「朝生」への鎮魂歌 その3
中宮 崇
「自虐史観派」には、パクリ教授と嘘つきジャーナリストしかいない!
「学術論文」のあきれた実態
朝生に出席した「自虐史観派」の理論的リーダーの一人で「日本の戦争責任史料センター」の上杉聡は、開口一番こうのたまった。「我々はもう4年間研究を続けており、それだけの蓄積があります。我々の間でも、もうテレビでの議論には組するべきではない、我々は研究中心だから、論文で勝負するべきだという批判もあった」。
我々市民もずいぶんとなめられたものだ。「我々学者がきちんと研究してやっているのだから、おまえら市民は黙って聞いていろ!」とでも言いたいらしい。ところが、「4年間も」研究を続けてきたという彼らが、ただの一つも「学術的論文」を書いたことさえもないくせに「我々は学術的論文を書いてきた」などと大嘘を平気でついてきたという事は、別記事でも暴露した通りである。
歴史の真相を見極めるには、大きく分けて2つの方法があろう。一つは、歴史研究家による客観的かつ実証的な、「学術的研究」である。もう一つは、ジャーナリストやルポライターによる、精度をいくらか犠牲にしながらも大枠を俯瞰的に捉える事が目的の「調査報道」である。
彼らが「学術的研究」など全く行ってはいないという事は、既に暴いたが、ならばもう一つの手である調査報道を行っているか?行ってはいない。何しろ、「我々は研究中心だからテレビなどで議論するべきではない」などと言う連中である。
例えば「ジャーナリスト」と称している元朝日新聞の下村満子。彼女は今回の朝生以前にも、従軍慰安婦問題で朝生に出ていたのだが、その時に、「私は従軍慰安婦に関するたくさんの証言を集めてきた!」という発言に対して突っ込まれたのだが、結局最後まで「証言」とやらを一つも紹介する事が出来ずにしどろもどろになって、全く無残であった。そんなに長年熱心に調査してきたのなら、一つぐらい(証言者の名前を隠してでもよいから)証言とやらを開陳できなければおかしいのだが、どうも下村氏の頭の中には一つの「証言」も残されてはいなかったらしい。
今回も、「証言をたくさん聞いてきた!」と性懲りも無く言っていたが、またしても一つの証言も紹介できなかった。以前突っ込まれているのだし、その時には「今日は書類を用意してこなかった。ごめんなさい」と言っていたのだから一つぐらい文書を用意してきてもよさそうなものだが、それをせずに、またもや一つの「証言」も明かす事が出来なかったのだ。普通に考えれば、「下村は調査など全然していない」という結論に達するであろう。少なくとも、彼女はジャーナリストとしては失格である。やってもいない調査を「やった!」と嘘をついているとすれば、人間としても失格である。
また、そもそもの従軍慰安婦問題の火付け役と言える中央大学の吉見教授、彼もとても学者とは思えないようないい加減な人間であるという事が明らかになった。だいたい、学会で認められた論文の一つもないくせに「従軍慰安婦問題で学術的な論文を書いた」などと言っていることだけとっても、学者としてはもちろんのこと、人間としても失格なのであるが、彼が自分の「論文」の根拠として挙げたのが何と、「一般書」、つまり、そこらの書店でフツーに売っている本。学者様が、そこらの一般の本屋にある本だけ見て、それを「証言」として「論文」に載せたのだ。何の裏もとる事無く。
いや、正確に言うと、吉見センセイは、自分ではきちんと裏を取ったつもりらしい。彼にとって「裏を取る」ということは、一般の本を何冊か町の本屋から買ってきて、「あ、この本に出ている事と同じ事が、こっちの本にも書いてある」と確認する事なのだ。こんなことならば小学生だって夏休みの自由研究でもっとましなことが出来る。
しかも、そうやって集めた「証言」とやらが大嘘だらけであるという事も、番組で無残にも暴かれてしまった。吉見センセイが買ってきた2冊の本、「この本に書いてある事が、こっちにも書いてある、だからこれは正しい証言だ」と考えた本、実は、片一方の著者が、もう一方の本に載っていた事を丸写ししただけのものだったのだ。つまり実際には吉見は、ただ一冊の本を見ただけで「論文」に載せたという事になるのだ。何の調査も裏取りもせず。きちんと裏取りをしていたら、その「証言」とやらが信頼に値しないという事は十分わかったはずなのだが、学者のくせにその作業を怠っているのだ。ガキの使いじゃあるまいに。これが彼らの言うところの「学術的論文」とやらの実態なのだ。歴史学会が「自虐史観派」の「論文」とやらに見向きもしないのもうなずける。
紙は神様
さてその吉見センセイ、間違いを指摘されたら素直に認めればまだよいのだが、見苦しくも、「島田先生(吉見が丸写しした本の著者)がそんないい加減な事を書くとは思えない」と来た。彼にとってはどうやら、「紙に書いてある事は、すべて事実である」ということであるらしい。きっと、オウムのパンフレットでもそのまま信じてしまえるような御人なのであろう。学者のくせに、「批判精神」というものが全くないのだ。
しかも吉見センセイ、自分がかつて書いた文章も頭の中に残っていないらしい。「自由主義史観派」の秦教授が、「吉見さんは以前本の中で、「慰安婦には外出の自由があった」と書いているが、今日は「外出の自由がなかった」とおっしゃる、矛盾している」と指摘したのだが、「どこにそんなこと書いていましたっけ?」と、完全に失念しておられる様子。自分の文章にも発言にも、全く責任を持つつもりはないらしい。
しかも苦しくなってきた吉見センセイ、何を思ったか、「日本兵も、慰安婦と同じように外出の自由はなかった」などとおっしゃる。どうやら両者とも外出は許可制であったということを言いたいらしいのだが、そんなことを言っていたら、現代の自衛隊員だって、いや勤務中のサラリーマンだって外出の自由はあるまい。自分の論理が破綻してきたら勝手に言葉の解釈を変える(今回の場合は「外出の自由」)というのは、「強制連行」という言葉についてもかつてあった事であるが、「自虐史観派」の人間は、自分に都合が悪くなってくると、言葉の定義や解釈をころころ変えるというカメレオン人間なのだ。こんないい加減な連中相手では、議論なんて成立しない。
下村満子は「自由主義史観派」に対してこう、無茶苦茶を言った。「当事者に会わないで、なぜ議論できるの!」と。これによると筆者は、従軍慰安婦問題を議論する資格はないらしい。いや、日本人のほとんどがないであろう。そして先に書いたように、下村は実際には調査などしていない嘘つきなのだから、彼女自身さえも資格はない。
まあ、それは良いとして、下村がそう言う寝ぼけた信念を持っているならば、本当にその言葉を投げつけなければならない相手は、「身内」である吉見教授だ。何しろ彼は、当事者に会うどころか、書店で買ってきた本を丸写しするだけで「論文」とやらをでっち上げて、議論しに来ていたのだから。
さらに続く…
なかみや たかし・本誌編集委員