わんばんこ 鶴光でおま!!

鶴光のオールナイトニッポン及び鶴光師匠に関する一考察

 

,序章

 

皆さんは、いつぐらいのサンスペをお聞きでしたのでしょうか。聞き始めは何歳?現在オンエア―されているLF「鶴光の噂のゴールデンアワー」聞いてますか?鶴光師匠の落語聞いた事あります?

ここに集う方の中で何名かは、「鶴光命や」というコアなファンの方もいらっしゃるでしょうし、2、3年サンスペを聞いていて、ああ懐かしいなと思われてお越しになられた方もいらっしゃるでしょうし、様様かと思います。しかし、小学校高学年から中学、高校、大学はたまた、社会人。青春と言われるこの時期、青春の定義も又、ひとそれぞれなんでしょうが、「サンスペが青春の1ページでした」といわれる方は多くいらっしゃると思います。おもしろかったな、楽しかったなと言う人。サンスペが完全に生活の一部となっていた人。かなりの数にのぼるでしょう。いったいどこに魅力があったのでしょうか。その当時関東地区だけの数字でシェア90%以上を誇ったお化けラジオ番組「鶴光のオールナイトニッポン サンデースペシャル」

 シェア ラジオ局全体の聴取率に対して90%ということ、聴取率自体は昭和57年時

で2%前半であった。

 

ここでは、サンスペが終った後に発売された、本、雑誌等で鶴光師匠のインタビュー、対談の一節を紹介し、その裏話的な話を通してサンスペの魅力に迫りたいと思っております。

果たして、迫れるのか、ご批評、ご感想等は掲示板の方にお願いします。

 

出典 平成9年 主婦の友社 発行 「オールナイトニッポン大百科」

   平成11年主婦の友社 発行 「アニラジグランブリ4月号」

   その他、ラジオパラダイス、ラジオマガジン及び鶴光師匠著の「かやくごはん」

       (正、新、続)「お子様ランチ」を参考にさせていただいております。

,鶴光師匠のサンスペに対するスタンス、考え方の章

 

私がサンスペを聞き始めたのは、中二の冬、1977年(昭和52年)のことでした。その頃の私のお笑いに対する興味の中心はドリフと吉本新喜劇であり、私はこの二つが最高のものだと信じていましたが、ある日、私の友人が

友人「おう、○○!ドリフなんか目じゃないぐらいおもろい深夜放送があるんじゃ」

私 「ほおー、どんなことをやっとるんや」

友人「真夜中にスタジオで若いおなごを追っかけ回してキャーキャー言わすんじゃ。真夜

中の大運動会ゆうてのう。そりゃーおもろいけん。」(私の出身は広島です。)

真夜中の大運動会 52年春ぐらいにやっていたコーナー。当時のアシスタント西山真知

子がどうもサンスペにそぐわなく、以外とキャーキャー言わした方が

いいのではないかと始めたもの。地方局のクレームで中止。それと共

にアシスタントも広木ゆみに替わる。

 

そして、聞いてみたサンスペ。それは衝撃的でした。機関銃のように発射される大阪弁。破天荒なギャグ。中学生には刺激が強いエロネタ。なにより番組から発散されるパワー。私は、1回でサンスペの虜となってしまったのです。

鶴光「・・・俺、大阪弁でしゃべったんやから一回目から。そしたらもう、『わからへん』

   っていう話が一万通ぐらいきたわな。それでもあえて俺、『わからへんかったら聴く

な』いうパターンで、『絶対、俺の番組やったら大阪弁勉強せえ』いうことで。そし

たら、結局、全部が終いに大阪弁や。いつの間にやらディレクターまで、『何とか

でおま』と言う様になったと言う。で、作家の書いてくる原稿も大阪弁やし、来

るハガキも全部大阪弁。・・・まあ、鶴光大阪弁っていうやっちゃな。いわゆるギャ

グ大阪弁やから。」(実際、鶴光大阪弁は大阪では日常使われてない)

鶴光「・・・だってそんな、悩むようなことしてないもん。だって、俺はあくまで落語家

やねんから。落語家の余暇として放送やっているだけであって、放送が主で落語

が属ちゃうねんもん。俺は落語家でやな、落語家がオモロイこと言うちゅうだ

けで放送やっているだけであって、そんなもん、いちいち命賭けてられるかいな、

こんなもんに。・・・リスナーが楽しんで、自分があとで笑って、一緒にオモロかっ

たらええやん。・・・だから『オールナイト』っていうのは、みんなそれぞれやり方

もあるけど、俺とか、もう、いわゆるひとつの遊びよ。終わった後、なんにも残っ

てへんはずよ。だって12年やって、なんも残ってへん。・・・・企画っつーのも、

まず大事やけれども、そういうことよりも、とりあえず自分も楽しんで、リスナー

も楽しめれば、こりゃいちばん最高やねんて。」

 

鶴光師匠はあくまで落語家であるというスタンスを崩そうとしていません。現在東京単身赴任中の師匠は落語芸術協会所属の客員真打として、高座にあがられています。

なぜ、鶴光師匠のオールナイトが支持されたか、オールナイトニッポンという番組を考えるともっとよりよく分るのではないかと思います。オールナイトニッポンは今日まで、数々のスター、流行、ヒット曲を生み出した若者の発信基地。そして、人生のある時期に必ず聴く番組で、不思議とある年齢に達すると聴かなくなるまるで通過儀礼のような番組。(参考オールナイトニッポン大百科)そして、サンスペはその一つの分野を確立したと言えます。

 

落語芸術協会 現在、落語の組織は東京には四つあり、(落語協会、落語芸術協会、立川流、

円楽派)その中の一つ。歌丸さんとか菊蔵さんとかいらっしゃるところで

す。弟子の里光さんはここの前座。学光さんは大阪中心の活動のようです。

鶴光師匠は新宿末広亭によく出られます。入場料は2700円。落語芸術

協会のホームページで確認してお出かけ下さい。ちなみに土日は大阪に帰

られますので、休みのことが多いです。

 

 

鶴光「・・・おまん国際マラソンより青梅国際マラソンの方が恥ずかしいわ。・・・だっ

て俺、下ネタを軽蔑するやつなんてバカやと思うわ。それより個人攻撃の方が、

もっと恐いと思うわ。下ネタなんて、あんなもんやな。ある意味で言うたら、昔

からの古典の落語からそうや。中国の『笑府』っていう物語からなにから、フラン

ス小噺だって全部下ネタやねんで・・・」

 

まったくその通りです。下ネタだろうがおもしろければ勝ち。でも、規制は必要かと思います。モロなんて芸でもネタでもないですし、規制があるからこそおもしろい。その狭間にあったのが、「驚き桃の木ピンク話」「ミッドナイトストーリー」「この歌はこんな風に聞こえる」だったと思います。

下ネタ連発でもドロっとしていない、カラッとしたスケベ−。鶴光師匠しかできないことと思っております。

 

師匠の番組はハガキ紹介が中心でした。ご自分でも「ワテはハガキの伝道師や」と言われてましたが、なにかおもしろいことがあったらすぐハガキを呼び込み、その後、盛り上がるか企画倒れになるかは成り行きにまかせるという感じだったように思います。

例をあげると驚き桃の木ビックリ話はMBSヤングタウン木曜日からこれはおもしろいと鶴光師匠がサンスペに持ってきたもので、リスナーのハガキで盛り上がり本も二冊でました。そして驚き桃の木ピンク話はビックリ話に来た1リスナーの「あーいーもっと久美子」のネタから始まり、コーナーも出来てないのに同様のハガキが来るようになり、ついにはビックリ話と並列で出来たコーナーでした。(参考ラジオマガジン各号)

(第二章終わり)

 

,アシスタントの章

昭和52年の聴き始めから昭和54年の4月までは、私はサンスペを3時までしか聞いておりませんでした。従って榊みちこについては特別ファン感情は抱いていませんでした。でも、広島デオデオのサテライトスタジオにきた時は見に行ってサイン貰いましたけど。

 

3時までしか・・・ 当時、サンスペが5時までやっていることを知らなかったこともあ

りますが、最大の理由は中国放送が3時までしかネットしていなか

ったことにあります。54年4月から南海放送で5時まで聞くよう

になりました。

 

ちょうど私は高校入学の時で(高校受験でもサンスペ聞いてましたが)、二三週間サンスペ休み、久しぶりにサンスペ聞いたら、聞き覚えの無いおなごの子の声がする、なんともかわいらしい声、雑誌で写真探すとこれまたかわいい。一遍でファンになってしまいました。これが、川島なお美との出会いでした。その後、七月で川島なお美が去り、大橋恵里子にアシスタントが替わりましたが、これまたこのエルのDJにころりとファンになってしもうて全然節操がありませんでしたなぁー。鶴光師匠はアシスタントについてこう語ってらっしゃいます。

 

鶴光「・・・あの時のアイドルは、まだ、もっとスレてなかったわ。今はみんなね、こん

なこと言ってはいけませんよという、しょうもない知恵をつけられているからね。

しゃべったってオモロイこともなんともないわけや。オナラしたことあるって、私

はしたことないですいうアイドルばっか。んなバカおるか、あんなもん。絶対おか

しいよ、それは。やっぱりそれがフッと出てこないかんよ、アイドルでも。アイド

ルイコール人間やなくしてしもうてるのよ。ロボットにしている。・・・絶対、しゃ

べらせへんやろ、まずプロダクションが。・・・アイドル、イコール、人間化せなあ

かん。俺、だいぶ突っ込んだったいろいろと。だから、あの時に教育

を受けた松本明子なんて、ほんとに、まぁ(笑)。あれは俺の作った作品その1み

たいなもんやから。結局、人間やなかったらあかんの、やっぱ相手が。・・・」

 

でも、トリオザゴミはすごい突っ込まれようでしたなー。  小森みちこが田舎の道端でしゃがんでいます。(なーるほど)立ち上がるとお地蔵さんが出てきました。(わーかるか)ジングル作文、柳沢純子ちゃんはいつも部屋でなにをやってるんですか♪おめちゃん、おめ○〜、等々。 中期でいえば芦川よしみもすごかったですが・・・。

世間一般に名が知れて現在も活躍されているのは、師匠のインタビューにもあった通り松本明子、川島なお美ですが、なお美は鶴光の遺伝子を受け継いでないように感じます。もう一人知名度はイマイチですが、鶴光の遺伝子を受け継ぎアニメとラジオで活躍されている元アシスタントの方がいらっしゃいます。それは日高のり子さんです。

 

のん子「・・・私も、結局ラジオは遊ぶものだという感覚が、すごく自分であって。しか

も相手にしているのが関西のリスナーだから。そうすると、自分がある程度の年

齢になって、聴いている子が下になってくると、その子たちを結局イジメたりす

るやり方が、エッチなことは言わないけれど、鶴光さんと似ている方向性

があるらしいんです。それでリスナーの子が『ずっと思って分からなかったんだ

けど、なんか、その話のもっていき方が誰かに似ている』って。『全然タイプが違

うから気付かなかったけれども、根っこのところで鶴光さんがいます

』って書いてきた子がいて。」

鶴光  「鋭い指摘やな」

 

サンスペアシスタントについては、掲示板の中のアシスタント掲示板にいろいろカキコがありますので是非ご覧になって下さい。(私もカキコしています)そして、何か、思い出、情報がありましたら是非教えてください。

 

番外  歯みがけよー。頭あらえよーとブルーの背広で一世を風靡した作曲家「石坂 ま

さを」先生。数年前、糖尿病を患い生死をさまよったようですが、奇跡的に回復

され、現在も執筆活動、作曲活動をされています。

初めて知りましたが藤圭子さんの作曲で有名になられた先生なんですな。

歴代アシスタント 美詩える 坪谷じゅん ルシーラ 西山真知子 折原真紀 広木ゆみ

(スペシャル除く)榊みちこ 川島なお美 大橋恵里子 芦川よしみ 白坂紀子 河合夕

子 日高のり子 崖っぷちトリオ(日高のり子 浜田朱里 坂上とし

恵)トリオザゴミ(松本明子 柳沢純子 小森みち子)

 

(第3章終り)

 

,常連の章

皆さんは、自分が聞いていた時代の常連(ハガキ職人)の方、覚えてらっしゃいますか。私が覚えている所では、1979年前後の元祖 細川ヒロキ 1980年から2〜3年くらいの武田ヒロアキ、ミスタークリリン、犬の大ちゃん、今野康人、三宅ノブユキ、平賀誠二、亀田万作、井上タツオ、(敬称略)ぐらいでしょうか。私にとっての常連さんとは、ハガキ採用の壁であり、うっとおしい存在であり、その作品を楽しみにしていた部分もあり、尊敬の対象であるというところでしょうか。実際、この常連さん達が番組を盛り上げたことは疑いの余地はありません。鶴光師匠も「全国に一万人以上の放送作家がいるようなもんやからね。」とおっしゃっています。私が常連の壁を乗り越え、初採用されたのは1980年の7月頃、ここまで30ぐらいのボツがあり特別会員になってようやくという感じでした。結局6勝75敗ぐらいでしたが、あの初採用の時の感動興奮は今でも忘れることができません。

 

ハガキ採用のコツとしては、(採用6枚の人間が言うのもおこがましいですが)

     字は極力きれいに、読みやすく ・文章は簡潔に、構成も読みやすさ重視 

・番組の流れを把握する。(把握しとるかー) 以上を守るだけでハガキ採用の確率はアップするかと思います。地元の放送局では、たくさん採用されましたが、サンスペはとにかく難しかったです。

 

鶴光「・・・だから、ああいうひとつの、すっごいブームが起きるのは、やっぱりラジオ

の力やろな。・・・ハガキ一枚見てみ。どんだけテレビにくるファックスと、こっち

側にくるファックスの中身が違うか。やっぱりこっちのリスナーのほうがね、想像

の分野を持っている人間やな。うまいこと書いとるわ。これはひょっとしたら作り

ではないかと思うような。・・・」

 

常連さんは後、構成作家になった方も有り、現在も活躍中の方もいらっしゃるそうです。有名人で現在も活躍中の方の中にもサンスペリスナー、ハガキ職人がいらっしゃるようです。

 

のん子「・・・ヘビーリスナーの投稿マニアの子もいたじゃないですか。でも、あの当時

の作家の方も、もともとはリスナーですよね。」

鶴光 「だから、今やっている放送作家の半分は、『オールナイト』を聴いていた人間がな

っているわ。」

のん子「私、覚えていますよ。その投稿マニアの子として覚えてて。」

鶴光 「俺、全部は覚えてられへん。ただね、俺聞いたのはね、あの人が投稿マニアやっ

たんやって。『課長 島耕作』書いている人弘兼憲史。奥さんの紫門ふみ

さんっていうのも、その紫門ふみっていうのは、その時のペンネームやった

んやて。俺覚えてないねんけどね。それから、『失楽園』撮った監督の森田芳

光、福山雅治、舞の海・・・」

 

そういえば、2000年暮れにフジテレビでオンエアされた「オールナイトニッポン伝説」(東北中心に四局ネット)でも福山雅治氏が述懐されていました。サンスペリスナー、アシスタントが活躍されていることを聞くとうれしくなりますね。

 

(第四章終わり)

 

,ラジオの章 (1)(ラジオに対する想い)

これまでの4章は、私の想い、考え、体験も交えて書かせてもらいましたが、この章からは、鶴光師匠のロングインタビュー及び対談からの引用を中心にさせていただきたいと思います。改めて、出典を記させて頂きます。

 

「ラジオパラダイス」 19871月号 平成9年「オールナイトニッポン大百科」

「ラジアメグランプリ」1999年4月号

 

鶴光「・・・けっこう今は全部タレントまかせやからな。おいらでもそうやったけど、オ

ーディション受けて、若手のときから入って、それをディレクターが演出するって

いうパターンが、もう今はないでしょう?どこかビッグなタレントを呼んできたり

とか、そこそこ名前が出てきた人間やから、結局ディレクターが、あまり言えない

でしょう。『こうしてくれ』っていうのは。よっぽど信頼関係がなかったら言えない。

よっぽど信頼関係がなかったら言えない。・・・やっぱディレクターとタレン

トが同じ年代のやつがやらないかんわ。その番組の勢いのあるときはいいけど

な、だんだんとこういう固まったひとつの番組になってしまう。だから、そいつの

ファンしか聴かんようになってしまう。・・・」

 

鶴光「・・・笑いっていうのは、練って練って練って作り上げていくのが笑いや思うてる

のや。ところが、今のを聴いとったら、これ、なにがオモロイいのかいなっていう

のがわからへんやん。ていうのは、あれ、おじいちゃん、おばあちゃん、中年が聞

いたらわからへんけれども、若い子が聴いたらわかるっていうのは、若い子にレベ

ル合わせてもうてるのやろな。ということは、もっと極端に言うたら、悪く言うた

ら、「あの担任の先生はアホや」とかいうのと同じことやろ、これ?本当言うたら、

全部にわからすものをやらないかんわけ。おいらのほうは、全部にわから

。・・・今のでわかるのは、相手を攻撃しとるなとか、誰それの悪口を言うて笑わ

すという、いわゆる、これはイジメの構造やろ?・・・おいらのは、やっぱ

り嘘でも、練って練って、三段落としになっていると・・・」

 

鶴光「今の笑いはね、結局恐いのは、対リスナーとか客席にいてる人にバーンとストレー

トにかました場合にフォローがない。このフォローがあればいい

 

鶴光「・・・それとやね、今、深夜放送がなんでダメになったかと言うと、結局タレント

に任せきりやねん。あの当時のディレクターっつうのはね、ものすごい凝りよった

んよ。凝って凝って凝りまくりやんか。それがな、今、ディレクターよりタレント

の方が上になってしもうてるから。俺らの時は、まだ新人やん、新人やからディレ

クターが演出できるやんか。ニッポン放送って、だいたい新人引っ張

ってきた方が成功してる。」

有名な所では、所ジョージ、拓殖大学四年生の所ジョージをオーデションしてパーソナリティに起用したのが、オールナイトニッポン。事実上の芸能デビューがLFでした。あと無名のタモリを起用したのもANN。稲川淳二がブレークしたのも、ANNでした。後、新境地といった意味ではデーモン小暮。ユーミン、中島みゆきと言う所でしょうか。

 

のん子「じゃあ、鶴光さんのああいう番組のイメージも、ディレクターさんの演出

も半分あったわけですか」

鶴光「そうそう、両方いろいろ出しとる。だから、いつも俺が思うのはね、声優さんでも

   パーッと人気出てくるやろ。でもアニメというものがあって、その主人公がおって

   その声、1、2、3という。おいらでもそうや。ニッポン放送という大看板があって、

   そのニッポン放送ファンの中に『鶴光の噂のゴールデンアワー』のファンがおって

   、その番組の中で、田中美和子というアシスタントのファンもおるから。その中に

   鶴光という存在があるということを、頭に考えとったらええねんけど。みんな『俺

の番組や』ってなるから錯覚起こす訳・・・」

 

,ラジオの章 (2)(あとがきにかえて、ゴールデンアワーについて)

鶴光「(サンスペ降板直後のロングインタビューです)・・・そやけどな、2、3年前からそ

ろそろ深夜放送引退せにゃあかんな、とは思うとったんです。10年もや

っとればマンネリ化してくるし、オレももう38歳や。そりゃしんどいでっせ。・・・

深夜放送から降板した時には、正直いってホッとしましたわ。肩の荷がおりたっち

ゅう感じでんな。今は、ほとんど主婦向けの、昼ワイドやら、夕方からの番組に転

進してやっとります。 そりゃ、主婦相手相手にしゃべっとる方が楽しいでっせ。

何せ、主婦たちの話には真実がありまっからな。セックスの話にしたって実体験を

話してくるわけやから。それがほんまのことやさかい、逆にいやらしくないん

ですわ。『今日は、久しぶりに亭主にサービスしてやりたいと思っているんですけど、

あのソープランドで使っているマットは、どこで使ってるマットは、どこで売って

ます?』なんていう質問がマジで来るんですわ。それが50歳の主婦でっせ。何か

けなげでかわいいやないですか。それに、どんなにいやらしい話しても、

どっからも何の苦情も来んのですわ。他の人が同じ話すると、ぎょうさん抗議のは

がきが来るそうでっけど、やっぱ鶴光ならしょうがない、みたいなのがあ

るんでっしゃろなあ()。深夜放送を聞いてる中高生が書いてきよるセックスの話は

どれもこれもウソの作り話でっからな、真実の面白みがないんですわ。子供ちゅう

のは、入ってはいけない、タブーの世界に入りたがるんですな・・・・」

 

この部分、「ゴールデンアワー」採用のポイントがあります。実体験のおもしろさ、ペーソスを感じる体験談。まだ、私は採用歴がないので大きいことは言えませんが。(でもお美和子様から返信メールもらったし、抽選で七福神ステッカーもらいました)

 

鶴光「・・・今の番組やる時に変身しようと思うたんよ、夕方の4時やから(現在は3時半

スタート)。僕の一発目の放送なんかほんまにすごいで、『えー、みなさまこんにちは、

春風が吹く四月がやってまいりました、笑福亭鶴光です。奥様方、今何してらっし

ゃいますか?』そんなこと言うとったんや。そんで、俺は変身して玉置宏さんにな

るんだと思ってやってんよ。で、三、四回放送したら、今の亀渕つぁんって言う専

務が(LF社長)『誰があんな放送せえ言うた、あんたの放送で誰もさわやかさ期待

してへんのやから、あんたは昼間からエッチなこと言えるタイプや

ねんから』って、逆戻り。・・・」

 

自著でも語ってらっしゃいますが、亀渕社長は鶴光師匠にとって本当に恩人です。2001年現在の、鶴光師匠の芸能活動としては、LF「鶴光の噂のゴールデンアワー」(平日午後3時30分〜5時半)テレビ大阪「ここ掘れわんわん」司会(土曜日午後3時 時々放送時間が変わります)落語芸術協会の寄席定席出演と、決して全国区の活動ではありませんが、これからも、鶴光師匠を応援していきたいと思っています。

 

いつになるやら、わかりませんが、末広亭ツアー等も考えております。鶴光ファンの皆さんとごいっしょできれば、これほどうれしいことはありません。それでは、又、別の企画でお目にかかりたいと思います。長らくお付き合いいただき有り難うございました。