出でよ、オピニオン・サイト!


                               中宮 崇


皆さんも、本誌のように独自にオピニオンを流してみませんか?


 「言論の自由」、良い言葉ですね〜。真の民主主義を実現するためには是非とも必要な原則です。

 ところが最近、メディアやエセ人権派はこの基本原則を踏みにじるような事を平気でやるようになってきているのです。恐い事です。

 以前は彼らももう少し、こそこそと隠れてやっていたものなのですが、最近は結構大胆になってきた。本誌でも取り上げた「櫻井よしこ弾圧事件」なんてのがその典型ですね。ジャーナリストの仕事を、脅迫によって奪うようなことをした団体の名前が「神奈川人権センター」とか「神奈川人権フォーラム」って言うのだから、ほとんどジョークの世界です。こういう笑えないジョークが、最近の日本では余りにも多い。

 こういう連中の弾圧行為は論外ですが、「言論の自由」というすばらしい原則も、それだけでは実が伴わないと思うのです。

 どういうことかというと、個人がいくら「言論の自由」の下に何か発言したとしても、それを新聞やテレビなどのメディアが意図的に無視したりしたら、実質的な力は持ち得ないわけですね。私などは、右翼が暴力に訴えがちになるのはそんな理由からなのではないかと思うのです。いくら声を大にして訴えてもどこのメディアも取り上げてくれなかったら、私だってどこかの新聞社にでも殴り込むかもしれない(笑)。

 それ以外にも、「言論の自由」の下にものを自由に言うと政治家としての地位を失ったり、ジャーナリストとして活動できなくなったり、職場で仕事しづらくなったりということが実際に起きており、これらはいずれも「言論の自由」を実質的に無力化していると思うのです。これでは真の民主主義など望むべくもない。

 こういう息苦しい、メディアやエセ人権派によって「言論の自由」の抑圧された日本において、インターネットという新たなる武器を用いて真の「言論の自由」を実現しよう、そんな考えから生まれたのが、『週刊言志人』なのです。

 『週刊言志人』は、表面的には、ただのオピニオン誌です。しかし実は、もっともっと深いものが隠されているのです。

 今アメリカなどでは、独立系のラジオ局によるオピニオン番組が非常なブームで、それこそ全米に星の数ほど続々と現われている。その扱う内容も、宗教から政治まで、右から左までと、千差万別。聴視者は、自分の好みに合った意見を流している番組を必ず一つは見つけられるのではないかと思えるぐらい、多種多様なのです。それらがお互いに切磋琢磨しつつ、より良質のオピニオンを日々流し続けている。

 数社の新聞社とテレビ局によってオピニオンが独占されている日本と違い、アメリカの市民は、多くの見解を異にするオピニオンの中から、比較検討して自分の立場を確立する事が可能なのです。さすが、自由の国アメリカですね〜。あの国は色々と問題点もあるが、こういうところはやっぱり日本は見習うべきでしょう。

 で、『週刊言志人』に話を戻しますが、ようするに、インターネットでアメリカと同じような事をやってしまおうという事なのです。つまり、将来的には本誌のようなオピニオン誌が、インターネット上にそれこそ星の数ほど出現するような状況が発生する事を望んでいるわけです。

 本誌がオピニオン誌として成功することができれば、後から続いてくる人たちの手助けになると思うのです。例えば、蓄積したノウハウを教えてさしあげたり、本誌からリンクを張ってさしあげて、立ち上げをスムーズにしたりと。そのための「みんなで広げよう、オピニオンの輪!」なのです。

 また、商業的に成功を収める事ができれば、より質の高い誌面作りを行う事もできますし、資金面でさらに積極的に、真の市民運動やなんかを後押ししてさしあげる事もできる。場合によっては、政界の黒幕になることもできるかも(笑)。

 しかし、あまり商売に熱を入れすぎると、既存のメディアのように、真の言論活動に支障をきたしてしまう。本当に言いたい事が言えなくなってしまいますから。本誌の表紙広告スペースの上限が18と制限されているのは、そういう理由があるのです。広告スペースの供給を過小(今は全然過大ですが(笑))にしておけば、それだけ独立性を確保できるでしょう?そこまで考えないと、真の言論活動はできないと思うのですね。

 現在日本では、「公平な報道」なんてことが言われていますが、私に言わせればちゃんちゃらおかしい。人間である以上、完全に公平に物事を捉えるなんてことができるはずがない。朝日新聞なんかは、「公平」をうたい文句にしているくせに、裏では全然不公平な事を隠れてやっている。非常に悪質です。個々の報道機関のそれぞれに「公平な報道」なんてものを求めるから、こんなろくでもない事になってしまうのではないでしょうか。

 欧米では、個々の報道機関の「公平な報道」というのはあまり重視されていません。それよりも、報道機関の数自体を多くして、それぞれが独自の立場から報道をする、市民はそれらを自由に選択できる、それによって全体として、「公平な報道」が実現できるというのが、欧米流の考えなのです。

 欧米のものをなんでも真似しろとは申しませんが、こういうところはつまみ食いしてもよろしいのではないでしょうか。つまり、日本でももっと報道機関の数を増やして、全体としての「公平な報道」が実現されるのが良いのではないかと考えるわけです。

 だいたい、一家庭一紙などという日本独特の「宅配制度」なる、新聞社支配体制がなければ、朝日新聞のようなメディアがこうも売り上げを伸ばす事はないと思うのですがね〜。

 まあ、「報道機関」なんていう御大層なものではありませんが、大新聞やテレビ局とは違った見解を流すことによって、全体としての「公平な報道」を実現するための一助となればと思います。

 来れ若人、出でよオピニオンサイト!あ、熟年の方、ご老人の方ももちろん大歓迎です(笑)。


                                 なかみや たかし・本誌編集委員


前のページへ