 現地へ行って調べてみることにしました。

 事前に得られた情報は、名鉄揖斐線沿線に看板が複数あるらしいということと、 名鉄美濃町線新岐阜駅のすぐそばに1つあるらしいということ、それで全てでした。 揖斐線沿線といっても漠然としているので、まずは確実に発見できそうな新岐阜の 看板を先に探すことにしました。新岐阜といえば、県庁所在地の大きなターミナルです。 果たしてそんなところに耕作に関する看板があるのでしょうか。疑いを持ちつつも 新岐阜駅から100mほど東に進んでみると、あっさりと看板を発見してしまいました。

 しかしあたりは商業地や住宅地で、看板から徒歩数十秒の位置に大きなスーパー、 ダイエーがそびえ立っています。昔は耕作される危険性のある場所だったのかも しれませんが、今はどうみても耕作などできなそうです。これではどのように 耕作されそうなのか想像がつかないので、次に名鉄揖斐線の看板を探すことに しました。特にあてはなかったのでとりあえず揖斐線に乗車し、沿線風景が適度に 田舎っぽくなった頃を見計らって美濃北方という駅で降り、新岐阜方向に戻るように 線路沿いをひたすら歩くことにしました。

 そう簡単に見つけることができるとは思っていなかったのですが、5キロ以上 あるいても一つも看板を見つけられません。今にも岐阜の市街地にたどりついて しまいそうなのであきらめようかと思った頃、ついに看板を見つけました。 看板は一つの地域に密集していくつも存在していたのでした。

 確かにその場所は線路ぎりぎりの位置まで耕作されていました。付近は線路と 平行して道路が走っており、線路と道路の間に挟まれるように一列の家並みが 並んでいました。家々の表玄関は当然道路側に面しており、線路側は裏庭と なっていました。裏庭は家庭菜園となっていたり植木が植えられていたりしており、 そのすぐ横をが線路となっていました。裏庭と線路とを隔てる柵などの境界は全くなく、 裏庭のすぐ脇を電車が通り過ぎていました。なるほど、こういった事情ならば 耕作禁止の看板は現在でも機能しているかもしれませんね。

目撃場所:名鉄美濃町線 新岐阜駅付近、及び名鉄揖斐線 近ノ島駅付近
目撃日時:1998年9月6日