嘘つき『朝日』の大冒険−4
――― 敵は「死刑囚」なり! ―――
中宮 崇
味方には優しく敵には厳しい朝日のどこに、「公平な報道」姿勢があるというのか!
同じような立場にある人間をならべて見たときに、彼らの境遇を表すに同じ肩書きを用いる、それこそが「公平」というものであろう。
この基準を鑑みた場合、朝日新聞は明らかに「公平な新聞」ではない。「自分たちの新聞にとって敵か味方か」によって、同じような境遇の人間でも呼び方を変える。敵に対してはできるだけ悪意を持って、味方に対しては極力好意的に。
その好例となる記事が、昨年の4月23、24の両日の朝日朝刊に掲載された。両方の記事の見出しを並べてみよう。
「死刑囚の賠償請求、朝日新聞側が勝訴」(4月23日)
「連合赤軍事件の坂口弘元被告が手記」(4月24日)
前者は、殺人で死刑が確定した人間からその露悪趣味な報道姿勢を裁判で訴えられた朝日新聞の、高らかな「勝利宣言」記事。後者は、「あさま山荘事件」やウチゲバ殺人事件で死刑が確定した連合赤軍メンバーが、オウム信者に呼びかける目的で書いた記事を載せたもの。
同じ「死刑が確定した囚人」のことを、朝日の敵である前者については「死刑囚」と呼び捨て、朝日がシンパシーを持つ後者については「元被告」などとオブラートにくるんだわけのわからない呼び方をしている。フツーの人は「元被告」なんて言葉を聞かされたら、「昔は不当にも訴えられるか何かしたが、今は無実が確定した人」とでも思うのではないか?「死刑の日を待つ人」とパッと思い浮かべる事の出きる人はまれであろう。
同じような境遇にある2人の人間を、自分達に敵対するかどうかによってこのように呼び分けをする行為のどこに、「公平な報道」の精神のかけらの一つでもあるというのか。
だいたい、23日記事の見出しにはあからさまに、「分不相応にも俺達を訴えてきたチョコザイな死刑囚に勝った!」という朝日の主張が隠されている。そうでないというなら、なぜ「勝訴」という言葉を使ったのか。朝日が好む「請求を却下」という言い回しを使って
「朝日新聞への訴えを棄却」
とでも書けばよかったのではないか。それをわざわざ「勝訴」などと言う言葉を使って相手を貶めようとするのは、なんとも下品だ。
24日の記事の中にも、問題点は多数ある。相手が「味方」だと、凶悪な殺人も「英雄的行為」として扱ってあげるという過剰なサービスぶり。あまりにも露骨なので、かえって感心してしまう。
朝日はこの記事で、「あさま山荘事件」のことを、「あさま山荘銃撃戦」などと書いている。なんともセコイ了見だ。朝日が一定の共感を覚えていた連合赤軍が起こしたあの事件の事を、あくまでも「革命的勢力と国家権力との戦争行為」として位置づけたいのであろう。
何の関係もない丸腰の人間を人質にとって長期にわたって立てこもっていたという事実を覆い隠すようなこんなネーミングにも、殺人集団の過激派を応援したという自らの暗黒の過去から目を背けようとする朝日のセコイ悪あがきの一端が見えている。
また、一般に「ウチゲバ事件」とか「リンチ事件」と言われている連合赤軍の凶悪犯罪行為に対しても、「同志殺害」などと、極力毒気を払拭するような書き方をしている。そこまでして連合赤軍に肩入れする朝日の意図は、いったいどこにあるのであろうか?
朝日新聞がそもそも、あるご立派な「意図」を持って報道活動を行っているのかどうかはわからない。単に部数拡大のために、その場限りの御都合主義的報道を行っているだけだという事も十分有得るであろう。
しかし、これだけは確かであろう。「朝日は味方にすれば、殺人事件も覆い隠してくれるほど頼もしいパートナーであるが、いったん敵にすれば、ある事ない事悪意の限りを尽くして書きたてられる、恐ろしい悪魔である」と。
なかみや たかし・本誌編集委員