『週金』を撃つ!

                            中宮 崇

有名キャスター筑紫哲也、反骨のジャーナリスト本多勝一らにより創刊された『週刊金曜日』。その市民・消費者・弱者の立場に立つという仮面のもとに行われる数々の無茶を暴く!

 久しく購読を中止していた『週刊金曜日』を最近再購読しはじめて驚いた。なんとまあ、無残も無残、大無残な変りよう、本多勝一氏の言に代表される当初のジャーナリズム精神はどこへ飛んでいってしまったのやら。全く目も当てられない変わり果てた姿に唖然とさせられた。

 『噂の真相』なんぞのように自分たちの暗黒面を認識し、意図的に歪んだ行動を採っている雑誌と違い、正義を標榜したこの手の雑誌のただのスキャンダル誌への堕落は、オウム真理教と同様に純粋が取り柄の正義真理教徒を同時に破滅へと堕落させるという意味で、全く容認しがたいものである。

 当初の生活者本位の紙面はどこへ行った?真実を追究する態度はどこへ行った?やはりこの手のメディアは、正義真理教徒による自己洗脳的傾向から逃れることはできないのであろうか。日本人がアムネスティのような、真に人権のために働く団体を運営するのは、やはり不可能なのだろうか?ことごとくオウム的性質へと収束してしまう運命にあるのであろうか。



 な〜んていろいろとこじつけていますが、要は『週刊金曜日』が嫌いになったから攻撃するのである(笑)。

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 『週刊金曜日』を見て一番最初に、そしてもっとも大きい衝撃を受けたのが

これ。



  マンガ「蝙蝠を撃て!」

   作・雁屋哲 画・シュガー佐藤



雁屋哲は、某御都合主義的解説説教過剰似非グルメマンガ、「美味し○ぼ」の原作者としても名が知れている。現に、物語の冒頭で、帰国子女問題について登場人物に実に御都合主義的な発言をさせている。

 シュガー佐藤とかいう安易な名前の絵描きについては私はよく知らないが、画風は「マンガ日本経済入門」とかいういんちき本の絵描きの石ノ森章太郎に極めて類似している。ひょっとしたら彼の変名かもしれないが、私は独創性の無い絵描きによるタダノ模倣と見る。もしかしたら、もとアシスタントか?

 以前小林よしのりが『週金』にマンガを連載した際、その読者からえげつない脅迫まがいのFAXや手紙が寄せられたそうだが、このマンガの作者と絵描きのところには何も言ってこないのだろうか?自分たちの歪んだ脳みそに合致するプロパガンダならば、何を書いても許してしまうということであろうか?それとも、『週金』がそのような都合の悪い投書を検閲しているのであろうか。


 さて、プロパガンダはこれくらいにして(笑)、いよいよ内容に入ろう。

 まず題名の意味。何も知らずに題名だけ読んだら、何のことやらさっぱり分からないであろう。内容は決して、ミステリーものではない。別にドラキュラなどが出てくるわけではないから、心臓の弱い繊細なご婦人方も安心していただきたい。

 「撃て!」というのはそのまんま「攻撃しろ!」という意味であり、こちらは誰でも苦労無く理解できるであろうが、問題は「蝙蝠を」である。

 ここでいう「蝙蝠」とは、『週金』ブラックリストに載るような方々、つまり、いわゆる「自由主義史観」の信奉者のようなお歴歴のことなのである。そのような自分たちが気に入らない人間を、一人一人悪意に満ちたえげつない怪物として描いて潰してゆこうというのがこの作品の目的であり、レトロな題名の意味なのである。


 本作品の舞台は、「木の実」とかいうある喫茶店。登場人物は今のところ4名。皆さん大変善良そうで、「この顔でこんな事言うのかい」と大変違和感を感じてしまうのだが。




  荻野遡次 「木の実」店主

    短いあごひげとめがねがチャームポイントの善良そうなおっ

    さん。なんとなく知性が滲み出る顔してる。喫茶店マニア

    の私は、この手のおっさんを一人として本物の喫茶店で見

    たことがないが。

  白木遊美 大学生で帰国子女

    ほんとにほんとに、石ノ森マンガによく出てくるタイプの女

    の子。

  赤池一郎 大学生

    苦労知らずのぼんぼんといった感じ。冒頭で白木のことを

    「典型的な帰国子女で」などと紹介している。日本語能力

    に問題があるようだ。

  水野祥子 「週刊言論」編集員

    べっぴんさんのキャリアウーマンですが、きつそーです

    なー。常に何かに対して怒っているね。


 第1話と2話はイントロで、いかに日本が下らん国かということを読者の頭に植え付ける内容となっていて、私としても大変共感できる内容だからここは攻撃しないでおこう(笑)。

 で、第3話からがこの物語のメイン。どうやら数話毎にその1・その2と構成してゆくつもりらしく、その1は「江藤淳」。

 江藤淳といえば最近某私立大学の退官記念公演の際に大学をぼろくそに言ってちょっとした話題となった御老人であり、いわゆる「左翼」からは「右翼」の思想的リーダーと目されている、極めて過大評価されやすい御人である。最近の自由主義史観に共感する若者の間では、娘の残光を浴びさせてもらっている吉本隆明ほどの知名度もないであろう。そもそもこんな過去の人間を攻撃して どうするつもりかその意図がいまいちよく分からないが、きっとこのあたりが一番攻撃しやすい弱点であると考えたのであろう。なにしろ、マンガの中で彼をほとんどぼけ老人扱いしているから。


 きりがないのでいいかげんに中身に入ろう。

 作品中江藤淳は一貫して、真っ黒でグロテスクな蝙蝠の姿(ごていねいにも、黒く尖った耳まで付け加えられている)で描かれている。その蝙蝠江藤をさして、マスターはこう言う。「親玉といっても所せんは蝙蝠の親玉だ」。それに迎合した取り巻き連中も、「若手が彼の周囲に群がっている」だの、「蝙蝠だけあって群れるのだね」だの、「程度の低い連中ほどすぐ群れたがるのよ」(おひおひ、じゃあ市民運動の連中は?)、「優れた者がいないところでは下らない人間が偉そうに幅を利かせているってことね」(「優れた者」ってだれだ?)などと互いに洗脳しあっている。

 そしてここが重要なポイントなのであるが、「これから取り上げることになる何人かの蝙蝠たちよりも数段うえだ」と江藤を暫定的に持ち上げつつ後で「衰え方がひどい」、「よっぽど衰えてしまったんだね」などとぼけ老人扱いすることによって、これから攻撃する相手達がいかに下らない連中であるかということを読者の心に刷り込む形になっているのである。

 奇妙なことに、ここでなぜかマスターはパワーマックを取り出すのである。そして、「最近記憶力が悪くなってね」などといいながら、その中から江藤淳情報を引き出すのである。一人で深夜、悪意に満ちた江藤淳情報を入力するために画面に向かっているマスターの姿を想像すると涙を誘われるが、アップル社から金をもらっているわけでもあるまいに、女性編集者に「いいなあ、私も買おう」 などとわざわざ一こま丸々使って言わせているのである。西尾幹二教授ではないが、「ほとんど病理の段階ですな」。ひょっとしたら作者は、作品上で宣伝するのと引き換えにアップル社からパワーマックを無償供与されているのかもしれない。

 こういう下らん連中の常套手段であるが、作者はマスターの口を借り、「江藤淳は国民のことなんかどうでもいい「天皇は神聖にして不可侵」という非合理で抑圧的な思想を背景に軍隊・憲兵・特高警察が国民を暴力で支配した戦前のあの暗黒時代に日本を戻したいのだ」などという大曲解を行って読者をだまくらかそうとしている。

 作者は何を根拠にこのような洗脳行為を行ったのか。そのもとになった江藤淳の文章が以下である。



 「日本人にとって本当に大事なものは皇室であり、いざという時に即応して危機に立ち向かってくれる軍事組織であり、それをいち早く運用できる行政組織だった。ところが、そんな事は忘れてしまって、「戦後民主主義」だの平和だの、戦争反対だの戦後五十年だの、そんな事ばかりがさも人間が生きていくための一大事であるかのような風潮がこの日本を支配してきた。そして、その化けの皮が剥がれたのが、この阪神大震災という出来事だったと私は思います。」



 よくもまあ、あそこまで曲解できるものである。大体どこに「天皇は神聖不可侵」などという考えが潜んでいるのか教えて欲しいが、ようするに、「天皇は批難の対象とするのが人間として当然のことであり、少しでも天皇に擦り寄る行為は即、「天皇は不可侵」と言っているのと同じである」という、全く硬直した弾圧精神の現れなのである。

 この江藤淳の発言に対して登場人物たちは罵詈雑言を浴びせ掛け、最後には赤池に「だいたい、阪神大震災を利用してこんなこというなんて被災者に対する冒とくだよ」とまで言わせている。ではあなたたちにお聞きしよう。「慰安婦問題を利用してこんなこというなんて、性奴隷(彼らが好んで使う言葉である)に対する冒涜だよ」とは言えないのであろうか?

 阪神大震災において「自衛隊が来るのが遅い!」、「行政は何をやっている!早く救援物資をもってこい!」というのは極めて広範囲わたって聞かれた意見であり、このような事実を無視して自分たちの意見が阪神大震災において果たした重大な犯罪性を隠蔽しようとするのは極めて悪質である。しかもそれを、被災者という弱者の意見を勝手に代弁している行為は、彼らのいつもの汚い手ながら改めて呆れ果てさせられる。

 これ以降のお話はあまりにも下らなすぎて取るに足らないのでずば〜っと略すが、物語最後のこまがまた笑わせてくれる。 登場人物の配置からしてまるっきり、幼児向けの戦隊物ののりなのであるが、四人の登場人物が並んで(学生たちはこぶしを握り締めつつ決意の表情を作り)、こう言うのである。



  水野「日本を守るためにはこの蝙蝠どもを追い払わなければ駄目ね」

  赤池「よし!蝙蝠どもを撃とう」

  白木「やるわ」



ジャーナリストたる水野が、「追い払う」という表現を何のためらいも無く用いていることに注目しよう。「組み伏せる」ではなく、「追い払う」なのだ。これは、言論をもって相手を説得しようとする態度を最初から放棄し、ジャーナリスト櫻井よしこ氏を潰そうとうごめいている市民運動・朝日的ジャーナリズムの連合勢力のような姿勢を肯定する言ではあるまいか?そしてこのようなマンガを載せた『週金』は、そのような言論弾圧を主力兵器とすることを暗に宣言しているのではないか?

 果たして、「日本を危うくする方向に引っ張っていこうとしている」(マスター談)のはだれか。



 古の大航海時代、未開人たちへの贈り物として一番喜ばれたのは鏡とガラス玉であるという。彼らにもそろそろ、良く磨かれた鏡をプレゼントしてあげようではないか。



                             なかみや たかし・本誌編集委員


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