「目利き」が断ち切る「操り糸」



                             中宮 崇



「見えない言論弾圧」のもと、我々市民はいかに生きればよいのか?


 嘘つきメディアや「人権派」、「市民運動」の連中に言わせると、ペルーは人権抑圧国家なのだそうだ。だいたい、今まで全然興味を持っていなかったくせに人質事件発生とともに一斉にわめき出すとはなんとも作為を感じるが、とにかく連中はそう信じている。

 なるほど、確かにフジモリ氏は1992年にクーデターを起こして腐敗議員や汚職裁判官を一掃した。なるほど、テロリストがぶち込まれている刑務所の待遇は相当悪い。なるほど、即決裁判で無実の人が多数捕まっているらしい。

 が、これらはすべて、真の民主主義国家を作り上げるための「革命」だった。少なくともフジモリ氏自身はそう言っている。

 「人権派」や「市民団体」を騙る連中は、事件が解決した今、東京のペルー大使館に押しかけ「フジモリによる虐殺」を口汚なく批難している。14人のテロリストが殺された事が、「虐殺」なのだそうだ。このような恥じも恩も知らない卑劣漢どもは単に、自分たちの情緒不安定により生じた怒りを手近なものにぶつけているヒステリー集団にすぎない。たまたまペルーが話題となっているからペルーを攻撃する、それだけの安易かつ脳みその足りない連中である。

 彼らが真に世界の人々の人権について考えているのならば、なぜ北朝鮮に抗議しないのか?なぜ中国大使館前でデモをしないのか?ペルーと北朝鮮と、いったいどちらが人権侵害国家か、フツーの頭を持っていればわかりそうなものだ。つまり、連中はフツーの頭を持っていない。

 昨年、フランスが太平洋のムルロワ環礁で核実験を行った時に威勢良く乗り込んでいった「市民運動」の連中も、直後に行われた中国の核実験のときはなんとなくうやむやにした。中には、「中国や北朝鮮の核は全然危なくない」などと言い切るスットコドッコイもいる。朝日新聞の投書欄で、フランスを批難したものと中国を批難したものと、数を比べてみるとよい。連中は、中国を批難する投書は意図的に握り潰している。我々の知らないうちに、我々の言論が「なかったこと」にされている。これこそ究極の言論弾圧ではないか?

 今回の事件に乗じて連中は、朝日新聞のようなメディアを通じて「日本政府は独裁者フジモリを経済的に援助している」というとんでもないデマを垂れ流している。仮にそれが真実だったとして、では独裁国家北朝鮮や、中国に対してなら経済的に援助してもよいというのか?「北朝鮮は食糧危機が起きているから援助しよう」と言っていた連中が、なぜペルー人が飢えるのは見過ごせるのであろうか。このように、連中の行動はつねに偏見に満ちている。

 北朝鮮や中国がやっている事を、ペルーがやってはいけないと言う。しかも、中国はともかく北朝鮮は、独裁体制を維持するために援助を用いているのにである。ペルーは少なくとも民主主義の正常化を目指している。それでも連中は、北朝鮮や中国は見逃して、ペルーだけをまるで悪魔の国家であるかのようにあしざまに罵倒する。同じ人間として、これほど恥ずかしい事はない。

 最近の報道によると、ペルー事件で大使公邸に特殊部隊が突入した際、MRTAのテロリストの一部が投降後に射殺されたそうだ。この報道自体、誰が証言しているのかわからない、朝日の流した「怪情報」なのであるが、連中に言わせると、「ペルー政府が突入時の情報を完全に公開していない以上、どんな憶測をされても仕方がない」のだそうだ。つまり、どんな嘘やデマを垂れ流されても、すべてペルー政府が悪いというのだ。これほど無茶苦茶な論理があるであろうか。

 仮にその論理を認めるとしよう。では、北朝鮮によって拉致されたとされる多数の日本人が存在する事については、彼らはなぜ北朝鮮に対して同じ事を言わないのか?連中は、「北朝鮮が拉致したという確証はない」などとうそぶいていたのではなかったか?「やい、北朝鮮、情報を開示しろ!そうしなければ、日本人を拉致したと憶測されてもそれはあんた自身が悪い!」と、なぜ言わない?ペルーに対しては威勢が良いが、なぜ北朝鮮に対しては同じ態度がとれない?

 理由は簡単だ。彼らは、北朝鮮の「チュチェ(主体)思想」や共産主義に洗脳されたテロリストであるからだ。始末が悪い事に被洗脳者は、自分が洗脳されているなんてこれっぽっちも自覚できない。「自分は自分の考えで、正義のためにやっているのだ」と思い込んでいる。ちょうどオウム信者のように。



 「人権派」とか「市民運動」などと称する連中のやる事を、額面通りに受け取ってはならない。彼らの背後には常に、日本を傷つけようとする悪の黒幕がいる。黒幕の正体は明らかだ。朝日新聞などの嘘つきたちによって戦後一貫して洗脳されてきた人間の多くが、彼らの単なる操り人形となっている。しかもその操り人形は、自分自身でショーを演じていると信じているピエロである。

 我々市民は、子孫に残すべき誇れる社会を残すために何をすればよいのであろうか?答えは簡単である。「人権派」や「市民運動」を騙る嘘つきテロリストどもを排除し、真の「人権派」、真の「市民運動」を再編成しなければならない。しかし言うは易く、実現は困難である。既に朝日新聞を始めとする日本のメディアのあちこちに入り込んで、さりげなく我々市民の声を握り潰し情報を操作しているている言論テロリストどもがあふれている日本において、我々市民が取りうる手段は極めて限られている。

 しかし、嘆いているだけでは何も変わらない。まずはメディアを疑う習慣を身につける事である。「人権」や「市民運動」と言う言葉を鵜呑みにして、「これこそ正義!」と早とちりしない事である。これまで見てきたように、彼らの中にはそうとうの数の「まがい物」が紛れ込んでいる。

 あふれるまがい物の中からホンモノを見分ける事のできる鑑定眼を持つ、それこそが、日本を変えるためのもっとも確実な第一歩といえる。そのような市民が日本にあふれるとき、連中のごとき「エセ人権派」、「エセ市民運動」の操り糸が断ち切られるのである。



                                なかみや たかし・本誌編集委員


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