ギリシャ・ローマ帝国

ギリシャと都市国家
  • 都市国家と民主政治
    ギリシャ人は紀元前2000年ごろドナウ川周辺からバルカン半島南部に南下し、盆地や島々で農耕・牧畜を行っていた。紀元前8世紀ごろ、ギリシャにはアテネやスパルタなどの多くの都市国家(ポリス)がつくられた。
    • ペルシャの侵入
      紀元前5世紀には、東方のペルシャ帝国の侵入を受けたが、市民の力でこれを退け、自由と独立を守った。
    • 民主政治
      アテネの民主政治は成年男子(18歳以上)市民全員が民会(集会)を開き、そこでの決議委に基づいて政治のやり方を決めた。
  • ギリシャ文化
    ギリシャでは、合理的・科学的で人間の豊かな感情や知性を表す文化が栄えた。
    • 神殿や彫刻
      表情豊かな彫刻や美しい神殿が造られた。
    • 哲学
      人間の生き方や政治の在り方などを考える学問(哲学)が生まれ、ソクラテスやアリストテレスなどにより発展していった。
  • ヘレニズム文化
    ギリシャでは、合理的・科学的で人間の豊かな感情や知性を表す文化が栄えた。
    • アレクサンダー大王
      紀元前4世紀、ギリシャ北方のマケドニアの王アレクサンダーにより、ギリシャやペルシャはマケドニアに支配され、大帝国が築かれた。
    • ギリシャ・オリエント文化の融合
      アレクサンダー大王の東方遠征にともない、ギリシャ文化が東方に伝わり、オリエント文明ととけ合ってヘレニズム文化が発達した。
アテネ
民主政治を行い、自由平等を尊重したポリスで商工業が中心であった。全盛期は紀元前5世紀。

スパルタ
貴族中心の民主政治で、スパルタ教育という独自の教育体制のもとで子ども達を育てた。農業が中心であり、アテネを倒して全盛期となる。

アレクサンダーの東方遠征
ギリシャを征服したマケドニア王のアレキサンダーは紀元前334年に東方遠征を始め、ペルシャ帝国を滅ぼし、インダス川流域にまで進出し、10余年の大遠征で大帝国をつくった。
ローマ帝国
  • ローマ帝国
    紀元前3世紀に、イタリア半島を統一したローマは、やがて、地中海を中心とする大帝国となった。
    • オクタビアヌス
      紀元前27年にオクタビアヌスが帝政を開始した。
    • 奴隷
      ローマ帝国は占領した土地の人々をローマに連れ帰り、ブドウやオリーブ・小麦などの大農場で奴隷として厳しく働かせた。また、征服した土地の住民から重い税を取り立てた。
  • ローマ文化
    ローマ人は、ギリシャやオリエントの文化を取り入れ、実用的な文化となった。
    • 土木工事
      水道や道路、共同浴場、円形劇場(コロッセウム)がつくられた。
    • 法律など
      法律を制定するほか、ローマ字もつくった。
奴隷制
ローマでは、奴隷は剣奴として闘技をさせられたり、野獣と格闘させられたりして見せ物にされ、家畜のように扱われた。

スパルタクスの反乱
ブルガリア出身のスパルタクスは、ローマ軍に捕らえられ、剣闘士奴隷(剣奴)にされた。彼は、紀元前73年に約70人の奴隷を率いて逃亡した。多くの奴隷や貧しい人々がこれに加わり、12万人の大軍となって、ローマ軍をたびたびうち破って、南イタリアを占領した後、それぞれの故郷に帰ろうとしたが、ついにローマ軍に敗れ、多くの奴隷達は殺された。これは自由を求める反乱であった。
キリスト教とイエス
  • キリスト教のおこり
    西アジアのパレスチナの人々は、ローマ軍に支配され、重い税に苦しんでいたが、1世紀のはじめ、この地方で生まれたイエス=キリストは、民族や身分をこえた神の愛を説いた。
  • キリスト教の迫害
    イエス=キリストが処刑された後も、キリスト教徒はたび重なる迫害を受けていたが、ローマ帝国の各地に広まり、4世紀にはローマ帝国の国教(国の宗教)となった。
キリスト教
キリストとは救世主という意味で、イエスが救世主として人間界に使わされたのだということが、イエス=キリストの由来である。イエスは、「神は人種や身分の違いをこえて、貧しい者や苦しんでいる者を救う」という博愛を説いて皇帝崇拝と対立するかたちとなった。
表紙
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