メディア・リテラシーのすすめ
中宮 崇
今日本に必要なのは、「メディア・リテラシー」教育!
みなさんは学校で、本の読み方について嫌というほど教えられましたよね?「作者はこの文章でいったい、何を訴えたかったのでしょう?」などという問題が、国語のテストではあふれている。
ちなみにある作家は、自分の作品が国語の試験問題に採用されているのを見てこう叫んだそうです。「俺は、こんなこと訴えたくて書いたわけではない!」。
日本の国語教育における読書指導は、確かに多大の問題をはらんではいます。例えば他にも、「読書感想文」偏重教育とか。夏休みなどには、多くの方が「今年は何を読もうか?」と悩まされたのではないでしょうか?その挙げ句、本の後書きを丸写しして提出し、先生に大目玉を食らったという方も多いのではないかと(笑)。
「本を批判的に読む」ことを教えないとか、色々問題があるにせよ、少なくとも「本の読み方について教えよう」という姿勢だけはある。
ところが昔と違って、現代人の日常生活のためには、本などは実はあまり重要ではない。それよりも、テレビや新聞の方が情報媒体としてはずっと利用されているし、影響力も大きい。
ところが学校では、新聞の読み方はもちろんの事、ましてやテレビの見方なんぞ全くと言ってよいほど教えてくれません。「テレビばかり見るな!」と、無駄な叱責を加える先生は未だに多いですが(笑)。たまに新聞を教材に使っても、あの忌むべき朝日の「天声人語」かなんか持ってきて、「この記事を書いた記者は、いったい何が言いたいのでしょう?」などと馬鹿な問題ばかり作っている。何の疑いも持たずに朝日の記事を鵜呑みにする読者が大量生産されるのもうなずけます。
ところで、欧米には「メディア・リテラシー」という概念があります。直訳すれば、「メディアを読み聞きする能力」とでもなりましょうか。つまり、「新聞とかテレビなどを正しく利用するには一定の訓練が必要」という考え方なのです。その考えに基づいて、学校でもきちんと、新聞やテレビの利用の仕方を教えています。
カナダなんかはこの考えが特に進んでいて、「テレビや新聞は読者を騙す事がある」なんてことは基本中の基本として、義務教育の段階から教えられている。教材としてナチスのプロパガンダ映画なんかまで利用される事がある。文章を何の批判もなく素直に頭に染み込ませるような教育ばかりしている日本とは、えらい違いです。
朝日などが読者をたぶらかすときに良く利用する「関係者筋によると」などという情報源不明の書き方や、投書欄作戦、一部だけピックアップして大きく書きたてるやりかた等、ゴロツキメディアの手口なんか隅から隅まで教えられるから、市民は非常に大きな抵抗力をつける事ができるのです。
日本の社会には「本を読むためには一定の訓練が必要である」との前提があり、義務教育もその前提に基づいて行われているのに、「新聞やテレビを正しく利用するには訓練なんぞ必要ない」などという考えが堂々とまかり通っているのはなぜでしょう?メディアにとっては、その方が都合が良いのかもしれませんが。特に朝日なんかにとっては。
この「メディア・リテラシー」教育、日本のような国では特に必要だと思うのですけどね。だって、新聞はほとんど「一家庭一紙」で半永久的にある特定の新聞だけしか読まないし、テレビ局は完全に新聞社の系列に組み込まれているし。だいたいニュース番組だって、特定のものしか見ない人が多い。その日の気分によって「今日はザ・ヒューマン、今日はプラス・ワン」なんて方は少ないでしょう?
つまり日本人の多くは、かなりの長期にわたって、ひょっとしたら一生、ある一つの新聞や特定の局のニュース番組だけ見てすごす。これではオウムのマインドコントロール以上ではありませんか。せめて「メディア・リテラシー」教育を受けているのならまだしも、こんなことでは日本は「被洗脳大国」になってしまいます。いや、もうなっているかもしれません。
最近は比較的情報が多くなってきましたから、メディアの洗脳作戦を脱する人が多くなってきていますが、まだ数としては一大勢力にはなり得ないでしょう。社会の多くのところでは未だに、「新聞やテレビが言っている事は正しい」と考えている人が多いですから。
最近のアンケート調査によると、TBSの「オウム・坂本弁護士ビデオテープ事件」のせいもあってか、「メディアは胡散臭い」と考えている人は結構多くなってきているようです。しかし、「メディアは嘘をつく事もある」とまで考えている人はやっぱり少ない。そこまでメディアを批判的に捉える事のできる人の数が増えてこないと、メディアによる洗脳を押し止める事は難しいでしょう。
カナダにおける「メディア・リテラシー」教育の発端は、ある小さな市民グループによる働きかけだったという事が、以前NHKスペシャルで放送されていました。そりゃあそうですね。こんなことをメディアや政治が好んで推進するはずがない。彼らにとっては、情報を鵜呑みにしてくれる市民の方が都合が良いのですから。
いずれにせよ、日本の未来を明るいものにする事ができるかどうかは、我々市民の今後の行動にかかっていると言えるでしょう。メディアや政治に任せておいたら、少なくとも今より良くなることなどない事は明らかだと思います。
「市民の今後の行動」ったって、別に「デモをやれ!」とかそんな事ではないのです。やっても構わないし一定の効果もあるでしょうけど、そんなことよりも、普段からメディアを批判的に捉えるような習慣をつける事の方がよっぽど重要であると思います。その上で、たまに身近な人に、「この記事、ここのところが変だよね」とか話して、「同志」(笑)を少しずつ増やしてゆく、そういう地道で地味な、無理のない活動こそが、日本を本当に変えることのできる一番確実な道であると思います。
キーワードは、「メディア・リテラシー」!
なかみや たかし・本誌編集委員