論より中傷
中宮 崇
デマ攻撃や中傷作戦しかできない、「自虐史観派」の貧困な頭脳と下劣な根性!
「自虐史観派」は論で勝てる自信がないためか、「自由主義史観派」へのスキャンダル攻撃と中傷作戦に熱心である。それだけでも彼らの下劣性は誰の目にも明らかである。「自由主義史観派」がそのような汚い手をほとんどと言ってよいほど(少なくとも私は知らない)使っていないのとは対照的だ。
そもそも「自虐史観派」は、ただのプライバシー暴きだけでは飽き足らず、嘘やデマを垂れ流すという、人間として恥ずべき事さえいとわない。
例えば、『週刊金曜日』3/14号の
「歴史教科書改竄派と右翼人脈」
中村 誠治
なる記事、その題名だけ見ても相当下品なのではあるが、内容たるや憶測と邪推に満ちた、デタラメのオンパレード。
「ごまかしと杜撰がないまぜの「会」の本質」なる節では、「自由主義史観派」の「新しい歴史教科書をつくる会」について、明らかな嘘を書いている。少し引用してみよう。
(つくる会の)賛同者に「作家」の肩書きの藤本義一の名があ
るが、小説やテレビなどで活躍している藤本とは別人である。
「鬼の詩」(直木賞)「はぐれ刑事」などの小説で良く知られて
いる藤本義一は賛同者になった事を否定している。どうやら
同姓同名の「旅行作家」がいるらしい。
冗談ではない。どこからこのようなでたらめな話を持ってきたのか、まったく感心するばかりである。藤本は、自らが賛同者に名を連ねている事を「RONZA」(朝日新聞社)5月号できちんと認めている。『週金』はこのデマの責任を取る気があるのか?あるはずがない。オウムに殺された坂本弁護士を侮辱するデマ記事を載せたときも何の責任もとらなかったぐらいなのだから、「藤本義一が殺されてもいない」のに責任なんぞ取るはずがない。「ごまかしと杜撰がないまぜ」なのは、『週刊金曜日』の方だ。
記事の残りの部分も、「右翼政治家が関わっている」とか「改憲論者が入会している」とか、「だからどうした?」と言ってやりたいような下らない内容だ。だいたい、彼らの言うところの「右翼政治家」とは、単に自民党の政治家の事である事がほとんどである。自民党の代議士や彼らを支持する人たちはすべて、「右翼」なのだ。
さらに、彼らのような人の道にももとる卑怯者の良くやる書き方であるが、「「旅行作家」がいるらしい」とは何か。その「旅行作家」とやらを探す事もせず、よくもこういういいかげんな憶測を堂々と書けるものだ。「らしい」などと推測の形で書けば、どんな嘘も許されるというのか?
次に、以前本誌でも取り上げた『インパクション』(インパクト出版会)なる雑誌。従軍慰安婦に関連して大嘘年表を載せていたこの102号でも、「右翼政治家や右翼団体が、「つくる会」に必ず出席している」などと言った、何が言いたいのかわからない記事ばかりが目に付く。どうやら彼ら自身は、「ほら!奴等は右翼なのだ!」と批難しているつもりらしいが、ならば「自虐史観派」の後ろについている日教組や共産党のことはどうなるのか。「ほら!奴等は左翼なのだ!」ということにはならないのか?少なくとも、「自由主義史観」の人間はそんな批難ばかりするような馬鹿な事はしていない。
またこの雑誌は、どうも「嘘」という言葉に独自の定義を与えているようである。どういうことかというと、例えば
「小林よしのり氏と現代の若者」
浅野 健一
なる記事。これは自由主義史観派の「要人」小林よしのり(漫画家)と藤岡信勝(東大教授)を批難している記事なのだが、その中の一節「嘘だらけの藤岡論文」には、題名から想像されるような「藤岡論文の中の嘘」が一つも出てこない。藤岡教授の嘘の一つも指摘できずに、あたかも「藤岡が論文で嘘を書いている」などと感じさせるような題名をつけているのである。これでは「嘘だらけの藤岡論文」どころか「嘘だらけの浅野記事」だ。
浅野の記事を読む限り、彼はどうやら、「傲慢な発言」や「右翼の受け売り」のことを「嘘」と同じ物と考えているようなのだ。幼稚園児でもこんなこじつけはしないであろう。
なぜ「自虐史観派」の雑誌では、このようなデタラメがまかり通っているのか?簡単な事だ。読んでいる読者のほとんどが、でたらめな頭しか保有していないからだ。「類は友を呼ぶ」とは良く言ったものだ。でたらめな連中がでたらめな文章を読んで、でたらめな「連帯意識」を共有しているのだ。「自虐史観派」のデタラメ連中をまずはどうにかしなければ、真の歴史論争など望むべくもないであろう。
そのデタラメ連中のデタラメさ加減が一挙に暴かれたのが、例の「朝まで生テレビ」なのであるが、これはまた次回のお楽しみ。
なかみや たかし・本誌編集委員