「これ、そちに抗議文をくれてやろう」
中宮 崇
相手の都合も考えずに「抗議」とやらで押しかけ、「せっかく来てやったのだから抗議文を受け取れ!」とわめく、常識はずれのエセ人権派!
自らの破廉恥な行為を全く反省する事のない日本のエセ人権派がペルー大使館に押しかける計画を立てていたという事は、本誌今週号記事「涙と罵声と」でもお伝えした通りである。
その市民として恥ずべき行為が、ついに4月の28日に行われてしまった。唯一の救いは、そのような卑劣漢の数がたった30人ほどであったということであろう。さすがに市民の多くは、良識と品性とを投げ捨てるようなこのような行為に賛同することはなかった。
そもそもこの抗議行動は、「フジモリ政権の国家テロリズムの発動に抗議する」と銘打っているのだが、彼らエセ人権派が支援するMRTAのような卑劣な犯罪集団による市民へのテロに対して、ペルー当局が武力を行使したからといって、それを「国家テロ」とは何事か。
たとえフジモリ氏の行動が「国家テロ」というべきものであっても、MRTAのような犯罪者がいなければ、その「国家テロ」とやらを行う必要もなかったはずである。彼らエセ人権派の頭の中では、卵と鶏とが見事にひっくり返っている。
彼らエセ人権派は言うであろう。「ペルーの深刻な貧困状況が、今回のような事件を生んだのだ」と。たとえそれが本当だとしても、1990年にフジモリ氏が大統領に就任して「国家テロ」とやらを行うようになって以来、ペルーの経済状況は確実に好転している。つまり、フジモリ氏はテロの発生する土壌を確実に改善させているのだ。
無責任かつ低能なエセ人権派にとっては、フジモリ氏が魔法の杖でも一振りして一瞬のうちに、ペルーを日本のような先進国にしない限り、満足できないのであろう。
だいたい、それほどペルー人の事を考えているのならば(実際は考えてはいないのだが)、まずは自分の収入からペルーに寄付でもしたらどうか。筑紫哲也ほどの収入があれば、数百人のペルー人が確実に救われるであろう。
ところが彼らは、自分のポケットから金を出す事を拒んでペルー人を見捨てるばかりか、日本の対ペルー援助まで止めようとしている。「ペルー人は死ね」と言っているようなものだ。言行不一致とはこの事であろう。ま、彼らのような連中にはいつも見られる現象であるが。
だいたい彼らは傲慢である。当日の「抗議行動」は、ペルー大使館側に何らアポを取らずに行われたものだ。いきなり徒党を組んで押しかけ、「ほら、これが抗議文だ。ありがたく受け取れ!」というのだ。かわいそうに、エセ市民運動にばかり熱を入れすぎて、実際の市民生活におけるマナーを忘却のかなたに送り込んでしまったらしい。いや、もともとそんな常識を備えていなかった人間だからこそ、このような非常識な運動に加わっているのかもしれない。
初対面の人間に会いに行くときに事前にアポを取るというのは、世間では当然の常識であると思うのだが。それとも、いきなり多数で押しかけたら、ペルー大使館側がビビッて抗議文を受け取ってくれるとでも思ったのだろうか?テロリストに対して、あれだけ毅然とした態度を取った国の大使館である。日本のエセ人権派のような下らん連中の脅しなんぞに屈するはずがないのであるが。多分、自分たちの立場や影響力というものを客観的に判断できなくなっているのであろう。彼らの運動が既に、単なる自己満足の段階に入っているという証拠である。いや、最初からそうだったのかもしれないが。
今回の恥ずべき行動には、本誌でもしばしば批判している『週刊金曜日』の編集部の人間が同行していた。5/9号の「編集部から」欄に、以下のような記述があった。
「抗議文を渡したい」という市民の要請には「直接受け取る
システムになっていない」ので「電話でアポをとるか、郵
便で送れ」と言ったそうである。わざわざ持っていったのに。
ペルー大使館側の人間の対応は、極めて常識的である。だいたい、先日もデンマークで、MRTAに賛同する目立ちたがり屋の跳ねっかえりどもと馬鹿メディアがペルー大使館を占拠したばかりである。事件中からMRTAに同情を寄せていたような連中を、そのまま大使館の中に入れる方がどうかしているし、そんな連中の「抗議文」とやらを受け取るなどという危ない事ができるはずがない。もしもそれが、かつてオウムが青島東京都知事を狙って送り付けた「手紙爆弾」のような危険なものだったらどうするのか。その可能性が全くないわけではあるまい。
そのような事もわきまえず、「わざわざ持っていってやったのだから、受け取るのが当然だ!」と言うのだ。あほである。
本誌は、『週刊金曜日』を始めとする筑紫哲也関連団体に、来週中に公開質問状を送る予定である。当然彼らは、我々市民が「せっかく持っていってやった」抗議文を受け取ってくれるであろう。アポを取らずに行ったとしても。彼らが、他人に対して居丈高に要求するような事を自分たち自身でできるのかどうか、今から非常に楽しみである。
なかみや たかし・本誌編集委員