「朝生」への鎮魂歌 その2


                           中宮 崇


「自虐史観」をして「楽しみにしておけ!フン!」とまで言わしめた「取って置きの史料」とやらの御粗末さ!


 さて、全くもって「罠」としか言いようのないような舞台を用意して敵を迎え撃った「自虐史観派」であるが、9対6という、数の優位を用いても彼らは論で勝つことは出来なかった。

 しかし、この手の番組で「自由主義史観派」のパネラーの数が「自虐史観派」の数を上回った例が一度もないというのはどういうことであろうか?同じテレビ朝日の「異議あり」という番組など、普段の形式を全く無視してなんと、1対5という圧倒的に不公平な状況さえわざわざ作り上げるようなことまでして「自虐史観派」に肩入れをしている。


洗脳された梶村


 それは置いておいて、前回に引き続き、「ジャーナリスト」梶村太一郎のお話。彼には「楽しみにしておけ!フン!」などという下品な言葉を吐かせるほどの御大層な史料があるそうなのであるが、ついにそれを披露してくださった。

 内容は、中国大陸で従軍していた日本兵が、中国の戦犯管理所で戦後証言したものを記録したものだそうだ。

 その史料によるとこの日本兵は1941年に、中国で「強姦所」を設置したのだそうだ。「強姦所」〜?なんちゅう日本語だ。普通の日本人が、こんな妙な日本語を使うであろうか?まともな頭で考えれば、中国によるプロパガンダ目的のでっち上げ文と考えるのが自然であろう。

 そもそもこの直前、自分たちに都合の悪い史料を握り潰すために「戦犯として書かされた証言文は駄目!」と「自虐史観派」は言っていたはずなのであるが、自分たちが出す史料は「戦犯として書かされた」ものでも「ファクトだ!」と言い切る。なんとも分裂症的なおつむである。「文書で書いてあるから本当の事である」と言い切るこの批判精神の無さ、悲惨としか言いようが無い。そのような史料だけを元に、彼は「これが日本軍の典型的な実態なのです」などとまで話を持っていくのだから飽きれる。

 さらにこの男、突っ込まれると「ちょっと待て!ちょ〜っと待て!」と連発し、自分の意見に反対する人間の声がマイクに入らないようにと企てる。他の「自虐史観派」も同調し、必死に相手の言葉をかき消そうとする。果ては「一般視聴者」を騙る外野からも罵声が投げかけられる。見苦しい限り。きっと戦前の軍国主義者達も、自分の意見に反対の者をこうやって「非国民!」と、弾圧していたのであろう。

 さて、「強姦所」とやらを設置した軍人さんがその後どうなったのかということは非常に興味深い事である。これだけひどい事をしたら処刑されても文句を言えないように思えるのだが。

 ところが梶村によると、この日本兵はなんと、「免訴」、つまり全く罪に問われなかったというのだ。普通に考えれば、「司法取引」という言葉の一つでも思いうかべられそうなものなのであるが、実は隠れ共産主義者らしい梶村から出た言葉は何と、「それが中国の寛大政策だったんだ!」。つまり、「心の広い中国は、日本兵の強姦行為を無罪放免で赦してくれた」と言うのである。しかも他の「自虐史観派」も、この見解にしきりにうなずいている。よくもここまで能天気かつ御都合主義的な解釈が出来るものだ。

 ちょっと歴史を勉強したものなら、「戦犯」として捕まった日本兵がどのような末路をたどったか分かって当然であるし、そんな中でこのような証言をした者だけがなぜ無罪放免されたのか、普通の推理力を持っていればわかりそうなものであろう。結局のところ彼ら「自虐史観派」は、始めに結果ありきで、史料をそのあらかじめ決められた結果に合わせて都合よく捻じ曲げて解釈するという事しか出来ないのだ。

 とっておきの史料のデタラメさ加減を暴かれた梶村は、更なる悪あがきとして「強姦集計表」なる史料を持ち出してきた。これは日本兵が、自分が慰安所でどれだけの慰安婦を「強姦」したかを集計したもので、1940年9月から1944年7月までに41人の女性を「強姦」したのだという事を、相手の年齢別に集計したものである。相手の年齢がなぜきちんと分かったのか全く不思議なのであるが、その当然の疑問を投げかけられた梶村によると、この日本兵は慰安婦を「強姦」する前に、いちいち年齢を相手に聞いていたのだそうだ。う〜む、すごい。ここでも彼は、何の論証も無く「これがフツーの日本兵の姿なのです!」などと断言する。一度こういう人たちの脳みその構造を、詳しく調べてみたいものである。

 これは後日談なのであるが、あれほど会場では声援を送っていた梶村太一郎を、「自虐史観派」はどうもトカゲのシッポ切りで見捨てる動きが一部にある。批判精神の欠けた「自虐史観派」ばかりで寄り集まっていた会場では気づかなかったのであろうが、番組が終わってみると、「どうも梶村のデタラメさに対する一般からの批判が強い」と言うんで、「梶村はやりすぎた」ということにして彼一人のみを悪者にして切り捨てようというのだ。梶村もとんだピエロである。かわいそうに、あの番組で「自虐史観派」が被ったマイナスイメージの責任を、一人で取らされようとしているのだから。「自虐史観派」の機関紙化している『週刊金曜日』にも、番組のあとは全く記事を書かせてもらえていない。


司会者水口の下劣な魂胆


 前に書いたように、この回の司会者である水口は、明らかに「自虐史観派」の回し者である。「自虐史観派」の発言に割り込もうとすると「ちょっと、話を最後まで聞いてください」と頻繁に制止するくせに、「自由主義史観派」の発言への割り込みは、むしろ積極的に奨励していた。番組をビデオに録画している方は、水口が「自由主義史観派」への割り込みを何度制止したか、確認してみるとよい。一度も制止していない。それどころか、わざわざ発言の途中で「自虐史観派」を指名して割り込ませて、話の腰を折るという事を数え切れないほどやっている。

 また、「自虐史観派」による「自由主義史観派」への中傷や根拠無き難癖についても、その反論の機会をほとんどといってよいほど与えなかった。西野留美子にデタラメを言われた藤岡教授などは、反論の機会を完全に奪われたままにされた。よくもここまで露骨に行動して恥ずかしくないものだ。そもそも、視聴者を完全に馬鹿にしている。オウム事件でマインドコントロールの手法が明らかになった今時、こんな低レベルな作戦に引っかけられると思っていたのであろうか?

 また、番組当初にデイブ・スペクターが「自由主義史観派」を「覚醒剤でもやっているんじゃないの?」、「狂信者」などとありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ掛けるのはにやにや笑いながら黙認していたくせに、西尾教授が「自虐史観派」の吉見教授について「日本の悲劇だけを探して研究する吉見さんの情熱は、既に病理の段階だ」と評した事については、なんと「病的というのはないと思います」、「やはり吉見さんを中傷する発言は取り消していただきたい」、「西尾さん、かたくなになっても何ですし」などと、執拗に追求、これに「自虐史観派」も悪乗りして、観客席と連体しつつ、「病的とは、人格攻撃だ!」、「取り消せ!」と、嵐のような大合唱。

 その後は彼ら「自虐史観派」は、相手の話をほとんど聞こうとはしていなかった。あ、それは最初からか(笑)。論で勝てない事を悟ったものであるから、これ幸いとばかりに西尾の発言に飛びついたのであろう。もっとも結局、「自虐史観派」と司会者との闇のつながりが白日の下にさらされるという惨めな結果となってしまっているのであるが。

 さて、そんな事は「偏向水口」のマインドコントロール作戦の序の口にすぎない。「朝生」を毎回見ている方ならご存知だと思うが、あの番組は視聴者からの電話やファックスで寄せられた意見を、後ろの方のボードに書きだし、それを紹介するということを毎回やっている。ところが今回はその上に司会者水口が、なんと「自虐史観派」にべったりのファックスだけを集めて読み上げるという、とんでもない情報操作作戦を試みたのである。その内容たるやひどいもので、例えば、


   「子どもはこう言っています、「現実にあった事は書けばよい

    と思う」」


こんな遅くまで子どもが起きて見ているとは、驚きである。


   「私は品格で歴史を学ぼうとは思わないし、売春を慰安婦と同

    一視するような下品な大人から品格や歴史を学ぼうとは思

    わない」



このファックスで思い当たったのであるが、結局のところ「自虐史観派」は「売春婦」というものを差別しているのだ。だからこそ、「従軍慰安婦は公娼だ」という発言に対して、「人権侵害だ!」とか「下品だ!」とか言えるのであろう。何のことはない。差別主義者は「自虐史観派」の方であったのだ。

 そして、番組の最後も「女子学生」とやらからのファックスで締めくくった。「自由主義史観派」による反論の機会も与えぬままに。


   「他の国でもしているのにどうして日本だけがという考えはあま

    りにも女性の人権に対して無責任です」


番組の途中で読み上げるなら「まだ」赦せるが、これで番組を締めくくるとはどういう神経か。どうせ情報操作するのなら、ヒットラーやゲッペルスでももっと研究して、我々に分からないように上手にやって欲しいものだ(笑)。


 またもや長くなったので次回に持ち越すが、ビデオを御持ちの方は、「ご意見ボード」に書かれた意見につけられる「Y,Nマーク」、つまり、「教科書に載せる事に賛成か反対か」を示すマークのつけかたを確認してごらんになるとよろしい。そこには、恐ろしいほどの情報操作行為が隠されている。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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