メディア・テロリズムの恐怖
中宮 崇
市民の無知に付け込んで、日夜嘘を垂れ流し続ける日本のメディアと知識人。その数々の嘘を暴く!
1969年4月20日、人類初の月着陸。読者の中には、粗い白黒映像として送られてくる月面に第一歩を記しつつあるアームストロング船長の姿に興奮を覚えた方も多数おられよう。残念ながら筆者は、当時はまだ母の体内にさえ存在しない状態であったので、諸氏と感動を分かち合える立場には無い。
ところで、この人類史上空前の一大ページェントについては、当初から妙な噂が囁かれていた。「あの映像は、ハリウッド製ではないか?」。つまり、実は人類は月に着陸などしておらず、すべてはハリウッド映画のような作り物であり、我々はうまくたぶらかされているのであるというのである。
まともな読者ならば、そのような馬鹿げた噂は一笑に付すであろう。しかし、発生から既に約4ヶ月が経ったペルー大使公邸人質事件においては、映画クルーほどの洗練さも持ち合わせていない日本の馬鹿マスメディアによる「作り物報道」によって、我々は今現在もたぶらかされつつあるのである。
メディアに巣食う過激派おやじ
さて、ペルーの大使公邸を「ゲリラ」が占拠しているのだそうだ。はっきり言っておこう。彼らは断じて「ゲリラ」などではない。せいぜいよく言って「テロリスト」であり、どうやら実態はただの「誘拐業者」であるようだ。
日本の馬鹿マスメディアは、「ゲリラ」という言葉を乱用する傾向があるようである。例えば、国内のあちこちで過激派が爆弾を爆発させれば、翌日の新聞の見出しは「同時多発ゲリラ」などとなるのである。その一方で、同様の事件が例えばフランスなどで発生すると、「爆弾テロ」などと報じるのである。
同じような事件を自分たちの都合によってこのように「言い換え」をするのは、日本の馬鹿メディアの特徴である。では国内テロを「ゲリラ」と言い換えることがなぜ、馬鹿メディアにとって都合が良いかというと、日本の新聞社、テレビ局には、60年安保の夢敗れた「闘士」達が、自分たちの過去の過ちを何ら総括することなく、サラリーマン生活を楽しんでいるからなのである。そのような寄生虫どもにとっては、自分たちが一時共感を覚えた過激派どもを「テロリスト」と呼ぶことは、相当難しいことなのであろう。このように、日本のメディアは「公正」でも「中立」でもないということを、まずは念頭に置いておくべきであろう。
「ゲリラ」ってなんじゃろ?
さて、ツパク・アマル革命運動(MRTA)は「テロリスト」である。断じて「ゲリラ」などではない。
一般に、ある武装組織が「ゲリラ」として認められるためには、いくつかの要件が必要とされている。
1、根拠地と、一定範囲の支配地域を持つ
2、正規軍に対して、組織的な戦闘を行う能力を持つ
3、攻撃目標が主に正規軍であり、正規軍の弱体化以外の目的で市民等の非戦闘員
を攻撃しない
以上の要件を見てみた場合、MRTAは明らかにこれらを満たしていない。特に3番目からの逸脱は決定的である。
MRTAはその発足当初から、営利誘拐、物資徴発等からの「あがり」を主要な活動資金としている。今回の大使公邸人質事件の軍資金も、誘拐による身の代金によるものである。
また、卑劣にも彼らの攻撃の的となるのはほとんどの場合、丸腰の一般市民であって、軍隊ではない。今回の事件も、全く丸腰の民間人達を直接ねらった、全く持って許されざる凶悪犯罪である。
このような卑劣な犯罪集団を「テロリスト」どころか「ゲリラ」などと呼ぶことは、それだけで事件の本質を見誤らせる犯罪的な行為なのである。そして日本の馬鹿メディアのほとんどといわゆる「人権派・進歩派知識人」達は、日々そのような犯罪的行為を犯し続けているのである。
「占拠事件」ってなんだ?
奇妙なことに、一部の馬鹿は、今回の事件を「大使公邸占拠事件」などと呼んで平気な顔をしている。これはメディアやエセ知識人どもだけではなく、なんと外務省の官僚の中にもそのような呼び方をしている人間がいるのである。
少し考えてみるとよい。今回の事件の構成要素は二つある。一つは「大使公邸の占拠」であり、もう一つは「民間人を人質に取る行為」である。
さて、人質の存在なくして、MRTAの行為が成立するであろうか?「成立する」などと断言する人間がいたら、いい精神科を紹介してさし上げるべきである。
「人質」の存在なくして、今回の事件は「事件」として成立し得ない。特殊部隊でも突入させれば、それで解決である。それに対して、人質さえ確保しておけば「占拠」などしなくてもMRTAは目的達成の手段を手に入れることができるのである。
この程度のこともわきまえず、「占拠事件」などという呼称を使い続けることは、未だ囚われ続けている人質の皆さんを全く馬鹿にした、無神経極まりない愚行というしかない。
今回の事件は「大使公邸人質事件」なのであって、「大使公邸占拠事件」などでは断じてないのである。
「人質」のことを「捕虜」などと呼ぶ馬鹿ども
MRTAは、大使公邸の民間人達を「捕虜」にしたそうである。過去にも何度も一般市民をたぶらかしてきた馬鹿メディアどもと進歩的知識人どもの中にも、人質のことを「捕虜」などと呼んでいる者がいる。
「捕虜」という言葉には、明確な定義があるし、その資格、身分等は国際法によってはっきりと規定されているのである。結論から言うと、大使公邸にいた人々を「捕虜」にするという行為は、国際法違反の「戦争犯罪」なのである。つまりMRTAは、東京裁判のような国際法廷の場で裁かれても文句を言えない卑劣なことをやっているのである。そして、その卑怯な嘘付きどもに迎合して「捕虜」などという言葉を使う馬鹿どもは、東条やヒットラーを擁護するに等しい愚行を犯しているのである。
「捕虜」の資格、身分等を定めている主な国際条約は二つある。一つは「ハーグ条約」であり、もう一つは比較的良く知られている「ジュネーブ条約」である。その中で、「捕虜」の資格は次のように規定されている。
さて、大使公邸で囚われている方々のどれほどの数が、この条件に当てはまるというのか?彼らは軍人か?ゲリラか?パルチザンか?いや、どれでもない。丸腰の民間人なのである。
「捕虜」とは、軍人やその関係者が一定の身分保証の下に一時的に自由を拘束されている状態を言うのであって、何の犯罪行為も犯していない民間人を「捕虜」などと呼んで自由を奪うことは、重大な「戦争犯罪」なのである。そして日本のメディアに巣食う馬鹿どもは、その凶悪な戦争犯罪に荷担しているチンピラなのである。
MRTAは国際条約違反のゴロツキ
前述のように、MRTAは丸腰の一般市民を「捕虜」などと呼ぶことによって既に、国際法を犯している戦争犯罪人である。ところが、日本の馬鹿メディアが全く伝えない国際法違反が、まだまだ数多く存在する。これらのどれを一つ取っても、悪くすれば極刑を免れないほどの重大な戦争犯罪であるが、主要なものだけ見てみよう。
まず、MRTAは大使公邸への侵入に際して、救急車を装った車両を使用した。戦争映画などを御覧になる方はご存知であろうが、軍隊は、たとえ敵国のものであろうが救護要員とその施設を攻撃してはならない。そして、この決まりを悪用する行為、たとえば、救急要員に変装していきなり敵を攻撃するなどという行為は、極めて卑劣かつ悪質な行為としてこれを禁止されている。その「禁じ手」を、MRTAは事件の始めから用いたのである。
次に、「捕虜」をだしにして身の代金を要求することは国際法上許されていない。また、「捕虜」を敵からの攻撃の「盾」にすることも国際法違反である。さらに、「捕虜」を「使役」するなどということは全く持って言語道断、「捕虜」に食事さえも与える準備をしていなかった(捕虜の食事は、国際赤十字委員会が差し入れている)ということについては、全く持って開いた口がふさがらない。MRTAは「人質」を「捕虜」といて扱うという国際法違反をするだけではあき足らず、「捕虜」として国際法上最低限保証されるべきことさえ守ろうとはしていないのである。つまり、MRTAは単なる犯罪者集団なのではなく、「大嘘付きの犯罪者集団」なのである。
MRTAはペルーのことを考えている?
事件が長期化するにつれ、MRTAの本質が見えてきた。彼らはペルーのことなどこれっぽっちも考えていない、ただの利己的な「誘拐業者」に過ぎない。
彼らが本当にペルーのことを考えているのなら、次のような条件を提示するはずである。
ところが彼らは、これらのことを差し置いて、身の代金をせびったり妻や愛人の釈放を重視したりと、全く改革者らしからぬことばかりやっているのである。
これだけを見ても、彼らの目的が「ペルーの改革」などではなく、「カリブのリゾートで奥さんと一生安楽な暮らしをする」ことこそが真の目的であるということが分かる。
ところが日本の馬鹿メディアは、この程度のことさえもわからないのである。それどころか、「MRTAがやったこと自体は許されないが、彼らの主張そのものには一理ある」などと寝ぼけたことを言う始末。
以前、「ダイハード」という映画の中で、本当は金だけが目的のテロリストが、もっともらしい政治的主張をして警備陣やマスコミを煙に巻くという描写があった。今回、その映画の中の世界と同じ事がおきているのである。
このような「盗人にも三分の理」的思考を持つ馬鹿は、そもそもMRTAなどに「盗人」としての資格自体が存在しないということを理解していない。彼らの世迷言にうなずく馬鹿よりは、ペルーのもう一つのテロ・グループ、センデロルミノソを擁護するシンパの方がまだまともなおつむを持っている。
MRTAは放火魔
ペルーは多額の対外債務、インフレ、失業、貧富の格差等に苦しんでいる。そしてMRTAは厚顔にも、その責任をフジモリ政権に押し付けている。
フジモリ氏は1990年に大統領に就任したが、彼の経済政策によって、深刻だった経済状況は好転しつつある。それだけでもMRTAの主張がただの世迷言にすぎないことは明らかなのであるが、ペルーをこのような深刻な経済状況に陥らせた責任は、実はMRTAにあるのである。
「フジモリの経済政策は貧困層を拡大させており(嘘です)、MRTAはそれを改善させようとして事件を起こした」などと言う馬鹿が未だに存在する。しかしこれは、放火(貧困)を消そうとしている消防夫(フジモリ政権)を攻撃し、放火魔(MRTA)を擁護しているのと同じなのだ。
ペルーの経済状況が悪いのは、フジモリ政権以前の政府の社会主義的政策によるものである。彼らの愚劣な人気取り政策により、ハイパーインフレーション、巨額な対外債務、貧困等の、現在問題となっている経済問題が生じたのである。
そのころの人民政府与党に、アプラ党というのがある。言ってみれば(フジモリ政権ではなく)アプラ党に、現在の経済問題の責任があるわけだが、何と、MRTAの中には元アプラの人間が多数紛れ込んでいるのである!
つまり日本のエセ知識人どもは「貧困の責任はフジモリにある」などと嘘をつくばかりでなく、貧困問題の責任者を擁護するという許されざる犯罪を犯しているのである。
MRTAはメディアを操るのが非常にうまい。長年の平和にドップリと浸かってきたメディア人、知識人どもは、犯罪者どもに良いように操られているのである。
はっきり言おう。今回の事件においては、MRTAにはただの一片の正義も存在しない。そして日夜嘘を垂れ流している日本の馬鹿メディアとエセ知識人どもは、ただの犯罪者どもをまるで正義の戦士であるかのように扱っている。少なくとも、そのような誤った印象を与えかねないことをやっている。これをメディア・テロと言わずしてなんと呼べばよいのか。
今我々にできることは、そのような嘘付きども、馬鹿どもに躍らされない「常識」を身につけることではないだろうか。
なかみや たかし・本誌編集委員