地中海の海賊

  • 古代世界の海賊
    古代世界において、地中海は海賊の本場であり、ギリシャ海域で、古代エジプトやフェニキアの商船や都市がアカイア人などから盛んに略奪をうけた。ギリシャ海域は、いりくんだ海岸線をかかえた無数の島々からなっており、隙をついて襲いかかる海賊にとっては隠れ場所として地理的によい条件だった。また、当時は広い海原を航行することができない技術しかなく、帆で風を利用しながら岸辺近くの海岸線をそって航行するしかなかったので、容易に海賊の餌食になった。
  • バルバリア海賊
    ローマ帝国の衰退とともに地中海貿易もおとろえて、しばらくは海賊も消滅したが、9世紀ごろから北アフリカ沿岸に定着したイスラム教徒は、地中海を航行するキリスト教徒の船を組織的に略奪するようになった。バルバリア海岸を根拠地として活動した彼らは、ヨーロッパ人からバーバリアン(野蛮人)とよばれおそれられた。彼らは、11世紀末からはじまった十字軍によって活発化した東方交易の富をねらった。
    バルバリア海賊の活動は16世紀前半に最盛期をむかえ、ウルージとハイレディン兄弟は海賊王国ともいうべき一大勢力をきずいた。この兄弟はヨーロッパ人にバルバロッサ(赤ひげ)兄弟とよばれ、イスラム教徒をひきいて盛んにスペイン船をおそった。 当時の地中海には、バルバリア海賊と対決したキリスト教側の海賊も存在し、マルタ島を拠点に、バルバリア海賊に戦った。彼らも捕虜に対しては過酷な拷問をくわえた。この海賊は略奪のみが目的の海賊集団に変化していった。
  • バイキングの活動
    中世のヨーロッパ北方、バルト海や北海周辺では、スカンディナビアを本拠とするデーン人、ノース人などからなるバイキングが活動していた。彼らは、人口増加に伴う土地不足、フランク王国の膨張による危機感などを背景に、9世紀ごろから、当時で他とは比べものにならない造船技術と航海技術を駆使して、イングランドやフランスの海岸をおそい、さらに上陸してロシアの奥地、ボルガ川にまで入っていき、町や村をおそった。
    活動は一時的な略奪行為であったが、しだいに植民、定着するようになり、彼らの一派は、西フランク王からフランス北部に封土をあたえられるなど(ノルマンディ)、しだいに土着化していった。
    バイキングの威力が衰退しはじめたてから、バルト海をあらしまわったのは、スラブ人であったが、それに対抗しドイツの諸都市はハンザ同盟を結成し、13世紀には彼らを追放したが、その制圧にくわわった船員の中から、パイアリットPirateとよばれる新たな海賊集団も生まれた。
海賊のページ
(C) Copyright KS in Japan. All Right Reserved.
mailto:lost@world.interq.or.jp