「味方」に裏切られた話


                          中宮 崇


奴等は本当に、「慰安婦のため」や「平和のため」に運動しているのかね?


 最近、「従軍慰安婦」問題が熱い。先の戦争において日本人は、アジアの女性を性奴隷(スゴイ言い方だ)としてひどい目にあわせた。そのことをきちんと教科書にも書くべきだ」と主張する「自虐史観派」と、「当時の状況からしてやむを得ないところもあったし、慰安婦を狩り立てたのは軍ではなく民間業者だ。教科書にも慰安婦については書くべきではない」という「自由主義史観派」という二大勢力が、死力を尽くした泥沼の論争を戦わせている。

 実は筆者の立場は、「自虐史観」に近い。「日本はあの戦争では、ある程度やむを得ないところや肯定すべき点があったにせよ、相当程度悪い事をした。教科書にもそのことは書くべきだ」と考えている。

 しかし両者の論争に耳を傾けてみると、本来私の味方となるべき「自虐史観派」の品位の無さ、嘘つき加減、デタラメさばかりが目に付き、どうも敵であるはずの「自由主義史観派」の主張に共鳴する部分さえ見出しはじめた始末。これはいったいどういうことか?

 「戦争について反省し、その悲劇を再び繰り返さないようにする」、これは「自虐史観」だろうが「自由主義史観」であろうが、だれもが共通して持っている思いではないか?それなのに「自虐史観派」は、そのような考えは自分たちの専売特許であると思い上がっているのか、まるで「自由主義史観」の人間は戦争好きの悪魔であるかのように嘘や中傷を撒き散らしている。「自虐史観派」のように嘘や中傷にまみれたキャンペーンをしなくても、戦争の悲惨さを子供たちに教えるすべはいくらでもあるはずである。なぜ彼らは、そこまで下品になれるのであろうか?

 「従軍慰安婦」について教科書で教えるにしても、まるで生徒を騙すような今のようなデタラメな書き方をしなくてはならない理由がどこにあるのか?そんなことをしなくても、戦争における女性たちの悲劇的立場については教える事ができるはずだ。なぜ彼ら「自虐史観派」は、品位を持って論争をする事ができないのであろうか?

 だいたい、「自虐史観派」の人間のほとんどは、かつて「青少年に女性の裸を見せるな!」と言って、自分たちの気に入らないマンガやテレビ番組に「有害図書」、「有害番組」とレッテルを貼って、自分たちの主観のみで勝手きままに弾圧してきた連中であるはずだ。

 その同じ連中が、小学生の教科書に「裸のアジア女性」の絵を載せることに賛成だというのだから、全く持ってお笑いである。彼らのいいかげんさと信念の無さは、このことだけを見ても明らかであろう。

 本誌今週号でも暴いてゆくが、本来非暴力平和運動のガンジーやキングの後継者でなければいけないはずの「自虐史観派」は、どうもナチスのヒットラーや、オウムの麻原の直系の後継者であるかのように見えてならない。「自虐史観」の総本山である朝日新聞は連日デマを流し、「平和主義」を掲げつつ暴力と脅迫を持って反対派を弾圧している。

 考えて見るとよい。彼ら「自虐史観派」の雑誌や新聞、討論会に、「自由主義史観派」の人間がどれほど呼ばれているか。欠席裁判の上、ある事ない事言い立てるのが常ではないか?反対に、「自由主義史観派」は、「自虐史観派」の人間を呼んで、公平に両論併記する事が多い。この事だけをとってみても、どちらの方がより公正であるかは明らかであろう。

 考えて見るとよい。「自虐史観派」が良く行っている、「自由主義史観派」へのスキャンダル攻撃やプライバシーの侵害を、「自由主義史観派」が行った事があるか。そのことを見ても、どちらの方がより下劣であるかは明らかであろう。

 太平洋戦争中、戦争遂行に協力しない者は、権力におもねる、地域の軍国じじいや愛国ババアによって、「非国民!」とレッテルを貼られ弾圧された。現在では、日本を貶める事に協力しないものは「平和」じじいや運動ババアによって、「軍国主義者!」、「右翼!」とレッテルを貼られて弾圧される。結局のところ、彼らのようなじじい、ババアは、ろくに思想も信念も持たずに、ただ単に時代の流れと社会の風潮におもねって、「自分は絶対的な正義である!」という自己満足の念に浸っているだけなのだ。だからこそ、戦争に負けた翌日にはすぐに、「軍国主義者」から「平和主義者」へと180°の変わり身を遂げる事ができたのだ。

 彼らのような「エセ自虐史観」や「エセ平和主義」の連中は放っておいて、本誌なりの「ホンモノの自虐史観」(笑)や「ホンモノの平和主義」の道を追求する事も可能であろう。しかし、彼らのような、戦争中の軍国主義者と何ら変るところのない「エセ人間」達をそのままにしておいては、「ホンモノの自虐史観」や「ホンモノの平和主義」をまじめに唱えている人間たちまでもが市民の不信を買う事にもなりかねない。従って本誌は、彼ら「エセ自虐史観派」のいいかげんさ、品位の無さを暴き、もって「ホンモノの平和主義」の道への地ならしを行う事にする。



                              なかみや たかし・本誌編集委員


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