「ゲームの達人」のイカサマ手口
中宮 崇
我々市民をチップにして危険なイカサマゲームを日夜楽しむメディア!彼らのイカサマの手口を暴く!
投書欄、それは決して「読者の声」などではない。限られたスペースの中でどの投書を載せるか、どんな意見の投書を載せるか、その時点で既に「読者全体の意見」から「新聞・雑誌側に都合の良い意見」へと変質している。
多くの新聞・雑誌は、少しでもそのような偏りを無くすために、ある問題に関して賛成・反対の両方の側の投書を載せることにしているところが多い。これによって、完全にとはいかないまでもある程度公平性を回復する事が可能なのである。
ところが、投書欄の「公平性」などの気を配るどころか、意図的に自分たちに都合の良い投書ばかり選んで載せる「見えない言論弾圧」を行う犯罪的新聞・雑誌が存在する。代表的なのは、「朝日新聞」、「週刊金曜日」、「噂の真相」、「世界」である。
この中で「噂の真相」だけは自分自身がその犯罪性と下品さをある程度自覚しているようで、見事なまでに反対意見は排除されている投書欄をそのまま鵜呑みにしてしまう読者は比較的少ないと思われる。また、投書欄の意見に同調して編集部が口を挟むと言う事によって、投書の信頼性について一定の責任を果たしている。有名なのは、「テレビのナレーションが「ネッスル」(有名コーヒー会社)のことを「ネスレ」と呼んでいる。けしからん!」という投書に対して、編集部が「まったく、メディアの人間の質も落ちたものですね」という類のコメントをつけた事件がある。承知のように、これは単にネッスル社自身が読み方を「ネスレ」と変更しただけなのだが、この事実誤認に基づいたとんちんかん発言に対しては、「噂の真相」はきちんと謝罪している。
ところが少しばかり知恵のある「朝日」、「週金」、「世界」などは、もっと手段が巧妙かつ悪辣である。「噂の真相」のように、投書欄に責任をもつ事は絶対にしないし、また責任を問われないようなうまい構成にしている。その悪質な手口を箇条書きしてみよう。
まず1であるが、これは投書の内容について編集部が責任を逃れるためのものである。つまり、たとえ投書の内容がデマや嘘であっても、「悪いのは嘘の投書をした読者ですよ〜」っと言うわけだ。これは別の記事でも書いた、芥川賞作家柳美里脅迫事件において「週金」が使った手である。
「週金」3/14号の投書欄に、こんな投書が載った。
「柳美里さんを脅迫した言葉無き自称“愛国者”」
実はこの事件について「週金」は朝日新聞と違って、「柳さんは“右翼”に襲われた」といったような嘘記事は書いていない。そりゃそうである。柳氏の抗議声明を読めば、彼女は自分が「右翼」などに襲われたとは考えていない事は明らかであるのだから。その代わり「週金」は、責任逃れできる投書欄を借りて、デマを流す事にしたのである。
投書は、「こう毎度毎度無知で幼稚で卑劣な売国的手段」などと書く事によって、この事件を「従軍慰安婦問題」と暗に結び付けると言う情報操作を行っている。また最後の方では、「本誌編集委員らと、対等に暴力抜きで、しかも論理的な言論によって渡り合える*右翼*が現れるのはいつの事だろうか」などと書く事によって、「柳さんを脅したのは右翼だ」との印象を与えかねない悪質なプロパガンダを行っている。
そもそも、「週金」に「論理的右翼」などというものが登場できると思っている時点でそうとうおめでたい読者であるのだが。そんな「右翼」に、「週金」編集部が誌面を提供してくれるはずがないのである。決してこんな馬鹿な読者になってはいけない。
次に、2の「とんちんかん反対投書」についてである。例えば従軍慰安婦問題において、3紙は「日本はアジアの女性を問答無用で駆り集めて*性奴隷*にしたくそ国家である」という投書ばかり選んで載せる事を基本姿勢としている。だがそればかりでは「偏っている」との批判を受けかねないから、たまに「とんちんかん投書」を載せる。例えば元軍人の、「昔は仕方がなかったのです」といったような投書である。この場合も大抵、「でも今は後悔しています」という書き方を同時にしている「とんちんかん投書」を選んで載せる事は忘れない。
「ホンモノの、核心をついた反論投書」は決して載せられない。「従軍慰安婦は軍によって強制連行されたわけではない」といった投書は決して載らない。「そんな世迷言は載せる必要はない」とでも思っているのだろう。確かに世迷言かもしれない。その可能性は十分にある。しかしそれを言うなら、「地球は回っている」というガリレオの言葉だって昔は「世迷言」とされてきたのではないか?彼ら大新聞・大雑誌は、見えないところで情報操作をして我々市民をたぶらかそうとしているのである。見えるところで言論弾圧を行っていた、中世の宗教裁判所よりも遥かに悪質である。
最後に3番目、「おんな子ども」の利用である。これは朝日新聞が良く使う手であるが、これほど我々市民を馬鹿にした手はない。我々の知性にではなく、感情にのみ訴えようとしているのだから。あの嘘つき童話「一杯のかけそば」と同じである。
朝日の投書欄における投書者の年齢や職業を注意深く見てみるとよい。一定の方向性が感じられるであろう。平均的なサラリーマンの投書はあまり出てこない。その代わり、「子ども」、「老女」、「主婦」の声はあふれている。たまに出てくる大人の男性も、「団体職員」とか「教員」である。これが果たして「公平な投書欄」と言えるであろうか。
確かに平均的サラリーマンは忙しくてあまり投書など書けないといった事情があるのかもしれない。しかしそれなら、「団体職員」や「教師」はそんなに暇なのか?なるほどこれは、彼らのような怠け者に払う給料を減らすためにも、税金は安くしてもらわなければならないだろう。
「朝日新聞」、「週刊金曜日」、「世界」は、危険なゲームを楽しんでいる。チップとされるのは我々市民であり、ゲームの勝利条件は「うまく市民を騙す事」である。そして遺憾な事に、これまで彼らは成功してきた。
しかしこれ以上彼らに勝利をもたらすのは危険である。既に日本は限界に来つつあると私は考える。彼らのような「ゲームの達人」に対抗するためには、彼らのイカサマの手口を我々市民がもっと良く知らなければならない。この記事がその一助となることを切に望むものである。
なかみや たかし・本誌編集委員