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   『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』

                  監督・庵野秀明


                                 中宮 崇



 『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』とならび、アニメ界の革命的作品と称される作品がある。それが、『新世紀エヴァンゲリオン』である。

 テレビ東京系での本放送は昨年春に既に終了しているが、その人気はとどまるところを知らず、ビデオやLDはもちろんのこと、CD、ゲーム、マンガ、解説書、そしてオタク本や同人誌等、その売り上げは莫大なものとなっている。その人気作品を劇場化したものが、この『シト新生』である。

 エヴァ(と呼ぶのがツウである)はテレビ放映の時点から、既に様々な議論を巻き起こしていた。元々、監督の庵野は『トップを狙え!』、『不思議の海のナディア』等のオタク受けする高品質な作品を過去に世に送り出してきた奇才である。その彼が長年構想を温めてきたのであるから、アニメ好きの連中を刺激しないわけが無い。

 で、議論が巻き起こる原因についてであるが、要するに「わからない」のである。何がわからないって、何もかもわからない。


 物語の舞台は、「セカンド・インパクト」なる、人類の半分が死に追いやられてしまった大災害から15年後の西暦2015年、東京を始めとする沿岸の大都市のほとんどが水没してしまい、首都を「第2新東京市」(現在の松代)に移転した日本。

 なぜだか来襲が何年も前から予想されていた、生物だかロボットだかわからない敵、「使徒」を迎え撃つために設立された、国連直属の機関「NERV」(ネルフと読む)が運用する、これも生物だかロボットだか全然わからない巨大人型兵器「エヴァンゲリオン」に乗り込む3人の少年少女たちを中心として、話が進められる。

 そのNERVの本部が存在し、3人が日常生活を送る街が「第3新東京市」なる使徒迎撃用の要塞都市なのであるが、敵である使徒は、これもなぜだかわからないが第3新東京市を主に攻撃してくる。

 ここまでは、この手のアニメに良くある許容範囲の「謎」なのであるが、わからないことはこれだけにとどまらない。

 世界を裏から操り、NERVの上部組織でもあるらしい「ゼーレ」、そして彼らが推し進める「人類補完計画」なるプロジェクト。それが何を目的としたものなのかも良くわからない。使徒が何者なのか、どこからやってくるのか、なぜ第3新東京市を襲うのかもわからない。

 きりがないからこのあたりで止めておくが、要するにわからないことが多すぎる。そしてそれらの謎のほとんどは、結局最後まで明かされなかった。しかも最後の二話は、まるで自己啓発セミナーまがいの、主人公の内面世界だけを神秘的に描き出すという極めて異色なものとなっている。駄目押しとして、「使徒」、「死海文書」等の宗教的な言葉をちりばめ、宗教にうぶな日本人の興味をそそる。これで議論するなという方が無理であろう。

 庵野のうまいところは、謎を完全に謎のままにしておくのではなく、ほんのちょっぴりの断片のみを投げ与えておくという点にある。視聴者は、投げ与えられた断片に飛びつき、自分なりにあれこれと仮説を立て、独自のエヴァ観を作り上げてゆく。

 当然それぞれのエヴァ観はかなり違ってくるわけで、そこに議論が発生する余地が生まれてくる。なにかと閉じた世界を形成しがちな「オタク」や「マニア」であるが、彼らを否応無しにコミュニケーションの海に叩き込んだということだけでも、庵野の貢献度は相当大きいといえる。

 庵野としては、本放送だけですべて終わりにしてしまいたかったのではないかと思う。「手抜きだ!」とか「スポンサーの意向で番組が打ち切られたのだ!」とか色々言われているが、彼の中では作品は、あれで完結していたのではあるまいか?

 そもそもこの世の中はなんだかわからない「謎」、はっきりとした解答を出せない問題があふれているのであって、従来のアニメのように、最後に全てが明らかになるなどということ自体が、実社会ではまれであるといえる。そのような「非現実的」なアニメ世界を「現実」に引き戻す、それこそが彼のねらいではなかったか?そう考えれば、「謎だらけ」のエヴァは、十分完結したエヴァとして再認識できるのではないか。

 ところが絶大な人気を得てしまったエヴァは、ファン達の「答えを出せ!」との要求に抵抗することはできなかった。その結果作られたのが今回の劇場版エヴァである。

 元々謎の答えを用意していなかったらしい庵野は、結局映画を納期に間に合わせることができなかった。その結果、今回で完結するはずであったエヴァは、夏まで延命させられることになった(夏に映画第2弾が公開予定)。

 ファンに対して解答を用意する目的で作られた映画である(テレビ版エヴァを見ていない人が映画版エヴァを見ても、絶対になにがなんだかわからない)が、今のところ映画自体謎が多い。大体、「シト新生」という題名自体が何のことだかわからない。「使徒」をわざわざ「シト」などと書いていることもそうであるが、映画の中ではどうも「使徒」が出てくる気配が今のところ無い。使徒と懸命に戦ってきたNERVにとって、今回の敵は人類そのものなのである。人を相手に戦うことなど想定していなかったNERVの本部は、たちまちのうちに朱に染められてゆく。

 映画の中では確かに、エヴァの謎や人類補完計画の「真の目的」について語られている。しかしそれらがどうも胡散臭い。本当にそれらが「真の解答」なのであろうか?どうもそうではない気がしてならない。流れからしてどうやら、「シト」というのは人類のことを指すようにも思えるし、人類補完計画によって人類が「新生」するのだというふうにも受け取れる。


 庵野は今回も結局解答を出さずじまいで終わらせるのではなかろうか。映画を見たファンの多くは、解答を得られた満足感よりも、新たなる謎を見せられてしまったことによる欲求不満の方が遥かに大きかったように思える。それこそが商業主義に押し流された庵野の、ささやかな抵抗であるように思えてならない。


                             なかみや たかし・本誌編集委員


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