インダス文明
インドの文明
- インダス文明のおこり
紀元前2500年頃、インダス川の流域で、麦などを作る農業が始まった。ハラッパやモヘンジョ=ダロなどの多くの都市がつくられるようになり、それらの都市はメソポタミア地方とも貿易を行っていた。これらの都市を中心にインダス文明が栄えた。
- 都市中心
この都市中心の文明は、排水設備のある道路や、れんが造りの建物、公共浴場などがつくられ、石器・青銅器やインダス文字(象形文字)も使用した。
- アーリア人の侵入
- アーリア人の社会
紀元前1500年ごろ、中央アジアに住んでいた遊牧民のアーリア人が、この地方に侵入して先住民を支配し、紀元前1000年ごろには、ガンジス川流域にも進出して10余りの小王国を築いた。
- バラモン
この王国の下ではバラモン(祭りをつかさどる僧)が最も位が高く、王侯や武士とともに平民や奴隷を支配する身分制度をつくった。この身分制度をカーストと呼ぶ。
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モヘンジョ=ダロ
パキスタンのインダス川のほとりに、モヘンジョ=ダロ(「死者の丘」を意味する)と呼ばれる丘の遺跡がある。ここは、インドの最古の文明の跡で、市街は城壁で囲まれ、道路整備も約10メートルの幅で東西南北にはしっている。家々は焼きれんが造り、水洗トイレと下水溝もあり、清潔で衛生的であったと考えられる。
カースト
カーストとは、ポルトガル語のカスタ(血統・種類)から生まれた言葉で、後世の言い方である。アーリア人の社会でつくられたこの身分制度は、バラモンと呼ばれる神官を最高位に、王侯・武士、平民、奴隷の四つの身分に分けられた。各身分の職業は代々受け継がれ、結婚や一緒に食事をすることは同じ身分どうしに限られた。現代ではカーストによる差別は憲法で禁止されているが、現在のインドにも根強く残っている。 |
仏教の発展
- 仏教のおこり
紀元前6世紀末、シャカ(ゴータマ=シッダールタ)はバラモンの身分制度を批判し、人間の平等を主張して仏教を開いた。
- 仏教の保護
仏教を中心とした王国がつくられるようにもなり、紀元前3世紀にインドを統一したアショカ王や、2世紀に領土を拡大したカニシカ王は仏教を保護した。 - 仏教の広まり
仏教はしだいに広まり、インドのほか、東南アジアや中国・朝鮮・日本などに広まっていった。
- ガンダーラとインドの文化
- インドの文化
哲学や天文学が発展し、ゼロの考え方やアラビア数字のもともつくられ、ボンベイ市の近くの石窟寺院のアジャンタの壁画も挙げられる。
- ガンダーラ美術
1世紀の末、パキスタンのガンダーラ地方で、ヘレニズム文化の影響を受け、ギリシャ風の仏教美術が生まれた。仏像や仏画などがつくられるようになった。
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シャカ
仏教の開祖。ヒマラヤ山脈のふもとにあったシャカ族の小国の王子に生まれたが、なに不自由ない生活に疑問をもち、生・老・病・死の苦痛をまぬがれないことに気づいて全てを捨てて出家した。苦行ののち、悟りを開き仏教をおこした。
仏教文化
インド最初の統一国家の王であるアショカ王は征服戦争の犠牲者に心を痛め、仏塔の建立や「仏典結集」(お経の編纂事業)を行なった。その後、ガンダーラ地方を中心に勢力をもった王朝の王であるカニシカ王が仏典結集を行ない、ギリシャ彫刻の影響を受けた仏教美術、すなわちガンダーラ美術が栄えた。 |
ヒンドゥー教
- ヒンドゥー教のおこり
4世紀ごろ、バラモンの教えをもとに、仏教と各地の民間の信仰が入り混じって、ヒンドゥー教が成立した。
- 仏教の衰え
仏教は広い地域に広まっていったが、しだいにヒンドゥー教やイスラム教の広がりでインドの仏教は衰えていき、代わりにヒンドゥー教が栄えた。
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仏教とヒンドゥー教
インドでは4世紀〜6世紀のころから、民衆の間ではバラモン教と土着の民間宗教を融合したヒンドゥー教が盛んとなった。主として来世での救済を説く仏教に対し、ヒンドゥー教は現世での救済を説いて民衆の支持を得た。
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