有名な海賊達

  • バッカニーア
    もともとはヒスパニオラ島で狩猟をしていたのだが、スペイン人に追い立てられたため結束し、スペインの小型船を襲いはじめ、次第に大きな獲物をねらうようになった。
    • フランシス・ロロノア
      最も残酷な男として名を馳せたフランスのバッカニーア。捕虜を拷問して、さらに八つ裂きにした。
    • ロック・ブリジアーノ
      ブラジルに長年追放されていたためこの名が付いている。この野蛮で飲んだくれ男は、二人のスペイン人農夫が食料のブタを提供しなかったからと言って、その二人を串焼きにした。
    • バーソロミュー・ポートガス
      頭がよく大胆でもあったが、せっかく手にした貴重な獲物を数日後に失ってしまったこともある。とらわれの身となったときはワイン樽を浮きにして脱走した。
    • サー・ヘンリー・モーガン
      生まれながらにリーダーの資質を備えており、スペインの植民地、特にパナマを攻撃し、その功績で騎士の位を授けられ、ジャマイカの総督となった。
  • カリブ海の海賊
    平和が戻っても自由と冒険の生活を忘れられなかった多くのプライベーティア乗組員は海賊稼業を再開した。国籍にお構いなく、手当たり次第船を襲って略奪し、海に恐怖をまき散らした。
    • 黒髭(本名:エドワード・ティーチ)
      荒々しく射るような目つきをした凶暴な男で、髪には火のついた火縄を巻き付けており、火薬を混ぜたラム酒を飲み、黒髭を耳の周りに編んでたらしていた。イギリスに生まれ、14人の妻を持ち、本名のほか、ドラモンド、サッチ、タッシュなどたくさんの名前で呼ばれた。
    • エドワード・ロー
      イギリスの海賊船長で、最も残忍な海賊の一人と評判をとった。捕虜のくちびるを切り取り、それを目の前でフライにした。また一方彼は小心者で、ボストンで捨てた息子のことを思いだしては涙を流したらしい。カトラスにかけては並外れた腕前の持ち主だった。
    • バーソロミュー・ロバーツ
      ウェールズ生まれで、おそらく最も活躍した海賊だといわれており、400隻もの船を獲物とした。海賊になったのは自分の船が別の海賊に捕らえられたからであった。
  • アメリカのプライベーティア
    プライベーティアは敵船拿捕許可状を国王は海賊に発行し、敵の船を退治する許可を与え、略奪品は国と分配するという国公認の海賊。アメリカ独立戦争では、プライベーティアの力が大きく発揮された。
    • ジョン・ポール・ジョーンズ
      スコットランド生まれで海賊でもプライベーティアでもなかったが、イギリスの海岸地帯を果敢に襲撃したことによって海賊の名を馳せた。独立戦争時、自分の船をイギリス軍艦に平行させ、ロープで二つの船をつないだ。イギリス艦の砲撃でジョーンズの船は沈没寸前になったが、降伏の誘いを拒絶して「私はまだ戦いを開始していない」と言い返した。3時間後、イギリス艦は降伏した。
    • ジャン・ラフィット
      ハイチ生まれの海賊、プライベーティア、奴隷商人、密貿易者で、弟ピエールとともに1807年当時ニューオリンズの仕事の10%を支配する犯罪組織を運営していた。
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