『言志人』誕生!
中宮 崇
GENSHIJIN、この妙ちくりんでアナクロっぽい名前(笑)は、いかにして考え出されたのか!
新雑誌を創刊するに当たって編集部がもっとも頭を悩ますのは、その内容はもちろんではありますが、何と言っても雑誌の名前なのだそうです。なにしろ廃刊(休刊)までず〜っと看板となって付きまとうわけですから、下手に手を抜いたらえらい目にあいます。悪くすると、雑誌そのものの売り上げに響いてくる。
我が編集部も、新雑誌の名前には相当悩みました。日の目を見ずに消えていった「代案」は、10や20ではありません。え?例えばどんなのがあったかって?それは聞かないでください。ほとんど、吉本新喜劇の世界になってしまいますので(笑)。
結局『週刊言志人』という現在の名前に落ち着いたわけですが、読んでそのまんま、「言葉(言論)によって志を遂げる」とか、「言葉(言論)に志を込める」と言ったような意味合いを含んでおるのであります。
また、誰でも気付く事ではありますが(笑)、「原始人」という言葉にも引っかけてあるわけですね。また、「言始」という言葉にも引っかけてある。後者については、毎月一度の「言始週間」という提言週間と関連してくるわけですが、前者については、実はもとネタがあるのです。
最近は結構有名になってきて「朝まで生テレビ」などにもちょくちょく出てくるようになった、呉智英(「ご・ちえい」ではない。「くれ・ともふさ」)という評論家がいます。
彼がマスコミにあまり出てこない事にはちゃんと理由があるのですね。あまりにも危険すぎるのです。危険といっても江頭2:50みたいに、テレビで素っ裸で踊ってしまうような危険さではなく、要するに思想的に危険。
と言っても、別に右翼ではない。右翼とか左翼とかを超越した危険さなのです。何しろ自ら、「封建主義者」と称しているぐらいで。「市民のためのオピニオン誌」と銘打っている本誌としても、到底思想的に容認できない。でも、思想うんぬんを越えた魅力が、彼にはあるのですね〜。
右翼とか左翼とか言った概念は、「民主主義」というものを中心において、そこからどれだけ国家主義か個人主義かで決まってくるものだと思うのですが、そういった前提としての「民主主義」や「人権思想」自体を、呉は否定する。エセ人権派に乗っ取られているメディアにとって、これほど危険な御人はいない。
ここでは呉氏の思想的立場に踏み込む事が目的ではないので、この話はこれぐらいにしておきましょう。
テレビで干されているせいか、彼は結構たくさん本を書いていて、それがことごとく面白い。思わず編集委員も「封建主義者」に転向してしまいそうになるぐらいの面白さなのですが、彼の著作の中に
『バカにつける薬』
呉智英 双葉社
という、身も蓋もない題名の本があります。その中に、民主主義や人権思想を皮肉に風刺する目的で書かれた(と思われる)、「民主社長の肖像」という、エッセイ風の章があるのです。
これは、東京の本郷で零細な出版社を経営している、元左翼運動闘士の「民主社長」を呉の目を通して描いたものです。「民衆のため」「民主主義のため」に生きていると信じている社長が、社員を無給でこき使ったり、ライターをあごで動かしたりといった姿を、決して嫌みっぽくなくユーモラスに描いている、呉作品の中の秀作です。
その民主社長がある日、「新雑誌を作ります!」と呉を電話でたたき起こすという場面があるのですが、その時の新雑誌の名前が何を隠そう、『月刊原始人』だったのです。
このくだりがまた面白い。雑誌名をいきなり聞かされてぶっとんだ呉が、社長から「この雑誌に、「帝王学入門」というのを書いてみませんか?」と聞かされて「あ、結構面白いかも」とちょっと期待したその直後、民主社長の「第一章。帝王はコカコーラを飲まない、第二章、帝王はスニーカーをはく。第三章…」という言葉に見る見る失望して行くという描写が、他人事ながら実にアワレ。社長としては、「資本主義や科学文明に毒されない帝王の姿」というものを書いて欲しかったらしいのだけど…。
結局呉の、「その雑誌、アフリカへでも輸出するつもりですか?」と辛辣な言葉で企画倒れになったらしい。
幸いな事に本誌は皆さんのおかげで、アフリカの顧客などを探さなくても国内のみでなんとかやっていけています(笑)。
呉の「封建主義」とは相容れませんが、彼の思考法や批判精神には大いに共感するところもあり、その志のほんの一部でも共有させていただき、まあ何とか今までやってきた次第です。
『週刊言志人』、う〜ん、これ以上ぴったりの名前はないね!
なかみや たかし・本誌編集委員